act2 水晶の美女

「異形の者達が飛び去ってゆきます!方角は、サルサラークの滝方面ッ」
監視塔から伝令が入り、白騎士達は一様に騒ぎ始める。
「サルサラークだと!?まずい、あそこには例の水晶が!」
サルサラークの滝の近くに、タルアージの洞窟がある。
洞窟の奥には例の装置、水晶に包まれた女性と四角い機械が眠っている。
「奴らの狙いは、あれだったのか?」
ソレイユが呟く横では、ヨシュアが隊長へ指示を仰ぐ。
「隊長、如何致しましょう!?もし異形の者達が、あれを壊すなり作動させてしまったら」
「ヨシュア、ソレイユ、ここは任せる!」
最後まで言い終わらせず、いきなりグレイグが走り出したので、誰もが仰天する。
「待って下さい、隊長一体どこへ?」
ヨシュアも慌てて追いかけるが「追ってくるな!お前は、ここで待機だッ」とグレイグ本人に叱咤され、ビクリと足を止めた。
「まさか、お一人で洞窟へ向かうつもりじゃありませんよね!?」
なおもソレイユが背中へ叫ぶも、グレイグは振り返らず、廊下を走り去っていってしまった。
隊長自身が王の命令に背いて何処かへ行くなど、考えられない事態だ。
だが、それにも増して皆の心を不安がよぎる。
なにしろグレイグ隊長ときたら普段は大人しいくせして、咄嗟の判断で、とんでもないことをしでかす人だから。
「私、隊長を追いかけてみます!」
フィフィンが走り出し、「まっ、待て!」とヨシュアの伸ばした手は一歩遅く、彼女の袖を掴み損ねる。
彼女の背中も小さくなっていくのを見送ったソレイユが、皆と顔を見合わせて、力強く頷いた。
「全軍待機、なんて言っていられる場合じゃない。仲間の危機は全員の危機、ここは俺達も滝へ向かうべきだ!」
ソレイユの言葉に他の白騎士、そしてヨシュアも頷くと、白い鎧の軍団は慌ただしく出口へ向かった。

しかしグレイグが向かったのは皆の予想とは大きく外れ、王の間であった。
総隊長である以上、王を無視して勝手に外へ飛び出すなど、出来るわけがない。
彼は誰よりも王を尊敬していたし、王からの信頼を裏切ることも出来なかった。
走り込んで来るや否や開口一番、外出の許可を頼んできた白騎士隊長に王も目を白黒させ、王女が急いで取り次いだ。
「お話は判りました。しかしグレイ、まさか一人で向かうつもりではありませんよね?」
ソレイユと同じ事を聞いてくる。話す時間も、もどかしそうにグレイグが答えた。
「もはや一刻の猶予もありません!今から全軍を率いていては、間に合いません。魔術師に頼み、直接洞窟へ飛ばしてもらうしか、先回りする方法がないのです!!」
「し、しかし」
なんとか話に割り込んだ王が尋ねる。
「それほどまでに危険なのか?あの二人組は」
「我ら白騎士の剣などモノともせず、魔術師を蹴散らした者達です。それに」
グレイグは窓際へ視線を走らせる。
ここからでは奴らの姿も目視できないが、もう滝へついてしまったかもしれない。
「あの装置については、未だ何も判っていない状態です。迂闊に動かせば、どのような反動があるやも判らない物を、勝手に動かさせるわけには参りません!」
時間が惜しい。
こうして押し問答している間にも、奴らが動かしてしまったらと思うと、グレイグは気が気ではない。
「判りました」
意外にも、承諾の許可を出したのは王ではなくマーガレット王女の方であった。
「マーガレット!勝手な許可を」
王の怒りも何のその、決意を秘めた瞳で愛しの騎士団長を見つめると。
姫は、女性にしては男前に言い放った。
「これより現場の指揮を貴方に一任します、グレイグ=グレイゾン。必ずや異形の者達の行方をつきとめ、悪しき行動に出るというのであれば阻止なさい。これは勅命です」
「ははっ」
立て膝をつき、感謝の念を示してみせると、すぐさまグレイグは立ち上がり、踵を返す。
「勅命、承りました。必ずや使命を果たしてみせます」
「ま、待て、待つのじゃ、グレイゾン!」
慌てて王が呼び止めるも、傍らの姫は「期待しておりますよ、グレイ!」とノリノリだし、グレイグの足も止まらない。
颯爽と出て行く背中を、ただ呆然と見守るばかりの王へ、マーガレット王女が話しかけた。
「お父様。全ての傭兵、ハンターへ招集をかけましょう。異形の者達から我が国を守るのです。万が一、グレイグが間に合わなかった時の為に」
「ふ、ふむ……しかし」と、まだ半信半疑な父の腕を取り、再度姫は力強く促した。
「お父様、他国を侵略した時の決断力を、何処へやっておしまいになりましたの!?あの普段は大人しいグレイでさえ、やる気になっているのです!お父様が逃げ腰では示しもつきませんわ」
娘に半ば引きずられるような形で、渋々王は頷いた。
「う、うむ……そうだな。グレイが危機を感じている以上、儂も彼を信じねばならぬ。……よし、黒騎士団を洞窟へ向かわせよ!先行したグレイグの手助けをさせるのじゃ!」
「それでこそ、お父様!レイザース王国の王者ですわ」
王女はぱちんと手を叩き、さっそく臣下を呼び寄せた。
軍を動かし、一つは防衛。もう一つを、追撃へ向かわせる為に。

城下町を、慌ただしく走っていく者がある。
「伝令、伝令ー!お城からの伝令だよーッ!!」
ビラをまき散らし、新聞屋の馬が、大通りを駆け抜けた。
だが、まかれたビラを拾う者もおらず。大通りの店は殆どが閉まっていて、通りを歩く人影も少ない。
宙に浮かんだ人物と騎士団との間で起きた戦いに、誰もが怯えて家の中へ引きこもっていた。
風で飛んできた一枚を、一人の男が拾い上げる。
「傭兵にハンターを急募……?なるほど、どうやら俺達のいない間に何かが起こったらしいな」
男は黒い鎧に全身を包んでいた。黒い鎧に、赤いスカーフ。黒騎士団の正装姿だ。
背後から、もう一人。黒い鎧の人物が歩いてきて、彼に話しかける。
「それなら、街が閑散としているのにも頷けますわね。急いで隊長の元へ戻りましょう」
「あぁ」
黒騎士二人は頷きあい、一路レイザース城へ。

城の方では、魔術師連中と白騎士隊長が激しく口論していた。
と言っても、反発しているのは主に一人で。若き魔術師レンが、グレイグの決定案に異議を申し立てていた。
レン=フェイダ=アッソラージは、レイザース王国の中でも五本の指に入る魔術師である。
十歳の頃には五大属性――
炎、氷、風、土、雷の呪文をマスターし、十七歳で最大威力を誇る攻撃魔法『メテオストーム』を会得した。
それだけにプライドのほうも人並み以上に高く、総団長であるグレイグに対しても遠慮がない。
「一人だけ転移の呪文で飛ばしてくれって、あんたねぇ!死ぬ気なの!?」
「死ぬ気など、勿論ないッ。だが君達の転移術で全員を運べればいいが、それは無理難題というものだろう?」
「当たり前よ!一人運ぶだけでも、どんだけ疲れるか判ってんの?」
あんた達みたいに剣を振り回すだけと違って、魔法は精神力を消耗するのよ!
などと脳裏に響く甲高い声で喚かれて、グレイグは顰め面で応戦する。
「判っている。だから一人だけでも先に飛ばしてくれと頼んでいるんだ」
「だから、なんで隊長が一人で行くの!危険じゃないッ」
「では他の者を飛ばせとでも、いうつもりか?誰が行っても同じ危険具合なら、ここは俺が行くべきだ」
勝ち気なレンのこと、頼めば即飛ばしてくれるとばかり思っていた。
まさか、危険だからと引き留められるとは思ってもおらず、とんだ誤算だとグレイグは内心歯がみする。
こうして言い合いしている間も、刻一刻と時間は過ぎてゆく。奴らはもう、装置の前までついてしまっただろうか?
「なんで、あんたが行くべき、なのよ!普通、総隊長ってのは奥でどっしり構えてるもんでしょ?なのに、あんたは、いつもいっつも先陣を切ってばっかりで!たまには部下のことも、信頼したらどうなのよっ」
「無論、信頼している!だが、信頼と無謀な命令は違う。君は判っていないんだ、異形の者達がどれほど危険な存在なのかを!」
「えぇ、判りません、判りませんよーだ!誰かさんが、飛び出すのをジャマしてくれたおかげで!!」
ベーッと舌を突き出され、グレイグは困惑する。
命令違反で飛び出そうとした面々の中には、レンもいた。
それをヨシュアと自分で必死に引き留めたのだが、その隙に他の者が出撃してしまい、大惨事となった。
結果的に、彼女はグレイグとヨシュアに救われた形になる。なのに、こんな風に邪魔者扱いされるとは。
レンが自分を転移術で飛ばしてくれないのも、そのせいか。もはや手柄がどうといった次元ではないのに。
不意に廊下を慌ただしく走ってくる足音が聞こえ、誰かが飛び込んでくる。
白い鎧の騎士、グレイ直属の部下である白騎士の一人だ。
「た、大変です!北の空からドラゴンらしき物体の反応が近づいて――って、あれぇ!?グレイ隊長、何故こちらに?」
「どうした、何を驚いている?それよりドラゴンが接近しているというのは、本当か」
仰天する騎士に、魔術師達も詰めかける。
「ドラゴンって、まさか亜人の島から来たんじゃないでしょうね!」
「ドラゴンは城を目指して飛んできておるのか!?王は、なんと言っておる!撃退か、撃退じゃな!?」
「異形の者に続き、ドラゴンまで現われるとは!さっそく高位呪文書を用意しなくてはなりませんわね」
好き勝手に騒ぎ出す魔術師へ、白騎士もマッタをかける。
「おっ、お待ち下さい皆様!ひとまずソフィア様に指示を伺おうと……というか隊長!隊長が、いらっしゃるなら話は別です!どうか、ご指示を!!」
がっしと肩を掴まれて、困惑の体でグレイグも彼を宥めた。
「まず、君が落ち着いてくれ。何があった?何故俺を見て、君は驚いたんだ」
「あぁっと、そうです!そうでした!!」
パッと手を放したかと思えば、若い騎士は窓際へ走り寄って遠方を指さした。
指した方向に見えているのは山脈だ。山頂から下流へかけてサルサラークの滝が、流れ落ちている。
「ヨシュア様が皆を率いて、洞窟へ向かわれたのです!てっきりグレイ隊長が向かわれたのだと思いまして」
「何だって!?」
寝耳に水だ。まさかヨシュアが後先も見ずに突っ走った行動を取るとは。
グレイグも慌てて窓際へ走り寄って目を凝らす。
「何やってんのよ、こんなトコから見えるわけないでしょ?」
呆れたようにレンには突っ込まれ、グレイグは緩く首を振った。
彼女の言うとおりだ。
次から次へ予定外の出来事が起きたせいで、自分でも気づかないうちにパニックに陥っていたらしい。
気を取り直して振り向くと、グレイグは言った。
「……聞いたとおりだ、レン。ヨシュア達を追いかける為にも、俺を滝の周辺まで飛ばしてもらえるか?」
間髪入れず、レンが頷く。
「えぇ、いいわよ」
先ほどまでのゴネまくりは一体なんだったんだろうと言いたくなるほど、あっさりした調子だ。
「ヨシュア達まで危ないってんなら、急がないとヤバイわね……一気にいくわよ、水晶の側まで!」
「え?い、いや、滝の周辺でいいと」
最後まで言い終えず、グレイグの体が掻き消える。転移の術が作動して、直接洞窟へ飛ばされたのだ。
「……これで、ヨシッ。あとは頼んだわよ、グレイ……!」
明後日の方向を向いて親指を突き出すレンへ、心配そうな面持ちの白騎士が尋ねる。
「だ、大丈夫なのでしょうか、グレイ隊長。もしヨシュア様と合流する前に、異形の者達と遭遇してしまったら」
「大丈夫!」
何の根拠もないのに、レンは自信満々言い切った。
「元々一人で行きたいって言ってたんだもん。あいつなら、一人でも何とかしてくれるはずよ!」
「え、でも……?」
誰かが口を挟もうとするが、それよりも早く。レンが場を取り仕切る。
「それより、グレイ隊長まで動いたってんなら、あたし達も出動よ!騎士団ばかりイイカッコさせて、たまるもんですかッ」
「オォー!」
まず老人が拳を振り上げ、鬨の声を張り上げる。
レンの強い視線に負けた他の魔術師達も、思い思いに叫んでみた。
「レン様に続けー!!」
「レイザース騎士団の底力を、見せてやりましょうぞ!」
「あ、あの、ちょっと、王の指示は全軍待機ではなかったのですか?」
白騎士やソフィアが何を言っても、止まりそうにない。
レンを筆頭に魔術師達も、思い思いに呪文書を持って出口へと殺到する。
何の対策も、いや、奴らの狙いすら判明していないというのに、誰もがやる気満々だ。場の勢いって、恐ろしい。
「ど、どういたしましょう、ソフィア様」
オロオロして尋ねてくる白騎士へ、ソフィアも答えた。
「私達までが暴走しては、レイザース騎士団は崩壊してしまいます。あなた、悪いけれど王へ報告していただけますか?私は、黒騎士団へかけあってみます。暴走した魔術師を止めるよう」
「わ、判りました!」
白い鎧が走り去るのを横目に、ソフィアも黒騎士達の待機する外壁へと急ぐ。
黒騎士は、反逆者が襲撃してきた事件以来、すっかり頭数が減ってしまっている。
彼らが暴走する魔術師を止められるかどうかは実のところ、ソフィアにも全く自信がなかった。
廊下を走りながら、ふと思い出した。
そういえば――
ドラゴンが迫ってきていると、言っていなかったか?先ほどの白騎士は……


亜人の島からドラゴンで飛んで一時間と経たぬうちに、中央大陸の端が見えてくる。
「このまま首都に突ッ込むのか!?」
ソロンの問いには、賢者が答える。
「いや、突っ込めば無駄な争いを起こすじゃろう」
「それに、俺達の目的地は首都じゃない」
ルクが手にした銃で前方を示す。
「ルルアガー山脈だ。正確にはタルアージの洞窟だがな」
「じゃあ、洞窟に突っ込みゃ〜いいのか?ドラゴンに乗ったままで」
肩をすくめるシャウニィに「……それもどうかのぅ」と賢者は首を傾げた。
不意にハリィの胸元から電子音が鳴り響く。
通信機を取り出して応答した途端、押し殺したような黒騎士隊長の声が、ぼそぼそと聞こえてきた。
『大佐、今は何処にいる?奴らが洞窟へ向かったようだ、至急応援を求む』
「テフェルゼン?何故、君が俺の通信コードを」
『緊急事態だ、グレイゾン隊長の通信機を無断拝借して調べた』
騎士にしては大胆な真似をする男だ。
否、無断拝借ということは、当の本人が通信機の側にいないという結論になる。
「それで……通信機も持たないで君達の総隊長は、どこへ行ったんだ?」
『タルアージの洞窟だ。直接、魔術師に飛ばしてもらうと言っていた』
「直接!?」
横で盗み聞きしていたボブが、素っ頓狂な大声を張り上げる。
横入りしてきた彼に嫌味を言うでもなく、テフェルゼンは淡々と応えた。
『転移の術だ。レン=フェイダ=アッソラージの得意とする魔法で、人を一人、目的地まで瞬時に』
「まさか、グレイは一人で突っ込んじまったってのか!?」
テフェルゼンの解説を遮って、ハリィは頭を抱えた。
テフェルゼンですら、グレイの暴走を止めることが出来なかったのか。
いや、それ以前にグレイグが単独で無茶をするなど、考えられない。彼は騎士団を束ねる総隊長なのに!
ハリィの沈黙をどう受け取ったのか、テフェルゼンがボソボソと続けた。
『白騎士団も洞窟へ向かった。先行したヨシュアやグレイゾン隊長の後を追いかけている』
「で、あンたは城に残ッて何をやッてるンだ?」
いつの間にかハリィの手から通信機を奪い取り、ソロンがテフェルゼンを問い詰める。
「アンタも行かなくていいのかよ?黒騎士団ッてのの隊長なンだろ」
通信相手が変わっても動じることなく、テフェルゼンは答えた。
『我々には待機命令が出ている。万が一、装置の起動阻止に白騎士達が失敗した場合に備えて……な』
「それで」
ソロンの手から通信機を奪い返し、今度はハリィが尋ねる。
「俺達は何処へ向かえばいい?直接洞窟へ行ってもいいのか」
『恐らく奴らは、もう洞窟へ到着しているはずだ。現場へ急行してくれ』
「判った」
返事と同時に通信は切れ、ハリィはアルに命じた。
「首都の場所は判るな?その側に滝の流れる山が見えるだろう、滝を目指して飛んでくれ」
するとドラゴンは首を真横に振り、ジロリとハリィを睨み付ける。
「……タルアージの洞窟なら知っている。我の母が生まれし故郷だ。洞窟に直行しろと黒騎士にも言われたのだろう?ならば、滝と言わず洞窟目がけて突っ込もうぞ」
「えっ、でも突っ込んじゃって平気なの?」と、レピア。
ドラゴンはハリィ達全員が乗っても、まだ余裕があるほど大きなサイズだ。
この図体で山へ突っ込むとなると、軽く周囲の木々は薙ぎ倒され、洞窟までもが埋まってしまいそうである。
しかしアルはレピアの杞憂など、どこ吹く風。
「直前で人型に戻れば問題なかろう。それよりも、しっかり捕まっておけ。少々、速度をあげる」
言うが早いか、ぐんとスピードが上がり。
「え、あっ、わぁ!」
加速に押されて転ぶ者、うっかり落ちかける者などを背に乗せて、ドラゴンは風を切って飛んでゆく。
向かうは首都近郊のルルアガー山脈、その奥深くにあるタルアージの洞窟だ。


グレイグが魔法で飛ばされるよりも、少し前。
キエラとクローカーの二人は、一足先にタルアージの洞窟へ辿り着いていた。
厳重に囲ってあったロープを引きちぎり、跨いで奥へ入ってゆく。
足下の岩はツルツルしていたが、空を飛べる二人には大した障害にもならず。
やがて視界が開け、二人は洞窟の奥へと到着する。
「へぇ……見ろよ、あれ。魔力還元装置じゃねぇか」
キエラの指さす方向を見やり、クローカーも頷く。
「それに、あの中にいるのは……」
もう一度頷き、クローカーが一歩、装置へ近寄った。
「えぇ。ここにいたのですね」
二人で水晶を見つめる。正確には、水晶の中で眠り続ける女性を。
やがてキエラが水晶に手をつけると、眠る女性へ囁きかけるように小さく呟いた。
「……姉さん」
クローカーも傍らに立ち、女性の様子を丹念に調べた。
ソロンやハリィから聞いたとおり、水晶の中には裸の女性が閉じこめられている。
水色の髪を長く垂らし、まるで眠るかのような表情で。
そっと耳をつけてみると、水晶を通して心音が聞こえてくる。微弱であるが、まだ生きているのだ。
水晶は後ろにある四角い装置、魔力還元装置と直結しており、今も刻々と生命エネルギーを吸い取っている。
もちろん言うまでもなく、水晶に封じられた女性の生命を……だ。
哀れな贄の名を、クローカーは呟いた。
「フェザー……捜しましたよ。まさか、このような場所で囚われていようとは」

二十年前、この世界を探索するため一人で現われた悪魔がいた。
そして彼女は、そのまま消息を絶った――

「クローカー、さっさとコイツをぶっ壊しちまおうぜ」
感傷に浸っていたはずのキエラが振り返り、クローカーを促す。
「一刻も早く姉さんを解放するんだ。あんただって、そのほうが嬉しいだろ?」
「……そうしたいのは、山々なのですが」
装置の側へしゃがみ込み、クローカーが答える。
「見て下さい、このコード……呪詛が仕込まれていますね、それもタチの悪い」
「呪詛ォ?」と覗き込んだキエラ、たちまち眉間には縦皺が何本も刻まれた。
「……ホントだ」
肉眼では何も見えない。しかし彼ら二人には、はっきり見えているのであろう。
機械と水晶を繋ぐコードの表面には、数え切れないほどの呪詛がかけられていた。
もし乱暴に機械を壊そうもんなら、即座に大量のエネルギーが逆流する。
生物のキャパシティーを遙かに超える、膨大な量のエネルギーだ。
そんなものを大量に注ぎ込まれたら、水晶の中にいる生き物はショック死も免れない。
「じゃあ、どうするんだ?このまま姉さんが死ぬのを待てっていうのかよ」
苛だたしくキエラが尋ねてくるのへは、クローカーが首を振って否定する。
「そうは言っていません。代用品を捜せばいいだけの話です」
「けど、どうやって取り出すんだ?装置を止めたらエネルギーが姉さんに逆流しちゃうんだぜ」
「少しは頭を使いなさい、キエラ」
皮肉を言われてムッとする白髪青年へ向けて、クローカーは己の頭を指で突いた。
「ここをご覧なさい」
言われて、クローカーの示す場所を見つめるキエラ。どう見ても穴に見える。
水晶に繋がるコードが刺さっている部分とは別に、黒い穴がポッカリと空いていた。
「……予備のコード差し込み口?」
「ご名答。この程度の太さのコードなら、この世界でも見つかるでしょう」
「それで?コードを買ってきて……あっ!」
途中で思いついたキエラに、クローカーが頷く。
「そっか!さっすがクローカー、あったまいい!」
キエラの白い髪を優しく撫で、クローカーは静かに微笑んだ。
「貴方にも思いつける事ですよ。頭に血さえ、のぼっていなければ」
「じゃあ、必要なのはコードと……あとは代用品?城に戻って一匹捕まえてくるか?」
「いえ……代用品ならば、ここでも捕まえられるでしょう」
話途中に、クローカーが口元へ指をあてる。つられてキエラも無言になり、周囲の物音に耳をそばだてた。
遠くから足音が聞こえてくる。それも一つではない、大勢の足音だ。
ガチャガチャと金属の鳴り合わさる音も混ざっている点から、騎士団か何かが山を登ってきているように思われる。
「黒い奴らかな?それとも、白い奴?」
尋ねるキエラに、クローカーもかぶりを振る。
「さて……?」
二人して立ち上がった瞬間だった。
いきなりシュンッと風切る音が聞こえたかと思えば、白い鎧に身を包んだ一人の男が姿を現わしたのは。
白騎士は機敏に腰の剣を引き抜くと、油断無く身構えた。
「……何者かは知らないが、ここは立ち入り禁止だ。即座に立ち退きを願おう」
ひゅぅ、と小さくキエラが口笛を吹く。
「これはこれは。おいクローカー、こいつを知ってるか?」
「えぇ」
クローカーは頷き、目を細めた。
「もちろん、存じておりますよ。白騎士団長にして、レイザース騎士団総団長のグレイグ=グレイゾン様ですね……!」

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