小春日和

16.年に一度の「ありがとう」

用事があると判っている日に限って、頼まれ事やお誘いが多い。
本日五人目からの誘いを丁重に断りながら、長田は、そう独りごちる。
だが、今日は何があっても必ず夜の時間を空けておかなければいけない。
たとえ親が急病で倒れたとしても、だ。


けだるい午後、鬼の居ぬ間に何とやらで、怖い先輩がいないのをいいことに、新人連中が集まって雑談に花を咲かせている。
今日のテーマは『長田さんのモテ率』について。
「知ってるか?署内で長田さんに声をかけたことのない女はいないって噂」
「声かけられたじゃなくて、かけたかよ!くぁ〜、モテメンは違うねぇっ」
「そやけど、未だホテルまでゴーした女はおらんっちゅう話やで」
「へーっ。じゃあ飲みに行くだけかぁ、ストイックだねぇ〜」
「案外、アッチのケがあったりして?」
「ないない、それはない」
なんて皆が好き勝手に騒いでいるのを横で聞き流しながら、須藤は最後のデータ項目を入力し終えると、う〜んと勢いよく伸びをした。
長田さんのモテ率、かぁ……
ここへ来たばかりの頃も、新人の間では何かと噂になっていたっけ。
考えてみれば準とはいえ彼はキャリア組、エリート組の一人である。
気にならないほうが、おかしいとも言えよう。
「須藤くん、お疲れさま」
ぽんと肩を叩かれて、振り返れば背後には長田が立っていて、雑談していたはずの連中も、とっくに席へ戻っていた。
「い、いえ。だいぶ慣れてきましたし」
「そうか。それにしても、須藤くんは作業が早くて助かるよ」
「い、いやぁ〜。それほどでも……」
毎度の褒め言葉にデレデレしていると、不意に真面目な顔で長田に尋ねられた。
「ところで、須藤くん」
「は、はいっ?なんでしょう」
「今日の夜、帰ってからの時間は空いているかい?」
えぇ、まぁ、と答える前に、横からキンキン声が割って入る。
「えぇ〜〜っ!?ひっどぉい!あたしの誘いは蹴ったくせに、須藤くんを誘おうってつもりなのォ!?」
ビビッて見上げる須藤の目に映ったのは、さも憤慨と口を尖らせる女刑事の姿。
内木とは違った意味で、よく目立つ、ちょっと苦手なタイプの先輩だ。
「いや、君とは一昨日も飲んだだろ。だから連日は止めておこうと思って」
平然と応える長田のネクタイを引っつかみ、女先輩の野口は額に青筋を立てて問い詰める。
「なんで連日だとヤバイのよッ?こっちは毎日だって一緒に行きたいってのに」
端から聞くと、まるでプロポーズのようだ。
だが野口も長田も、その辺は全く気にならないらしい。
むしろ周りの連中のほうが気になってしまい、須藤は困惑気味に視線を逸らす。
なんとなく痴話喧嘩にも見えてきて、口を挟みづらくなってきた。
「そういう意味で言ったんじゃないよ。飲んでばかりは体に悪いしね」
「じゃあ、今日は須藤くんを何処へお誘いするつもりだったの?」
「家だよ。彼のアパートにおじゃましようと思って。どうかな?須藤くん」
だというのに長田には話を振られてしまい、仕方なく須藤も答え返す。
「えっ、えぇ、まぁ、大丈夫です」
「よし、じゃあ今日は一緒に帰ろう」
長田に微笑まれて、本来なら、ここは喜ぶ場面なんだろうけど。
隣で睨みつけている女先輩の顔が恐ろしく、須藤は引きつった笑みで頷いた。

これといって事件らしい事件も起こらないまま、一日が終わった。
「それじゃ、お先に」
片手をあげて退室挨拶する長田を呼び止め、内木が囁く。
「ねぇ、長田くん。断るなら断るで、もっと上手くやりなさいよ」
昼間の話を蒸し返すつもりか。
「他の部署にまで流れてるわよ、悪しき噂が。あんたが女の誘いを蹴って、可愛い後輩を優先したって」
あちゃあとばかりに天井を仰ぎ、長田はぼやいた。
「あいつらに箝口令を敷いておくべきだったかな」
「そうね。また当分、日野道所長のオモチャにされるわよ」
ただならぬ発言を残し「じゃあ、また明日」と、さっさと内木は帰っていく。
「……じゃあ、俺達も帰ろうか」
歩き出した長田を、今度は須藤が引き留める。
「あ、あの!いいんですか?噂を、そのままにしておいて」
「あぁ、いいよ、いいよ。この程度の噂なら、よく流されているし」
「でも……悪い噂を信じる人が増えてしまったら、どうするんですか?」
なおも心配性な後輩の頭を優しく撫でて、長田は先に歩き出す。
「長田厚志は女泣かせのタラシだって?別に構わないさ、そう思いたい奴には思わせておけばいい」
それに、と振り返りもせずに付け足した。
「女性諸君が悪しき噂を信じるんなら、こちらとしても好都合だね。毎回違う理由を考えて、お誘いを断らなくて済むからな」
「そっ……そんなに、よく誘われているんですか!?」
多分モテるんだろうなぁとは、ぼんやり予想していたけれど、まさか本人のくちから直接聞かされるとは思ってもみなかった。
「あぁ、まぁね。飲みに行くだけならいいが、その先まで要求してくる人も多くてね。だいぶ前から、辟易していたんだ。皆、俺に何かを期待しすぎなんだよ」と頷き、振り返って須藤を見た長田は口をつぐむ。
しまった、怒りに任せて本音を吐きすぎた。
須藤ときたら思春期の少年みたいに、頬を赤くしちゃっているじゃないか。
純情な彼にはキッツイ、下品な話題だったようだ。
「ごめん。こんな愚痴、君に聞かせる内容じゃなかったね」
謝る長田に、須藤も慌てて頭を下げる。
「い、いえっ!俺こそズケズケ聞いて、調子に乗っちゃって、すみませんでした!」
よく考えなくても長田が勝手に愚痴っただけで、須藤は何も悪くない。
そんな彼をジッと眺め、長田はしばらく黙っていたが、やがてクスリと微笑み、須藤の肩を軽く叩いた。
「君が相手だから、かな。俺も、つい本音が出てしまうみたいだ」
今のは、ひょっとして褒められたんだろうか?
タクシーを呼び止める先輩の背中を見つめながら、須藤はドキドキする胸を押さえた。

アパートの玄関を開けながら、須藤は、ずっと気になっていたことを長田に尋ねる。
「あの、長田さん。今日は、どうして俺の家に?」
今日が何の日か。なんてのは、彼に聞かずとも知っている。
今日は十月六日、自分の誕生日だ。
それでも須藤が尋ねたのは、長田本人のくちから直接言ってもらいたかったからだ。
それに、もし違ったら恥ずかしいというのもある。
誕生日と全然無関係な用事で来たんだとしたら、思い上がりも甚だしい。
なんせ前々からアピールしていたにも関わらず、今日は誰にも祝って貰えなかったのだ。
相棒の柳は勿論のこと、普段は結構仲の良い櫻井や小泉までもが総スルーだった。
従って須藤が慎重になるのも、当然と言えよう。
だから「今日は誕生日だろ?君の」と長田が答えた瞬間には、本気で涙が出るかと思った。
「誕生日、おめでとう。須藤くん」
「あっ、あっ、ありがとうございます!!!!!
近所中に響き渡るんじゃないかってほどの大声で頭を下げる須藤には、長田も目を丸くする。
見れば何か、涙ぐんでいるし。泣くほど誕生日を嬉しがる人なんて、初めて見た。
ぽむぽむ優しく背中を叩き、須藤を部屋へ入るよう促しながら長田は囁いた。
「ありがとうを言うのは、こっちのほうさ」
「えっ!?」
「君が今日、生まれてきてくれなかったら、俺は良い後輩に出会えなかったんだからね」
「あっ……ありがどうございまぁぁずっ」
ズビビッと鼻水をすすって、須藤は長田に敬礼する。
やばい、本気で涙が止まらない。あと、ついでに鼻水も。
嬉し涙と鼻水とでグチョグチョになりながら、記念すべき二十五歳の誕生日は終わった。


BACKNEXT
Page Top