小春日和

6.トンデモ科学の研究所

科学捜査研究所――通称・科捜研。
犯行現場に残された物的証拠を科学的に解析、解明し、事件解決の手助けをする。
科学鑑定が当たり前となった今の警察において、なくてはならない部署の一つだ。
主にお世話になるのは一課だが、二課や三課とて、全くの無関係というわけでもない。
物的証拠は犯人確定に対して、最も重要な決め手だ。
スリや万引き、空き巣においても、それは例外ではない。
従って、三課へ科捜研の連中が遊びに来たとしても、なんらおかしくないのであるっ!


「いや、それはおかしいでしょ」
胸を張ってサボリを自己主張へ置き換えた相手を、真っ向から長田が否定する。
日野道さくら。
ここ数年の間に科捜研の所長へ就任した、うら若き女性である。
「なによぉ〜、どこがおかしいっていうのよぉ」
たちまちプゥッと可愛らしい頬を膨らませて怒るさくらへ、長田は肩をすくめてみせた。
「普通こちらが科捜研へ出向くものであって、科捜研の人がこちらへは来ないでしょう?」
捜査官が各部署へ出向くことは、まずない。
彼らにフラフラ出歩かれていたんじゃ、調べて欲しい物があった時に困るではないか。
「私は普通じゃないから、いいのっ」
何がいいんだか根拠のない彼女の自信に、ついつい長田も意地になってしまう。
「よくありません。所長がフラフラうろついているなんて、論外ですよ」
「なによ〜、一課の広瀬くんだって、よくこっちにくるじゃない」
広瀬は何度言っても、事件のない日は三課へ遊びに来る。
何をしに来るのかといえば、長田に会う為ではなく、新人諸君が目当てだった。
新人警官に、自分の武勇伝を聞かせる。これが彼の日課と化していた。
三課の新人達にしてみれば迷惑この上ないが、相手は先輩。文句も言えない。
それは目の前の女、科捜研所長にしても同じ事。
「広瀬くんはいいの?ぶーぶーっ、ひいき、えこひいきー」
文句を言っていたかと思うと、突然さくらはニヤッと微笑み。
「ま、しょ〜がないかぁ。恋人だもんね☆」
「だっ、誰がッ!?」
思わずガタンと席を立ち上がる長田へ指を突き出し、さくらはウィンク。
「またまた〜。高明くんと、あ・な・た。に、決まってるじゃなぁ〜い?」
「た、高明は友達です!恋人なんかじゃないっ」
これはまた、とんでもない方向に話題が飛んでしまったものだ。
日野道所長のトンデモ性格のことなら、長田も、これまでに色々聞き及んでいた。
トンデモ性格とは、すなわち天然。或いは電波と称してもいい。
斜め上へ、話をすっ飛ばす。署内でも、有名な噂だった。
それを知っている上でも、今の話題は予想外の展開だ。
「うそぉ〜。高明ィ〜なんて、名前で呼び合っちゃっているくせにィ」
「高明は幼なじみです!友達と名前で呼び合って、何が悪いんです!?」
「ここは職場なのよぉ〜?職場で名前呼びしていいのは、恋人ぐらいなもんでしょ」
何を言っても暖簾に腕押し、さくら独自のルールが存在しているかのようだ。
「恋人こそ、苗字で呼び合うもんじゃないですか?」
「あらぁ〜、そう言い切るってことは署内に恋人がいるの?長田くんにはぁ」
「い、いませんよ!いたとしても、名前で呼び合いませんし……」
押し問答しているうちに、ふと自分へ集まる熱い視線に長田は気づく。
ハッと周囲を見渡してみれば、新人諸君が好奇に満ちた目で二人の言い合いを見物しているではないか。
その中に須藤の姿も見つけ、長田は慌てる。
なんてことだ。他の連中はともかく、須藤くんに動揺している自分を見られるなんて。
せっかく築き上げてきた、格好いい先輩のブランドがガタオチだ。
「……幼なじみやったんですか?広瀬巡査と長田はんて」
柳の問いに「あぁ。高明とは昔、家が近所でね」と答える長田へ、須藤も質問する。
「恋人、いないって本当ですか……?」
「えっ?」
まさか須藤に、それを突っ込まれるとは思ってもみなかった。
だが言った方も、すぐに自分の失言に気づいたか、口元を抑えて慌てている。
「あ!答えたくないなら答えなくていいですから」
須藤のオロオロっぷりが感染したか、長田も慌てて須藤を慰めた。
「いや、いないよ。本当に。大丈夫、須藤くんが心配する事じゃない」
「ホンマでっか〜?署の女の子テキトーにつまみ食いしとるんとちゃいまっか」
だが柳の冷やかしにはカチンときたか、長田は珍しく声を荒げて反応する。
「失礼だな!誰が、そんなことをするもんか」
「そぉよぉー。長田くんは、むしろ、つまみ食いされるタイプね」
「あなたは黙っていて下さい!」
せっかくのフォローも、これでは嬉しくない。
「せやけど、広瀬巡査が長田はんは署内でモテモテや〜ゆうとりましたで」
あの野郎。
自分の武勇伝のみならず、悪しき噂まで新人諸君に吹き込んでいたとは。
だが、ここでぶち切れるのは悪い大人の見本だ。
なにより、これ以上須藤の前で失態を繰り広げるわけにはいかない、先輩として。
長田は冷静に切り返した。
「俺より、柳に須藤くん。君達こそ恋人はいないのかい?」
「柳くんはねぇ〜、このあいだ櫻井巡査にアタックしかけて見事玉砕、もごもごっ」
「わぁ〜、アカンて!アカンて、そいつぁ秘密事項やねんで、日野道所長っ」
なにやら言いかけるさくらに飛びついて、黙らせる柳。
「なになに?なんですか、日野道さん。教えて下さいよ〜」
他の新人も、すっかり柳の黒歴史に興味津々となり、長田は、やっと広瀬との恋人疑惑からも署内恋人疑惑からも解放された。
――いや、一人だけ長田へ視線を向けている奴がいる。須藤だ。
「昔、家が近所だったって」
「え?あぁ、高明のことかい」
「はい。今は、違うんですか?」
「うん。俺の家族は昔、北海道に住んでいたんだ。高明は、ご近所さんでね」
そういや、自分のことなど彼には一切話していなかったと長田は今更ながら気づく。
須藤のことなら、幾つかは知っている。彼自身が話してくれた身の上話だ。
東京で生まれ、東京で育ち、千葉には父親の単身赴任の際に引っ越してきたそうだ。
「色々あって、それで……千葉に引っ越してから、高明とも再会してね。今、彼も千葉に住んでいるんだ。けれど、家は近くじゃない」
「そうだったんですか」
何故かは判らないが、須藤の顔がぱぁっと晴れやかになった気がする。
彼もまた、広瀬と長田の関係について、誰かから悪しき噂を聞き及んでいたのだろうか?
「日野道さんが、長田さんは広瀬さんの舎弟にされているって言うから、俺、てっきり今でも、その関係が続いているんじゃないかって、心配で」
……あのアマァァァッ!
須藤の話を最後まで聞かず、長田は科捜研所長の元へ駆けていった。
もちろん、こめかみにはビキビキと青筋を立てて。


BACKNEXT
Page Top