合体戦隊ゼネトロイガー


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act2 人を好きになる、ということ

授業開始のチャイムが鳴る前からマリアも亜由美も、そしてカチュアでさえも心なしか落ち着かない。
どの顔も、そわそわしていた。これから始まる授業のせいだ。
「新しい事を教えるって、前回言っていたよね。何やるつもりなのかなぁ?鉄男」
性教育の授業は今日が始めてではない。
だが、これまでの授業内容を振り返っても、本日の辻教官が何を教えるつもりなのか三人には見当がつかなかった。
これまでの授業は、全て教科書に載っている知識を読み上げただけだ。
義務教育を既に終えているマリアと亜由美には、非常に退屈な時間であった。
「や、やっぱり……次のステップに入るんじゃない?」とマリアへ答える亜由美は、どことなく声が上擦っている。
「次のステップって?」
「ほ、ほら、だから……あ、アレのやり方とか」
「やだぁ、亜由美のエッチ!」なんて二人して盛り上がっていると、教室のドアが開いて鉄男が入ってきた。
「いつまでも騒いでいないで着席しろ」
仏頂面で亜由美とマリアの双方を睨みつけ教壇に立つと、鉄男は、ちらっと横目でカチュアを盗み見る。
二人がキャッキャと騒いでいる間も、彼女はずっと無言だった。
興味がないのか?
いや、そうではない。
開かれたノートの中身を見てみれば、カチュアとて性に興味津々なのは一目瞭然だ。
ノートの端には、ちょこちょこと落書きがしてあった。多分、彼女が描いた絵だろう。
黒く塗られた髪の男と幼い少女が向かい合って、今にもキスしようとしている。
尚も覗き込んで、よく見ようとしたのだが、見られていると気づいたカチュアが両手で隠してしまい、鉄男も授業を始めることにした。
「本日は教科書から少し離れた授業をやる」
「教科書に載っていない授業?何それ、面白そう!」
嬉しそうにパチンと指を鳴らすマリアを軽く睨んでから、鉄男は亜由美に話をふる。
「釘原。人は、どのような感情の時、性行為に及びたいと考えると思うか?」
「えっ?あ、はいっ!」
いきなりの指名には慌てたものの、少し考え亜由美が答える。
「えっと……相手を好きな時、でしょうか」
「それは当然だ。そうではなく、実際の性行為へ及ぶまでの感情を尋ねている」
あっさり鉄男には一蹴され、今度は深く首をひねってから、亜由美は答え直した。
「えっと、一緒にいて欲しいとか……身近に相手を感じたいなって思った時、かなぁ」
「なるほど」と、鉄仮面を崩さず鉄男が頷く。
「釘原、お前は案外寂しがり屋だな」
「えっ!?え、えっと今のは一般的な意見を言ってみたってだけで、別に、私がそういう気持ちになるわけじゃあ」
たちまち見る間にボッと赤くなり、しどろもどろに亜由美は一応弁解したのだが、鉄男の意識は既にマリアへ移っており、同じ質問を彼女にも繰り返していた。
「そうねぇ……気持ちよくなりたいーって思った時じゃないの?」
全く考える素振りを見せずに即答するマリアへ、鉄男が深くツッコミを入れる。
「気持ちよくとは肉感か?それとも精神的なものか」
「そ、それはっ、その、その時によりけりよ!」
突っ込まれるとは思っていなかったのか、どもってマリアも言い返す。
頬が赤らんでいるのは、誰の目にも気のせいではない。
「……ではカチュア、お前にも質問する」
「ちょっと!あたしの分の感想はナシッ!?」
背後でギャーギャー文句を言うマリアなど、最早そっちのけで鉄男は尋ねた。
先ほどから、じっと俯いて一言も発さない少女に。
「…………わかり、ません」
ぽそっと答えるカチュアを見下ろし「もう少し考えてみろ」と鉄男は促したのだが、彼女の返答は変わらない。
そっと顔をあげると、蚊の鳴くような小声でカチュアは囁いた。
「わたし……わからない、から……そういうの」
「判らないとは、何が判らないんだ?」
鉄男は彼女の側に腰を下ろして、目線を等しくする。
目があった途端カチュアは再び俯いてしまったが、それでも、ぽつりぽつりと答えてくれた。
「人を……好きになる、気持ち」
「それって要するに、恋愛したことがないって意味?」
横からマリアが口を挟み、カチュアはコクンと頷くと、今にも泣き出しそうな眼を鉄男に向けて囁いた。
「人を、好きになるって……どんな気持ち……?教官は、誰かを……好きになったこと、ある?」

カチュアの逆質問に対する鉄男の答えは実に簡潔で、「各自、恋愛に関する理論をまとめておけ」との事であった。
「あれって絶対逃げたよね〜。ったく、教える側の先生が逃げるって、どういうコト?」
終了チャイムと同時に教官が慌ただしく出ていったばかりの扉をジト目で睨んでぼやくマリアに、亜由美も苦笑する。
「そうだね。ね、マリアちゃんは、どう思う?」
「どう思うって、何が?」
「辻教官に、これまでに恋人とかっていたのかなぁ?って」
「まっさかぁ〜」と即座にマリアは否定して、手をパタパタ振ってみせた。
「あの性格だよ?いるわけないじゃん!」
まぁ、亜由美とて辻教官に恋人がいたなんてのは、本気で言ったわけじゃない。
友達だって、いなさそうに見えたのだ。
恋人なんて夢また夢、いたとは到底思えない。
大体、女性に気配りの出来る性格なら、初対面の女の子を『貴様』なんて呼んだりしないはずだ。
教官を困らせた当の本人、カチュアはノートに落書きをしている。
そっと亜由美が覗き込んでみれば、黒髪の男性がシャープな線で描かれていた。
口をむっつりへの字に曲げて、意志の強そうな瞳を向けている。
「これ、辻教官?」
ハッとなって隠すカチュアの緊張を解こうと、亜由美は微笑んだ。
「すごく特徴を掴んでいるよ。カチュアちゃんって、絵が上手いんだね」
けして、お世辞ではない。
カチュアの絵は、本当によく鉄男の特徴を掴んでいる。
仏頂面は彼が一番よく見せる表情だし、男らしい眉毛、固そうな毛髪といい、実にそっくりだ。
授業中は、いつも俯いている印象のある彼女だが、亜由美の知らないタイミングで鉄男を観察していたようだ。
――その言葉は、ぽろっと亜由美の口から出た。
「カチュアちゃん、たぶん、もう判っているんだと思うよ」
何が?と顔を向けるカチュアとマリアの双方へ微笑み、亜由美は言った。
「人を好きになるっていう気持ちが」
「えーっ、そうなの?」
マリアには大袈裟に驚かれ、カチュアも驚いた目を亜由美へ向ける。
「で、でも、わたし……」
判らない。亜由美が何を指して、そう思ったのかが。
先ほど描いた絵を見られたようだが、そこから発展した結論だとしたら、早計だと言わざるを得ない。
辻教官の事なら、確かに気になっている。
初対面では何と恐ろしい鬼教官が来てしまったのだろうかと、恐怖で身をすくめたのも事実である。
それが一転したのは、試作機の動作テストをやるという話が持ち上がった時だった。
亜由美が一番手を名乗り出たと聞いた瞬間、カチュアは訳のわからない感情に支配された。
咄嗟に浮かんだのは、鉄男を取られたくないという強い独占欲だった。
何故そう思ったのかは、自分でも判らない。あれだけ恐れていた相手なのに。
ほんの一瞬だが亜由美に殺意まで抱いてしまい、自分でも愕然とした。
信じられなかった。
亜由美に対して「消えろ」と願ってしまった、自分自身の黒い感情が。
彼女は初対面からカチュアに優しくしてくれたクラスメイトだ。マリアと自分とを繋ぐ掛け橋役でもある。
亜由美への申し訳なさと自己嫌悪で、カチュアの心は深い悲しみに満たされる。
気がつけば、ラストワンを飛び出していた。
だから戻ってきた時、どんな叱咤でも受ける覚悟をしていたのだが思いの外、鉄男の態度は優しくて。
絶対横っ面をはり倒されると思っていただけに、驚いた。
抱きしめられた暖かさに、生まれて初めての安堵を感じもした。
母は、けしてカチュアを抱きしめたりしない人だったから。
だが――だからといって、彼を好きかと聞かれると、そうだと断言できる自信がない。
やはり、まだ怖いのだ。
マリアと和解した後も鉄男は相変わらず仏頂面で、ジョークの一つも飛ばさない。
マリアの軽口は完全無視し、マイペースに重苦しい授業を続けた。
亜由美が相手なら多少会話が長く続くものの、カチュアが相手だと鉄男の口数も自然と少なくなる。
彼と何を話したらいいのか、判らない。
鉄男と会話らしい会話を成り立たせられる、亜由美が羨ましく思えた。
「わたし……まだ、判っていないと思う」
暗い瞳のカチュアを覗き込み、不意に亜由美が話題を変えた。
「じゃあ、こうしよ?カチュアちゃん。今から他の教官に話を聞いてこようよ」
「えっ?」となったのはマリアも一緒で、カチュアと一緒に戸惑いの視線を亜由美へ向ける。
「宿題の助言をもらうついでに、自分の気持ちを確かめてみるの。まずは乃木坂教官から、ね」
二人の視線を真っ向から受け止めて、亜由美はニッコリ微笑んだ。

授業と授業の合間の休み時間は、たったの五分しかない。
その短い休息を辻組の三人に邪魔されて、しかし乃木坂は表面上は笑顔で迎え入れた。
「よぉ〜、どうした?カシマシ娘。遊びにきたんなら、俺んとこじゃなくて辻んとこに突撃したらどうだ」
「あ、駄目なんです」
即座に亜由美が否定して、キョロキョロと教官室を見渡す。
鉄男は今、不在のようだ。
「駄目って何がだよ?」と不審がる乃木坂には、マリアが簡単に説明した。
「あたし達、鉄男に宿題を出されちゃったの。でもね、その宿題って何か意味不明で判りづらくってさぁ」
「宿題?」
乃木坂は腕を組んで首を傾げる。
「お前ら、さっきの時間は性教育だったんだろ?なのに宿題って何だよ、寮に戻って実戦しろってか?」
「うーん、っていうかねぇ」
言いよどむマリアの後を継いだのは亜由美だ。
「恋愛に対する感想?っていうんでしょうか、各自それぞれ論法をまとめておけって言われたんです」
「論法ぉ〜?なんだ、そりゃ。あいつ自身、判るのかよ?木ノ下以外の友達もいなさそうなクセしてよ」
亜由美が思ったことを乃木坂教官も口にした。
「やっぱ勇一も、そう思う?」
俄然マリアがはしゃぎだし、身を乗り出してくる。
「そりゃそうだろ」とファーストネーム呼びにも気を悪くした様子なく、乃木坂が応える。
「あいつの態度見てりゃ〜、誰でも判るぜ。さぞ、学生時代は独りぼっちで孤独な青春時代を送っていただろうってな」
「だよね、だよね〜。じゃあ、鉄男にも判んないのかな?恋愛感情」
「わっかるわけねーだろ、あの唐変木に!」
いくら本人が不在だからといって、二人とも調子に乗りすぎである。
そろそろ亜由美が止めに入ろうかと思った時、タイミング良く木ノ下と鉄男が教官室へ入ってきた。
いや、この場合はタイミング悪く……か。
「お前ら、ここで何をやっている?」
眉間の皺を濃くして尋ねてくる鉄男に「な、なんでもありませ〜ん、ごめんなさい!」と即座に頭を下げて、片方でマリア、もう片方の手でカチュアの腕を引っ掴むと、亜由美は早々に教官室を退散した。

息せき切って教室まで戻ってくると、マリアは自分の席に倒れ込む。
「な、何も逃げることなかったんじゃないのォ?」
「だって宿題のアドバイスを貰っているなんてバレたら、辻教官に怒られちゃうかと思って」
肩で息をしながら亜由美も答え、カチュアの腕を握っていた手を放した。
「カチュアちゃん、どう思った?乃木坂教官の話を聞いて。ずいぶん辛辣だったけど……」
辛辣という言い方も多少辛辣かもしれない。
乃木坂と一緒になって軽口を叩いていたマリアは、ぷぅっと頬を膨らませた。
「何よ、辛辣って!悪口言ってたみたいに言わないでくれる?あたしも勇一も、ホントの事を言っただけじゃないっ」
「ごめんなさい、マリアちゃんを悪く言うつもりはなかったの。だけど」
亜由美の言い訳を遮り、カチュアがポツリと呟く。
「……嫌だった……胸の辺りが、ザワザワして苦しい……」
カチュアの体は小刻みに震え、瞳には涙が滲んでいる。
「独りぼっちの……何が、悪いの……?一人でいたら、おかしい……の?」
話すそばから涙が頬をつたい、それを見たマリアは口元を押さえ、慌てて弁解に走る。
「ご、ごめんカチュア、あたし、そんなつもりで言ったわけじゃ」
そんなつもりでなくとも鉄男の孤独な青春を笑うのは、孤独の人生を送ってきたカチュアを笑っているも同然だ。
「カチュアちゃん、独りぼっちでいるのは何も悪くないよ。友達を作るのって、難しいもんね」
棒立ちのまま泣き続けるカチュアの肩を抱き寄せ、亜由美が囁く。
「辻教官もね、たぶんカチュアちゃんと一緒だったんじゃないかな。だからマリアちゃんと、どうつきあったらいいのか判らなくて、最初は暴力をふるったりしたんだと思う」
「い……っしょ……?」
涙に濡れた目で見上げると、亜由美の笑顔と目が合う。
「そっ。もし辻教官もカチュアちゃんと同じで独りぼっちだったとしたら、カチュアちゃんは、どう思う?」
「ん……」
目元をゴシゴシ拭いながら、カチュアは考える。
この涙は、独りぼっちを笑われた不快の涙だ。
自分のことを笑われているとしか思えなかった。
母の愛を知らず、学校へ通わせてもらえもしなかった自分への。
もし、鉄男も同じ境遇だとしたら?
全くタイプの違うマリアと乃木坂の意見が、鉄男に関しては一致するのだ。あながち的外れでもあるまい。
「かわい……そう、だと思う」
「可哀想?」
うん、と答える代わりにカチュアはコクリと頷いた。
「うん、そうだね。じゃあ、可哀想な辻教官を救うには、どうしたらいいかな?」
亜由美の腕をぎゅっと掴むと、カチュアはか細い声で囁く。
「一緒に……いて、あげる」
「いてあげるだけ?」と横から突っ込んできたのはマリア。
「あたしなら――」
お得意の持論を展開する前に、亜由美には遮られた。
「一緒にいてあげるっていうのはね、カチュアちゃん。とても大事な気持ちだよ。それが、人を好きになる第一歩なの」
よく判らないと言いたげな表情を向けてくるカチュアへ、もう一度、亜由美が繰り返す。
「実際に会ってみれば、もっと分かり易いかもしれないね。次の授業が終わったら、辻教官の処へ行こっか」
授業開始のチャイムを聴きながら、カチュアはイエスともノーとも取れる微妙な頷きを返した。


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