act1 賢者ドンゴロ

波の音が聞こえる……
繰り返し、繰り返し。
波の音に紛れて、カモメの鳴き声も時折聞こえてくる。
やがて吹き付ける風に頬をくすぐられるようにして、彼は目を覚ました。


目覚めて一番初め、瞳に映ったのは見知らぬ褐色の女だった。
「あ、ヤット気づいた!気づいたヨ、マスター!」
マスターって、ここはドコの店だ?とばかりにソロンは周囲を見渡すが。
見えたのは、藁葺きの屋根と背の高い木々。そして、青い海だった。
「マスター!マスターッてバァ!目ェさましたヨ!お客サン!!」
女の甲高い声が脳裏に響く。
我知らず頭に手をやったソロンは、自分の頭が包帯ぐるぐる巻きにされていることに気づいた。
頭だけじゃない。上半身と腕にも包帯が巻かれている。
トントントン、と軽い音が聞こえたかと思うと、ローブ姿の老人が顔を出す。
老人はソロンの顔を覗き込むようにして、白い歯を見せた。
「おや、ようやくお目覚めか。ずいぶん長いこと気を失っておったの」
「……ここは?」
要領を得ないといった調子の質問に、女が答える。
「アジンの島だヨ!」
「あじん……の、島……?」
ぐるりと部屋を見渡すが、やはり見覚えのない場所だ。
海賊に襲われて海に逃れてから、一体どこまで流されてきたというのか。
ハリィの住んでいた家と違い、この家の床は青草の匂いがした。
壁だって、土の色を見せている。壁紙すら貼っていない。
正面の雨戸は開け放たれ、森と、更に向こうには海が広がっている。
ソロンの目を覚まさせた心地よい風は、そこから入ってきていた。
「……で、お前らは?」
老人は穏やかに微笑み、名乗りを上げた。
「儂か?儂はドンゴロじゃ。そして、こいつが」
女が勢いよく手を挙げる。
「アルニッヒィだヨ!マスターの一番弟子!!アルって呼んでネ!」
じろじろと無遠慮に二人を眺めながら、ソロンは更に尋ねる。
「あンたらが俺を助けてくれたのか?」
尋ねながら、二人は血縁関係ではないなと踏んだ。
ドンゴロと名乗った老人は普通の人間だが、アルは明らかに人間ではなかった。
人間よりも耳が長い。その上、ピンと尖っている。
叫んだ時に見えた犬歯も、犬歯というには尖りすぎていたように思う。あれは牙だ。
真っ黒な肌といい、尖った耳といい、誰かさんを連想させる。シで始まる誰かさんを。
「そうだヨ!」
アルが答え、ソロンの腕を馴れ馴れしく掴んだ。
「アタシが浜辺で見つけたの!息をしてなかッタから、こうやって」
チュッと唇を寄せられたのも一瞬で、褐色の少女は上目遣いでソロンを見つめる。
「息を吹き込んで、ネ」
「そッか……そいつは助かった。ありがとな」
頭を撫でてやると、アルはソロンのほうへ寄りかかってくる。
嬉しそうに目を細め、ゴロゴロと喉まで鳴らしかねない表情で。
「お前さんの名前は?」
ドンゴロの問いに、ソロンは素直に答えてやる。
「ソロン=ジラードだ」
ドンゴロは彼の名前を何度か口の中で呟いたが、やがて首を二、三度緩く振る。
聞き覚えがない、とでも考えたのだろう。
だが、聞き覚えがなくて当然だ。ソロンはワールドプリズの住民ではないのだから。
「ここはアジンの島ッつッたな。こッからメイツラグまで、どンだけ距離があるンだ?」
「メイツラグへ行く途中だったのか?」
質問に質問で返してくるドンゴロへ、ソロンが頷く。
頷く彼を見て、ドンゴロも正直に教えた。
「メイツラグまでならドラゴンに乗れば一時間足らずでつくじゃろう。なんなら送ってやってもよいが、」
ちら、とソロンの包帯を見て、溜息をつく。
「よいが、何だよ?怪我を治すまで養生しろなンて言う気じゃねェだろうな」
先回りで聞き返してから、聞き流した部分に戻って彼は叫んだ。
「ッて、ドラゴンだと!? ドラゴンがいるのか、この島は!」
「ん?あぁ、おるよ」
こともなげに頷くと、老人は微笑んだ。
「ここは亜人の島だからのぅ」
「アジンの島にドラゴンがいるのは、レイザースの子供デモ知ってるヨ?ソロンは知らないノ?」
アルに呆れられ、ソロンは首を真横に振る。
「知らねェ。ハリィは教えちゃくンなかッたぜ」
「はりー?誰ソレ。ソロンの、お友達?」
尋ねてくるアルへは黙って頷き、ソロンは立ち上がる。
ほんの少し立ちくらみを覚えたが、大丈夫だ。腕も足も、痛むところはない。
「まだ完治とは言えんぞ。もう少し休んでいきなさい」
ドンゴロには止められたが、それにも首を振って、ソロンは逆に尋ね返した。
「のンびり休ンでる暇なンざねェンだ。早くあいつらの処へ戻ってやらねェと。ンで、俺の服と剣。それから額当ては、ドコだ?」
「剣と額当て?」と、受け答えたのはアルで。
彼女は自分のおでこを指さしながら、ソロンを見上げた。
「なんかネェ、額当て、グニョグニョになってたカラ、捨てちゃったヨ!」
「何ィ」
まだ真新しかった額当ては、冒険者デビューを果たしたお祝いにとティルが買ってくれた物である。
本人に断りもなく捨てるとは、何事だ。
呆然とするソロンの前で、アルが無邪気に続ける。
「剣もねェ、ボッキボキに折れてたカラー、捨てちゃった!」
「じゃ、じゃあ、服は?」
服もビリビリに破れていたとかで捨てられちゃったんだろうか。
焦るソロンへ、アルは満面の笑顔で頷いた。
「あるヨ!血塗れだったカラ、洗っといた!」
彼女の捨てちゃう価値観が、イマイチよく判らない。
しかし服だけは無事だったことに、ソロンは安堵した。
お気に入りの服というわけではないのだが、ファーストエンドから持ち込んだ代物の一つである。
異界の地において、故郷の持ち物を全て手放すのは心細くもあった。
「アルが儂の家へお前さんを運んできた時、お前さんは全身血塗れでボロボロだった。メイツラグへ行く途中で、一体何と戦っておったんじゃ?」
首を傾げる老人へは「海賊だよ」とだけ答え、服を探しに廊下へ出る。
その背中に、アルの甲高い声が追いかけてきた。
「ソッチじゃないヨ!庭!庭に、干してある!」
声だけじゃなく本体も追いかけてきて、ソロンの腕を取る。
「コッチ、案内してあげる!」

開け放たれた戸から外へ出ると、目映い日の光がソロンの目を焼いた。
晴天だ。青い空には、雲一つ浮かんでいない。
毎日こんなところで暮らしていれば、こんがり小麦色の肌になって当然だ。
よく聞こえていたはずの波の音は聞こえなくて、代わりに遠くで鳥が鳴くのを耳にした。
青い海に、強い日差し。遠目に見える、穏やかな海。
メイツラグまでドラゴンに乗って一時間弱の距離だから、ここは北に位置する島のはずだ。
だが、この景色はどうだ。まるで南国のように、暖かな天候ではないか。
「ソロン、ハイッ、服!」
勢いよく手渡された自分の服は、カラカラに乾いていた。ひと目見て、ソロンは唖然とする。
服はビリビリに破れていた。牙を持つ何者かが、何度も噛みついたかのように。
アルもドンゴロも血塗れでどうとか言っていたが、海で漂流している間、自分に何があったのだ!
ひょっとしたら体中に巻かれた包帯も、それに関係するのだろうか。
現に今も包帯だらけでミイラ男と化しているが、体のどこも痛くないのが却って不思議であった。
海で起きた出来事はともかく、海へ落ちた時、ソロンは背中に大怪我を負っていたはずなのだ。
それすら痛みを感じないとは。
「ねェ、その服でいいの?さむくない?アタシの服、貸してあげるヨ?」
気の毒そうな目で見つめてくる少女に、ソロンはボンヤリと答える。
「あ、アァ……できれば、繕ってくれると有り難いンだが……」
だが、すぐさま自分の発言を撤回した。目の前の娘に針仕事が出来るとは、思えない。
「いや、いいや。何でもねェ。服、洗濯してくれて、ありがとな」
「ソウ?あ、そうだ。これも渡しとくネ!」
手渡された物体を陽に掲げ、ソロンは首を傾げる。
……なんだっけ?これ。
薄くて丸いプレート板のついたペンダントだ。
アルからソロンの手へ渡された直後は青白い光を放っていたが、やがて光は消えてしまった。
「ソロンが持ってたんだヨ?こうやッテ、首からさげて」
アルが首にかけてくれたソレをソロンはマジマジと眺めて見るも、さっぱり思い出せない。
誰にもらったんだっけ。まぁ、いいや。
アルがそう言うからには、これも自分の物なんだろう。
「さて、と……ンじゃあ、ドラゴンを呼んで貰えるようドンゴロに頼んじゃくれねェか?」
「ドラゴン?ドラゴンなら、ココにいるヨ」
くりっとした大きな瞳を輝かせて、少女が頷く。
えっとなってソロンは左右を見渡したが、ドラゴンなんて何処にもいない。
訝しげにアルを睨むと、彼女はニッコリと微笑み、背中を向けた。
「ずっとココにいたんだヨ。さ、乗って乗って★」
「いや、乗れッて……お前に?」
少女の奇妙な行動に戸惑うソロンだが、次の瞬間、彼はもっと驚くことになる。
唐突に少女の体が目映い光に包まれたかと思うと、ぐんぐんと大きくなっていったからだ。
「な……なンだァ!?」
見る見るうちに少女の体はゴツゴツとした鱗に覆われ、背丈も元の三十倍は巨大化する。
手が伸び、足が伸び、四つんばいの体勢になった。
背中が盛り上がり、二枚の羽根が飛び出してくる。
ソロンの見守る中、ドラゴンが空へ向けて咆吼する。
そのドラゴンが、ソロンを見下ろした。
「準備完了だ。我が背中に乗るが良い」
威厳に満ちた落ち着いた声で話すと、ドラゴンはソロンの行動を待った。
声や格好だけじゃなくて、話し方や態度までもが変化している。
百パーセント別人、いや別ドラゴンだ。
「アル、お前がドラゴンだッたのか……」
もはや少女は何処にもおらず、目の前にいるのは小山と表してもいいドラゴンが一匹。
確かに、これに乗って飛べば一時間弱でメイツラグへ到着できよう。
ドラゴンが頷く。
「亜人の島に住む者は、皆、ドラゴンの血族だ。賢者ドンゴロを除いては」
「賢者?ドンゴロは賢者だッたのか」
再び頷き、ドラゴンの赤い瞳がソロンを捉える。
「お主の怪我も、ドンゴロが癒した。だが、彼の癒しは偽りの魔術」
偽り?偽りの癒しとは、何だ。ソロンが尋ねると、ドラゴンのアルは鷹揚に答えた。
「傷の痛みを呪術で誤魔化しているだけに過ぎん。時間が経てば、痛みは戻る。メイツラグへついたら早めに神官か医者と接触し、傷を治してもらうと良かろう」
ドラゴンの言うことは難しくて、ソロンには、さっぱり理解できなかった。
が、アルがソロンを気遣って世話を焼いているのだということは、判る。
急げと言われなくても、元々急ぐつもりだ。ソロンはアルの背中へ飛び乗り、出発を促した。
「色々教えてくれて、ありがとうよ。ンじゃ、行こうぜ。メイツラグへ」
砂を巻き上げ、大きな羽ばたきと共に、ソロンを乗せたドラゴンが舞い上がる。
一回、二回と島の上空をぐるり旋回したのちに、北東を目指して飛び立った。

ドラゴンのアルがソロンを乗せて、飛び去った後。
さして間もおかずに、賢者ドンゴロの元へ来客が訪れる。
黒装束をまとい、顔を黒いマスクで隠している。どこからどう見ても、普通の客人ではない。
「斬か、久しいのぅ。して、今日は何用じゃ?」
雑談を抜きに尋ねる賢者へ、黒づくめの男・斬も単刀直入に切り出した。
「レイザース騎士団が奇妙な物を見つけました。場所はタルアージの洞窟です」
「奇妙なもの……?」
老人の眉がぴくりと動いた。
「詳しく話してごらん」
「はい」と、斬が語るところによると――
レイザース首都付近にある洞窟、通称タルアージの洞窟内部にて、奇妙な物が発見された。
水晶の中に、女性が入っているというのだ。
女性は明らかに亜種族と見られ、何も身につけておらず、裸で眠り続けている。
生死は、すぐに判明した。生体反応装置にかけてみると、心臓の鼓動が確認された。
女性の眠る水晶は、製造者不明の機械と繋がっている。
この装置が、彼女を何らかの作用で生かしているのではないかというのが学者の見解だ。
装置には操作ボタンと呼べるものが一つもついておらず、止める方法も判らない。
「ふむ……水晶に囚われた亜人か」
考え込むドンゴロへ、斬が重ねて問う。
「騎士団はまだ、世間への公表を行っておりません。この話は大臣経由で腕の立つハンター、及び傭兵だけに知らされた情報です。異世界の技術ではないかと疑う者もおりました。賢者殿のお考えを、お聞かせ願いたく」
うぅむ、と唸り、ドンゴロがブツブツと呟く。
「実物を見てみんことには、のぅ……だが、儂がレイザースへ行くというのも難儀な話よ。察するに、亜人の生態エネルギーを何かに使おうという魂胆じゃろうが、一体何に……?斬、お主のギルドへ頼み事をしてもよいかな」
ひざまずき、斬は応えた。
「なんなりと」
「先ほど、お主は異世界の技術と申していたが、異世界の住民に心当たりがないでもない」
賢者の言葉に、斬がハッとなって顔をあげる。構わず、ドンゴロは続けた。
「儂の元へ救助された男がおってな。彼は不思議なものを身につけていた」
「不思議なもの……魔具、ですか?」
尋ね返す斬へ、賢者は頷いた。
ソロンが首にかけていたネックレス。あれから強い魔術反応を感じたという。
「儂の庵へ運ばれてきた時、彼は全身血塗れだった。おおかた、海で鮫にでも襲われたのじゃろう。手足も頭も酷い傷で、誰の目にも瀕死と思えた。にも関わらず、儂の目の前で、彼の体はどんどん回復していきおった。そして、首にかけたネックレスが光っておった。無論、魔法の力を発してな。生命維持防具とでも呼べばよいのか……人の命を繋ぎ止める魔術がかけられておるようじゃ。だが、あのような製品はレイザースでも作っておらぬ。ましてや、古代の品でもない」
「ほぅ……」と唸る斬の目にも、戸惑いが浮かんでいる。
信じがたいが賢者ドンゴロの言う事に嘘偽りなど、あるまい。
やがて迷いを振り切った目でドンゴロを見据え、彼は尋ねた。
「その者は、どこに?」
「つい先ほど、旅立っていったばかりじゃ」
空を見上げ、賢者が答える。
「アルがメイツラグへ送ってやった。メイツラグに用事があるそうじゃ」
「メイツラグへ?」
首を傾げる斬へ「そうじゃ」と再び頷き、ドンゴロも斬を見た。
「お主達もメイツラグへ行き、彼と接触してくれんかのぅ。ネックレスの事、そして見つかったという装置についても、彼の意見を尋ねてみようではないか」
「かの者の名は?」
「ソロン=ジラードだ」
「御意」
短い一言を最後に。黒づくめの姿は、一瞬にして掻き消えた。

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