小春日和

11.大捕物帳〜盗まれた鞄を追え!【前編】〜

夏が来た。
真上から降り注ぐ炎天下、須藤は汗をフキフキ歩いていく。
傍らの柳は先ほどから「あっづー」を繰り返し、片手には缶ビールをぶら下げている。
びっちり制服を着込んでいる須藤に対し、柳は私服だ。勿論、今日は非番じゃない。
「まったく……良いご身分だなって、また一課の人達に笑われても知らないぞ?」
このところ、頻繁に事件が起きている。
この日も引ったくりを追いかけていたのだが、途中で傷害事件が加わった。
引ったくりが、さらに何者かに襲われて鞄を奪われた上、大怪我を負ってしまったのだ。
三課は一課と合同調査を行い、新たな犯人逮捕へ挑むこととなった。
被害者に鞄を返せば終了するはずの事件が、とんだ大捕物帳になってきた。
「えぇやん、どーせ俺らが足ボーにして頑張っても手柄は全部一課のモンやろ。せやったら、せめて地取りぐらい好きなようにさせたりぃな」
ぐいっと缶ビールを飲み干すと、柳は空き缶をゴミ箱へ放り投げた。
「手柄がどうとか、同じ署内で張り合ってどうするんだよ!俺達は協力して真犯人をあげなきゃ駄目だろ」
拳をかためて須藤が力説すれば、柳は肩をすくめる真似をする。
「ハイハイ、真ちゃんは真夏でもお熱うございますなァ〜。ま、理性では何とも言えるわな」
ハン、などと鼻で笑われては、須藤も心穏やかではない。
「俺が本音で語っていないと言いたいのか!?俺に説教するなら、お前も本気を見せてみろよ!」
須藤がムキになれば、柳も負けじと言い返す。
「たかが聞き込みで本気もクソもあるかいな。真ちゃんかて、ホンマは長田はんと一緒に捜査したかったんやろ?残念やったなぁぁ〜。長田はん、いつも三島はんと一緒で!」
そうなのだ。
優秀だからという理由で、長田だけは警部補や一課と行動を共にしている。
長田班は自然消滅し、須藤達は内木や田沼の班へ振り分けられた。
「お、俺だって、そこまで子供じゃないっ。いつまでも長田さんの金魚の糞じゃいられないさ」
強がってみたものの、長田が広瀬や三島と一緒にいる――
想像するだけで胸の奥が軋むのは、何故だろう。
柳に説教したとおり、警官同士で張り合ったり妬んだりしている場合ではないのに。
「せやけど、アレやな。三島はんも大概、依怙贔屓が過ぎると思わん?」
町中だからなのか、柳の発言は開放的だ。今度は上司を叩き出した。
「年季の長さはトンヌラはんのほうが上やのに、優秀なのは長田はんやて。あーゆー風に差別されはったら、トンヌラはんの立場ないやん」
こんな暴言、誰かに聞かれたら大変だ。
つきあいきれないとばかりに無理矢理、須藤は雑談を打ち切る。
「お前、いい加減にしろよ。ほら、鞄の行方を追うぞ」
まだブツブツ文句の多い柳を従えて、周辺の聞き込み調査を再開した。


傷害事件に切り替わった時点で、このヤマは一課に譲られるはずだったのだ。
なのに何故か今、自分は一課と一緒に捜査の続きを担当している。
須藤くん達は、ちゃんと真面目に聞き込みをやっているだろうか?
いや、須藤くんは真面目だから大丈夫として、問題は柳と小泉だ。
内木さんや田沼さんの手を患わせていないと、いいんだけど……
「厚志!ボーッとしてんな、二時にも会議だとよ。中間報告だ」
不意に肩を叩かれ、長田は我に返る。
振り返れば、そこには広瀬の顔があった。
「ま、こうも暑いんじゃボーッとしたって仕方ねぇやな」
室内の温度計は二十八度を示している。
無論、冷房はかけているのだが、何しろ今年の目標は『エコ』である。
常に署内は二十八度設定、なら冷房しない方がマシとさえ思える蒸し暑さだ。
「鑑識の結果は?防犯カメラに何か映っていた?」
引ったくりの逃走経路にあった駐輪場の防犯カメラだ。
鑑識に回した結果、引ったくり自体は確かに映っていたのだが。
「ん、あぁ、ろくなもんが映っちゃいなかったよ。新犯人に繋がる手がかりもナシだ。やっぱ三課の地道な聞き込みに期待するしかねぇな」
そう言って、広瀬が腕で汗を拭う。
一応冷房をかけているというのに、彼は汗だくだ。
「お疲れさま、高……広瀬巡査」
ニッコリ笑って長田がタオルを差し出すと、その手ごと掴まれた。
「ったく、涼しい顔しちゃってよォ。こんな蒸し風呂にいたってのに、お前は全然暑くなさそうだよな」
「そりゃあ暑いよ。けど、署内でだらけるわけにも、いかないからね」
「にしちゃあ、汗でチクビが透けてもいねーじゃねぇか?」
ニヤリと笑った広瀬が無理矢理、肩を組んでくる。
ただでさえ暑いのに、わざわざ密着しないで欲しい。
といった内面の文句は一切表に出さず、さりげなく長田は身を退いて答えた。
「アンダーシャツを着ているからね」
「エーッ!?お前、律儀に着てんのかよアンダー!」
広瀬には素っ頓狂に叫ばれ、部署にいた殆どの人間が振り返る。
思わぬタイミングで注目の的になり、赤面しながら長田も言い返した。
「シャツを着ていちゃ、おかしいかい?着るのが礼儀だと思うけど」
「礼儀って、お前、暑いだろ!そんなもん着込んでいたらッ。脱げ、脱いじまえ!ほら、さっさとしろっ」
「い、いいよ。別に、脱ぐほど暑くないし……」
なんてやっていると、これ見よがしに一課の刑事からは嫌味を叩かれた。
「こんなトコでいちゃついてるたぁ、さすがエリート様は余裕でいらっしゃる。お宅の部下は炎天下の中、必死で聞き込みをしているってのによォ」
たちまち広瀬の眉間には、皺が寄る。
「何が言いてぇんだ、福山?」
同僚に掴みかからんとする彼を、長田が必死に宥めた。
「やめろよ、た……広瀬巡査。俺が悪いんだ、雑談に花を咲かせていたから」
だが、せっかくの仲裁も、相手に聞いて貰えないのでは話にならない。
「うるせぇ、お前は黙ってろ!」と広瀬には押しのけられ、長田は途方に暮れた。
福山も福山で、こっちも全然負けちゃいない。長田を鼻で笑い飛ばす。
「別にィ?今回のヤマは俺達の担当だと思いきや三島警部補がゴリ押ししてきたから仕方なく三課と手を組んでやったってのに、その代表が、こーんな処で遊んでいるっていうんじゃネェ。やる気も削がれるってもんだわなぁ〜」
見下し感いっぱいな弁に、ついには広瀬の癇癪袋が破裂して。
「テメェが厚志を責められるってのかよ!なぁぁぁんもっ、手がかりになりそうな証拠を押さえていねぇテメェがッ!」
福山の胸ぐらを掴みあげる広瀬に、ナンダナンダと他の皆も集まってきた。
胸ぐらを掴まれた方も憶するでなく、広瀬をギロリを睨み付ける。
「そいつぁ、お前だって同じだろうが広瀬ェー。監視カメラ見つけて有頂天だったろうが、残念だったな!手がかりに繋がらなくてッ」
福山も広瀬も普段は、ここまで怒りっぽい奴らではない。
どうも、夏の暑さが彼らを余計に苛立たせているようだ。
「や、やめてくれよ二人とも……!今は刑事同士で争っている場合じゃ」
必死に宥める長田の背中を押すかのように、冷静な声も喧嘩に割って入る。
「長田の言うとおりだ。仲違いをしている暇があるのなら、報告用のメモをまとめておいた方が、有益な時間の使い道といえる」
「三島警部補……!」
階級上の登場には、すっかり福山も広瀬の熱も鎮火されて、二人の喧嘩を見物していた刑事達も、わらわらと自分の席へ散っていく。
ホッと安堵の溜息をつく長田の横へ、三島が並ぶ。
「……今、田沼から連絡が入った。二時の会議には内木が参加する。俺もいる、三課は君一人じゃない。周囲の嫌味など、気にするな」
ポンと優しく肩を叩かれ、さらには暖かく微笑まれて、長田は内心驚いた。
この人、こんな風に優しく笑うことも出来たのか。
いつもムッツリ不機嫌全開な表情で、堅苦しい話し方しかしない三島さんが。
「はい。元より自分は気にしていません」
しかし、そうした内心の動揺など表には一切見せず、長田も輝くような笑顔で頷いたのであった。


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