小春日和

7.夏の一夜の百物語

初夏。
にしては少々、いや、かなり暑すぎるのではないだろうか。
まだ六月だというのに、冷房を入れないと、まともに仕事もできやしない。
だが、部署の壁には『節電』の文字が輝いている。
エコの名の下、警察自らがお手本となるべく、冷房は二十八度に制限されていた。
「なっつっもっち〜かづっくっ、はーちじゅ〜うはっちっや、トントン♪」
相変わらずのデスクワークで、へたばっている須藤の耳に、奇妙な歌声が聞こえてくる。
見ればトンヌラさんこと田沼さんが、ご機嫌な様子で歩いてくるところであった。
「いよぅっ、須藤くん!頑張っているかね?」
「あ、はい」
これだけの会話一つでも、須藤の額には汗が滲む。
部屋の中で、この調子なのだから、外はもっと暑いだろう。
願わくば外に出たくないものだが、そうも言っていられない職場である。
電話一本で呼び出されれば、嫌でも表に出向かねばならない。
「頑張っている須藤くんに、ご褒美だ!それっ」
いきなり缶ジュースを投げつけられ「あっ、たったったっ」と泡くって須藤が受け取る頃には、田沼は既に須藤の元を離れ、お隣の列の櫻井に似たような声援を送っていた。
「なんやろ、田沼はん。えっらいゴキゲンやのォ〜」
向かいの席でつっぷしていた柳が、むくりと起き上がる。
「けど、俺には励ましの声援も何もくれへんのな」
「お前は寝てただろ」
呆れかえる須藤の背後で、誰かが言う。
「感謝していますって言われたんだよ」
いきなり会話に混ざってきたのは、缶ジュース片手に現われた長田だった。
「誰に、誰がでっか?」
尋ねる柳へ片目を閉じると、彼は微笑んだ。
「スーパーの店長に田沼さんが、さ」
駅前のスーパーで言われたらしい。
警察の皆さんが指導して下さるおかげで、最近は万引きが減ってきた。
感謝していますと何度も頭を下げられ、缶ジュースをダンボール一箱分貰ったそうな。
「あらっ、それって賄賂とちゃうの?」
柳のツッコミに、長田が苦笑する。
「賄賂じゃないよ、応援の品だよ」
「ほたら俺にも貰える権利は、あるんとちゃう?」
既に田沼の背中は遠く、柳一人の為にUターンしてくるなどなさそうに見える。
「お前は爆睡していたからなぁ……声をかけるチャンスがなかったんだよ、きっと」
そう言って長田はジュースを一口飲むと、柳の机に置いた。
「飲みかけでよかったら、俺のをやろう」
「お断りしま」
速攻で断った柳には須藤も長田も、何事かと近寄ってきた小泉も怪訝に眉を潜める。
「なんだよ、お前。欲しがってたくせに、断るなよ」
「ネーチャンのならともかく、野郎の飲みかけなんざぁ、クチをつけたかないわ」
頑として言い張る柳に何を思ったか小泉は缶を持ち上げ、櫻井へ大声で呼びかける。
「おーい、櫻井!お前が今飲んでるソレと長田さんの飲みかけ、トレードしない?」
櫻井はブハッと咽せ込んだかと思うと、大声で怒鳴り返してきた。
「バッ、バッカじゃない!? なんで飲みかけ同士をトレードしなきゃいけないのっ!」
小声で柳が「余計な事すんなや」と小泉を窘め、須藤はヤレヤレと窓の外を眺める。
春が過ぎて夏になろうってのに、この部署は、いつまで経っても同じノリなんだよなぁ。

毎日同じノリのように見えて、新人は新人同士、及び先輩とも打ち解け始める時期である。
帰り際、先輩の内木が怪談大会をやろうと言い出したのも、この頃だった。
「え〜、いいですよォ。早く帰れるなら早く帰りたいですし」
そう答えた小泉のこめかみに間髪入れず拳骨グリグリした内木は、笑顔で皆を見渡した。
「須藤くん、あなたは参加するわよねぇ?もちろん。櫻井!長田くんも参加するってんだけど、一緒にやらない?」
「あ、えっと……私、怖い話は苦手なので!」
先輩の機嫌を損ねまいと、櫻井が笑顔で断る。
しかし却って逆効果だったのか、鬼の顔した内木にグイッと引っ張られて、たたらを踏んだ。
「あんたねぇ〜。せっかく私がお膳立てしてやろうってのに、逃げるつもりなの?」
「お、お膳立てって……」
「このままじゃ須藤くんの一人舞台よ?長田くん、彼に取られちゃってもいいの?」
既に内木の中で、須藤は参加が決定しているようだ。本人の許可もなしに。
「とっ!取られるって、そんな、私ッ」
わたわた言い返す櫻井など視界の端に追い出して、内木は長田へ相づちを求める。
「最近の新人ってのは、だらしない奴ばっかねぇ。そう思わない?長田くん」
「まぁ、でも、まだ怪談には早い季節だからね。皆の気が乗らないのも仕方ないよ」
仕方ないと言いつつ、どこか長田も寂しそうに見える。
このままでは長田にも内木にも、今年の新人は腑抜け揃いの烙印を押されてしまう。
そう思った須藤は一歩前に出て、志願した。
「俺!俺、参加しますっ!」
そう言われては、櫻井も負けずに「じゃ、じゃあ、私も!」と名乗り出て、櫻井が参加するのであれば、当然、彼女にホレている柳も手をあげる。
――そうしたわけで。
新人三人組は、内木の怪談話におつきあいすることになった。


あれは去年の今頃だったかしら……友達と海へ出かけようって話になって、車で出かけたのよ。

「あ〜いいっすねぇ、俺らも夏んなったら海行きましょ、海!」
「海かぁ〜。久しく行ってないなぁ」
「櫻井の水着姿かぁ……イッシッシ」
「何だよ柳、その笑い方。お前、鼻の下伸びきってるぞ?」
「シッ。皆、静かに内木さんの話を聞こう」

何度も急カーブが続く道に来た時、ドライバーだった、そうね、仮にA子としましょうか、A子が不意に言い出したの。『この道って五年前、大きな交通事故があったらしいよ』って。

「急カーブで格好つけて飛ばしたりすっから落ちるんや。アホやね」
「カーブでは減速しろって、教習所で習わなかったのかな?」
「きっと無免許だったのよ。若い子には、ありがちな話よね」
「……君達、内木さんのこめかみに注目だ」
「あっ!」
「す、すみませ〜ん……」

若いカップルが乗っていたけど、二人とも海に落ちて死んだらしいの。そんな話を聞きながら、私達は後部座席でおしゃべりしていたんだけど不意にA子が『ギャア!』って悲鳴をあげて、車のスピードがあがったのよ!

「ギャア!」
「キャァァァァッ!」
「す、須藤くん!? 大丈夫かい?」
「う、内木さん……今の顔っ、心臓に悪ィ……ッ」

『どうしたの?』って尋ねても彼女は答えなくて、急カーブを落ちそうな勢いで車はギュンギュン走っていって、途中でやっと止まったんだけど何度尋ねてもA子は全然答えなくて、真っ青な顔で黙っていたの。やがて彼女が言うには――

「あ、ちょっと待って内木さん」
「何よ、今ちょうど良いところなのに。おトイレでも行きたくなったの?」
薄暗かった室内に、灯りがつく。長田が、困ったような苦笑いで言った。
「二人とも限界みたいだ。怖い話が苦手って本当だったんだね、櫻井さん」
須藤も櫻井も長田の腕へコアラみたいに抱きついて、両目をギュッと瞑っている。
長田に優しく頭を撫でられて、だが櫻井は照れる余裕もなくベソベソ泣きじゃくった。
「え〜〜ん、もう、やだぁ」
櫻井はともかく、須藤までが真っ青とは些か情けない。
「真ちゃんも苦手やったん?これしきで本気の悲鳴とか、なっさけないわ〜」
柳に呆れ目で見られても「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と須藤は一心にお経を唱えていた。
長田は彼の頭も優しく撫でてやる。
「お前みたいに全然怖がらない奴よりは、ずっと可愛げあるさ」
話を中断させられたというのに、内木も何故か上機嫌で続けた。
「この二人には、お盆恒例の肝試し大会にも出てもらわなくちゃね。きっと盛り上がるわよぉ〜」
「あんた、鬼か!」
思わずハモる、長田と柳であった……


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