ac6 剣士対決
「無名、無名だと……?」
自ら無名と名乗った謎の剣士ヒスイを見て、ソロンの額を冷や汗がつたう。
自慢じゃないが、ファーストエンドでソロンのスピードについてこられる剣士など見たことがない。
かつての闇闘技場では無敗を誇り、組織を抜けた今だって相手が人間ならば負け知らずの腕前だ。
その自分が、押されている。自称知名度の低い用心棒如きに。
「おい、ハリィ!コイツの言ッてる事は、本当なのか!?」
視線はヒスイを見据えたまま背後に怒鳴ってみれば、ボソボソとした答えが返ってきた。
「……確かに、ヒスイという名は聞いたことがない」
ソロンが驚いたのと同じぐらい、ハリィだって驚いていた。
傭兵業の長いハリィである。
どこに強い傭兵がいるのかぐらいは、大体把握しているつもりだった。
それが何もない、ちっぽけな北の島国に、これほどの剣士が潜んでいたなんて。
かつてメイツラグにいたという神級レベルの剣士なら、名前ぐらいは聞いたことがある。
リズ=ダイナー。確か、そんな名前だったと記憶している。
しかし、その剣士は女性だという話だし、第一もう引退したはずだ。風の噂では軍人に転職したらしい。
男で名前がヒスイ、或いはコハク?どちらにしても、全然聞き覚えがない。
本人の言うとおり本当に無名なのだろう。メイツラグオンリーで活動している新人の傭兵だろうか。
ヒスイが笑う。
「俺は名乗ったぜ。お前の名前も教えてもらおうか?どうせ無名だろうがな」
ちら、とソロンの後方にも目を向けて、呟いた。
「ハリィだと……もしかしてハリィ=ジョルズ=スカイヤードか?」
「なッ!なんでハリィの名前を知っているの!?」とティルが騒ぐ横で、すかさずルクが突っ込んでくる。
「そりゃ、傭兵やってんなら知ってるだろ。大佐は有名人だからナ」
ハリィ本人が頷くのを見て、ヒスイはせせら笑う。
「あんたの腕前は聞いているぜ?狙った獲物は逃さない、百発百中の射撃だってな。だが、こいつは一対一の剣士勝負……余計な真似は謹んでもらおうか」
「えっ!そんなにスゴイ奴だったのか!?ハリィッて」と無礼な一言が上がる中、ハリィは黙って頷いた。
言われずとも、援護射撃するつもりはない。
何しろ二人とも、ハリィの目が追いつかぬスピードで動き回るのだ。下手に撃てば、ソロンに当たる。
「君達の戦いを邪魔するつもりはないんだがね。残りの海賊船には撃たせてもらう」
ヒスイは肩をすくめ「勝手にすればいいさ」と用心棒らしからぬ言葉を吐いた後、ソロンへ向き直った。
「ソロン=ジラードだ」
ソロンは名乗り、剣の柄を握りしめる。
「聞いたことがねぇな。やっぱり無名か」
ヒスイが口元を歪め、笑っていた――と思ったのも一瞬で。
再び黒い突風が甲板を駆け抜けて、ソロンは野生の勘で後方へ飛び退いた。
だが今度は相手も執拗に追ってきて、ソロンの腕、腹、頬、股に幾筋もの傷をつけて、間合いを離す。
「くそォ!」
こうも、やられっぱなしでは悔しすぎる。
ソロンも必死で剣を振るうが、ヒスイは最小限の動きで、そいつを見切って当たらせてくれない。
「ソロン!相手の動きにあわせるな!!」
どこからかシャウニィの声が響いた。
しかし甲板に彼の姿はなく、ティルもキーファもキョロキョロと見回す。
……あ、いた。
いつの間にか、ちゃっかり船長室の中にいる。窓をあけて、こちらを見物していた。
「戦いなさいよ!」と怒るティルへは、ひらひらと手を振って彼は答えた。
「だぁって俺、この場にいても役立たずだし?魔法が使えねーんじゃ海賊船相手もねぇっしょ」
それにしたって、部屋の中で一人ぬくぬくしているこたぁないんじゃなかろうか。
シャウニィのアドバイスに、ソロンは「動きに併せてるつもりはねェよ!」と叫ぶのが精一杯。
併せなくても、向こうが勝手についてくるのだ。むしろヒスイがソロンの動きに併せている。
ソロンも、どちらかというとスピードタイプの剣士である。
得意のスピードで負ける相手が出てくるとは、正直思いもしなかった。
だがシャウニィの言うとおり、スピードにスピードで対抗するのは愚の骨頂。
ここは不慣れなれど、スピードよりパワーを重視した戦い方に切り換えた方が良さそうだ。
攻撃を当てるには、相手の動きを止める必要がある。
肉を切らせて骨を断つ、というわけではないが、己の身を餌に引きつけてみよう。
再び間合いを大きく開けると、ソロンは腰を落として低く構えた。
「あの剣士はソロンに任せよう。俺達は海賊船を狙うぞ」
戦いの様子を眺めていたハリィがルクとバージへ命じるのを見て、ティルもキーファへ命じた。
「私達も海賊船を攻撃しましょ!」
しかしルクとバージが素直に頷いたのとは違って、キーファは生意気にも口答えしてくる。
「どうやって?飛び乗れるならともかく、こっからどうやって離れた船と戦うんだよ?」
「どうやってでもよ!ほら、例えば投げナイフとかで」
無茶を言うティル相手に、ついついキーファの声も跳ね上がる。
「届かねぇよ!!」
「届かないの?根性が足りないわねぇ」
いや、根性云々という問題ではないのだが……
ティルはジト目でキーファを睨むと、グロッキーな船長を助け起こした。
「船長さん、お願い。どれかの海賊船に近づけて。こっちの船にはキーファを残しておくから大丈夫。ちょっと頼りない盗賊だけど、腕は確かだから」
即座に
「頼りなくて悪かったなぁぁぁ!!!」とキーファからは抗議のわめきがあがったが、ティルは無視。
じっと上目遣いに船長を見つめ、ついでに体もすり寄せて渾身のお願いをした。
だが得意の悩殺ポーズも恐怖に脅える船長には通じず、ストングは真っ青な顔で首を横に振る。
「む、無理だ。いくら魔砲を積んでいないとはいえ、相手は海賊船だぞ。近づく前に沈められる」
魔砲とはなんぞや?
しかしティルやキーファがそれを尋ねる前に、船が大きく波にあおられる。
そうだった、まだ砲撃は続いていた。三艘の海賊船は、もはや遠慮もなしに撃ち込んできている。
未だ致命傷と呼べる攻撃を受けていないのが、奇跡的とも言えた。
キーファがポツリと呟く。
「大砲ってのは連続して攻撃できねーんだな」
ファーストエンドにある機械都市製の船だって、大砲の連発は出来ない。
砲丸を詰め込み導火線に着火して、実際に発射されるまでの時間があるからだ。
当たり前でしょと突っ込むティルの横で、息も絶え絶えに船長も、くちを揃える。
「あ、当たり前だ。メイツラグの船は旧式だ、レイザースの船と違って鉛弾を使っているからな」
じゃあ、レイザースの船なら砲撃の連射も可能だというのだろうか。
「この船は、レイザース製の船なのよね?どうして、そのマホウっていうのを積んでいないの?」と、ティル。
即座に船長が答えた。
「漁船に砲台など必要あるか?」
ごもっとも。
いや、納得している場合じゃなくて。
海賊に漁船だと答えたのは、ありゃマジだったらしい。
てっきり漁船というのは偽装で、本当は戦える船だと思っていただけにショック倍増だ。
――などと勝手なショックを受けているティルとキーファは置いといて。
ルクとバージは、早くも海賊船の甲板へ狙いを定めていた。
正しくは、甲板を動き回る海賊に照準を合わせている。
これだけの船、ライフル二丁で仕留めるには、船を撃っても無駄である。
舵取り、或いは全体を指揮しているキャプテンを仕留めねば。
ハリィは、というと船長室へ駆け込んで、シャウニィと話している。
「君は魔術師なんだろう?どうして魔法を使わないんだ。もし落雷の魔法を使えるならば唱えて欲しいんだが」
そう尋ねる彼に、ダークエルフは爽快な笑顔で答えた。
「あぁ、それ?んー、ファーストエンドだったら造作ないんだけどさぁ。ここじゃ無理」
「無理?ワールドプリズとは術の発動方法が違うのか?」
バカみたいに驚くだけだった仲間と違い、一応ハリィには物事を考えられる頭があったようだ。
彼の推理に、シャウニィは頷いた。
「ご名答。普通はさ、魔術書を見ながら呪文を唱えるんだけどよ、まぁ俺は天才だから書物なんざ見なくても唱えられるんだが、さっき船着き場で試してみたら呪文が発動しなかったんだよ、これが。んで何でかなーって考えてみたんだが、多分、向こうとこっちじゃマナの扱いが違うんだろうねーって」
「……マナの扱い?」
マシンガントークなダークエルフに、ハリィは困惑の様子。
所詮は傭兵、専門外の話についてこられるのは、ここまでか。
あまり彼を困らせるのもなんなので、シャウニィは手っ取り早く説明してあげた。
「フツー魔法ってのは、大気中に存在するマナを使って発動させるんだけどよ。あ、難しく考えなくていいぜ?要はエネルギーだよ、エネルギー。そのエネルギーの質が、あっちとこっちじゃ違うんじゃねーか?ってのが俺の予想ってわけさ」
「呪文は、関係ないのか?」
まだ判っていないといった顔でハリィが尋ねてくるのへ、強く頷いてやる。
「あぁ、全く関係ないね。呪文ってのは精神集中させるための、おまじないだからな」
ふむ、と小さく呟き黙ってしまったハリィへ、逆にシャウニィが聞き返した。
「それはともかく俺とダベッてる暇があんなら、お前も攻撃してこいよ。ルクやバージみたいにさ。なんだあれ、あいつらの武器って飛び道具だろ?お前も持ってるんじゃねーの?アレと同じもんを」
ハリィは苦笑する。
「……届かないんだよ。今、俺が持っているのはハンドガンだけだからね」
懐から鉄の塊、波止場で襲ってきた連中の一人が持っていたのと同じような武器を取り出した。
「なるほど。飛距離は長さに比例してるってわけか」
ルクやバージの持っている武器は釣り竿ぐらいに長い。
対してハリィの武器は、掌サイズだ。
だから飛距離も、きっと掌までの長さに違いない。
そんなもんが果たして何の役に立つのかと疑問に思いながら、シャウニィは物知り顔で頷いたのだった。
何度目の斬撃か。腹に一撃を受けて、ソロンは甲板を転がった。
すぐさま追ってくる二撃目をかろうじて避けると、なんとか体勢を立て直す。
傷は浅い、軽傷だ。だが、船の端まで追い詰められていた。
相手の剣を己の肉体に埋め込ませて動きを止めようと考えたのだが、そこまでマッチョではないソロン。
背中に手痛い一撃を受けた瞬間、肉を切らせて骨を断つという考えは彼の脳裏から四散した。
今も、背中からは赤いものが滴っているはずだ。
自分では見えないが、背中を伝って足まで流れる生暖かさを感じる。
無論、痛みも尋常ではない。こうして睨み合っているだけでも、視界がぼやけてくるほどだ。
だがソロンだって、斬られっぱなしのやられっぱなしではない。
ヒスイの頬と右腕に一撃を加えていた。
背中をやられた瞬間、ヤケクソで振り回した剣が奴の腕を捉え、ついでに頬を掠めたのだ。
偶然とはいえ、一応は肉を切らせて骨を断ったといえる。
頬の傷は浅いが、右腕は確実に深手を与えたはず。剣を伝って肉の手応えを感じた。
その証拠に、奴の右腕はダランと下がったままだ。
袖を滴る血が、足下に小さな水たまりを作っていた。
「ち……遊びが過ぎたか。これほどの腕前で無名の奴が、俺の他にもいるとはな」
そう言って笑うヒスイの顔も、どことなく引きつっている。
遊びなどと強がってはいるが、よく考えたらヒスイだって背中の一撃以外は深傷を与えられていない。
押していた割に致命傷が与えられなかったのは、寸前でソロンが身をかわしていたせいだ。
肉を切らせて……などとソロンが考えたりしなければ、背中の一撃だって与えられたかどうかも怪しい。
世界は広い。
それは充分に知っているヒスイだが、たかが漁船の用心棒如きに負けてしまっては立つ瀬がない。
何より今は、海賊船を狙っているスナイパー二人の存在もある。
一気に勝負を決めてしまおう。考えを切り換えた瞬間、ヒスイの体からは殺気が一気に溢れ出た。
「気をつけて!何か仕掛けてくるつもりよッ!!」
殺気に気づいたティルがソロンへ叫ぶも、黒い風に逃げ道を断たれたソロンの取った行動とは――
ザボン、と大きな音が一つ、波間に上がる。ティルが悲鳴をあげた。
船員達の「落ちたぞ!」という声や「ボートを降ろすんだ、早く!」といった船長の声が、悲鳴と重なる。
同時に軽い銃声が二発響いたかと思うと海賊船の甲板、それも舵付近に立っていた人影が倒れるのを見た。
すさまじい砲撃の嵐も、今はすっかり止んでいる。
「くっそぉ……ソロン、一人でとんずらこきやがって。どうせ逃げるなら俺もつれていけってんだ」
両手両足を縛られて甲板に転がされたキーファは、ブツブツとぼやく。
そんな彼をティルが横目で睨んできた。
「文句言わないの。しょうがないじゃない、咄嗟だったんだし」
彼女も、やはり両手両足を堅く縄で縛られている。
乗ってきた漁船は海の藻屑となり、船長を含めた一行は海賊船に乗せ替えられていた。
死傷者が出なかったのは不幸中の幸いだが、海へ逃げたソロンの行方だけが判らない。
救命ボートで探したものの彼は何処にも浮かんでおらず、業を煮やした海賊の命令により捜索は途中で打ち切られた。
「おぼれ死んじまったんじゃねーか?」等と軽口を叩くルクを、殺気走った視線で黙らせると。
ティルは、一転して情けない顔で空を見上げる。
「それより私達、どうなっちゃうの?これから。いかがわしい店に売られちゃうんじゃないでしょうね?」
「あー、それは大丈夫」
即座にルクが受け答えたので、再びティルは殺気走りながら「どうして?」と、それでも尋ね返してみる。
「お前みたいな貧乳、どこの風俗店に売りつけろっていうんだ?誰も買ってくんねぇだろ」
案の定、思った通りの答えが返ってきたので、縛られた足で蹴りつけてやった。
イテッ!と騒ぐルク、それから暴れるティルをも上から睨みつけ、海賊がどやしつけてくる。
「コラ、暴れんな!お前らの処遇は傭兵の始末をつけてから考えるって、キャプテンが言ってたぞ」
「傭兵の始末?俺等を殺そうってのか」
縛られた格好だというのに、ルクが反抗的な目で睨み返す。
睨むルクを海賊も睨み返して、挑発的な笑みを浮かべた。
「殺すかどうかは、まだ決まっちゃいねぇ。だがテメェラは、うちの操舵手を一人やってくれた……そいつの借りだけは、きっちり返しておかねぇとな」
ルクの横で、キーファがギャーギャー騒ぎ出す。
「傭兵なんざどうなってもいいけど、俺達は!?俺達は傭兵じゃないぜ、それに船長も!」
「傭兵じゃない?」
海賊は驚いた風だったが、すぐに冷静を取り戻すと、ティルとキーファ、それからシャウニィを順に眺めた。
「傭兵じゃなかったら、何だって言うんだ?漁師にゃあ見えねぇし、かといって船乗りにも見えねぇ」
特にシャウニィをマジマジと眺め、首を捻る。
「ましてや、こいつは人間にも見えねぇ……亜人か?亜人の島から来たのか?お前」
シャウニィは笑顔で聞き返した。
「アジンの島って何だ?そこになら妖精がいるのか?」
トンチンカンな会話を繰り広げていると、ハリィが戻ってくる。
彼だけは両手両足を拘束されることなく海賊のキャプテンとやらに呼び出され、今まで交渉に当たっていた。
交渉といっても、一方的な尋問になるはずだった。
彼の部下は海賊船のうち一つの操舵手を撃って、重傷を負わせたのだから。
それが、どうしたことやらハリィは笑顔で戻ってくると、手慣れた手つきでティルの縄をほどき始める。
たちまち顔を真っ赤にして「勝手な真似をするな!」と怒鳴る海賊の下っ端へは片目を瞑り、彼は応えた。
「船の上では自由にしていいという権限を貰ってきた。詳しくは君達のボスに聞いてくれ」
縄をほどかれ自由になっても「え?え??どういうこと」と困惑するティル、そして他の仲間も呼び寄せると。
ハリィは、にっこり笑って事の真相を暴露した。
「背後に怖い軍人さんがいるって教えてあげたのさ。そうしたら、一瞬にして向こうの態度も変わったよ」
持つべきものは、権威ある友人である。