小春日和

20.また春が来て

暖かくなったかと思えば、次の日は寒い。
春は名のみとは、よく言ったものだ。
などと独りごちながら長田が改札を抜け署へ向かう途中、「よっ」と肩を叩かれ振り向けば、お馴染みの髭面がニヤニヤ笑っていた。
「高明!珍しいな、この時間で君と会うなんて」
喜ぶ長田を満足げに見やった後、おもむろに広瀬が話を切り出す。
「まぁな、今日は珍しく早起きしたもんでよ。それより、知ってっか?三島警部補、一年早く切り上げて今年の夏には本庁戻りだってよ」
「今年で切り上げ?そりゃまた、どうして」
三島警部補は長田にとって直接の上司にあたる。
本人からは、何も聞いていない。
何故課の違う広瀬が、その噂を知っているのか。
「さぁな、お偉い方の意向じゃねーか?ド田舎で油売らせているよりも、都内でチャッチャと経験を積ませたいのかもな」
「……なるほど、全ては人手不足の余波ってわけか」
何やら頷く長田へ、広瀬も頷き返す。
「そのうち、こっちにも波が押し寄せてくるかもしれねぇぞ」
「異動の波が?」
広瀬は、どこかに異動したいんだろうか。
長田の不安を読み取ったのか、広瀬はニヤリと笑った。
「俺にゃ〜異動の話は来てねぇよ」
「そうか、そうなんだ……安心したよ」
「異動話が出るとすりゃあ、俺より、お前のほうがありそうな話じゃねーか?どうだ、本庁からお誘いは来てねぇのか?」
「あいにくと、何の話も出ていないよ。若くして優秀なる警部補殿と違って、俺は凡人だからね」
調子を取り戻して、長田も軽口を叩く。
改めて広瀬と向かい合い、手を差し出した。
「今年も宜しく」
「おいおい、改まっちゃって何だよ?しかも新年あけまして言うならともかく、今更?」
「いいじゃないか、別に」
朗らかに笑う長田を見て、仕方ないなという風に広瀬も手を握り返す。
「おぅよ、そのうちまた合同調査の機会があった時にゃあヨロシクな!」
しかし合同で動く時があるとすれば、それは大事件の始まりなわけで、出来ることなら大事件などないに越したことはないと思う長田であった。

「三島はんが本庁に戻りよったら、次はどないな奴が来るんやろな」
長田が部署へ到着早々、そんな声が聞こえてきて、さすが柳、情報が早いなと感心しながら、同時に驚きもした。
――朝の時間帯に柳が、部署にいるなんて!?
天変地異の前触れかもしれない。
「今日は早いな、柳」と声をかけると、後輩が一斉に長田へ振り返る。
「そうなんですよ、珍しいですよね!明日は雨かも?」
「俺かて、たまには早く来ることもあるわいな」
はしゃぐ櫻井に当の柳は涼しい顔で受け流し、長田にも先の話を振ってきた。
「なんや怖い〜ちゅうイメージしかなかった御仁やけど、長田はんは三島はんとの、おつきあいも長いよって、いのうなってしもたら寂しくなるんとちゃいますか?」
「うーん……どうかなぁ」と一応は悩むフリを見せ、長田が答える。
「仕事上でのつきあいしかなかったしね、それほど寂しくもないよ。寂しいといったら、君達の誰かがいなくなるほうが、よっぽど寂しいかな」
意味深な台詞に、須藤は思わず言い返していた。
「そ、そんなこと言ったら、俺だって!俺だって長田さんがいなくなったら嫌ですッ。すごく嫌です!!」
普通に話したつもりが、つい勢いあまって大声になり、部署は一気に静まりかえり、先輩諸氏にまで注目されて、須藤はボッと赤面した。
「……声でかいわ、真ちゃん」
ぼそっと呟く柳も、心なしか顔が赤い。
恥ずかしさに俯いてしまった須藤の肩を、長田が軽く叩く。
「そこまで俺を信頼してくれていたんだね、ありがとう」
「は、はいぃ……」
微笑まれても素直に喜べず、須藤は恥ずかしさで消え入りたい気分になった。
一年経っても自分は全然成長しておらず、長田に要らぬ迷惑ばかりかけている。
そのことが余計、須藤を暗くした。
「と、とにかく!」と目を泳がせて、櫻井が場を取りなそうとする。
「三島警部補のお別れ会、しませんか?」
「お別れ会?」と聞き返す小泉へ頷くと、櫻井は長田を見上げた。
「そうです。ささやかに、ですけど。これまでお世話になったお礼を込めて」
「う〜ん……でも三島さん、飲み会の好きなタイプだったかなぁ?」
小泉が首を捻る横では、柳が嬉々として賛成する。
「えぇな、経費で酒が飲めるんやったら俺も参加すんで!」
そんな柳をジト目で睨み、櫻井はボソッと言い返した。
「自腹に決まっているでしょ、感謝の気持ちを表す会なんだから」
「なんや、ほな俺は欠席でエェわ」
途端にテンションの下がる柳に叩く真似をしてから、気を取り直して櫻井が尋ねる。
「長田さんは?」
「あぁ、もちろん参加するとも」と頷き返し、長田は付け足した。
「須藤くん、君も勿論来てくれるよね」
予期せぬ誘いに、須藤はエッ?となる。
お別れ会を櫻井が言い出した時、どうしても他人事としか思えなかった。
警部補にヨロシクしてもらった記憶など一度もないし、お礼と言ってもピンとこない。
いや、警部補が自分達の上司なのは、須藤とて判っている。
判っているけど、三島は長田を警視庁へ引き抜こうとした人物だ。
先ほどから心を覆い隠しているモヤモヤは、その下りを思い出して発生したものらしい。
それに三島は堅苦しいし愛想ゼロだし、一緒に飲んで楽しい相手とは到底思えない。
どうせ飲みに行くなら、気の合う同僚か長田と一緒に行きたい。
浮かぬ態度の後輩に、長田は苦笑する。
須藤が三島と馬の合わなかった理由は大体判る、二人は似たもの同士すぎるのだ。
生真面目で融通が利かず、それでいて自己主張が激しい。
人づきあいというのは似たもの同士だと、返って上手くいかないものである。
お世話になった実感が沸かないのも当然だ。
須藤は長田の目から見ても、明らかに三島との接触を避けているように伺えた。
「気が乗らないかい?でも、俺や高明も一緒だし来てくれると嬉しいんだけどな」
「えっ!?広瀬さんも誘うんですか?」
櫻井が目を丸くする。しかし長田は事も無げに微笑んだ。
「合同捜査では一課も、お世話になっただろ?だから代表として高明に来て貰おう」
櫻井や小泉がポカーンとしている間に、話はそういう方向でまとまった。

本日の勤務が終わる頃には、本人の口からも真実が伝えられた。
「三島さん、本当に本庁へ戻っちゃうんですね……」
須藤が寂しそうに見えるのは、けして長田の目の錯覚ではあるまい。
彼は本当にショックを受けたようだった。
いくら馬の合わない相手でも、知った顔が部署から居なくなるのは寂しいものだ。
「まぁ、でも永久に会えなくなるわけじゃない。だろ?」
慰めてやると、思ったよりも簡単に「それもそうですね」と須藤は立ち直った。
お別れ会は六月頃に行う予定だ。
警部補には内緒の、サプライズ計画で。
「長田さんは異動の話、どこからも来ていませんよね」
不意に真面目な調子で尋ねられ、今度は長田がエッとなる番だ。
「えっ?あぁ、うん。どうして、そんなことを聞くんだい?」
「いえ、ただの確認です」と須藤は言ったが、心底嬉しそうなもんだから、思わず長田は吹き出してしまった。
「ど、どうして笑うんですか!?」
「いや本当に須藤くん、君は判りやすいね。判りやすいのは君の美徳だ」
目に涙を浮かべてお腹を抱えた状態では、からかわれているとしか思えない。
ムッときた須藤は、思わず言い返していた。
「どうせ俺は単純ですよ」
長田は目元の涙を拭うと「そうじゃないよ」と首を振る。
「なぁ、須藤くん」
「何ですか?」と、まだ機嫌の収まらぬ須藤は、続く言葉に唖然となった。
だって長田ときたら真顔で、こんなことを聞いてきたのだから。
「君は俺を、とても気に入っているようだけど、俺の何処が好きなのかな。俺は君に尊敬されるほど、立派な先輩であるとは思えないんだけどね。俺と比べたら三島警部補のほうが、よっぽど有能だろ?」
「そんなこと……そんなこと、ありませんッ!!」
またも声が大になってしまったが、今度は注目の的にならず周りの連中も、またかといった視線を投げただけだった。
須藤も周りを気にすることなく、声のボリュームそのままに続けた。
「長田さんは、俺にとって一番大事な先輩で目標で憧れなんです!」
「だから、どの辺が?」
「全部です、全部!!俺も、長田さんみたいに余裕のある大人になりたい!後輩が失敗しても怒鳴りつけるのではなく、見守れる寛大な心の人間になりたい!どんな仕事でも嫌がらず引き受ける、市民のための真の警察官になりたい!長田さんは、それを全部クリアしています!俺は、そう思っていますッ!!」
顔を真っ赤に主張する後輩を、じっと眺めていた長田は、しばらくしてポツリと呟いた。
「君には、そう見えているのか……俺と一緒だな」
えっ?となる須藤へ、長田が微笑む。
「俺も一緒だよ。君みたいに、仕事に熱意を持てる警官になりたい」
では須藤や柳に仕事のやり方を教えてきたのは、渋々だったとでもいうのか。
そんなわきゃ〜ない。長田は仕事に関しても真面目に接してきたはずだ。
反論しようとする須藤を手で制し、三島さんが言うにはね、と長田は続けた。
「俺には何が何でも事件に食らいついていく熱意が足りないそうだ。自分では、そんなつもりないと思っていたんだけど」
「その通りですッ。三島さんは――」
「でも、本当はそうなのかもしれない。どこか冷めた目で物事を眺めている自分がいる、とでもいうのかな……だからね、須藤くん。君の熱血スタイルは、俺に感動と衝撃を与えてくれた。君を見ていると、なんていうのかなぁ、元気が出る。俺の失った情熱を分けて貰えるような気分になるんだ」
手を差し出され、まごつく後輩に長田が笑う。
「君だって、もう二年目だ。いつまでもルーキー扱いは失礼だろ。改めて、君と一緒にやっていきたいと考えている。これからは先輩の使いっぱしりじゃなく、俺の相棒として動いてくれ。よろしくな、須藤くん」
言われたことの意味を脳内で反芻していたのか、須藤はポカンと突っ立っていたが、しばらくして「は……はいッ!!」と元気に叫ぶと、長田の手を熱く握りしめたのであった。


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