小春日和

19.お気遣いバレンタインデー

二月十四日といえば、すっかりおなじみとなったイベントがある。
そう、バレンタインデーだ。
この日になると男子は気もそぞろになり、女子は浮き立ち。
うっかり菓子屋の陰謀だのと冷めたことを口走ろうものなら、周囲から哀れみの目で見られてしまう恐怖のイベントである。
世間一般で言うならば、幾つになってもイベントを好きな人のほうが多かろう。
そして彼らは、幾つになってもプレゼントを貰う時は心が弾むものである。

今日も出がけにお隣の奥さんと挨拶をかわし、立ち去ろうとする須藤の背中へ「あ、ちょっと待って須藤くん。コレ、コレ」と亜美可さんが差し出したのは可愛い包装紙に包まれた、もちろん中身はアレしかない。
というか、アレじゃなかったらガッカリする。絶対にチョコレートだ。
「あっ、ありがとうございます!!」
元気いっぱい頭をさげて受け取る須藤に、奥さんもニッコリ。
「あ、でも須藤くんは甘いもの平気だったっけ?」
あげてから聞くというのも、酷い話ではあるが。
「苦手だったら誰か別の子にあげちゃってもいいから。じゃ、今日も頑張ってね」
「は、はいッ。行ってきます!」
浮かれ気分で小箱を脇に抱えて元気よく飛びだし――
しまった、家に置いてくれば良かった。
須藤がそれに気付いたのは、しかし時既に遅く。電車に乗り込んだ後であった。

「し〜ん〜ちゃんっ。それ、もしかしてバレンタインのチョコってやつ?」
着席した瞬間、後ろから肩をモミモミされて、鳥肌を立てながら「やめろよっ!柳」と振り返った須藤の目先にいたのは柳ではなく、「誰が柳だよ?」と肩をすくめる小泉だった。
「だ、だって柳みたいな真似するから、間違えたんだよ」
「んでそれ、チョコレートなの?」
机の上においた小箱を指さされ、須藤は素直に頷いた。
「そうだけど」
答える須藤へ小泉はニヤつき、更なる追及をかましてくる。
「誰からもらったの?つか、義理?本命?」
なんだって、そんなことを同僚に答えてやらねばならないのか。
だが、下手に勘ぐられて妙な噂を回されても後々困る。考え直し、須藤は正直に答えた。
「義理だよ、義理。隣の奥さんから貰ったんだ」
「へぇ〜、ほぉー。隣の奥さんから!ねぇ。人妻が相手たぁ、やるねぇ須藤」
意味深に笑われて、かぁっと須藤の頭に血がのぼる。
「へ、変な誤解するなよ!別に、そんなんじゃないんだからな!」
「そんなんって、どんなん?」と横合いから茶々が入り、須藤は顔も真っ赤に怒鳴り返した。
「普通のお隣関係ってことだよ!!」
怒鳴ってから、怒鳴った相手が誰なのか気付いて、あっとなる。
「柳……珍しいな、こんな時間にお前がいるなんて」
いつもは遅刻ギリギリ、或いはブッチギリに遅刻してくる柳が、須藤と同じ時間に出勤とは。
しかも今日は、やけにおかしな格好で現れた。
私服なのは毎度の事だから気にしないとしても、両手に紙袋を提げている。
背中にしょっているパンパンに膨れあがった物は、リュックサックか?
どこからどう見ても、刑事の格好ではない。
「どこ行ってきたんだよ、お前……」
驚く小泉と須藤へ流し目をくれてやり、柳が悩ましげに髪をかき上げる。
「今日は特別な日やってん、朝から回収にまわっとったんや」
「何の?」とハモる二人へ、彼は胸を張った。
「何ってチョコに決まっとるやん、今日はバレンタインデーやで?」
「背中のリュック、ずいぶん膨らんでいるけど……全部チョコなのか!?」
「手提げ袋の中も!?」
驚愕の二人へ「あったりまえやろ」と頷くと、柳はご丁寧にも袋から取り出して、自分の机の上に並べ始めた。
「これがユミちゃんやろ?んで、こっちがアケミちゃん。ほんで、こいつがユウコちゃんのや。ほいから、このでっかいんがヨシエちゃん」
柳が、本人もご自慢のルックスでカノジョを沢山作っているというのは、須藤も風の噂で聞いたことがある。
ただしモテる範囲は署外。外の世界で、お水から女子高生まで幅広く手を出している。
……というのが、もっぱらの噂なのだが、どこまでが本当やら。
だが机に並べられた様々なチョコレートの箱を見ていると、まんざら嘘でもなさそうだ。
「それ、全部義理?」と冷やかす小泉へ、柳が答える。
「アホぬかせ、全部本命に決まっとるやろ。俺ァ、義理は受け取らん主義やねんで」
ただしチョコを並べる作業に集中しており、小泉のほうなど目もくれないで。
「うっわぁ〜、ヤな奴!」
小泉が心底ひいた声で叫び、須藤もドン引きした。
義理と本命で気持ちを使い分ける女も女だが、貰い分ける男も心が狭いと言えよう。
くれるというなら何でも貰っておくのが、優しさではないのか。
まぁ、くれる人など須藤にとっては、お隣の奥さんぐらいしかいないのだが……
「どうしたんだ?二人とも」
須藤と小泉が振り返ると、長田が箱を手に立っていた。
それも一箱二箱という数じゃない、両手で抱えている。
「あ、長田さん……それ」
「あぁ、まぁ。ここへ来る前に署内でもらったんだけど、良かったら食べるかい?」
柳が外専門なら、長田は内専門か。
ギリィッと小泉の口からは歯ぎしりが漏れ、須藤は困惑を浮かべて言い返す。
「えっ、でも貰ったのは長田さんですから、長田さんが食べるべきだと思います」
「うん……しかしね、甘い物は嫌いじゃないんだけど、こうも多いと」
「ほなーいっそ捨てたら、どないです?」
外道な発言が飛んできて、間髪入れず怒鳴ったのは小泉だ。
「バカヤロウ!心のこもった贈り物だぞ、捨てるなんてバチあたりな!!」
バチあたりとは、なかなか古風な言い回しである。
チラリと小泉を一瞥した柳は、何も言わずに肩をすくめるとチョコ並べに没頭し、長田が苦笑した。
「そうだな、小泉の言うとおりだ。仕方ない、責任持って全部自分で消化するよ」
ふと須藤の机の上を見て、こうも付け足した。
「須藤くんも貰っていたのか。……カノジョから?」
「かっ、カノジョだなんて!」「そうですよ、しかも不倫ですぜ」
小泉と須藤の返事が重なり、長田は眉を怪訝にひそめて小泉へ聞き返す。
「不倫?」
「そうですよ、こいつ隣の奥さんと」
「おい、妙な噂をデッちあげるな!」
「須藤くん……不倫は、駄目だよ」
視線を落とす長田へ、アワアワと須藤が弁解する。
「ちっ、違いますってば!俺は断じて、不倫なんか!このチョコだって義理でもらって」
再び顔をあげた長田は笑っており、からかわれたんだと、すぐに須藤も気がついた。
「冗談だよ。君がそんな男じゃない事は、俺が一番よく知っている」
「も、もぉ〜。やめてくださいよ、長田さん。心臓が止まるかと思ったじゃないですか!」
「ごめんごめん。で、中身はどんなチョコだったんだ?」
長田に尋ねられて、そういやまだ中身を見ていなかったと思い出した須藤が箱をあけてみると、入っていたのは綺麗に並んだ茶色のまんじゅうが十四個。
「……何、これ」
呆気にとられる小泉の前で、ぱくりと一つ口に放り込んだ柳が答える。
「饅頭やな。まごうことなき餡入り饅頭、十四個セットや」
「須藤くん、気を確かに」
長田の気遣いが背中に降ってくる。
がっくりと脱力して床にしゃがみ込んだ須藤は、力なく応えた。
「いえ……そういや、あの人チョコって一言も言ってませんでした……」
饅頭も甘い物には違いない。
だが、何もバレンタインデーでくれなくたっていいものを。
うなだれる須藤の鼻先へ、チョコの箱が差し出される。
「じゃあ、一緒に食べるかい?俺が貰ったチョコレートで悪いんだけどね」
咄嗟の衝動で「頂きます!」と須藤は箱に掴みかかり、小泉と柳には笑われた。
「須藤〜、お前節操なさすぎ!」
「ほんま寂しい非モテ男は、これやから」
見上げると、長田も笑っている。
ただし、その顔は呆れでも哀れみでもない。
「須藤くんは餡派じゃなくて砂糖派なんだね」
「は?」
「だって、饅頭よりチョコのほうが好きなんだろ?」
「あ……そ、それは」
別に須藤は大がつくほどの甘党ではない。
にも関わらず、膝をつくほどガッカリきた理由といえば一つしかない。
――バレンタインデーといえば、女性にチョコレートをもらえるイベント!
それが思うとおりに展開せず一人だけ乗り損ねた気がして、落胆したのであった。
なんのことはない。一般世論に、振り回されていただけだ。
狼狽する須藤の肩を軽く叩き、長田は自分の席へ呼び寄せる。
「来年は希望の物を貰えるよう、お隣の奥さんにもリクエストしておいたほうがいい。それはともかく、今日はこれを消化しきってしまおう。頼りにしているよ、須藤くん」
ショックが大きすぎて、余計な誤解を招いたような気がしないでもない。
だが目の前に山積みされた箱の数々は、それでも『女の人からのチョコ』に変わりなく、なかばヤケクソとも思える勢いでチョコをがっつく須藤の姿があった。


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