小春日和

9.みんなライバル

今日も今日とて先輩諸氏に、この書類を資料室に運べだの、この荷物を倉庫へ置いてこいだのといった雑用を一手に引き受けた須藤は、ようやく仕事に一区切りをつけ給湯室で一息ついた。
最近は、目立った大事件もなく――といっても細かな事件は起きているのだが、須藤が連れ出される事は殆どなく、部署内で小間使い宜しく、命じられた雑務を片付ける日々が続いていた。
新人刑事の面倒を見てくれるはずの長田先輩は、このところ忙しい。
朝も昼も姿がなく、夜になって、やっと一日最初の挨拶を交わせる。
なんて日も、珍しくない。
柳が仕入れた情報によれば、長田はずっと三島に連れ回されているとのことであった。
三島警部補は、須藤にとって直属の上司にあたる存在である。
無論、田沼や長田にとっても上司だ。上司命令では、強制同行も逆らえまい。

「俺達に構っている暇なんか、なくなっちゃったのかなぁ」
飲み終えた珈琲の缶を弄びながら、須藤はポツリと呟く。
だが、すぐに前言撤回すると、缶をゴミ箱に突っ込んだ。
「……いや、でも、まだ長田さんに教えてもらいたい事は一杯あるし!」
基本知識は警察学校で学び済みだし、尋問や張り込みの注意事項も一通り教わった。
もう、そろそろ自分で考えて行動しなければいけない時期なのかもしれない。
それでも須藤は、まだ長田の下について仕事をしたいと思っている。
少なくとも、警察官として充分な自信がつくまでは。
溜息をついて立ち上がった時、ちょうど廊下の角から出てきた人影にハッとなり、須藤は反射的に自販機の影へ身を隠す。
いや、何も隠れる必要などないのだが、身についた刑事の癖とでもいうべきか。
「長田。お前は、やはり俺が見込んだ通りの男だ。よくやってくれた」
「いえ、全ては三島警部補の判断による成果です。自分は何もしていません」
いけないとは思いつつも、ついつい須藤は聞き耳を立ててしまう。
声の主は二人。一人は長田、もう一人は三島だ。
「謙遜するな。お前の機転なくして容疑者捕獲は為しえなかった」
「ありがとうございます」
「長田……」
じっと長田を見つめて三島は黙っていたが、やがてガシッと彼の肩へ手をかける。
「お前は、やはり俺と警視庁へ来るべきだ。田舎県警で燻っていい男ではない」
思いがけない言葉に、自販機の影に潜んだ須藤はビクッと身を震わせる。

警視庁へ誘われたってことは、つまり、長田さんが千葉県警を辞めてしまう?
嫌だ、そんなの。だって俺はまだ、長田さんと一緒に仕事したいのに。

三島警部補はキャリア組の一人だ。
若くして警部補になったのも、実績があるからじゃない。
あくまでも彼にとって警部補とは、現場の雰囲気に慣れる為の役職に過ぎない。
何年かの現場研修を終えれば、晴れて警視庁での出世が待っているエリートだ。
「お言葉は有り難いのですが……」
長田は苦笑し、そっと三島の腕から逃れる。
「自分は、弱き者達を守る為に刑事を目指しました。建物の中にいたのでは、救いを求める者達の気持ちに応えられません」
さすが俺の長田さん、格好いい――!
自販機の影で須藤は知らず、グッと拳を握る。
「頑固だな」と三島も微かに苦笑し、一歩後ろへ下がった。
「だが、俺は諦めんぞ。来年は考えておいてくれ」
立ち去る三島の背中を見送り、ようやく須藤は自販機の影から這い出ようとして。
「厚志、また警部補のお誘いを受けていたのか?」
対角から歩いてきた人影に、またまた隠れ直した。
今度は広瀬巡査だ。第一課に所属する、この刑事は長田の古き友人であるらしい。
「あの野郎も、しつけぇこったな」
「まぁね。でも、断ったよ」
「あぁ、それでいい。お前みたいな逸材を書類の山に埋もれさせるなんざ、勿体ねぇ」
「高明まで……俺を買いかぶりすぎだよ」
照れつつも、まんざらではない長田の頭を広瀬が撫でる。
「何言ってんだ、準キャリアなのにホイホイ出世コースに首を振らない男として、お前は有名人だぞ?俺達ノンキャリ連中には、よ」
「だって俺が刑事になろうと思ったきっかけは……高明、君じゃないか」
じっと広瀬を見つめる長田に、広瀬が笑う。
「ヘッ。初志貫徹は忘れねぇってか?けど、こんなこと言った翌年に、どっちかが飛ばされるかもしんねぇがな」
「その時は、その時だよ。俺が飛ばされた時には、電話するから」
長田の熱っぽい瞳へ応えるように、広瀬も燃える瞳で頷き返す。
「電話ねぇ。どっちかっつーと電話よりは手紙のほうが嬉しいかな?電話だと、仕事で繋がらねぇ時もあるだろうが。手紙なら、いつでも見られるしな!」
「高明……うん、判った。そうするよ。約束だ」
嬉しそうに微笑む長田を、同じく笑顔で見つめ返す広瀬。

……なんだろう、この雰囲気。
ちょっと仲良すぎるんじゃなかろうか、ただの幼馴染みにしては。

完全に出るタイミングを失った須藤が、一人、自販機の影でヤキモキしていると。
「しーんちゃんっ。何しとんのぉ?こないなトコで!」
ポンッと背後から肩を叩かれて、文字通り飛び上がった。
「えひゃい!」
「ンあ?」
その声に広瀬も長田も振り返り、とうとう須藤は見つかってしまった。
「なんだ、熱血坊主と関西野郎じゃねぇか。んなトコで立ち聞きたぁ、趣味が悪ィな」
「熱血坊主って」と突っ込もうとする長田を遮り、須藤が一歩前に出た。
「熱血坊主じゃありませんッ。自分には須藤という名前があります!」
生意気にも睨みつけてくる新人には、広瀬の眉間に青筋が走る。
「新人が生意気に口答えか?おい厚志、三課の新人指導ってなぁ、どうなってんだ」
「す、須藤くん、ちょっと」
慌てて長田が止めようにも、須藤の勢いは止まらず、カッとなって叫び返す。
「長田さんは悪くありません!悪いのは広瀬さんじゃないですか、俺の名前を覚えないッ」
「須藤くん、駄目だって!高明、じゃなかった広瀬巡査は一応君の先輩だぞ!?」
「一応じゃねぇ、先輩だ!ったく雑用係が一丁前のツラして刑事ぶってんじゃねーぞ」
度重なる広瀬の暴言には、いくら新人の立場とはいえ我慢できない。
「俺は雑用する為に警官になったんじゃありません!俺は、刑事になりたくて」
「須藤くんっ、いい加減にしろ!!」
がつんと長田に怒鳴られて、ようやく血の上りきった須藤の頭も急速に冷えてくる。
否、完全には冷め切らず、須藤は涙ぐんだ両目で長田をキッ!と睨みつける。
「あっ、須藤くん、何処に行くんだ!」
先輩の制止も振り切って、一路脱兎。廊下を走り去っていった。
それまで、口を挟む暇のなかった柳がポツリと呟く。
「……真ちゃん、やのぉて須藤巡査、そーとー寂しかったんとちゃいますか?」
「寂しいって何がだよ?ガキじゃあるめーし、まさか厚志と同行できなかったのが原因なんて抜かすつもりじゃねぇだろうな」
長田の代わりに広瀬が尋ね、柳は素直に頷いた。
「須藤巡査、まだ長田巡査に教わりたいこと一杯あります言うてましたねん。俺らまだ新人やねんし、広瀬巡査が言うように一丁前のツラなんざ全然でけへん。そないな時期に頼れる先輩つれてかれはったら、心細うなっても仕方ないんとちゃいます?」
長田の胸に熱いものが、じんわりと広がってくる。
「須藤くん……!」
踵を返して須藤の後を追いかける長田を目で見送り、広瀬は、ぼそっと呟いた。
「新人に思いっきり懐かれやがって。ほんと三課の新人指導ってなぁ、どうなってやがんだ」

長田がやっと、屈辱と後悔でプルプル震える須藤を捕まえたのは玄関を出る一歩手前で。
「須藤くん」と声をかけた瞬間、怒濤の平謝りを受け、逆に長田のほうが、しどろもどろになってしまった。
「すみませんでした!俺ッ、俺、先輩相手に出過ぎた発言をしてしまいました!!」
「い、いいんだよ。それよりごめん、君達を長いこと放っといてしまって」
「いいえ、長田さんは悪くありません!三島警部補との重要任務があったのでは、俺達新人の相手をしている暇がなくて当然ですッ!!」
「あぁ、まぁ……でも、もう大丈夫だよ」
下げた頭を、ひょいと上げて須藤が尋ね返す。
「……大丈夫、と言いますと?」
長田はニッコリと微笑み、須藤の肩をポンと軽く叩く。
「だいぶ時間はかかったけど、警部補との任務は終了したからね。これからはまた、君を連れ出すことになるけど……いいかい?」
須藤も満面の笑みを浮かべて、勢いよく頭を下げた。
「はいっ!また、ご指導のほど、宜しくお願いしますッ!!」
「うん」
三島警部補との任務は、やりがいのある仕事だった。
しかしながら彼との同行は緊張を強いられ、正直な話、気が滅入っていたのも事実である。
やっぱり自分に、エリートの仕事は向かない。
新人や同僚と、小さな事件を解決しているほうが性に合っている。
などと、刑事にあるまじき情けない事を考えながら、須藤相手に鼻の下を伸ばしてしまう長田であった……


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