キタキタ
4.恐るべき罠
アカデミーとは、知識を学ぶ為にある場所だ。
だが実際、勉強を真面目にやっている学生など、ほんの一握りであろう。
多くの者は勉強以外にもプラスアルファなオマケを求めて、アカデミーへやってくる。
ソラもまた、不真面目学生の一端であった。
アカデミー卒業後、将来何になるかは、まだ決めていない。
時子に尋ねられた時は適当に答えたが、あれを最終目的にすると決めた訳じゃない。
アカデミーへ通ううちに、もっと他の目的――将来の夢が見つかるかもしれない。
そんな期待を持っていた。


ソラは鞄の中からチラシを取りだし、片っ端から目を通しては畳んで仕舞いこむ。
これから受ける講義とは、全く関係ない。
全部、アパート関連の入居者募集チラシだ。
「やっぱ、どれも高いんだよなぁ……家賃」
ビアノの為に、早く新しいアパートを探してやらねばならない。
こいつは街で偶然出会った文無しの脱北者だ。
なし崩しにソラのアパートへ転がり込み、今に至る。
ビアノの希望をまとめると『安くて日差しが良くてショッピングセンターに近くて交通が便利で人の多い場所』――だそうだが、そんな良物件が簡単に見つかるはずもなく、アパート探しは難航していた。
最近のビアノは図々しくも「あたしは、このままでも構わないわよ?」などと言い出す始末で、このままでは困るソラとしては、何としても安い良物件を探して奴を追い出さねばなるまい。
なにしろビアノときたら姿格好は可愛い女の子のくせして、とんでもない性格なのだ。
自分のアパートにいながらソラは気の休まる場所がない。
羨ましいなどと言うなかれ。ああ見えても、ビアノは――
「おいおい、貧乏人君。ここをドコだと思っているんだ?ここは君の部屋じゃない、神聖なる学舎、アカデミーの教室だぞ?」
己の考えに没頭していたソラは声をかけられるまで、加賀見 優二の接近に気づかなかった。
慌てて顔をあげると、取り巻きを数人引き連れて、加賀見がニヤニヤと自分を見下ろしている。
加賀見 優二はアカデミーにおける先輩であり、時子の同期生でもある。
そして、ソラにとっては恋のライバルでもあった。
彼も時子を狙っているのだ。
「引っ越すのかね?今、君が住んでいるアパートは、君みたいな貧乏人でも住めるほど家賃が格段に安かったと記憶しているんだがねぇ」
ガサガサと乱暴にチラシをかきあつめ、鞄の中へ突っ込むと、ソラは仏頂面で答えた。
「いえ、引っ越すのは俺じゃないです。友達が物件を探していて」
「ふぅん。なら君の住むアパートを紹介してやればいいじゃないか」
「訳あって、あそこじゃ駄目なんです」
今あそこに住んでいる奴を追い出さそうというのだ、今いる場所を教えても仕方がない。
愉快ではない会話を切り上げようと、ソラは席を立つ。
次の講義を受ける予定だったのだが、気が変わった。もう今日は帰ろう。
加賀見の嫌味を横で聞かされながら受けたんじゃ、せっかくの知識だって覚えられまい。

アカデミーから自宅アパートまでの道を、とぼとぼ歩きながら、ソラは大きな溜息を吐きだした。
「……はぁ〜。何やってんだろうな、俺」
一分一秒でもビアノと一緒にいたくなくてアパートを飛び出してきたというのに、今度は加賀見と一緒にいたくないからアパートへ帰ろうとしている。
これじゃスクールをサボっている登校拒否な子供と一緒じゃないか。
嫌な場面から逃げてばかりでは成長しない。
故郷を出る前、母にくち酸っぱく言われた言葉が、ソラの脳裏に蘇る。
そんなこと言ったって。仕方がないじゃないか。
想い描いていた都心の生活とは、あまりにもかけ離れた今の環境。
せっかく見つけた安くて静かな良物件。それもビアノのせいで台無しだ。
このままじゃビアノを追い出す前に、自分がノイローゼで都外へUターンするはめになりそうだ。
「――ソラくん?」
呼び止められて何の気なく振り返ったソラは、驚きで心臓がくちから飛び出すかと思った。
なんと往来に立っていたのは憧れの時子で、取り巻きもつれずに一人でいるなど珍しい。
「時子さん」
「ソラくん、どうしたの?さっきから溜息ばかりついちゃって、元気がないみたい」
溜息ばかりついているところを、ばっちり見られていたようだ。
「い、いえ、その……」
「アカデミーで嫌な事でもあった?あ、判った!加賀見クンでしょ。あいつ、何かと君のことをバカにしてんのよね」
加賀見の名前を出されて、ソラはぎくりとする。
どこまで時子には見透かされているのだろう。
そんなに自分は判りやすい表情を浮かべていたのか?
ソラの気持ちを判っているのかいないのか、時子は判ったような顔でウンウンと頷き、仁王立ちした。
「でもね、負けちゃ駄目よ?ああいう挑発には乗っちゃ駄目。さらっと聞き流して無視してやるのよ。そのうち、何も言ってこなくなるから」
「え、えぇと……加賀見さんは、いつも時子さんに俺の話を……?」
「ん?ほぼ毎日、君の話題はあがってくるわよ。都外から引っ越してくる生徒は珍しいものね」
そうなんだ、知らなかった。
セレブの間で、どのように噂されているかは大体予想がつく。
貧乏人が無理して都会へ出てきて、必死で自分達に追いつこうと足掻いている。
どうせ人間は生まれた時の親の身分で一生が決まっているのに――といった処であろう。
「加賀見クンはね、君に嫉妬しているんだと思うな」
「へっ!?」
思わぬ言葉が時子のくちから飛び出し、ソラは間抜けにキョトンとする。
といっても、表面上は鉄仮面。
時子からすれば、彼が驚いているようには全く見えなかっただろうが。
「だって君は都外から来たのに、独りぼっちじゃないでしょ?それに勉強も、取り残されていないみたいだし……こないだの上位三十位、おめでとう」
「え、あ。ありがとう、ございます……」
先日おこなわれたテストの結果まで見られていた。
ソラが思っているよりも時子はだいぶ、ソラに興味を持っているようである。
内心ドキドキと心ときめかすソラへ向かって、時子が言った。
「毎日憎々しげに君がいい気になっているって、君の活動を報告してくれるけど、そうよ、きっとそう。加賀見クンはきっと君に内心では、すごーく期待しているんだわ。そうじゃなければ毎日、君のやることなすこと全てを観察したりしないはずよ」
どうやら、時子ではなく加賀見がソラの全てを見守っているらしい。
ガッカリだ。
だが、その報告を受けて時子が自分に話しかけてくれるなら、それも悪くはないとソラは思い直す。
「それで、君の悩み事って何?そういえば、友達の為にアパートを探しているって聞いたけど」
そんなことまで話しているとは、ソラのプライバシーをなんだと思っているのか、あの先輩は。
「え、えぇ、まぁ」
そこまで知られていては、これ以上隠し通すのは無理がある。
それに加賀見の情報収集力を考えるに、ビアノの件が彼に知られるのも時間の問題であろう。
なにしろ彼は、ソラの住むアパートがどこかまで知っていたのだ。
「実は――」
ソラは思い切って、これまでの出来事を全部時子へ話す事にした。

「あら、まぁ、そうだったの。女の子だと思ったら実はキノコつきで、ふぅぅん……それは、困ったわねぇ。いえ、キノコがじゃなくて、勉強に身が入らなくなりそうで」
全てを聞き終えた時子は近所の親切おばさん宜しく、眉間に縦皺をよせてソラへしきりと同情していたが、やがて何やら思いついたのか、ポンと手を打ち、輝く笑顔で会心の案を持ち出した。
「そうだわ!駅前の貸しマンション」
「えっ?」
「お父様が経営しているマンションが駅前にあるんだけど、そこにビアノちゃんを住まわすっての、どう?」
ソラは、もう一度「えっ?」と聞き返し、改めてギョッとなる。
駅前にあるマンションなら、知っている。
時子の父親が経営する向日田グループ管轄の、超大型高層マンションだ。
当然家賃も目玉の飛び出る価格で貧乏人のソラは勿論、文無しのビアノが住めるような場所ではない。
ビアノが働き口を見つけるまで、家賃を肩代わりしてやるつもりでいたのだ。
そんな高級マンションを紹介されても困る。
だが、時子の話には続きがあったようで、彼女はニコニコしながら続けた。
「家賃なら心配しないで?私の小遣いから払うから、大丈夫よ」
「で、でも時子さんに、そこまでしてもらうわけには」
「いいのよぉ。ソラくんには、いつも楽しませてもらっているし、これぐらいさせてよ」
耳を疑う発言が、またも彼女のくちから飛び出したが、今はそれどころではない。
敬愛し片想いの相手でもある時子に要らぬ負担をかけさせるのは、ソラの男が廃るというもの。
「いえ、先輩に迷惑をかけるわけには。俺、自分で探します。安いアパートを……」
だが貧乏人の心配など、どこ吹く風で、セレブのお嬢様は、からからと笑った。
「大丈夫だってば。あたしは向日田社長の一人娘なのよ?あたしが頼めば、ビアノちゃんをタダで住まわせるのだって可能なんだから」と言いかけて、またまた「あっ、そうだ!それもありよね」などと、彼女が大声を出すもんだから、ソラは仰天し、オウム返しに尋ねた。
「それ、って何ですか?」
「ビアノちゃんを、あたしの別荘に住み込みのメイドとして雇うの」
「べべ、別荘の、メイド?」
思わずどもってしまったが、時子が個人の別荘を持っていたなど初耳だ。
いや、大富豪のお嬢様なのだから、持っていても不自然ではないのだが……
そこにビアノを住み込ませるだって?しかも、メイドとして?
正気の沙汰ではない。
あいつは料理も満足に出来ない。
料理ばかりか何も満足に出来ないのだ。
メイドなんて出来るわけがない。
「あ、別荘って言っても山奥じゃないわよ?ちゃんとした、おうちだから安心して。駅にも近いし、ん〜、歩いて十分ぐらいだったかな?あたしが小さい頃通っていた、お稽古ごとの為に買ったんだけどね。全然使っていないってのも勿体ないなって思っていたのよ。ちょうどよかったわぁ」
別次元の話が展開されている。
お稽古とやらが何なのかは判らないが、大方、楽器演奏やダンスなどの類だろう。
それの練習の為だけに、一軒家を買ってしまったというのか。
金があるところには、有り余っているものだ。
「まっ、メイドったって、お仕事なんかあってないようなものだし。家の中を綺麗に掃除してくれれば、後は業者に頼んで住みやすくしてあげるけど?」
「い、いや、そこまでしてもらうわけには……」
話が超大事になってきて、ダラダラ冷や汗を垂らすソラにも、時子は屈託なく笑った。
「いいのよ、遠慮しないで。あんまり遠慮されると、却って困っちゃうなぁ」
「えっ!?」
不意に顔を近づけられ、ソラの心臓がドキンと跳ね上がる。
「言ったでしょ?君と話していると、あたし、楽しいの。なにがどうってのは、上手く言えないんだけどね。きっと加賀見クンと一緒で、あたしも期待しているのね、君に」
「き、期待……ですか?」
時子の瞳は輝いている。
が、それよりも彼女の唇に目線が集中してしまう。
あと数センチ近づいたら、重なってしまうような近さだ。
「そっ。だからね、協力させて。君の学力アップの為にも、早いとこビアノちゃんの住居を安定させましょ」
すっと身を引き、時子が微笑む。
香水と唇の魔力にクラクラきていたソラも我に返り、しどろもどろに応えた。
「え……と、そ、それじゃ、お言葉に甘えさせてもらって、いいですか?」
「えぇ。ばんばん甘えちゃってちょうだい」
「じゃ、じゃあビアノにも伝えてきますので」
「あ、待って。あたしも一緒に行く」
「へっ?」と驚くソラの腕を取り、緊張と驚愕で硬直した彼の耳元で時子は囁いた。
「あたしも行くって言ったの。ビアノちゃんが、どんな子なのか見てみたいしね。だって君の話によれば、すっごく可愛い女の子に見えて下はキノコがブラブラなんでしょ?興味あるわぁ〜。そうね、生物学的に、とっても!」
ソラの為に云々というのは単なる口実で、時子の興味の本音はビアノ自体にあるのかもしれなかった。
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