合体戦隊ゼネトロイガー


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act3 好きとか、嫌いとか

授業が終わり廊下を歩きながら、木ノ下は、こみ上げるスケベ笑いを押し隠すので必死であった。
思い出し笑いの原因は、昨日の会話である。


「恋愛感情の基本ン〜?」と素っ頓狂な声を張り上げる木ノ下の前で、鉄男が赤くなって俯く。
「あ、悪ィ、大声出しちまって。でも、そんなもん他人に教えを請うこっちゃないだろ?」
木ノ下の言い分はもっともで、鉄男は、ますます気まずく俯いてしまう。
そんな彼の態度に木ノ下も困惑を隠せずにいたが、やがて何かを思いついて尋ねた。
「お前って、見かけ以上に硬派だよな。剛助さんだって初恋経験があるってのに」
「い、石倉さんが!?」
途端にガバッと顔をあげ食いついてくる鉄男の勢いに、やや押し負けながら、木ノ下は、あっさり頷く。
「あぁ。酔っ払ったついでにゲロッてたぜ?あ、去年の忘年会で学生時代の話になって」
信じられない。
石倉剛助は自分以上の硬派だと思っていた鉄男にしてみれば、寝耳に水だ。
「ど……どんな、初恋だったと……?」
「どんなっつわれてもな〜。テニス部の、あ、剛助さん学生時代は空手部主将やってたんだけど、お隣のコートで輝くテニス部のエース嬢が好きで、いつも練習中に彼女の姿を見るだけで満足してたんだってさ。姿見るだけで満足しちゃうってトコが、いかにも、あの人らしいよな」
「で、では……その」
言葉に詰まりながら、ちらりと鉄男が木ノ下を盗み見た。
「石倉さんが……ど、童貞を捨てたのはッ、学生時代ではなかったのか?」
童貞と言葉にしただけで、顔が赤んでしまう。
だが死ぬ思いで吐き出した質問だというのに、木ノ下はてんで気楽な調子で聞き返してきた。
「なんだ、ずいぶん剛助さんの事が気になっているみたいだけど、どうしたんだ?」
ますます頬を赤く染めながら、鉄男が怒鳴り返す。
「そ、そうではないッ。ただ、俺は……あの人が本当に恋や愛を理解していたのか知りたいだけだ!」
「そりゃあ」と顎に手を当て、判ったような顔で木ノ下は頷いた。
「理解していただろ、女の姿に想いを寄せるぐらいだし」
その答えは、ますます鉄男の心に衝撃を与え、ずどーんと暗く落ち込む彼に木ノ下が気休めを言う。
「大丈夫だって!お前にだって、そのうち心を奪われるほど素敵な人が現れるはずだから」
「俺には……」
ポンポンと気安く肩を叩かれながら、鉄男はうち拉がれる。
「誰かを素敵だと思える感性がない」
「そんなの、ないとは言い切れないだろ」と木ノ下も食い下がり、歯を見せて微笑んだ。
「鉄男、お前はさ、今まで自分の殻に籠もってばかりで周りを見ようとしなかったんじゃないか?ちょっと、ほんのちょっとだけでいいんだ。一歩前に出て、周りを見渡す余裕を身につけてみろよ」
どんなに励まされても、鉄男の気は重くなるばかりだ。
誰かを尊敬したり好きになったり憧れたりしたことは、生まれて一度もない。
父親は最低なアルコール中毒者であったし、母親は、いつも父の暴力に怯えて震えるだけの存在だった。
学校の連中は生真面目で堅苦しい鉄男を嫌い、鉄男もまた、軽薄な同級生達を見下した。
どいつもこいつも、考えが幼稚すぎる。
世の中には、くだらない人間しかいないのか。そう絶望してもいた。ニケアに住んでいた頃は。
「別にさ、堅苦しく考える必要ないって。たださ、ほんのちょっと好意を持つだけでもいいんだ。そうだな、好意っていうから堅苦しくなっちまうのかもしれねぇ。どうだ?ベイクトピアにきて、この人は信用してもよさそうだって思った相手なんてのは、いないのか?」
木ノ下に尋ねられ、動悸の速くなる胸元を手で押さえながら、鉄男は小さく答えた。
「……いる。俺の、目の前に」
聞こえなかったのか「え?」と尋ね返す相手の目を真っ向から見据え、もう一度真顔で鉄男が繰り返す。
「お前だ、木ノ下。俺はお前を信頼してもいいと思っている」
「そっ……それはッ」
一瞬言葉に詰まり、木ノ下の頬に朱が指したように思えたのは、鉄男の願望が見せた幻だったのだろうか。
否、木ノ下の返事は確かにワンテンポ遅れた。
一拍おいて、「へへっ」と照れ隠しに笑った後。彼も鉄男を真っ向から見つめ、大きく頷く。
「ありがとな。俺達、きっと、もっともっと仲良くなれると思うぜ。改めて宜しくな、鉄男!」
鉄男もコクリと素直に頷き、深々と頭を下げた。
「こちらこそ、宜しく頼む」


……なんてことを思い出しては、ニヤニヤ助平笑いを浮かべていた木ノ下である。
鉄男に信頼されている。それも恐らくは、人生初の相手として。
言われた瞬間、学校中を叫びながら走り回りたくなるほどの喜びが木ノ下の心を襲った。
ワンテンポ遅れた返事の前の、それは、の後に続く言葉を飲み込んだのは精一杯の自制心であった。
それは、恋なのか?それとも友情なのか。
聞かなくたって判っている。鉄男の感性で考えるならば、当然後者だ。
聞けば、きっと彼を困らせていた。
「あ、そういや」
結局、恋愛感情の基本とやらを、鉄男に伝授するのを忘れてしまった。
けどまぁ、彼なら自然に会得するんじゃないかという期待が、木ノ下にはある。
何しろ木ノ下を信頼すると、真っ向から告白できたのだ。
恥ずかしがり屋で、まともに相手の目を見て話もできなかったはずの、あの男が。
そのうち好きな人が出来たら、さっきのように生真面目な顔で臆面もなく告白するのであろう。
「鉄男が好きになる人、か……どんなのがタイプなんだろうな、あいつ」
それも俺だったら、いいのに。
――ふと浮かんだ考えを、頭をふって四散させると、己の考えた、あまりに都合の良い妄想から逃げるかのように、木ノ下は早足で歩き出した。


「あの、待って下さい!」
授業が終わり、廊下に出た鉄男を一人の少女が追ってくる。
「何だ、釘原」
「あっ、え、えっと、あの、教官は今日これから忙しいですか?」
全ての授業が終わった今、特にすることもない。
せいぜい、この後は夕飯を食べて風呂に入って、寝る前に明日の授業内容をチェックする程度か。
「急ぎの用はないが、それがどうした」
無愛想に聞き返す鉄男へ、亜由美が答える。
「あ、あの……教官に聞きたいことがあるんです」
「今日の課題に関する話なら却下だ。宿題は自力でやることに意味がある」
モジモジする少女相手にも、鉄男の返事はすげない。慌てて亜由美がつけたした。
「いえ、そうじゃなくて少しだけ、お話しする時間が欲しいんです。あの、駄目だっていうなら、無理にとは言いませんけど……」
普段と同じようでいて何処か様子のおかしい彼女に気づいたか、鉄男はしばし考え込む素振りを見せた後に頷く。
「……判った。何時に、どこで話す?」
「夕食後に中庭でっていうのは、駄目でしょうか?」
上目遣いに不安気な亜由美を安心させるべく、ここで鉄男が微笑みでもすればよいのだが、やはり仏頂面のままで鉄男は厳粛に応えた。
「いや、いい。判った、夕飯後に会おう。遅れるなよ」
「は、はいっ!」と元気の良い返事を背に出ていく鉄男を目で見送り、マリアが亜由美へ尋ねる。
「何話していたの?鉄男と」
「あ、ちょっとね」と何故かマリアへの返事は濁し、亜由美はカチュアへ視線を移す。
いつも俯いてばかりの、この少女は、今は自分の方をじっと見つめていた。
マリア同様、亜由美が鉄男と何を話していたのか、よほど気になっていたと見える。
亜由美はコホンと一つ咳払いすると、カチュアの前にしゃがみこんで話しかけた。
「えっと、カチュアちゃん。この授業が終わったら辻教官の処へ行こうって言ったけど、あれ、ちょっと延期しようか」
「え〜?行かないのっ」と不満げに声を荒げたのはマリアだけで、カチュアは無言で俯いてしまう。
俯いたカチュアの顔を下から覗き込むようにして、亜由美が微笑む。
「うん、その前に確認しておきたいことがあるから……明日。明日、行こう」
じっと見つめられ、逃げ場のなくなったカチュアも観念したのか「……うん……」と小さく頷いた。
納得がいかないのはマリアで「どうしてやめたの?確認って何?」と、しつこく食い下がってきたのだが、「あとで全部説明するから、ちょっとだけ待ってもらえるかな?」と、やはり亜由美は、はっきり答えず、やんわり質問を打ち切らせた。

カチュアと鉄男を引き合わせる前に、どうしても亜由美が確認しておきたかったこと――
それは、カチュアに対する辻教官の気持ちであった。
マリアとは一応和解した。
しかし未だ見えない壁は健在で、マリアの冗談に鉄男が笑うことなど一切ない。
自分とは、だいぶ会話が弾むようになってきた。
弾むといっても、他の子達と比べたら……の話だが。
その一方で、カチュアとは一向に関係が進歩していないように見える。
カチュアが鉄男に興味を持っているのは、ノートの落書きなどからも垣間伺えた。
しかし、鉄男はどうだろう。彼はカチュアを、どう思っているのか。
もっと深く突っ込むなら、カチュアをきちんと自分の担当生徒として認識しているのか。
叱られる回数は相変わらずマリアがダントツだし、会話をふられる回数は亜由美がナンバーワンだ。
どうも、カチュアの存在は鉄男にとって気薄に感じられる。授業中も、授業後も。
もし歩み寄りたいとカチュアが思っていても、鉄男に意識されていないんじゃ意味がない。
それを確認するための、約束だった。
どこか落ち着かない様子で夕飯を食べ終えた亜由美は、急いで中庭へ向かう。
人影が動き、光の輪が自分を照らす。
「釘原か」
懐中電灯を向けてきたのは、鉄男だった。
呼び出した相手よりも先に来ているとは、さすがは教官だ。
「あ、あの、待たせてしまいましたか?」
「待っていない。それより早く用件を言え」
一番会話の多い自分が相手でも、鉄男は愛想や社交辞令など一切ぬきで話す。
亜由美でさえ、これなんだから、普段会話の一つも成立していないカチュアを、いきなりぶつけるのは危険すぎる。
どうにか彼の態度を柔らかく出来ないものかと考えながら、亜由美は本題を切り出した。
「辻教官は……この学校、だいぶ慣れてきましたか?」
「何故、そんな事を聞く?」
「え、あっ、その」
質問に質問で切り替えされ、亜由美は一瞬とまどったものの。パッと脳裏に閃いた言葉をクチにする。
「だ、だって教官の授業って、いつも一方的だから」
言って、すぐに亜由美は後悔する。しまった、言葉の選択を間違えてしまったか。
見る見るうちに鉄男の表情は硬くなり、暗い目で足下を見ながら彼は言った。
「一方的だと感じるほど面白くないのか、俺の授業は」
「い、いえ!面白いです!面白いんですけど、ただ、会話が、その〜少ないんじゃないかなって思いまして!」
「会話が……?」
怪訝な表情を向けられ、亜由美は必死で取り繕った。
「そっ、そうです、会話です!質問されるのって、いつも私ばかりじゃないですか」
「不服か」
ますます暗く落ち込む教官を前に、亜由美は声を大に言い返す。
「いえ!そーじゃなくて、あの、たまにはマリアちゃんやカチュアちゃんにも質問してあげて下さい!二人とも、答えたいと思っています、よ……?」
あまりにも必死になりすぎたか、亜由美の額を汗が流れ落ちる。
声を張り上げる一方では、私、なんでこんなに必死なんだろう?と冷静に考えてもいた。
決まっている、カチュアの為だ。延いては辻教官の為でもある。
カチュアと鉄男が仲良くなれば、クラスの空気が変わってくる。
頑固に意地を張りあっているマリアとも打ち解けてくれれば、きっと、もっと楽しい授業になる。
亜由美は堅苦しい授業も嫌いではなかったが、カチュアとマリアは――特にマリアは明らかに不満そうであった。
そして授業が堅苦しい原因を作っているのは、言うまでもなく鉄男自身だ。
「言われずとも、している。しかし二人がまともに答えたことなど一度でもあったか?」
仏頂面で答えられ、思わず亜由美も言葉に詰まる。
教える側にしてみれば、きちんと答えてくれる亜由美に振りたいだろう。
「う、う〜ん……でも先生が依怙贔屓は、良くないと思います」
依怙贔屓されている生徒当人が言っていれば世話はない。
「贔屓されるのは嫌か」と鉄男に聞かれ、亜由美はエッとなって彼をマジマジ見つめる。
依怙贔屓している意識が鉄男にあったとは、意外だった。
「嫌、ではないんですけど……でも、やっぱり一人だけ贔屓するのは、良くないんじゃないですか?」
今度の質問の答えには少し間が開いた。
鉄男の口元が僅かに歪み、小さく呟く。
「いかにも、お前らしい意見だな。釘原」
「えっ?あ、あの……」
鉄男の手が伸びてきて、反射的に亜由美は身をすくませる。
殴られると思ったのだ。
だから、頭を撫でられたのだと気づくまでには数秒を要した。
「あ……」
乃木坂教官や木ノ下教官ならともかく、始終仏頂面で愛想皆無の辻教官が生徒の頭を撫でるなど。
思わぬ事態にポカンと佇む亜由美を真っ向から見据えると、彼は言った。
「判った。明日の授業ではカチュアやマリアとも積極的に話すようにする。それでいいか?」
「は、はい……」
懐中電灯の輪が次第に遠ざかり、やがて辻教官が完全に中庭から消えた後も、頬を染め、一人ぽつんと佇む亜由美の姿があった。


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