小春日和

18.二年目突入

去年の暮れは年末恒例・防犯強化期間だとかで、ありえないほど多忙な毎日を送った。
年明け早々も、やれ引ったくりだ、お年寄りが襲われたと、物騒な事件が多発したのだが、正月も三が日を過ぎた辺りになってくると、だんだん人々の生活が落ち着いてくる。
「そろそろ一年のリズムが掴めてきたんじゃないかって、お袋が言うんだよ。たった一年で何が判るっていうんだ?毎日パソコンと睨めっこしてた思い出しかねーぞ」
そう、ぼやいているのは須藤の同僚にして、新米刑事の中では柳に次ぐ問題児の小泉だ。
「思い出なら他にもあるだろ」と須藤が突っ込めば、口を尖らして小泉は聞き返す。
「例えば?」
「長田さんと一緒に現場へ急行して、付近に聞き込みしたり」
「張り込みで失敗して怒られたり」と続けたのは、同じく同僚の櫻井。
うっ、と小さく呻いて黙り込む須藤を横目に、小泉もふてくされた。
「いいよな〜、櫻井は。去年は、お手柄だったもんなー」
去年、出会い頭に引ったくりを背負い投げして現行犯逮捕したのは、彼女の輝かしい戦歴だ。
「運が良かったのよ」と、本人はあくまでも控えめに返してきた。
もっとも当時は、こんな控えめではなかったのを、小泉も須藤も覚えている。
両手でブイサインして大喜びした上、先輩を食事に誘うほどの超はしゃぎっぷりだった。
長田が食事に誘われたと知った時は、本気で涙が出たものだ。
当時を思い出すと顔から火が出るほど恥ずかしくなるので、須藤は考えるのをやめた。
「そういや、ご褒美でスカシくらったんだってな。聞いたぞ〜?日野道所長から」
ニヤニヤ笑う小泉に、たちまち櫻井の機嫌も悪くなる。
「うるさいなーッ、しょうがないじゃない。急に用事が入っちゃったんだから!」
「え?長田さんと食事に行ったんじゃなかっけ」
きょとんとする須藤にも、彼女はガウッと噛みついてきた。
「うるさい!」
「え、ご、ごめん……」
訳がわからず呆然と佇む須藤を残し、ぷんぷん怒って早足に立ち去る櫻井。
その背中を見送りながら、ボソッと小泉が耳打ちするには。
「長田さんと食事いくって約束を取り付けたまではいいんだけどさ、その後、三島さんに横入りされて、約束はご破算になったっつー噂だぜ」
「う、うわぁ……それは、お気の毒様」
いくら櫻井のほうが先とはいえ、上司に誘われたのでは長田も断り切れまい。
櫻井も、一気にテンションが下がった事だろう。
お気の毒と言いながら、今頃知った衝撃の顛末に安堵した須藤であった。


年末年始は細かな事件が多発して、寝ている暇もありゃしなかった。
今だって、一課の抱えていたヤマが一つ片付いたところである。
広瀬が廊下で大あくびしていると、向こうから見知った顔が歩いてきた。
「高明、お疲れさま」
「お前だって年末は、お疲れ様だったろうが」
やり返してから、広瀬はジロジロと長田を眺める。
こっちは帰宅する暇もなく無精髭にヨレヨレシャツで汗臭いというのに、こいつときたら、今日も身綺麗に髭は剃って白いシャツと、こざっぱりしている。
というか署内で小汚い格好をしている長田など、一度も見た覚えがない。
「どうだ、一年坊主達は。お前の足を引っ張らないでくれたか?」
「まぁね。入ってきたばかりの頃と違って、皆、自分で動くようになってきたよ」
話しながら、廊下を歩く。
「ところで田沼さん、異動だって?あっちこっちで噂が流れているぞ」
「らしいね。俺の処には、まだ話が来ていないけど……」
「まだ?じゃあ、今年じゃねぇってか」
「異動自体が噂だしね。どうせ、噂の出所は日野道さんだろ?」
図星をさされて、広瀬は苦笑した。
「まーな。新年早々あの人も忙しいこったぜ、方々にいらん情報をリークしてやがる」
ソースが明確ではないのに、何故か信憑性はある。
それが日野道所長の噂話の恐ろしいところだ。
彼女の噂話には、長田も毎年迷惑させられている。
「何かあれば三島さんが言ってくれるはずだ」
「三島警部補、ねぇ……いや、もう警部だったな」
何か含むものがあるような広瀬の物言いだったが、彼は、それ以上突っ込まず。
「ま、いいや。お前も異動なり昇進が決まったら教えろよ?祝ってやっから」
話題を替えると、男子トイレへと消えていった。
判ったと頷いてから、長田は一人、溜息を漏らす。
「異動じゃ祝ってもらっても嬉しくないよ」
もうしばらくは、同じ課にいたい。そう考えるようになったのは、去年からだ。
やっと可愛いと思える後輩が出来たおかげで。

広瀬が入った男性用トイレの反対側、女性用トイレでは――
「三島さん、来年は警視庁へ戻っちゃうのよねぇ」
「あ〜あ、どんどん高嶺の花になっていくわぁ」
「あんたには元から高嶺の花でしょ」
「何よォ!あなただって手が届かないくせに」
手を洗いながら、他愛ないおしゃべりに興じる婦警達の姿があった。
「手が届かないんじゃなくて手を出さないの間違いよ」と答えているのは三課の内木。
やり返しているのは同僚の女刑事で、佐武といった。
化粧が濃いめの、ちょっと性格のキツイ女性である。
「そうね、あなたのお相手は幽霊かゾンビじゃないと無理っぽいわね」
「そうよ、結婚式はお墓であげるの。招待状も送ってあげる」
「やぁだ、ゾクッとしてきちゃった!やめてぇ」と騒ぐのは、もう一人の同僚、田端。
櫻井よりも幼さの残る童顔だが、これでも須藤達から見れば先輩にあたる。
「今年は警部ってお呼びしなきゃいけないのよね。ますます手が出せなくなっちゃった」
「ここは長田くんあたりで手を打っておきなさいよ」と、内木。
他人事だと思って無責任なものだ。
「長田さん、かぁ……ねぇ、あなた、あの人とは仲良かったわよね?」
「え?別に仲良しってほど仲良くもないんだけど」
心底心外だとでも言いたげに、内木は眉を釣り上げる。
席が近いというだけで仲良し認定してくるのは、どこの世界でも一緒か。
「何が聞きたいのよ」
「あの人、女の人に興味ないってホント?」
真面目な顔で聞いてくるもんだから、内木は思わず吹き出しそうになる。
なんとか平静を保ちながら、佐武に答えてやった。
「日野道所長の噂をまともに信じちゃ駄目よ。嘘しかつかないんだから、あの女」
そう言って、内木が口紅を取り出した直後、背後のドアがバタンと開き、日野道さくらが顔を出す。
「嘘じゃないもーん。それに、幽霊話しかしない人よりはマシですよぉーだ」
噂の本人に聞かれていたとあっては、佐武も田端も落ち着かない。
だが内木は堂々としたもので、胸を張って聞き返す。
「じゃあ聞くけど。長田くんが女に興味ないってソースは何処から出てきたのよ?」
「女っ気ゼロで今年もスタートしたのよぉ。興味がないと見るのが当然じゃなくて?」
「質問に質問で返さないで、ちゃんと答えなさいよ」
イラッとする内木とは対照的に、佐武や田端は納得しかかっている。
「そういえば、さっき三島さんとも仲良く話しているのを見かけたのよね」
「三島さんも浮いた話を聞かないし、もしかして、そうなのかしらぁ二人とも」
「そこ!おかしな噂を流さないッ」
「や、やだ、まだ流していないわよ!そんな怒らなくたっていいじゃない」
「内木さん、こわぁ〜い。怖いのはユーレイだけにしてよぉ」
内木に注意されて慌てる佐武や田端を横目に、噂ノートへ今のネタを書き込む日野道所長の姿があったとか、なかったとか。


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