小春日和

12.大捕物帳〜盗まれた鞄を追え!【後編】〜

「――では、次。目撃情報について」
気怠い午後、本日二回目の捜査会議が始まる。
捜査班の総司令に指名されて席を立ったのは、三課の内木巡査。
「鞄を持った男が走っていくのを、複数の住民が目撃していました。住民の情報を元に逃走経路を辿った結果、辿り着いたのが、ここです」
内木の説明に併せたタイミングで、プロジェクターの画像が切り替わる。
映っているのは、外装のはげた薄汚いビル。
「なんだこりゃ、廃ビルか?」だのと刑事がざわめく中、内木の説明は続いた。
「ここは、かつて貸しビルとして経営されていたものの現在はテナントが一件もなく、放置された廃屋となっているビルです。周辺の聞き込みでも、この廃屋ビルを出入りする人影を見たという情報を掴みました」
「ビルの持ち主は判るか?」
総司令こと一課の本田警部に尋ねられ、内木は力強く頷いた。
「持ち主は――」
どこそこの中小企業の社長だの、さっそく令状を取るだのといった遣り取りを聞き流し、ちらりと長田が隣の広瀬を見る。
「廃屋ビルに逃げ込むたぁ、袋の鼠じゃねぇか。一体何考えてんだ?ひったくりのひったくり野郎は」
小さく広瀬が囁いてきたので、長田もヒソヒソと答えた。
「もしかしたら、仲間がいるのかもしれないね。ビル全体が彼らのアジトになっている可能性も考えておかないと」
ヒソヒソ話している間に皆がガタガタ立ち上がったので、二人も慌てて立ち上がる。
捜査会議は終了、ただちに現場へ直行しろと総司令には命じられ、机の上の手帳や鉛筆を乱暴に鞄へ突っ込むと、広瀬は長田を振り返る。
「このクソ暑い中、お前んとこの同僚が地味に聞き込みした成果が出りゃあいいが」
その肩を軽く叩いて、長田は先に部屋を出た。
「出ればいい、じゃない。出すんだよ、高明」
階段の途中で内木に追いついた長田は、彼女に尋ねる。
「現状を見張っているのは、誰と誰?」
「忍ちゃんと宮坂くんよ」
二人とも須藤の同期、すなわち今年の春に配属されたばかりの新人刑事である。
「新人だけで!?誰か一人、先輩をつけなきゃ危ないじゃないか」
長田が驚くのも無理はないが、内木には、あっさりと流された。
「大丈夫よ。あいつらに単独突入する度胸なんてないもの。相手が拳銃を持っていたらどうしよ〜なんつって、物陰で震えているに決まっているわ」
他の連中も向かっているしね、と付け足され、しかし長田は不安が増すばかり。
小池忍と宮坂孝治は臆病だからいいとしても、そこに柳や須藤が合流したら。
血気盛んな彼らの事だ、勢いあまって突撃しかねない。
「急ごう。須藤くんが心配だ」
早足になる長田を追いかけて、内木も尋ね返す。
「須藤くん?宮坂くん達じゃなくて?」
「いや、あいつらも心配だけど。俺が一番心配しているのは功を焦った失敗だよ」
小首を傾げながら助手席に乗り込んだ彼女は、ハンドルを握る長田を見た。
「そう、でもスピード違反には気をつけてね。白バイに捕まるパトカーなんて、恥ずかしくて目も当てられないから」

――先輩の心配は的中したかもしれない。
須藤達と合流するまで宮坂と小池は内木の予想通り、怯えていた。
「てっ、て、てっ、鉄砲とか持っていたら、どぉしよぉ?」
キョドりまくって頭を抱えているのは、小池。
「なんだよ鉄砲って。どこの桶狭間の戦いだよ。拳銃って言えよ」
小池と比べれば、まだ宮坂のほうが落ち着いてはいたけれど、よく見れば、アンパンを持った手が小刻みに震えている。
何しろ敵は一人じゃない。
先ほど廃ビルに、ゾロゾロと入っていく人影を見てしまったのだ。
四、五人ほど、それも人相の悪い男ばかりが。
どう見たって、ありゃあカタギの人間とは言い難い。
「それに俺達は突入しろとは言われていない。見張っているだけでいいんだ」
宮坂は、ごくんと口の中のアンパンを飲み込み、物陰からビルの様子を伺う。
あれから一時間は、ゆうに過ぎているはずだが、敵に動きはないようだ。
廃屋ビルは一時凌ぎの隠れ場所ではなく、奴らのアジトと見ていいだろう。
捜査会議が終わって先輩達が駆けつけるまで、数分の間がある。
その間、動きがあれば無線で報告すればいいし、ないなら、ここでじっとしていればいい。
「容疑者を見張っているだけの簡単なお仕事だ」
「うぅ、簡単っていうけど、どうせ先輩達が到着したら俺達だって突入するんだぞぉ」
気弱な同輩に冷ややかな視線をくれてやると、宮坂は二つ目のアンパンに手を伸ばす。
……まったく、なんでアンパンばかり買ってくるんだ、忍のやつ。
張り込みはアンパンって、いつの時代のドラマに感化されているんだよ?
ぶっちゃけ、あんこのせいで少々胸焼けがする。
でも、何かしていないと落ち着かない。宮坂も小池同様、怯えているのであった。
そこへ到着一番乗りしたのは、同期の新人警官。柳と須藤のコンビだ。
「なんや皆、まだついとらんの?」
尋ねる柳を押しのけるようにして、須藤が宮坂へ確認を取る。
「引ったくり犯はビルから動いていないのか?」
「あぁ、すっかり立て篭もり状態で動きがない。奴らの根城になっているらしいな」
答える宮坂など見もせずに、須藤は一人、思案を巡らせる。
引ったくり犯を襲った強盗犯、それが今ビルに隠れている奴だ。
「何人おんの?」
「さっき五人入ってったから、最低でも六人いるんじゃないかな」
引ったくり犯はナイフで刺されていた。なら、奴が拳銃を所持している可能性は低い。
「にしても、あっついわーココ。他によさげな隠れる場所なかったん?」
「しょうがないだろ、ここが一番見えやすいんだから」
長田達の到着を待ってから突撃したのでは、裏口から逃げられてしまうかもしれない。
「――そうだ、裏口だって見張っていなきゃ駄目じゃないか!」
「うわぁ!」
「ば、馬鹿、いきなり大声出すなよ、須藤っ」
「裏口だよ、裏口!」
慌てる皆へ勢い込むと、須藤は道路の向こう側を指さしたが、どうにも宮坂らには伝わらなかったらしく、首を傾げられた。
「裏口ぃ?裏口が、どうかしたのか」
「裏から逃げたかもしれないっ。ちょっと見てくる!」
言うが早いか走り出した須藤を、柳が泡くって追いかける。
「あ、あかんて真ちゃん、今ビルに近づいたらバレまんがなっ、奴らに!」
「大変です!須藤巡査が暴走しましたぁ」
半泣きで小池が先輩へ無線報告し、宮坂はビルの様子を振り仰ぐ。
先ほどまで、ちらちら窓際に見えていた人影が見えなくなっていた。
奥へ引っ込んでしまったのか、それとも今頃は防衛準備の真っ最中か。
「あーもーっ!須藤のせいで全部パーになりそうだッ。勘弁しろよな、ったく!」
悪態をついた側から背中を蹴っ飛ばされ、宮坂は前のめりにコケそうになる。
「須藤が何だって?おい、中の状況はどうなってんだ」
――待ちに待った一課の刑事達が、ようやく到着した。
感涙に咽ばんばかりの勢いで、新人二人が先輩諸氏に泣きついたのは言うまでもない。

そこから先は一課の先輩方にお任せして、大捕物帖が始まった。
といっても、実際の動きは地味である。
大勢の警官がドカドカとビルに入り込み、事情聴取という名目で何人か連れ出した。
よく、ドラマなんかである銃撃戦や、襲いかかる犯人達を組み伏せて手錠をかけて「犯人を確保しました!」なんて展開は、どこにもない。
そもそも、襲ってくる凶暴な輩など一人もおらず。
廃屋にたまっているだけだと主張する彼らを、任意同行として警察署に引っ張っていく。
それが、この捕物帖最大の目的だったのだ。
盗まれた鞄の行方も、取り調べで追々判っていくだろう。
裏口にまわった須藤も、長田の手により取り押さえられた。
……否、無事に保護された。


「駄目だよ、須藤くん。命令されたとおりに動かなきゃ」
帰りのパトカーで、須藤は長田の小言をくらう。
「すみません、でも……」と口を尖らせ下向き加減の後輩をバックミラーで覗き見て、長田は苦笑した。
「まぁ、手柄を立てたいと焦る気持ちは判らなくもないけどね」
「えっ、長田はんにもあるんでっか?出世欲なんてモンが」
真っ先に食いついたのは柳で、長田は後ろも見ずに頷く。
「そりゃあ、あるよ。俺だって表彰されてみたいと思ったことぐらい」
でもね、と続けた。
「功を焦ってチームワークを乱すような真似だけは、しちゃ駄目だ。皆の迷惑になってしまう。須藤くん、裏口の存在に気づいたのは偉いけど、その時は、近づくか否かの指示を俺か内木さんに仰いでくれなきゃ。今回は誰も拳銃を持っていなかったから良かったけれど、いつもこうとは限らないからね」
普段、滅多に小言などを言わない相手の説教だけに、須藤はすっかりシュンとなる。
「す、すみません……今後二度と、このような真似をしないと誓います……ッ」
「はは、別にそこまで深刻に誓わなくてもいいんだよ。ただ……」と言ったまま、しばらく無言のドライブが続き、ただ……?の続きに焦れる後輩二人を署の前で降ろすと、長田はニッコリ微笑んだ。
「あまり、心配させないでくれ。君達新人の身を一番心配しているのは、俺達先輩なんだからな」
「長田はんが心配しとんのは、真ちゃんだけでっしゃろ?」
すかさず混ぜ返してきたのは柳だ。
長田は苦笑し、彼の頭を軽く小突いた。
「お前ら全員、心配に決まっているだろ。俺達に何かあった時、跡を継げる大事な人材だからね」
「な、何かって!!」と今度は須藤が、いきり立つ。
「何があろうとも、長田さんは俺が守ります、守ってみせますッ!!!」
入口だというのに大声で宣言し、三人は周りの皆のニヤニヤ笑いを一身に受ける。
「し、真ちゃん、そないに大声で言わんかて、この距離なら充分聞こえるやろが」
「そ、そうだとも。ほら、行くぞ二人とも」
おかげで柳も長田も恥ずかしくなってしまい、赤面しながら須藤を中へ引っ張っていった。


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