act1 優生思想
シンクロイスは瞬間移動できても、地上の民は、そうもいかない。暗殺部隊が駆けつける頃には、ベルトツリー周辺がパニックに陥っていた。
逃げ出してきた者と見物で集まってきた一般民で、ごった返している。
『緊急事態発生につき、付近の一般民は、ただちにシェルターへ避難してください!!』
拡張器で怒鳴りつけながら、施設の係員がアニスを振り仰ぐ。
「反応は、どこにありますか!?」
「屋上展望台から動いていません。引き続き、人命救助を頼みます」
散開していた部下が走りよってきて、報告する。
「非常口、確保しました!階段途中で一般民を一名発見、シェルターへ搬送しました」
「御苦労」と短く労り、アニスは険しい視線で上空を見やる。
シンクロイスの気配は、展望台に留まっている。
奴らは突然現れた。
最初に反応したのは、管制塔に所属する"気配の判るもの"達であった。
地下街にシンクロイスが出没したのは、これが初めてだ。
地下街の存在が奴らに知られたのは痛いが、いずれは知られる情報でもあった。
軍はさして混乱もせず、通報と同時に暗殺部隊をベルトツリーへ送り出す。
軍用施設からの距離は徒歩で五分とかからない。
だが問題は、ここからだ。
エレベーターで逃げ出してきた人々の話によると、死者が一名出たらしい。
さらには、まだ残っている一般民もいる。
現在もエレベーターを動かしているが、降りてくるのは空箱ばかりだ。
もう一度、アニスは展望台の気配を探る。
シンクロイスが三匹。
それと、もう一つは、混ざり合った気配が一つ。
四つは固まった場所に存在しており、微動だにしない。
不意に肩をポンと気安く叩かれて、むっとなって振り返ったアニスが見たのは、青い髪の男であった。
「デュラン様!?」
「やぁ、久しぶりだなアニス少尉」
驚いたのはアニスばかりではなく、周りにいた下っ端軍人らもだ。
この近くにスパークランの校舎があるのは知っている。
しかし、まさか彼が見物に紛れてくるとは思わなかった。
元軍属であるならば、今がどのような事態かも把握できなければおかしいのに。
「緊急事態です。デュラン様も、シェルターへお急ぎください」
アニスの申告にも、デュランは聞いているのかいないのか、展望台を見上げて逆に尋ね返してくる。
「非常階段があるんだったね。行くんだったら、俺も同行しよう」
「危険です!」
軍人が声を揃えて引き留めるのにも、デュランは己の意志を撤回せず微笑んだ。
「危険なのは重々承知だとも。だがね、友人が現場にいるとなったら助けに行かにゃぁ」
「救出ですか?でしたら、なおのこと我々にお任せください。我々は人型対策部隊です。ラフラス様は大型対策部隊でしたでしょう?人型の対処には不慣れなのではありませんか」
前に出て進路妨害してくる軍人の胸を、そっと押してどかせると、デュランは真っ向からアニスと向かい合う。
「電話がかかってきたんだ。ここへ遊びに来ていた生徒から。今はシェルターに避難できたようだが、同行者が一人で展望台に残ったそうだ。同行者の名は、辻鉄男」
鉄男の名前が出た途端、暗殺部隊の面々は大きくざわめく。
部下の騒ぎを手で制し、アニスも反論した。
「なるほど、残っていた混ざり合うものは彼でしたか。ですがデュラン様、彼があなたの友人だとしても、あなたの同行は認められません。あなたはもう、軍人ではなく一般人に戻ったのだというのを自覚してくださ」
話し途中でデュランに顎を撫でられて、アニスは「あふぅん」と情けない声をあげ、膝から崩れ落ちそうになる。
ちょっと触られただけなのに、目の前の男が何重にも輝いて見えてくる。
任務も何もかも忘れて、彼の腕の中へ飛び込んでいきたい衝撃に駆られた。
しかし「ア、アニス少尉?」と驚く部下の前で恋の病に溺れるわけにもいかず、なんとか正気を保つと、なおもデュランを引き留めた。
「い、色仕掛けで動かそうとしたって駄目です。我々には国民を守る義務がある。人型の相手は暗殺部隊が担当だというのを、まさかあなたほどの方が、お忘れでは、むぐぅっ!?」
唇をキスで塞がれては、アニスも、これ以上の言葉が続けられない。
部下の面前だというのも忘れて、デュランの背中へ腕を回した。
彼の舌と己の舌が触れ合うたびに、体中が燃えるように熱くなる。
温かくて大きな掌がブラジャーを外して胸を揉み、上着をめくりあげて腹を撫で、背中にまわった手が力強くアニスの体を抱きしめてきて、下着の中へ侵入してきた指にツンツンと奥を突きまわされ、瞬く間に全身の力が抜けていく。
もう、シンクロイスなんて、どうでもいい。
永遠に、このままデュランと抱き合ってキスしていたい――
そう思った直後、些か乱暴に手放されて、「あ、はァん」と色っぽい声をあげてアニスは地に崩れ落ちる。
ほぼ半裸で悶える彼女をその場に残し、デュランは手すりもないような危なっかしい階段を全力で駆け上っていった。
「あ、あ、ラフラス様、お待ちください!あの、アニス少尉、しっかりしてください!?」
後に残るのは、命令塔を失って狼狽える下級軍人ばかりだ。
暗殺部隊の展望台到着はデュランの乱入で、予定よりも大幅に遅くなりそうな案配だ。
しかも彼らの中で気配が判る者は、アニス一人だけ。
故に展望台の気配が一瞬で全て消えたのに気づけた軍人は、一人もいなかった。
鉄男の必死な時間稼ぎは、そう長くも続かなかった。
カルフとの世間話は僅か五分でベベジェに遮られ、無駄口を封じられた後はロゼによる鳩尾への一発をくらい、鉄男は呆気なく気絶した。
鉄男が意識を取り戻したのは、いずことも知れぬベッドの上であった。
目覚めると同時に「おはよう。さっきは手荒な真似をしてすまなかったね」と、お盆を持って入ってきたカルフに謝られて、鉄男は文句の代わりに確認を取る。
「ここは何処だ?」
「ベイクル地下街の外れにある廃棄場だよ。本当は僕の仮宿に連れていく予定だったんだが、シャンメイに反対されてね……それで一時的に、お前をここで保護することにした」
「保護?」
拉致、または誘拐ではないのか。
シンクロイスに保護される謂れなどない。
シンクロイスこそが、鉄男の生活を脅かす敵なのだから。
「そう、保護だ」
サイドテーブルにお盆を置くと、カルフがベッドに腰かけ、こちらに身を寄せてくる。
反射的に鉄男は身を引き、警戒心を最大限まで高めて相手を睨みつけた。
「なんだよ、こんな可愛い美少女がすりよってきてんだから喜べよ」
大袈裟に腕を広げたポーズのカルフへ再度問う。
「……ここへ俺を隔離したのは何が目的だ?」
「決まっているだろ。お前と番になって、子供を産むんだ。この体で、ね」
あっけらかんと答えられたもんだから、しばらく鉄男は次の言葉が出てこなかった。
ハッと我に返ったのは、カルフが鉄男に抱きつくかたちで押し倒してきた後だ。
「何をするッ!?」
「なにって、子作りだよ。お前らは雄の管を雌の穴に通して増えるんだろ?」
ぎゅっと布越しに大事な部分を握られて、たまらず鉄男は足を蹴り上げる。
蹴られる寸前で「おっと!」と叫んでカルフは飛びのき、邪気のない笑顔を向けてきた。
「こんな不利な体勢でも攻撃してくるとは、驚きだよ。さすが僕の見込んだ番候補だ」
番とは奴らの言葉で結婚を指す。
つまり以前カルフが鉄男に放った宣言は、冗談でも軽口でもなく本気だったのだ!
愕然となりながらも警戒心は解かず、鉄男は身構えた姿勢で問いただす。
「木ノ下が貴様にとって優秀に見えないのであれば、俺なんか、もっと劣等のはずだ。貴様らは優秀な遺伝子持ちにしか興味がなかったのではないのか?」
「何を言っているんだ?」
カルフも一瞬ぽかんとなり、すぐに合点がいったか調子を取り戻す。
「キノシタとお前は全然違う。シークエンスが器に選んだ時点で、お前が優秀だというのは判っていたじゃないか。あぁ、いや、お前自身には判らなかったかもしれないけど、僕たちが器に選ぶのは優秀な遺伝子を持つ生物だけだからね。なんでもいいってんじゃない」
乗り移れれば何でもよかったとシークエンスは言っていなかったか。
それに彼女の選択眼を基準にするなら、彼女が番に選んだ木ノ下だって優秀だという結論に、なりはすまいか?
鉄男の突っ込みに、一旦はカルフも「そうとも言えるね」と同意し、だが、と続けた。
「僕が優秀だと感じたのは、お前なんだよ辻鉄男。乗り移りに失敗しても消滅しない上、強靭な肉体だなんて理想的な器じゃないか?お前の遺伝子で量産すれば、頑丈な器がたくさん出来る。有象無象を拉致して連れてくるよりも、はるかに効率的だ」
カルフ曰く、これまでの実験では数々の失敗があったらしい。
「優秀な奴を使って量産してみたはいいんだが、新しく生まれてきた器は、どれも肉体の基盤が弱くてね。調整で何とかなるレベルじゃない。それで、気づいたんだ。お前ら同士で掛け合わせるんじゃなく、僕らとお前ら一代目を掛け合わせてみればいいんじゃないかって」
ふと脳内に疑問が沸いて、鉄男も尋ねてみる。
「優秀な器を作りたいのであれば、シンクロイス同士で増やせばいいのではないか?」
完全に乗り移ってしまえば性別なんて関係ないと、シークエンスが以前言っていた。
前の器では雄であったとしても、器次第では雌にもなりえる。
シンクロイスの性別は乗り移った器の性別に準ずるのだ。
ならば乗り移った同士の男女でも、子孫を増やせるのではなかろうか。
「それなんだけどねぇ」とカルフは腕を組み、ちらりと鉄男へ渋い顔を向ける。
他種族の鉄男が思いつくぐらいだ。彼らだって当然試しただろう。
それで、この反応というのは、上手くいかなかったに違いない。
「僕ら同士で交配すると生命の息吹を感じない、ただの肉の塊になっちゃうんだよ。これまでの乗り移りでは、一度もそんな事態がなかったんだけど……僕とお前らで何が違うのか、どれだけ体液や器官を調べても、さっぱりわからない。お手上げだよ」
彼ら流に言うのであれば、魂が肉体に付属してこない……のであろうか?
気配が同等になるというから、そっくり同じになるのかと思いきや、生殖の段階で別の種族になってしまうとは不可解な。
寄生なんて可愛いものではない。浸食、または汚染か。
乗り移ったシンクロイスの数が地上の先住民を越えた時、地上の民は全滅の危機に陥る。
話がだんだん難解になってきて、鉄男は理解が追いつかなくなってきた。
しかし頭を抱えている間に再びカルフが迫ってきて、じっと鉄男の顔を覗き込んでくるもんだから、悩んでいる暇もない。
「僕ら同士で増やせない以上、牧場は作らざるを得なかったわけだが、お前ら下等生物同士で交配するのも意味がないと判明した。だから僕とお前で増やすしかないって結論に至ったんだ。さぁ、四の五の言わず、僕の穴にお前の管を差し込めよ」
「断る!」と怒鳴り、鉄男はベッドから飛び降りる。
勢いよく扉へ飛びついたが、当然のように開きもせず、そもそも開けようにも鍵穴がなければ鍵もない。
「駄目だよ、この部屋は僕の意志で締め切ってある。お前と無事に事が済むまでは、仲間にも邪魔されたくないんでね」
ずずいと間合いを詰められて、鉄男は壁際に押しつけられる。
逃げ場がない。
今のカルフは可愛い顔をしているけど、中身は男だ。
いや、性別は乗り移った時点で器に依存するのだったか。
なら、今のカルフは女の子なのか?
どのみち、無理矢理迫られるのは鉄男の趣味ではない。
しかしカルフは、鉄男が嫌がろうとどうしようとセックスをする気満々だ。
早くも伸びてきた手がズボンのチャックを降ろそうとしてきたので、鉄男は必死に両手で抑え込んだ。
「せ、性行為せずとも精子を提供すれば……」
「一回や二回の受精で終わるんだったら、それもアリだろうけど、お前ら下等生物の受精は何度もやらないと成功しない。それにな、僕の番になるんだから、勝手にどこかへ出かけるなんて許すはずもないだろ?」
出来の悪い子供を叱るがの如く、眉間に皺を寄せて怒るカルフには、鉄男の怒りも倍増だ。
大体、番になる件だって、こちらは承諾していない。
勝手に拉致して番認定して家に帰してくれないとは、横暴にも程がある。
一生飼い殺しにされるぐらいだったら、いっそ殺されたほうが何倍もマシだ。
「アベンエニュラの求愛も、そうやって断ったのか?あいつが短気を起こしていたら、きっとお前は噛み砕かれて死んでいただろうに……でも、そうしなかったあいつの気持ちも判らないではない」
笑みを顔面に貼りつかせ、カルフは鉄男を上から下まで眺めまわす。
「器に情が移るなんてのは頭がおかしいと、僕も以前はそう思っていた。けど、お前ら下等生物に乗り移るようになってから、相反する性別を側に置きたいと願う心が僕にも芽生えたんだよ」
食べ物だって、そうだ。
乗り移ってからは、この星の生命体と同じものしか食べられなくなった。
そう言ってカルフはしばらく黙った後、己の胸に手を当てる。
「……不思議だな。完全に乗っ取ったはずなのに、器の元の魂が僕らに影響を与えるだなんて。これも、今までの乗り移りでは見られなかった現象だ。下等生物と侮ってきたが、お前らは案外優秀な生物なのかもしれないな」
話している間もカルフの手の動きは積極的で、鉄男に両手で抑え込まれているというのに、力づくでチャックを下に引き下ろす。
「こ、こら!」と怒る鉄男にもお構いなく、ぴたっと体を寄せてくる。
「どうだい、胸の膨らみを感じるかい?この星の雄は雌の体で性反応するんだろ」
むにゅむにゅ柔らかいものを押しあてられたって、そう簡単に勃起したりしない。
誰彼構わず反応するほどには異性に飢えていないし、下心満載で生きてもいない。
何よりカルフの精神は男だ。
たとえ外見が可愛い女の子であったとしても。
「なんだよ、まだ僕が男だと思っているのか?見ての通り美少女に乗り移ってやったってのに。それとも"僕"ってのが気に入らないのか?だったら、かわいらしくアタシって言ってやろうか。ねぇ〜鉄男、アタシを抱きしめてぇ〜?なんてね」
それもあるが、それだけじゃない。
鉄男はアベンエニュラにも伝えた言葉を、今一度カルフにも告げる。
「貴様らシンクロイスと俺達は敵だ!貴様らが俺達を殲滅しようとしてくる限りッ」
ガンギレしての全拒絶だというのに、カルフはハンと鼻で笑って受け流す。
「敵だって?なにか勘違いしてないか、辻鉄男。爆撃は敵対しての行為じゃない。選別の為の地ならしだ。この星の生命体と僕達は、本来対等ではないんだよ。飼うものと飼われるもの。食うものと食われるもの。そういう関係だ」
対等な立場ではないから、敵対もしていない。
言うなれば、ペットや家畜と同等の扱いだ。
「殲滅するなんて、いつ誰が言ったんだ?僕らの目的は一つだけだ、お前らを器にするっていう。殲滅してしまったら、器を量産できないからな」
ぎゅっと鉄男に抱きついて、カルフは上目遣いに見つめてくる。
「アベンエニュラに、お前の意志を無視するなと説教したそうだが、アベンエニュラにしてみりゃ、お前の意志なんて関係ないんだよ。お前を一方的に愛するだけで満足なんだから、あいつは」
ペットを可愛がるというのは、ペットの意志に関係なく飼い主の自己満足でしかない。
今の鉄男はカルフのペットになったも同然だ。
望まぬ性行為を一方的に強制されているのだから。
「だが――」と小さく呟き、カルフが身を離したので、鉄男が怪訝に様子を伺うと。
「僕は、違う。シークエンスがキノシタとコンタクトを図ろうとしたように、僕も、お前を知りたいと考えている……こんなの初めてで、どういう態度を取ればいいのか判らないんだけど。今だって、胸がドキドキしてるんだ。同族でもない相手なのに」
潤んだ瞳で見つめ返されて、驚いているうちに唇を奪われた。