合体戦隊ゼネトロイガー


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act6 動き出した時間

たったの一日では特訓する暇もなく、されど報道陣と軍隊が用意するにあたり、たったの一日でも時間は充分足りるようで、翌日のベイロード野球場付近は報道陣と野次馬でごった返す。
ここが巨大戦艦に襲撃された場所なのは、誰の記憶にも新しい。
ましてや前日の緊急速報で『空からの来訪者との一騎討ち』が行なわれると言われたら、見ずにいられない。
TVでも生中継される。だが、どうせなら自分の目で直に見てみたい。
そう考えるのが人間の好奇心というものだ。
「報道の人達は……あそこね」
野次馬に紛れて、ラストワンの生徒も現場にいた。
目的は、ただ一つ。乃木坂教官の救出劇に、自分達も参加する。
野次馬と押し合いへし合いしながらカメラを回す一団に、まどかとレティは近づいていった。

「子供達は、大人しく部屋にいるか?」
御劔学長の問いを受けて、相沢文恵が答える。
「いいえ。見物に出ると言って、何人かが外出許可を取って出ていきました」
彼女の返事が、あまりにも淡々としていたので、慌てて御劔は言い返した。
「どうして許可を与えたんだ。外は危険だろう」
トントンと書類をまとめながら、相沢も答え返す。
「どうしても自分の目で決着を見たいと真剣な眼差しで頼まれては、無下に却下できないでしょう」
それに、と彼女は付け足した。
「あの子達は未来のパイロットです。戦う覚悟や死の覚悟を見ておくことも大事では?」
「しかし、それは――」
まだ早いのではないか。
そう続けようとする御劔を遮って、相沢が言う。
「戦う意志に、早いも遅いもありません。それに生半可な気持ちで軍人を目指すのは、軍隊にも失礼ですわ」
一応スタッフを同行させたと言われても、学長の脳内からは嫌な予感が消え去らなかった。

現場は、ごった返す人混みで前に進むのも戻るのも困難になってきた。
こんな混雑の中にあっては、候補生のお守りを任されたスタッフが子供達の姿を見失うのは容易な結果で。
「まいったぜ、レティとまどかがいない。はぐれちまったのかな」
同行したスタッフの一人、一宮ジンが小さくぼやく。
相方の五条珠洲も背伸びして辺りを見渡したが、こう人が多くては人捜しどころではない。
「赤城さんが一緒なら、すぐに戻ってこられるかもだけど……心配だわ。彼女達、かわいいから」
「どこかでナンパでもされるってか?それこそ大丈夫だろ、まどかが一緒なんだし。ガーンと一発蹴りを入れて、それで終いさ」
ガーンと蹴りを入れる真似をしたら前にいる誰かを蹴っ飛ばしてしまい、ジンはペコペコ謝るハメになる。
「ちょっと、暴れないでよ。私達が補導されていたら、洒落にもなりゃしないわ」
珠洲には悪態をつかれ、ジンは残りの候補生へ呼びかけた。
「お〜い、全員いるかぁ?点呼取るぞー」
「一宮さーん、マリアちゃんとモトミちゃんがいませーん」
「なんだってぇぇ!?」
早くも迷子続出だ。しかし探しにいったら、今度は全員とはぐれそうでもある。
「まいったなぁ……だから嫌だったんだよ、ここに来るのは」
ぶつぶつ文句の多い相方をジロリと睨み、珠洲が言った。
「私が探してくるから、あんたはココを動かないで。他の子を見張ってんのよ」
「あいよ」と返事だけは素早いジンを置き去りに、珠洲は人混みをかき分けて歩いていった。
「五条はん、ここに戻ってこれるんやろか」
不吉な発言を漏らしたのは、聞き覚えのある鈍り。
「モトミッ!?いるんじゃないか!」
あわてふためくジンに「何驚いてんのや。ウチ、トイレ行ってただけやで?」と当のモトミは、あっけらかん。
「おーい!珠洲、いたー!珠洲ー!」
余程慌てたのか珠洲を追いかけて人混みを泳いでいくジンの背中を見送って、モトミはニヤリと微笑む。
「これで監視の目もなくなったし、本格的行動の開始やね」
「それじゃ、そろそろ僕達も行こうか」と傍らの二人に囁いて、昴もその場を離れる。
向かうのはレティ達と同じ方向。報道陣の所有する、飛行船の近辺だ。

軍との打ち合わせが終わった。
一騎討ちで戦うのはツユとミィオ。
すでにゼネトロイガーは球場の外でスタンバイしている。
機体の周辺は軍が厳重な警備を敷いているから、報道陣や野次馬の近づける隙はない。
鉄男は機動隊員の一人に成り代わって、救出部隊へ紛れ込む。
剛助、木ノ下、後藤の三人は、万が一の交替に備えてラストワンに待機。
――という手はずになっていたはずなのだが。
「木ノ下がいなくて、貴様がいるだと?どういう風の吹き回しだ。木ノ下は何処へ姿を消した?」
ピリピリする剛助とは裏腹に、後藤は肩をすくめて茶化してくる。
「ご挨拶だな。俺だってラストワンの一員だぜ?大人しく待機しろって言われりゃ〜するしかねぇだろが」
それよりも、と辺りを見渡して付け足した。
「クリーだか何だかは、どうした?あいつも待機組の一人じゃねーのかよ」
「クルウェルか?奴なら一時的に家へ帰ってもらっている。臨時教官を巻き込むわけにはいかんと学長が判断した」
「へっ」と吐き出し、後藤は嫌な笑みを浮かべる。
「秘密を知った奴を野放しにしちゃって大丈夫なのかねぇ」
「クルウェルが報道にネタを売る、と?貴様じゃあるまいし、するものか」
剛助には否定されたが、彼ほどクルウェルを信用していない後藤には信じられなかった。
奴は乃木坂とは違う。数日いただけの、およそ部外者と言ってもいい。
学長のことだって、さほど信頼していまい。
しかも乃木坂が戻ってくれば、お役後免になると判っている。義理を立てる筋合いもないのである。
「奴の家を教えろよ。俺が監視しといてやる」
「そうやってサボる気か?許さんぞ」
「サボるも何も、俺んとこの候補生は見物気分で全員お留守だぜ?出番なんか、あると思うか」
じろっと後藤を睨みつけ、それでも剛助は紙の切れ端を差し出した。
何かの住所が書いてある。
「へっ、最初から素直に渡しゃ〜いいんだよ」
薄笑いで受け取って宿舎を出て行く後藤の背を剛助は憎々しげに睨みつけていたが、この件を報告すべく学長室へ踵を返した。


ヘルメットを被ってしまえば、誰が誰だか判らなくなる。
隊長は知っていても、周りの隊員は鉄男が部外者であるなど知らないはずだ。
伸縮式の警棒を腰に差し、手袋を嵌め、パラシュートを背負うと、鉄男は他の隊員同様、飛行船へ乗り込んで大人しく出発を待った。
エンジンがかかるまでの間、意外や隊員は多弁で、鉄男の横に腰掛けた二人も雑談をかわしている。
「あれな、TVで大々的に映ってた奴。あれってベイクトピア人らしいぜ」
「そうそう、民間人が浚われて洗脳されたってんだろ?怖いよなー」
「いつ、どこで来訪者に会うか判んねぇってことだ……俺らの身の回りにもいるのかもな、案外」
「怖い事言うなよ。けど洗脳された奴って、どうやって解除させるんだろうな?」
「そんなの、俺が知るかよ。学者や医者の範囲じゃねーの?」
不意に、腰へ揺さぶられるような振動が伝わってくる。
飛行船のエンジンがかかったのだ。
ふわりと上空へ舞い上がる感覚が全員を襲い、先ほどまで話していた隊員達も静まりかえる。
窓の外を眺めていると、やがて雲が真下に見えてくる。高度が上がってきた。
巨大戦艦へ近づくのはいいとして、もし砲撃を受けたら、この船はどうするのだろう?と鉄男は考える。
反撃するのか?だとしたら巨大戦艦に乗っているはずの乃木坂の安否は、どうなるのか。
乗り込む前の説明では、巨大戦艦のハッチを探して無理矢理にでも接近し、そこから忍び込む手はずであった。
大きく迂回して巨大戦艦から距離を置いた飛行を続けているのも、相手を油断させる為だという。
しかし――
飛行が初めての鉄男は、だんだん気分が悪くなってきた。
周りの連中は、平気な様子。
ヘルメットで表情までは見えないが、少なくとも吐きそうになっているのは鉄男ぐらいなものだ。
座席で前屈みになっていると、隣から伸びてきた手が鉄男の背中をさすってきた。
「……おい、大丈夫か?フライトは初めてかよ。しっかりしろ、あと二、三十分警戒したら突撃するから」
ひそひそと隣の奴が、声をひそめて鉄男を励ましてくる。
何故、吐きそうになっているのがバレたんだろう。
そう思ったが、返事をしようとすると吐き気が喉元まで迫り上がってくるので、鉄男は無言で頷いた。
「大丈夫だ。何度も経験してりゃ、そのうち慣れるから」
何度も大丈夫、大丈夫と言い聞かされる数を数えているうちに、飛行船の動きが変化を見せる。
これまで静かに飛んでいたのに、急激な加速がかかった。
「……ハッチを見つけたな」
誰かが囁く。
座席の背もたれに押しつけられる恰好で、鉄男は隣の奴が「いよいよ突撃だ。遅れるなよ!」と言うのを聞いた。
すさまじいスピードで高速飛行したかと思うと、やがて飛行船は空中で停止する。
合図があったわけでもないのに全員がシートベルトを外して立ち上がったので、鉄男も彼らに習って立ち上がる。
隊長が、こちら側のハッチを開けた途端、びゅおっと風が入ってくる。
吹き荒れる強風にもお構いなく、ザイルで巨大戦艦と自分達の飛行船を結びつけると、手早く足場を作ってしまう。
ここで初めて隊長が号令をかけた。
「いくぞ、全員突撃ッ!」
どやどやと隊員が向こうの船へ乗り込んでいく。
全員が乗り込むまで隊長はハッチ手前で待機しており、鉄男が乗り込む際には小声で耳打ちしてきた。
「君は、あまり前に出るな。戦闘は我々に任せてくれ」
まだ吐き気の収まらぬ鉄男がコクリと無言で頷くのを見てから、隊長も敵の戦艦へ乗り込んだ。
戦艦内部は通路で細かく仕切られており、通路を曲がれば、また通路。
まるで迷路のように入り組んでいた。
「こんなんで生活できるのかな……?」
誰かの独り言は、すぐさま隊長の「無駄口をきくなッ」で封じられ、無言の探索が続く。
外から見ても巨大だっただけはある。内部の広さに、鉄男の不安も増していく。
地の利は向こうにある。こうして迷子になっている間に、挟み撃ちにされやしないだろうか。
そればかりか飛行船を落とされたら、帰ることも出来なくなる。
床を通じて激しい爆音を下から感じて、鉄男はビクッと跳ね上がった。
何だ、今のは何が爆発した?
狼狽える鉄男の前で、隊員が小さく呟いた。
「外だ……」
外での戦闘が、始まったというのか。
ゼネトロイガーと戦っているのは、どんな奴だ。
窓があれば覗いてみたかったが、窓なんてものは、どこにもなく。
皆が突き進んでいくので、遅れまいと後を追った。

巨大戦艦と皆が呼ぶ物の一番端には、広い窓があった。
正確には窓ではない。
大きく広げた口だ。内側には牙が、びっしりと生え揃っている。
口の向こうには青空が広がる、この場所で、物憂げに考えて込んでいた銀髪の少年が顔をあげる。
「異物が入り込んだようだ」
「異物?」
と応えたのは、側で佇んでいた女だ。
「そう、異物だ。ベベジェが戦っている間に、侵入者が紛れ込んできたらしい」
「馬鹿な連中。アベンエニュラを乗り物か何かだと思っているのかしら」

少年はクスリと笑い、立ち上がる。
「全部消化してやってもいいんだがね、一つ変わった存在が混ざっている」
「変わった存在?」
「そう。この世界に生きる者とは違うシグナルを発している。もしかしたら、あいつかもしれない」
「あいつが?まさか、あいつが戻ってくるわけないわ。だって、あいつは」

壁から突き出た信管を通して、男の声が二人の会話を遮った。
「やつらの機体が、おかしな信号を発している。どう出る?受け止めるのか、潰すのか」
「おかしな信号……」

小さく呟く少年の横で、女がハッと思い当たる。
「それってレッセが受けた攻撃じゃ」
「かもしれないな。あれは厄介だ、発動前に潰すんだ」

少年の命令に、信管からは男の低い「判った」という返事が聞こえた。
「有人機はいいとして、こっちはどうするの?生け捕りは面倒だわ、餌の調達も」
「少しは自分で考えろ、ロゼ。あいつが戻ってきたのなら好都合じゃないか」

少年はニヤリと笑い、女――ロゼを見た。
「あいつの力で、異物を消し去ればいい。後片付けも簡単だ」
「大人しく、私達の言うことを聞くタマだったかしら」

口を尖らせ反論する彼女には、再度言い含める。
「その時には、ノキサカを差し向ければいいさ。あいつに彼は殺せないだろうからね」

ゼネトロイガーと来訪者の一騎討ちが始まる寸前、鉄男を乗せてきた飛行船は巨大戦艦の元を離れていた。
撃ち落とされるまで空中停止させるほど、軍も愚かではない。
いつでも離脱できるよう船内にはパイロットが一人残っており、突入後は射程外の空域に留まれと命じられている。
そして軍の飛行船が去った後、間髪入れずに報道の飛行船が接近してくると、機動隊と同様の手段を使ってハッチとハッチを足場でつなぎ合わせ、内部へと侵入していった。
「こいつぁ、すげぇ」
報道スタッフの一人が天井を見上げて、興奮気味に呟く。
船内は壁という壁がドクドクと脈打っている。
血管のように細かいラインが、幾筋も赤い壁の上を這っているのだ。
「凝っているな。SF映画も顔負けだ」
別のスタッフの囁きを耳にしながら、昴は油断なく周辺を見渡した。
侵入してすぐ誰かが駆けつけてくるかと予想していたのに、船内は静かなものだ。
壁が脈打つ音ぐらいしか聞こえてこない。
「なんか、ぶよぶよしてる……」
そっと壁に触れるメイラを、ヴェネッサが窘めた。
「おやめなさい、迂闊に触るものではないわ」
「う、うん……判ってる。でも……」
恐る恐るといった調子で、メイラが四方を見渡す。
ぶよぶよなのは壁だけじゃない。床もだ。
まるで、この船全体が生き物みたいだ……
柔らかい床の上では足音も響かない。
好都合であると同時に不利でもある、と昴は考えた。
「空からの来訪者って、どんな姿をしているんだろうな」
緊張をほぐしたいのか、スタッフ同士で雑談している。
「俺達が初の目撃者になるのか。カメラ、壊さないようにしなきゃ」
カメラも大事だが、もっと大事なのは救出後の退路だ。
パイロット一人だけ残して大丈夫だろうか。
飛行船はハッチとハッチを繋げたまま、残れと言ってある。
しかし民間の船だ、銃器は詰んでいない。
もしもの時は、先に突入した軍に助けを乞うしかない。それも運良く出会えれば、だが。


進めど進めど、通路には終わりが見えない。
隊長は迷わず突き進んでいくけれど、もしかしたら彼も迷っているのではないか。
そんな想いを鉄男が巡らせていると、一、二度、どしんと大きな揺れが一行を襲う。
「なんだ!?」
周囲を見渡してもドクドクと気味悪く脈打つ壁床ばかりで、変わったところはない。
いや、微かな水音を鉄男の耳が聞き取った。
音は前方から押し寄せてくる。
「水だッ!?」
他の隊員も気がついたか、誰かが叫ぶとほぼ同時に水が、どっと彼らを包み込む。
思った通り、液体だ。
透明度が高く、しかし、やけに生ぬるい。
指で摘むと、ぬめりがあった。水の高さは腰ほどまでで、歩ける深さだ。
「水責めたぁチープな真似をしてきますね、奴らも」
ざぶざぶかき分けて進むうちに、彼らは微かに異変を察する。
身につけている衣服が、ぬめぬめしているような気がするのである。
ぬめぬめした水に浸かっているからだ。誰もが、そう思った。
このまま水に浸かっていたら全身がぬめぬめしてきそうで、鉄男は寒気がした。
そっと手で腕を拭うと、どろりとした感触を手袋が感じ取る。
液体の、ぬめりが増したのか?そう思って掌を開いた鉄男は驚愕した。
ごっそりとへばりついていたのは、衣類の繊維。
腕の布が溶けて、手袋に張りついていた。
「この水、水じゃねぇッ!?」
他の隊員達も騒ぎ出す。
「やべぇ、隊長!これ、消化液なんじゃぁ」
ずっと浸かっていたら、溶けるのは衣類だけでは済まなくなる。
「まずい!全員壁に掴まれ!!」
隊長の号令に、一旦立ち止まった全員が壁を見る。
ぶよぶよした壁には掴まる為の取っかかりがなく、細いパイプが幾筋も浮き上がっているだけだ。
「つ、掴まれったって……!」
躊躇する隊員を横目に、鉄男は壁に掴みかかる。
ガッと爪を立てる勢いで掌いっぱいに壁の肉を握りしめたら、船全体が大きく横揺れした。
『グギェェェアァアエエエエィィィ!!!』
この世の者とも思えない、叫び声をあげて。
「な、な、なんだ、今の声はっ」
驚く隊長へ振り向いて、鉄男は叫んだ。
「早く!壁に掴まって下さいッ。このままでは全員骨になってしまいます!!」
こうやって爪を立てれば掴まれない事もない。酷い揺れで振り落とされたりしない限りは。
表面を撫でた時は、ぶよぶよしていたくせに、しっかり掴んでみると意外や壁の肉は硬い。
死ぬのは、手が疲れて自ら落ちるか揺れで落とされるかの二択だ。
鉄男に習って、全員が壁に掴みかかる。
異様な叫びと横揺れの中、必死の形相で水の届かぬ場所まで登り詰めた。
「い、いつまでこうしてりゃあ、いいんだよォッ!」
誰かが金切り声をあげ、隊長に叱咤される。
「落ち着け!いいから、水が引くまで耐えるんだッ」
今まで流れていなかったことを考えると、いつかは水も止まるはず。
この水は、きっと一定周期で流れてくるものであろう。
となると、いつまでも通路をウロウロしているのは危険だ。
だが、この船には部屋らしきものが、これまでの進路で一つも見つかっていない。
連中は、これを生活場所にはしていないのか?
そもそも、これは船なのか?
ごうごうと音を立てて流れていた水が、やがて水位を下げていき、すっかり引いたところで全員床に降り立った。
どの隊員も衣服がボロボロだ。あちこち溶けて、素肌が見え隠れしている。
「うわ、くそっ」と言って、一人が股間を押える。
股間の部分だけ、綺麗にぺろりと溶け落ちてしまったものらしい。
それでいてヘルメットだけは無事なのだから、おかしな恰好だ。
「着替えを取りに戻る暇はないぞ。我々には急がねばならぬ任務がある」
隊長が先を促し、己の恰好を確認していた隊員達も頷いた。
「俺達を溶かして片付ける気だったってのか」
ぶつぶつ文句を呟く隊員の右手を指さして、別の誰かが「あっ!」と叫ぶ。
何事かと全員が見てみれば、それまでなかったはずの穴が、ぽっかりと口を開けていた。
「な、なんだ……罠、か……?」
罠にしろ、中に入ったほうがマシかもしれない。
先ほどの消化液が、いつまた流れてくるやもしれないのだし。
鉄男以外も、そう思ったのだろう。隊長が足を踏み入れるのに、全員続いた。
穴の向こうは小さな部屋になっていた。
通路の肉色をした壁とは異なり、綺麗な壁紙が一面に貼りつけてある。
なにより目をひくのは、中央の大きなビーカーだ。
中には水色に着色された水で満たされている。
「実験室、か……?」
全員が部屋に入り終えた途端、最後尾の隊員が「わぁっ!」と叫んで前方に押し出される。
穴が閉じた勢いで、突き飛ばされたらしい。
「今度は幽閉かい。俺達を弄んで楽しんでやがる」
油断なく警棒を構えて隊員達が緊迫感を漲らせていると、壁の一部が切り取られでもしたかのように四角く開かれた。
「フフッ、そういきり立つな。地上の民よ」
姿を現した男を見た瞬間、鉄男は叫びそうになり、慌てて声を飲み込んだ。
乃木坂だ。TVの中継で見た時と同様、黒いマントと黒いスーツを身につけた。
「おい、貴様」と隊長が話しかける。
「貴様以外にも囚われの民衆がいたはずだ。どこにいる?知らされていないか」
「それは各国の要人というやつかな?ただで教えてやることはできん。しかし……」
「しかし?」
一拍置いて、ニヤリと乃木坂は口の端を歪めた。
「お前達の中にいる、あいつを差し出したら教えてやらんでもない」
「あいつ、だと!?誰のことだ!」
「あいつだよ、そう、あいつだ。お前の背後にいる、一人だけ異質のオーラを放った」
乃木坂の指さす方向を見て、全員が首を傾げる。
隊長と本人――鉄男を除いた全員が。
「こ、こいつを渡すわけには、いかんッ」
鉄男を背中で庇い、隊長が怒鳴る。
ひそひそと囁きあう隊員の声が、鉄男の耳に届いた。
「なぁ、異質のオーラって何だよ?」
「さぁな」
きっと、シークエンスの事を言っているのだと鉄男は見当をつけた。
空からの来訪者は、やはりシークエンスを探していたのだ。
ここで自分が犠牲になれば、要人や乃木坂は助かるだろうか。
だが、奴らが約束を守るかは確実ではない。
「判断を誤るなよ。君は、彼を助けに来たんだ」
鉄男が動く前に隊長が制してくる。
フンと鼻で笑い、乃木坂が言った。
「渡せない、と。それでは、こちらも要人を帰すわけにいかんな」
「何故、彼を狙う?」とも隊長は尋ねたのだが、乃木坂は質問を無視し、手を挙げる。
「質問に答える義務はない。さぁ、お前達!奴らを一人残らず捕獲しろ!」
一斉に「ギーッ!」という叫び声が室内に轟いたかと思うと、壁から、床から、あらゆる場所から、中継で見た例の黒タイツ部下が顔を出し、次々と襲いかかってくる。
完全に不意を突かれた奇襲だが、こちらとて軍人。棒立ちでやられるほどには弱くない。
「う、うわあぁぁっ!」
精一杯警棒で殴りつけたら、警棒はボキリと根本から折れた。
「畜生ッ、溶けてやがった!!」
悪態をついて警棒を投げ捨てると、素手での肉弾戦に切り替える。
どの隊員も必死になって、黒タイツと殴り合っている。鉄男も然りだ。
打ち払っても殴り倒しても、すぐまた起き上がって掴みかかってくる割に、黒タイツは思っていたより非力であった。
ただ、数が多すぎる。こちらの体力も無尽蔵ではない。
終いには壁際に追い詰められ、全員が後ろ手に縄で縛り上げられる。
こうなってしまっては手も足も出ない。
悔しげに睨みつけてくる軍人を見下ろして、乃木坂が命じた。
「こいつだけ残せ。他の奴らは、そうだな。あちらへ監禁しておけ」
黒タイツ軍団は口々に「ギー!」と敬礼してから、突撃隊の面々を無理矢理引っ張っていき、部屋には乃木坂と鉄男だけが残される。
「さて……久しぶりだな、シークエンス。いや、今は辻鉄男と呼んだ方がいいのか?」
フルネームで呼ばれた時は驚いたが、今の乃木坂は鉄男が見ても正気とは言い難い。
洗脳されているとでも言った方が正しいか。
目つきが尋常ではない。瞳がギラギラと赤く光っていた。
「……何故、俺が混ざっていると判った」
「すぐに判ったさ。お前の気配は独特だからな、シークエンス」
「俺は、シークエンスではない」
「知っている。お前は辻鉄男だろ?シークエンスを表に出せ。お前じゃなく、あいつと話がしたいんだ」
「それは……」
出せと言われても、鉄男には、そのやり方が判らない。
あいつが出たのは一回きりだ。あれ以来、一度も表に出てきていない。
よほど、木ノ下にフラれたのがショックだったのか……
――失礼ね!ふられてなんか、いないんだから!!
不意に脳の奥で甲高い女の声が聞こえたような錯覚に囚われ、鉄男は自分の両耳を塞ぐ。
――進はテレてるだけ!いつか、あたしの魅力でクラクラにするんだから余計な考え起こさないでよねッ。
まただ。はっきり脳内で声が聞こえる。
あいつの、シークエンスの声が。
鉄男は見えぬ相手へ、心の内で呼びかけた。お前は、どうやれば表に出てこられる?
すると、声が応えた。
――今すぐにだって、出てきてやるわよ!だから鉄男、あんたは即刻気絶しなさい!
「えっ?」と一人たじろぐ鉄男を、黙って見ていた乃木坂が小さく呟いた。
「辻鉄男、お前じゃシークエンスをコントロールできねぇのか……なら俺の手で引きずり出してやるよ」
シークエンスと会話していた為、鉄男は反応が遅れた。
気がついた時には懐に飛び込まれており。
「がはッ!」
土手っ腹に鋭い痛みを感じたかと思うと、鉄男の意識は暗く沈んでいった――


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