小春日和

10.ウィルスには、ご注意

この日は朝から会議があった。捜査会議だ。
「十日から本日に至るまで、駅前駐輪場での自転車盗難が多発している」
何でも、千葉中央駅周辺の自転車置き場で盗難事件が頻繁に起きている。
もちろん、盗まれているのは自転車だ。
鍵をつけていようとチェーンをつけていようと、盗まれてしまうらしい。

「市民の足を盗むなんて、許せない犯人だな!」
会議が終わって解散後、廊下を歩きながら須藤が怒りを露わにする。
「絶対に捕まえてやる!この俺の手でッ」
さながらバックに炎でも背負いかねないほど、彼は燃えていた。
「せやけど真ちゃん。現行犯逮捕は、まず無理やで」
憤る須藤の炎を鎮火しているのは、同僚の柳だ。
共に、長田班の一員として周辺聞き込みを担当する。
「なんでだよ!一日中張り込んでいれば、見つかるかもしれないだろ!?」
「中央駅周辺に、なんぼ駐輪場があると思ってんねん?それに俺ら単独での張り込みなんて、でけへんやん。長田はんが許可してくれねんで」
「長田さんなら……絶対、俺と一緒に張り込んでくれるはずだ!」
グッと拳を握りしめて力説する須藤に対し、あくまでも柳は冷ややかであった。
「なんやねん、そのミョ〜な自信は」
「長田さんだって絶対持っているはずだ!警察官の魂をッ」
「なんでもえぇねんけど、俺らの任されとる仕事は聞き込みやで?張り込みやのぉて」
「そうだけど!でも、聞き込みから犯人に繋がる情報が得られるかもしれないし」
「ほんで、張り込みへと繋がるってか?せやけど張り込むんは、他の班の役目やろな〜」
どこまでもクールに言いこめられ、ムググと須藤が言葉を失っているうちに、表で待っていた長田達と合流した。
「君達には二人一組での聞き込み捜査を行ってもらう」
「知ってまっせ、地取り捜査ってやつでっしゃろ?」
柳が軽口を叩き、長田は頷く。
「今までは俺のやることだけを見ていて退屈だっただろうが、今日からは君達にも直接動いてもらう。……できるよな?」
「ハイ!!」と、真っ先に元気な返事をしたのは須藤。
少し遅れて柳や小泉が応答するのを聞きながら、長田は話を続けた。
「須藤くんは柳と、小泉は安達と、櫻井さんは水谷さんと一緒に聞き込みしてくれ」
「ハイ!」
「判りましたッ」
「了解!!」
などと各々、元気よく返事する中。須藤が尋ねた。
「長田さんは?お一人で回られるのですか」
「いや、俺は本部に残って君達からの情報を伝える役を担当しよう」
「一人で楽してまんな」
ぼそっと呟いた柳の独り言には、長田も苦笑する。
「そうだな、すまん」
すぐさま須藤はフォローに回った。
「そんなこと、ありません!!情報伝達だって、重要な役目ですよ!」
「そうです、柳巡査は自分本位で物を見すぎだと思います」と、これは櫻井の皮肉。
ありがとう、と櫻井や須藤へ微笑んでから、長田は後輩の顔を見渡した。
「無論、君達が手こずるようなら俺も手を貸すよ」
「いえ、長田さんの手は患わせません!俺達の活躍に期待して待ってて下さいッ」
須藤の炎は再びメラメラと燃え上がり、渋る柳の腕を引っ張って走り出す。
「ほら、行くぞ柳!」
「イタタ、そない引っ張らんでも行くわいなっ」
微笑ましい視線で二人を見送った長田は他の後輩も送り出し、櫻井や小泉達も中央駅周辺へと移動する。

一日、二日、足を棒にしてフルに聞き込みを行ったものの、結果は芳しくない。
とはいえ、たった数日で犯人に繋がる情報が得られるとは須藤だって思っちゃいない。
問題なのは数日走り回った結果、余波でついてきたオマケの件。
今日は、朝から鼻がムズムズした。
「へっぷしゅ!」
大きなクシャミをして、電車の中ではジロジロ見られる。
どうも、風邪を引いてしまったらしい。
「ま、まいったなぁ……」
駅ナカで買ったマスクをつけつつ、須藤は二、三度頭を振った。
駄目だ。イマイチ視界がぼーっとしていて、鮮明にならない。
今日も聞き込み捜査をやる予定だ。相棒の柳も署で待っているだろう。
「駄目だなぁ……」
いくら人混みを走り回ったからって、冬でもないのに風邪を引くなんて。
夏風邪は馬鹿が引くっていうけど、本当だったのか。
いや、自分は馬鹿じゃないぞ。断じて馬鹿じゃない。
などと自己ツッコミ激しく朦朧とした頭で自分の机へ到着したのを最後に、須藤の意識は、ぷっつりと途絶えてしまった――

次に須藤が目覚めたのは、署にある仮眠室のベッドの上。
傍らに、長田の姿を見つけた須藤は慌てて起き上がろうとする。
「あ、いいよ。寝てて」
長田には押しとどめられ、改めてベッドへ寝かしつけられた。
「あ、あの、すみません!俺、迷惑かけて……ッ」
耳まで真っ赤に染まる須藤を眺め、長田は苦笑する。
「須藤くん……駄目だよ、具合が悪い時は電話で連絡してくれなきゃ」
「で、でも俺、休むわけには……!柳だけに負担させるわけにはいきませんし」と言っている側から視界がグワングワン回転し、須藤は枕に沈み込む。
やっぱり、具合が悪い時は素直に休んだ方がいいようだ。
「頑張るのはいいけど、風邪となると話は別だ」
ニッコリ微笑み、須藤の脇の下から体温計を取り出した長田が囁く。
「皆に感染したら、それこそ班一つ潰されてしまうからね」
「うっ……す、すみません……」
「38.5℃……高熱だね、病院へ連絡した方がいいかな」
「い、いいです、自分で」
やります、と言おうとして激しく目眩に襲われる。
う〜ん、駄目だ。天井の灯りが二重に見えてきた。
ただの風邪だと侮っていたが、自分で思うよりも重病だったらしい。
「いいから、君は寝ていなさい」
くったりして返事もない後輩を見やってから、長田はしばし考える。
「急いで連れていったほうが、よさそうだな……」
診察予約をいれた後は、パトカーのエンジンをかけるべく席を立った。


その後、ただの風邪だと思っていたら、実はインフルエンザであることが発覚。
夏風邪ならぬ季節外れのエンザにかかった男として、しばらく須藤が署内でからかわれたのは、余談中の余談である。
「俺が寝込んでいる間に、自転車泥棒が捕まるなんてなぁ」
すっかり元気になったものの、須藤の機嫌は麗しくない。
「えぇやん。市民の足は守られたんやで。それとも真ちゃんは、自分で犯人あげな気が済まんのやったんか?」
「まぁ……な。けど」
いいや、と言い放って須藤は大きく伸びをした。
「少なくとも中央駅周辺の平和は戻ったんだ。俺達、警察の活躍で!」
「せやなー。けど、真ちゃんは聞き込みしただけで寝込んどったけどなー」
ズバッと柳に突っ込まれ、たちまち萎れる須藤の頭を追い越し際にポンと叩く手が。
誰かと思って顔をあげれば、長田と目があった。
「そう、がっかりすることはない。須藤くんが倒れたから、他の皆に気合が入ったんだ。この事件を解決できた裏には、須藤くんのお手柄もあるよ」
「長田はんは、お優しいこっちゃですなァ〜」
さっそく皮肉る柳を見据え、長田が笑った。
「柳、お前だって燃えていたじゃないか。須藤くんの分も頑張ろうって、皆へ檄を飛ばして。今度、本人の前でも見せてやったらどうなんだ?本気モードのお前を、さ」
長田は颯爽と去っていき、後には「えっ?」となる須藤、そして「それは言わない約束でっせ!」と慌てる柳が置き去りにされた。


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