キタキタ
7.波乱の学園祭
タイツの珍人、いや客人から伝えられし衝撃の事実は、しかしながら本人不在では確認も取れず、重大な事実はソラ一人の胸に秘められたまま、アカデミーでは新たなる幕が開けようとしていた。
年に一度の大きなイベント、学園祭である。
生徒は当然全員参加。
ソラも例外ではなく、同期生の連中と準備に取り組んだ。
あくせくした時間を送るうちに、次第にソラの脳裏からも重大な事実は霞がかっていき、学園祭が始まる頃にはタイツ少年もビアノも、すっかり消え去ってしまった。


景気の良い爆竹が鳴り響き、校門では呼び込みの女の子が声をはりあげる。
「デスプリット・アカデミーの学園祭、今日から開催です!ご近所の皆様も、どうぞご覧になってくださーい」
生徒に混じって、はしゃぐ子供達や保護者の姿、犬を散歩させている人まで見える。
校舎までの道の両側には生徒経営の露天が並び、早くも美味しそうな匂いを漂わせていた。
「はぁー……すごいもんですね」
入り口で吃驚するソラに、どこか得意げな時子が答える。
「ソラくんだって都外で噂ぐらいは聞いたから、うちに来たんでしょ?」
「はぁ、まぁ」
ソラの通うアカデミー、その学園祭は毎回派手な催し物をするというので有名だ。
否、派手なのはイベントだけじゃない。
この日の為に飾り立てた装飾もさることながら、エレベーターにはエレベーターガール、受付には案内嬢、トイレにも手すりを設置するなど、外からのお客様への気合いが入っている。
さすがセレブの子息子女が通うだけはある。金遣いがハンパじゃない。
「オジサマ達の狙いは、今年もアレよね。ソラくんは、興味ある?」
近くにある立て看板を指さされ、なんだろうと見てみたソラは、ぶっと吹き出した。
――おさわりメイド喫茶。
メイドに扮した女学生達の写真まで貼ってある。
およそ健全なるアカデミーには相応しくない催し物だ。
「冗談でしょう」と顔色も変えず怒るソラへ「ごめんごめん」と、さして悪いと思っていなさそうな笑顔で謝ると、時子は彼の耳元で囁いた。
「自分の娘のお尻を触りに来るオジサマもいるらしいわよ。どういう趣味なのかしらね」
顔の近さにドキドキしつつも「さぁ……」と冴えない返事をしてから、ソラは逆に聞き返した。
「っていうか、あれは違反じゃないんですか?」
「えぇ、セーフよ。うちの学園祭は原則何でもアリなの、予算をオーバーしない限り」
予算、予算か。セレブの言う予算が如何ほどの額であるかなど、庶民のソラには想像もつかない。
そして時子の言いっぷりからしても、メイド喫茶は序の口なんだろう。
もっと際どい、やばそうな物も仕込まれているに違いない。
一人で歩き出そうとして、ソラは不意に思いついて振り向いた。
せっかく校門で偶然一緒になったんだ。
もし良ければ、時子と――
「ねぇソラくん。どうせだったら、一緒に回らない?」
時子には先を越されて誘われる。
勿論、断るソラではなく、二人は並んで校舎へ向かう。

廊下一面に赤絨毯が敷かれ、窓にはシックなカーテンが、おまけに天井からはシャンデリアまでぶらさがっていて、一体ここはどこの宮殿だ。
普段と全く異なる内装に、ソラがポカーンとしていると。
「ハイ、ソラくん。プログラム貰ってきたわ、一緒に見ましょ」
いつの間に受付へ行ってきたのか、時子が学園祭のプログラムを手に走り寄ってきた。
本来なら、こういうのは後輩である自分がやらなきゃいけないのに、先輩の時子のほうが気が回りすぎて、立ち入る隙がない。
それにしても……と、ソラは楽しそうな時子の横顔を盗み見る。
彼女はどうして、こんな平凡な後輩と、よく話をしてくれるのだろう?
彼女は別に、誰にでも優しいってわけじゃない。
話しかけてくる相手には一応愛想良く対応するけど、普段話さない奴には全然話しかけもしない。
ソラぐらいだ。こちらから話しかけなくても、話しかけてもらえるのは。
おかげでソラは、他の庶民友達から大層うらやましがられた。
今だって、すれ違う皆の目が、さも羨ましそうに眺めているではないか。
ソラは優越感を覚える。
だが、その幸せは長く続かない。
そう、いつだって邪魔者は途中で割り込んでくるのだ。
「おやおや、時子サン。どこにも見あたらないと思ったら、こんな処にいたのかい?」
振り向かなくても誰だか判る。
この嫌味ったらしい独特のイントネーションは加賀見だ。
「あたしが、いつまでも校門で突っ立っているわけないでしょ?一日は長いようで短いんだから」
内心ピリピリするソラとは裏腹に、時子はさらりと華麗に流す。
「そう焦らなくたって、あと一週間は続くじゃないか。で?本日のご予定は」
ぐいぐいとソラを押しのけ、時子の横に加賀見が割って入ってくる。
こうした行動にもソラはピリピリきてしまうのだが、やはり時子は気にしていない様子で応えた。
「そうね、どうしようかな。演劇は三時からだっけ?」
「二回公演だよ、プログラムにも書いてある。一回目が十一時、二回目が三時だ」
「あら、ホント。よく見ているわねぇ、加賀見クン」
「そりゃあ、ね」と髪をかきあげる加賀見は、流し目で時子を見つめる動作のおまけつき。
時子は彼のほうなど見もせず、指先だけで命令した。
「それじゃ、午後の部の席取り、お願いしてもいいかしら」
いいかしら?と聞きつつ、足は颯爽と校舎へ向かっている。
拒否など一切許さない態度だが、加賀見も気を悪くした様子などなく恭しくお辞儀した。
「了解しました、時子様」
「いいお返事ね、加賀見クン」と、時子もニッコリ。
二人の、こうした遣り取りは今に始まった事じゃない。
アカデミーに入学してから、いや、正確に言うなら時子を初めて見た時から、しょっちゅう見ている光景だ。
時子は大抵の用事を加賀見に命じ、加賀見が素直に実行する。
その働きっぷりたるや、執事以上の右腕だ。
ぼーっと突っ立って眺めていると、不意に加賀見がソラのほうを振り返る。
「おいソラくん、有能な人材ってのは、こういう時にお役に立てる者を差すんだぜ」
「はぁ」
また自慢か。心の中では面倒に思いつつも、表面上は能面で生返事する。
そんなソラを、ふんっと鼻で笑い飛ばすと、加賀見は、さっさと歩いていった。
「無能な奴には言うだけ無駄だったか」と嫌味を一言残して。
有能な奴、か。要は、ただのパシリじゃないか。
でも時子が命じてくれたなら、ソラだってテキパキ動ける自信がある。
何故時子は今、自分に命じてくれなかったのだろう。
加賀見に席取りを命じるってことは、加賀見と一緒に演劇を見たくなったのか。
もしかして今日一緒に見て回る相手は、彼女にとって誰でも良かったんだろうか……?
ソラが内心しょぼくれていると、ぽんと軽く肩を叩かれた。
誰にって、もちろん時子にだ。
「気にしないの」
慰めてくれるのは有り難いが、多分勘違いされている。
ソラがしょぼくれているのは、加賀見に嫌味を言われたからではないというのに。
「いえ、気にしていません」
無表情で応えるソラへ時子はクスリと微笑むと、さらに顔を近づけて小声で囁いた。
「加賀見くんが席を取ってくれたら、一緒に見に行きましょう」
なるほど。
加賀見はあくまでもパシリで、彼女が一緒にいたいのは自分なのか。
たとえ、それが今日一日だけの気まぐれだったとしても構わない。
ソラの憂鬱は時子のたったの一言で、見事に吹き飛んだ。

演劇は魔王討伐へ向かう勇者と姫君の、多少時代がかった悲恋ものであった。
案の定、加賀見は二席分しか確保していなかったのだが、時子はバッグから札束を一つ放り投げると、反対側へ座ったおじさんへ微笑み「オジサマ、席を空けてもらえるかしら?」ときたもんだ。
あっという間に一席確保した時子は、ぽかんと呆けるソラを手招きで呼び寄せる。
「ほら、ソラくん。あたしの隣に座って」
「い……いいんですかね?」
躊躇するソラを無理矢理着席させると、時子はウィンクでお茶目に微笑んだ。
「いいの、いいの。ちゃんと席料は払ったんだから、文句なんて言わせないわよ」
時子を挟んで反対側に加賀見、もう片側にソラが座る。
「なんだ、向井野君も見るのかい?演劇」
不機嫌な声が向こう側から聞こえてきた。
大方、二つしか席を確保しない事でソラを上手く排除できたと喜んでいたのであろう。
そうは問屋が卸さない。ソラは言い返した。
「俺、この演劇に興味あるんですよね。メインストーリーは魔王討伐だっていうし」
そう、プログラムを見て思い出したのだ。
演劇で討伐される予定の魔王――
北部に封印されている、あの魔王で間違いあるまい。
ほとんどが謎で包まれている魔王。
それを、どんなふうに書いているのか。興味がある。
開演の合図がなり、講堂が薄暗くなる。演劇が始まった。

演劇に見入るソラ、それを更に見入っている人物が一人。
倶利伽羅 繭優である。
「まゆゆタン、ポップコーンが床にこぼれているよォ?」
繭優の隣に座った男、七三眼鏡小太りの鳥居 肝介が床にこぼれたポップコーンを足でどける仕草をする。
だが繭優は一ミリたりとも反応せず、時子の隣に座るソラを凝視していた。
――ソラくん……演劇を見るなら、どうして、わたくしを誘ってくれなかったのかしら――
などと悶々しながら見ているもんだから、当然演劇の内容なんて頭に入ってこない。
大体、繭優には魔王討伐の悲恋物語なんて全然興味のないシロモノなのだ。
ソラが講堂へ入っていくのを目撃しなかったら、見ようとも思わなかったであろう。
舞台では、明日旅立つ勇者が姫君と別れの挨拶をかわしている。
「まゆゆタン、ポップコーンいらないなら俺が食べてあげようか?」
隣でハァハァ鼻息の荒い男に黙ってポップコーンを突き出すと、繭優はグッと身を乗り出した。
折しも場面は勇者と姫君のキスシーンで、きゃぁっと客席からは黄色い声があがる。
「ま、まゆゆタンもチッスに興味が……?で、でへへへ」
鳥居がなんか言っているが、どうでもいい。
それより手前の男、邪魔だ。
こいつが乗り出したせいで、ソラの横顔が見えなくなってしまったじゃないか。
「姫君はファーストチッスなのかな、でへへ。ま、まゆゆタンは誰とする予定なのかな、ファーストチッス」
薄暗がりの中、鳥居は大胆にも手を伸ばす。
だがポップコーンの油でベタベタになった手が繭優の手を握るよりも早く、幕際でざわめきが起きたかと思うと、黒い影が二、三回転して舞台の上へ華麗に着地した。
「な、なんだっ!?」と勇者役の生徒も台詞を忘れて誰何する。
「なんだ、お前は!!」
「こんな演劇は茶番だわ!」
響き渡る甲高い女子のキンキン声には、繭優にも聞き覚えがあった。
どこで聞いた声だったろう。
「お父様は人間如きに負けやしない!いいえ、封印されたなんてのも政府の考えた嘘っぱちなんだからッ」
ソラと、そして時子も立ち上がるのが見えた。
「ビアノッ!?」と彼が叫ぶのと、舞台上をスポットライトが照らしたのは、ほぼ同時で。
明々と照らされた光の中に立つ人物こそ、長らく消息不明となっていたビアノであった。
ピンク髪を見て、やっと繭優も思い出す。
そうだ、あれはアカデミーで見たんだった。
異臭を放つ弁当をソラへ押しつけていた迷惑小娘だ。
「お、お父様だって!? お前は一体何者なんだ!」
舞台の上で勇者役が問い、ビアノは答えた。
「あたしの名前はビアノ!真の名はビルゾアラノクタールッ」
ざわざわと講堂内が深いざわめきに包まれる。
「南部へ来た目的、思い出したわ!お父様を傷つけた勇者の子孫を捜し出す為に、あたしは来たのよ!!」
そんな大層な目的がビアノにあったとは、知らなかった。
ソラも時子も目を丸くして眺めるしかない。
「勇者の子孫!?勇者本人ではなくて?」と、これは姫君役の女の子に問われて、ビアノは、かっと目を見開き、彼女を睨みつける。
「何百年前の話だと思ってんのよ!あんた達、こんな劇やっているくせに、そんなのも知らないの?」
全くだ。しかし、そうするとソラの中で疑問が生じる。
ビアノは魔王の子供だと、タイツ少年も言っていた。
だが、魔王が封印されたのは遙か昔の話である。
ビアノは一体いつ、生まれたんだろう。
いや、そもそもアイツは人間ではないのか……?
舞台上ではビアノが勇者役の生徒を指さして「あんたが末裔なの!?」と騒いでいる。
勇者役は「冗談じゃないッ」と泡食って答えた。
「僕は松原商事の次期社長だ!勇者の血筋なんかじゃないっ」
「もしかして」と時子が横で囁いてくる。
「ソラくんが勇者の末裔だったりして?」
「冗談じゃないですよ」
舞台上の生徒と同じ言葉をソラも言う。
「うちが勇者の末裔だったら、もうちょっと裕福な暮らしをしていると思いませんか」
「そうよね」と時子も肩をすくめると、苦笑した。
「ただ、そうだったら面白い巡り合わせかなって思っただけ」
面白いって、そんな他人事みたいに。
あぁ、時子にしてみれば完全に他人事であった。
勇者の末裔として生まれていたら、今ごろはビアノに命を狙われていたわけだ。
つくづく自分が勇者の末裔とやらでなくて良かった、と安堵の溜息をついていると、唐突に甲高い声が自分の名を呼んだ。
「やっだー!ソラ、ソラじゃない!あぁん、ソラァ〜久しぶりィ〜、会いたかったぁ〜」
何事か、と近くに座っていた人達全員の目がソラを注視する。
そればかりかスポットライトまでがソラの頭上を照らすもんだから、一気に講堂中の注目の的だ。
恥ずかしい。
恥ずかしすぎて、穴があったら入りたい。
心の中では真っ赤になって、しかしながら表面上は全くの鉄仮面なソラの代わりに、加賀見がカァッと赤面する。
「まったく、君ってやつは目立たなくていい場面で目立ってくれるんだな!」
ついでに、お小言まで飛んできた。
そんなのは、ソラではなくビアノに言って欲しい。やつが元凶なのだし。
ビアノはソラが文句を言うよりも早く、「あ、でも駄目よ、駄目よソラッ。今のあたしは復讐者!」などと一人で自分に酔いしれた寝言をほざくと、講堂に集まった全員の顔をジロリと見渡した。
「あたしの集めたデータによると、勇者の子孫は今、ちょうどアカデミーに通う年齢だそうだわ!つまり!この学校にいる可能性大ってことよ!」
無茶苦茶な推理に、「ふざけんな!」「アカデミーが都心に幾つあると思っているんだ!?」といった抗議の声があがる。
だがビアノは全く聞く耳を持たず、ビシッと言い切った。
「従って!しばらく、この学園祭を見て回ることにしたわ。いいこと?勇者の末裔!あたしが絶対探し出してやるんだからね、覚悟しときなさいよね!」
かっこつけてポーズまで決めて、末裔が見つからなかったら、どうするつもりなんだろう。
ソラは少し心配に思ったが、まぁ、ビアノの面の厚さを考えたら、別に俺が心配することでもないなと思い直した。
話が一段落ついたと見て、演出係が慌てて舞台の幕を閉じる。
演劇は、魔王討伐のクライマックスへ辿り着く前に終演となってしまった。
「あ、ちょっと待ちなさいよ!話はまだ終わってないんだってばぁ」と騒ぐビアノの声を、緞帳の向こうに残して。
←Back  ⍙Top  Next→