小春日和

4.長田厚志の長すぎる一日

その日、長田は機嫌良く部署の扉を開けた。
前日、友人から『吉野屋』の割引チケット二枚をもらったのだ。
別に、長田は死ぬほど牛丼が大好きな吉野屋スキーではない。
にも関わらず彼のテンションが跳ね上がっていたのは、他でもない。
チケットが二枚ある。そのせいだ。
「柳、須藤くんは何処だい?」
うきうきした調子の長田に、どことなくドン引きしながら柳が答える。
「え?須藤?トイレと違いまっか」
「そうか、じゃあ探してくるよ」
いつもなら、探すとまでは言わない長田である。
いよいよもって気持ち悪くなってきた柳は、浮かれ調子の長田を引き留めた。
「探さなんでも、すぐ戻ってきまんがな」と、話している側から須藤が戻ってくる。
柳の予想通りトイレにでも行っていたか、ハンカチで手を拭きながら。
さっそく立ち上がり、長田は彼を呼び止める。
「あ、須藤くん、ちょっと――」
だが、すぐに長田の声と重なって、別の同僚が彼へ声をかけてしまった。
「おい須藤、この資料、ちょっと保管室まで持ってってー」
「は、はい」
須藤は、あっさり、そっちの声に従って、重たい荷物を運び出す。
「ちょ、須藤くん、ちょっと待って」と追いかける長田へは、別の横やりが飛んできた。
「長田くん、悪いんだけど緊急コール」
内木巡査だ。
受話器を手渡され、仕方なく長田が受け取ると、近所のスーパーより出動要請が来たとの話であった。
罪状は万引き。ここ数ヶ月、ずっと万引きが絶えない店である。
「女子高生ですか」
長田の受け答えに、柳が耳を聡くする。
「JK!?」
「何に反応してんのよ、あんたは」
呆れる内木へは、笑って応えた。
「いやぁ、最近多いな思うて、JKの万引き犯。やっぱ思春期のJKって、年中モンモンムラムラしとるんですかねぇ」
「あんたが言うと、気色悪いわ」と、内木先輩は何処までも素っ気ない。
受話器を置いた長田に、彼女が尋ねる。
「長田くん、万引き犯の逮捕?」
「いや、逮捕まではしなくていいから説教してくれってさ」
「甘いわねぇ。初犯?」
「らしいね」
本来ならば店員が取り押さえた場合、警察に引き渡すのが国民の義務だろう。
しかし店員も人の子、目の前でシクシク泣かれちゃったりすると、情が入ってしまうのだ。
しかも相手が初犯の女子だったりした日にゃあ、二度とやっちゃ駄目だよ、などと優しい説教だけで事件を終わりにしてしまうことも、多々あったりする。
それでまた、別の子供に万引きされているってんだから、どうしようもない。
きっとワルな子供の間では、あの店狙いやすいぜ、なんてカモられているに違いない。
まぁ、ワルガキに狙われ続けようが引き渡さなかろうが、それは店の都合というもの。
こちらに出来るのは、店の要求に応える事だけだ。
眉根を寄せて、思いっきり不機嫌そうに内木が提案する。
「一度こってり絞ってやればいいのよ。私が代わりに行ってもいいけど?」
「いや、向こうは俺を指名してきたんだ。長田巡査でお願いしますって」
これには「えっ?」と内木も、そして側で聞いていた柳もポカーンとなる。
ホストじゃあるまいし警官を名指しで指名って、スーパーの店長も何を考えているんだか。
それに説教なんて、何の点数にもならないボランティアだ。
なのに、ノコノコ出かけていこうってんだから、長田も大概お人好しすぎる。
「あなた、人当たり良さそうに見えるから、誤解されているんじゃない?」
ふぅっと、これ見よがしな溜息をつかれ、長田が苦笑する。
「そうかもね。まぁ、とにかく行ってくるよ。柳、須藤くんには」
「ヘイ、出かけたって伝えときま」
「うん、それと、後で用事があるとも伝えといてくれ」
伝言を残し、長田は出かけていった。
「けど内木はん、俺、あの人がマジギレしたトコなんて、まだ見たことないんやけど」
柳の問いに内木は肩をすくめ、忠言する。
「長田くんって、見かけほど中身は優男じゃないのよ?まぁ、あなた達も、そのうち知ることになると思うけど」

そんなわけで、須藤が戻る頃には長田の姿はなく。
「長田さん、一人で行っちゃったんですか……」
どことなく不満げな須藤を見て、さっそく柳がからかいに走る。
「なんや?真ちゃんは長田はんがおらんと寂しん坊なんかいな」
「べっ、別に寂しいとは!」
真っ赤になって怒鳴れば怒鳴るほど、柳の冷やかしもエスカレート。
「そないなことゆうて、さっきから目が長田はん求めて泳いどるやん」
「違うって!いつもは俺達をつれていくのに今日はつれていってくれないんだなって」
二人して言い争っていると、遠くの席から別の先輩に窘められる。
「長田にくっついて歩き回るだけが第三課の仕事じゃないぞ、二人とも。暇なんだったら、これ、データベースん中にぶっこんどいてよ」
手渡されたのは、分厚い書類。
すぐさま「は、はい」と須藤は素直に頷くが、どっこい柳は素直じゃない。
「こんなん、事務のねーちゃんの仕事じゃねーすか?」
口答えして、たちまち先輩には怒鳴られた。
「バカヤロウ、お前ら新人が点数稼げるようにしてやってんじゃねーか。素直に言われたとおりの仕事をしろ、仕事を!」
「点数稼げっつーなら、事件につれてけってーの」
小声でぼやいて、ベッと舌を出す柳。そいつを須藤も小声で窘めた。
「いいから素直にやろう。やっているうちに事件が起きるかもしれないし」
といったって、それほど緊迫した事件が起きる訳じゃない。
一課や二課とは違って、スリリングとは程遠い部署なのだ。


須藤と柳の新人コンビが書類の山と格闘している頃――
スーパーの事務室では、長田が女子高生を相手に必死な説教を繰り広げていた。
さっさと謝らせて二度とやらない約束を取り付ければ済む話。
だが何しろ相手は天下の女子高生。
人の話を全く聞かない事で有名な、一癖も二癖もある要注意対象である。
店員の話では、しおらしく泣きじゃくっていた……らしいのだが、長田とマンツーマンで向かい合った時には態度が一変した。
「おまわりさんって、普段は何処にいるんですかぁ?」
「警察署だよ。それよりも」
コビコビに媚びまくった口調で、やや上目遣いに見つめてくる少女へ素っ気なく答えた長田は本題へ入ろうとするのだが、少女がそれを許さない。
「じゃあ、じゃあ、カノジョとかいますぅ?」
「今は関係ないだろう?」
「え〜、隠すなんて、あっやし〜いっ!」
「……いないよ、フリーだ。それよりも君」
「え〜!キャ〜、ホントにィ?ホントにいないんですかぁ〜?」
「嘘をついても始まらないだろ、こんなことは。もう、いいだろ、この話は」
長田も長田でオールスルーすればいいものを、うっかり答えてしまうもんだから、関係ない雑談に、かれこれ三十分は費やしている。
普段は何処に勤務していて、家はどの辺で、カノジョはいなくて独り身である。
料理は得意なほうで、趣味は洗濯と映画鑑賞。
休みの日は、大抵同僚か旧友と遊びに行くことが多い。
といった個人情報を、根掘り葉掘りしゃべってしまった気がする。
なんで万引きをしたのか。家族は、家にいるのか?
最低限まとめなくてはいけない事項を、まるで聞き出せていない事に彼は気づいた。
焦燥感に煽られて、長田は腕時計を見やる。
えぇい、くそっ。
こんな子供と無駄に話し込むぐらいなら、内木巡査と代わって貰うんだった。
やっと動機と電話番号、ついでにケータイの番号まで教えてもらって、長田が万引き少女から解放されたのは説教が始まって約一時間を経過した頃だった。
「はぁ〜、疲れた……」
これから署に戻り、雑務を終えて家に帰れるようになる頃には、とても吉野屋で牛丼を食べるって気分じゃない。
――だがッ!
それでもッ!
友人経由で手に入れたチケットを財布から取り出すと、長田はジッとそれを見つめる。
チケットの有効期間は今日までだ。今日中に、これを使って須藤くんを誘わねば!
「……よし!」
運転席に座りハンドルを握りしめると、気合を入れ直し、長田は車を発進させた。

かったるい雑務タイムも終わりに近づき、ちらほら「お疲れさまです」の声が響く中。
データ入力から解放された新人二名は、デスクの上でノビていた。
「あ゛ー」
「あ゛ー」
さながらゾンビのように身を投げ出す二人に、背後から内木が声をかける。
「こらこら、なんて格好しているの?二人とも」
「あー、こら内木はん、えぇトコに。ちょい肩揉んでくれへん?」
身を投げ出したまま頼む柳には、内木も呆れを通り越して苦笑する。
「あのね柳くん、先輩に頼む態度じゃないわよ?」
「こっているのは、この辺かい?お疲れさま、須藤くん」
不意にモミモミと肩を揉まれて、須藤は飛び上がった。
「ぅひゃあ!」
振り返れば、肩を揉んでくれているのは長田じゃないか。
日中どこにもいなかったけど、夜は彼も雑務に追われていた。
疲れているっていうのなら、長田のほうこそ疲れているのではなかろうか。
「い、いぃですよ〜、うっ、いてててっ」
「はは、ゴリゴリじゃないか。だいぶ根性入れて打ち込んでいたと見えるね」
恐縮する須藤とは裏腹に、実に長田は楽しそう。
「あ゛ー、長田はん長田はん?俺も俺も、揉んでやー」
便乗で頼み込む柳には、内木からのキッツイ一発が背中にバチーンと贈られる。
「あなたはピップエレキバンでも貼っときなさい。それじゃ、お疲れ」
「あぁ、おつかれ〜」と長田が片手をあげる側では、「はぅっ、うひっ、お、お疲れさまですぅ〜」と奇声をあげる須藤の姿が。
「あ、あの長田さん、ホントにいいですよ、俺、そんなに疲れてませんから!」
逃げようと身を退く須藤を引き寄せ、なおも長田は肩をモミモミする。
「いやいや、遠慮するなよ須藤くん。ときに君、スポーツか何かやっていたのかい?」
華奢に見えて、須藤の体は意外や筋肉がついている。
新たな発見に胸をときめかせながら長田が尋ねると、須藤は俯き加減に答えてくれた。
「え、は、まぁ……小学校の頃にサッカーと、あと中学高校と柔道を」
「サッカーと柔道か。どうしてやめちゃったんだ?サッカー」
「は、えぇと、柔道のほうが格好いいなって思って……」
「なんや、サッカーやてカッコえぇやん。Jリーガー目指せば良かったに」
「お、俺の学校ではサッカーより柔道のほうが人気あったんだよ!」と柳に返してから、ふと長田の目線に気づき、須藤は言い直す。
「……ですよ。大会で何度も優勝していたから、俺の中学の柔道部は」
「変なガッコ」
ポツリと吐き捨て、柳が立ち上がった。
「ほな、お疲れさん」
いつまで経っても長田が肩を揉んでくれないので、諦めたらしい。
「あぁ、お疲れ。風呂入って、さっさと寝ろよ。疲れを明日に残すんじゃないぞ」
長田の一言に柳も苦笑し、手をひらひら振ってみせた。
「長田はん、センセみたいな事言ってまんな。ほな二人とも、おやすみ〜」
騒がしい奴がいなくなって、部署に残っている人数を見渡してみれば、殆どの奴が帰ってしまったことに、改めて須藤は気がついた。
「……え、えっと。それじゃ長田さん、俺も、そろそろ帰ります」
「そうだな。じゃあ、ついでに吉野屋で飯でも食っていくか」
さりげなく切り出せば、途端に須藤はアワアワして断ってくる。
「え!わ、悪いですよ〜、毎日毎日……」
日頃、長田にはラーメンやらランチをおごってもらっている。
面の皮が厚い柳と違って、須藤には遠慮する心遣いぐらいあるのだ。
「大丈夫、大丈夫。半額チケットだからね」
「え!半額」
今、キュピーンと須藤の目が光ったような。
やはり庶民、半額の誘惑には抗えなかったか。
「じゃ、じゃあ、行きましょう!あ、もちろん半額の半分は自分で払いますよ!」
俄然張り切る須藤に先陣を切られ、長田は彼の鞄を手渡してやった。
「ははは、張り切りすぎてホラ、鞄。忘れないようにな」
「あ、はいっ!……本当に長田さん、先生みたいですね」
「えっ?」
「あ、いえ……でも、頼れる先生だと思いますよ」
恐らくは半分以上、社交辞令で言った須藤の一言に、長田がしばらくゴキゲンになったのは言うまでもない――


BACKNEXT
Page Top