act17.撤退
地上に降り立って数週間が過ぎた。だが、探し人の消息は不明で手がかりも一つだけしか見つからない事に。
アスペルは焦りを覚えていた。
探し人とは他ならぬ、許嫁にして妹弟子のアミュである。
奇跡の石を探す隊を追いかけて、地上へ降り立った。
以降の足取りは掴めていない。
小さな世界と聞き及んでいたが、実際に歩き回ってみると大地は広大だ。
やっと見つけた手がかりは、原住民の目撃情報で。
クォン村――
場所を聞き出すのを忘れていたと彼が気づいたのは、原住民が立ち去った後であった。
我ながら、間の抜けた話だ。
「くそっ」と小さく悪態をつくと、アスペルは瞼を閉じて全神経を集中させる。
何処でもいい。
誰でもいい。
同族の気配を探すのだ。
アミュ本人じゃなくても、構わない。
とにかく誰でもいいから神族にさえ出会えれば、一人きりで探索するより見つかる確率も高まろう。
一方。その探し人アミュが何をやっていたかというと。
彼女は、たった一人で魔族に囲まれていた。
連れのクォードが、忽然と姿を消してしまった。
彼には奇跡の石を渡してあった。
クォードは魔族だったけれど、レジェンダーを虐めていなかった。
偶然にもアミュが休もうと思っていた場所で、彼も休息を取っていたのだ。
飛び回って歩き回って疲れていたアミュは、迂闊にも彼の存在を見落とした。
なし崩しで拉致してしまい、一緒にいるうちに情が移った。
クォードはアミュよりずっと格下なのに、へんに媚びを売ったり遜ったりしない。
寝首をかく勢いで反抗してきたり、かと思えば道案内してくれたり、身を挺して庇ったりしてくれたりで。
今までに出会ったことのないタイプの魔族にアミュは困惑したし、嬉しくもあった。
彼に、どんどん興味を持ち始めた矢先、弾みで押し倒されて唇を奪われて。
ついでに心も奪われた。
アミュは、クォードを好きになってしまったのだ。
俗にいう、一目惚れというやつで。
クォードの何が気に入ったのかと問われれば、顔ではない。
あえていうなら、性格か。
素直じゃないくせに、どこか親切で、他人を見捨てられない一面が。
これまでに見た、どの異性よりも一番親しみ深い人物だ。
カインは美しい顔をしていたけれど、別れ際の彼は醜い存在と成り果てた。
アスペルは大天使様の定めた許嫁ではあったが、アミュは彼に魅力を感じた事が一度もない。
しかし誰かを好きになるというのが、こんなにも照れくさいものだったなんて。
アスペルと一緒にいても感じなかった胸の高鳴りを、クォードと一緒の時には、いやというほど感じた。
彼が何をしていても気になるし、彼を仲間の元へ帰すのも惜しくなる。
奇跡の石を見つけたアミュが最初に考えたのは、石の譲渡だった。
クォードに石をあげる。
魔族も石を探しているのは、カインから聞いて知っていたから。
大天使様の命令を忘れたわけじゃない。
だが、それよりもクォードの喜ぶ顔が見たくて、つい、欲しいですかと尋ねてしまった。
欲しいに決まっている。
アミュの予想通り、クォードは石を欲した。
何に使うのかというと、死んだ恋人を蘇らせたいと言う。
迷いは、その時に生じた。
それでもアミュは石をクォードに渡そうと決めた。
彼が好きだから。
たとえ恋人を生き返らせたとしても、一緒に居ることが許されれば、それでいいと思った。
そして彼に石を渡した途端、謎の消滅である。
何が起きたのか、全く判らない。
判らないが、魔族達はクォードの消滅をアミュの仕業と決めてかかったものらしい。
誰かが凶悪に叫んだ。
「貴様、司令官をどこへッ!」
濡れ衣もいいところだ。
おまけに、クォードには仲間へ手を出すなと言われている。
だが、こちらの都合など、彼らが考えてくれるはずもなく。
魔族達はいきり立ち、一斉にアミュへ襲いかかってきた――!
急激な魔力の高まりを感知して、アスペルは瞼を開ける。
ここから南の方角に、極めて高い魔力を感じる。
一定の高魔力を延々放出し続けるとなると、並の者ではあるまい。
第二級か第一級、或いは、それ以上か。
しかも、魔族ではない。この波動は同族のものだ。
アスペルの脳裏に閃く顔があった。
――アミュなのか?
だが、彼女だとすると。魔力を発するとは彼女らしくもない。
アミュは滅多なことでは魔力に頼らない。剣士としての誇りだ。
急がねば。
剣技だけでは倒せぬ強敵が相手とあっては、アミュといえど苦戦を強いられているかもしれない。
今一度、気配の位置を見定めると。
アスペルは、ふわりと浮遊し、一気に飛び立った。
恐らくは妹弟子がいるであろう方角へ向けて、一直線に。
意識の目覚めと共に起き上がる。
ここは何処だ。肌で感じる風は、惑星ボルドのものではない。
気怠い、だが、どこか心地よい。そうだ、これは瘴気だ。
魔界を覆う大気である。
では、自分は魔界へ戻ってきてしまったのか?
クォードが辺りを見渡すのと見知らぬ声が彼に話しかけてきたのは、ほぼ同時で。
「おかえり、クォード」
瞬時にハッと身構えるクォードに苦笑すると、声の主が姿を現した。
「奇跡の石を無事に入手したようだな。しかし、それにしても君が手に入れるとは思いもしなかった」
「誰だ!!」と、怒鳴ってから。
クォードは相手の顔を、まじまじと眺める。
髪の長い男だ。光沢のある、紫の上下を身につけている。
肌の色は青黒い。確認するまでもない、魔界にいる以上は魔族であろう。
ただ、見知らぬ顔というだけで。
「誰だとは、ご挨拶だな。君が望んだから、私の元へ飛ばされたのだろう?」
俺が、望んだ?
言われている意味が判らず、クォードは首を傾げる。
目の前の男に見覚えはない。階級を探っても、判らない。
またしても格上が相手か。同族なので襲われるという事は、あるまいが。
ふむ、と小さく嘆息し、男が名乗りをあげる。
「この姿では判らんか……まぁ、よい。我が名はアシュタロス。大魔族が一人にして、君達先発隊を束ねる者でもある」
いきなり、総司令との対面だ。
クォードは当然驚いたが、疑問も残る。
何故先ほどから、この総司令は、やけに親しげに自分へ話しかけてくるのか。
総司令の立場で見れば、クォードなんて数多くいる部下の一人に過ぎまい。
いってみれば、雑魚だ。
その雑魚の一人を何故、段違いに階級の違う相手が知っている?
それに彼は不思議な事も言っていた。
クォードが望んだから、アシュタロスの元へ飛ばされてきたと。
一体どういう意味なのか。
こいつの元へ飛びたいと願った覚えはない。
無言で首を傾げるクォードへ、アシュタロスが手を伸ばす。
「驚いているようだね。何故私が君を知っているのか、と――君が先発隊へ組み込まれたのは知っていた。ずっと見ていたのだよ、君の存在を。何故なら君は私が唯一認め、そして愛した存在なのだからね」
見知らぬ男に、愛の告白をされてしまった。
ますます警戒の色を濃くして黙り込むクォードを見て、総司令は、またも苦笑する。
「ふむ……勘が鈍ったのではないか?」
「何が」と尋ねるクォードへ、アシュタロスが肩をすくめる。
「君は石に願いを込めたはずだ。蘇れ、アザラック……!いや、或いは、こうかな?もう一度あいつに会わせてくれ、俺の大好きなアザラックに――ってね」
芝居がかった言いっぷりは、どこか馬鹿にされたようにも感じる。
ムッとしながらクォードが遮る。
「それがどうしたっていうんだ。さっさと結論を言いやがれ」
総司令だろうと大魔族だろうと、関係ない。
権力に遜るのは嫌いだ。
尊大な物言いのクォードに微笑みかけると、アシュタロスは答えた。
「そうだ、君はアザラックとの再会を望んだ。だから今、君は此処にいる。……まだ判らないのかね?私が、そのアザラックだったのだよ」
言われた事を二度、三度反芻して。ようやく、クォードの頭が理解する。
「何だって!?」
「そうそう、それ。そのリアクションが見たかった」
喜ぶアシュタロスの胸元に掴みかかり、クォードは叫んだ。
「どっ、どういうことだ!あんたがアザラックって、じゃあ、あいつは男だったのか!?」
そんなはずはない。
愛し合った記憶を遡るに、彼女の肉体は確かに女性だった。
甘い囁きや体から香る異性のフェロモンも、全て覚えている。
目の前の男とは似ても似つかない――そこまで考えて、クォードはピンときた。
そうか、擬態か!
アシュタロスが化けていた存在、それがアザラックだったのだ!
「なんで、そんな真似を」
吐き捨てるクォードを穏やかな眼差しで見つめ、朗々とアシュタロスが語り始める。
「アウグナ・サスは覚えているな?酷い時代だった。私は疲れ切っていたのだ。戦いを逃れ、誰も来ない場所で、ひっそりと暮らせたら……日に日に、そう考えるようになっていった。そして、私はそれを実行した」
アウグナ・サスの時代は、高い魔力を誇る大魔族ですらも疲弊に追い込んだ。
戦いは嫌いではない。だが、無意味な殺戮は。
それも同世界の住民が相手とあっては嫌気も差すというもの。
結果、アシュタロスは戦線離脱した。
誰も追いつけない場所へ、逃げてしまえば。
姿を変えて魔力も封じ込めれば、見つからないのではないか。
己で考えた逃亡劇に、彼はワクワクした。
そして、長い年月を彼は一人で過ごした。彼の望み通りに。
姿を変え、魔力を抑えて、これまでと比べたら幾分弱々しい存在となり。
誰も通りかからない荒野で見つけた、朽ち果てた神殿の中で、静かな時を。
そこへ通りかかったのが、クォードであった。
階級は第三級。
この程度なら、例え擬態を取っていたとしてもアシュタロスの敵ではない。
だが、アシュタロスは攻撃しなかった。
クォードが襲いかかってこなかったからだ。
端から見ても、両目に疲労の色が浮かんでいる。
ならば、我々は同胞だ。戦いに疲れ切った者同士の。
思いきって、声をかけてみた。
「こんばんは。月の綺麗な晩ね」
無言でコクリと頷いた同胞は、ゆっくり近づいてくるとアシュタロスの隣に腰を下ろす。
二人で、しばらく夜空を眺めた。
そっと横顔を伺うと、クォードは無垢な瞳で月を見上げていた。
このまま、何もしゃべらなくてもいい。
ずっと二人でいよう。
一人ではなくなってしまったが、それも構わないとアシュタロスは思った。
傍らに座る同胞は、とても小さくか弱い存在だ。
これまでに何百と殺してきた連中にも似ている、強さの面で見たならば。
違うのは、彼の瞳に浮かんでいた光であった。
クォードは死に急いでいなければ、殺戮に飢えてもいない。
ただ、酷く疲れていた。
小さな体が、そっとアシュタロスの肩へ寄りかかってくる。
暖かい。
こんな小さき者にも、生命は宿っている。
久しく忘れていた、『当たり前』だ。
不意に名を聞かれたので、少し考えたのちに答えた。
アザラック――と。
深い意味はない。ふと、脳裏に浮かんだ名前だ。
何故一人でいるのかと聞かれたが、それには答えず、こう言った。
「一人でいるのにも飽きたわ。一緒に暮らしましょう?なんだか、あなたを見ていたら人恋しくなっちゃって」
何故、そんなことを口走ったのかは自分でも判らない。
真っ向からクォードを見つめているうちに、ぽろりと口から出た言葉だった。
クォードは頷き、名乗りをあげる。
二人は一緒に暮らすようになった。
共に暮らすようになって、次第に打ち解けていくうちに。
クォードが思っていたよりも饒舌で感情豊かなのに、アシュタロスは驚かされる。
だが、不思議と悪い気はしなかった。
身分や階級と関係なく気安く話しかけてくれる相手が、これほどまでに心休まる存在だとは知らなかった。
大魔族として生を受けて以来、親しい者が身近にいなかったアシュタロスにとって、クォードは初めての親しい存在と言えた。
夜になると、クォードは愛撫を好んだ。
自らすり寄ってくる事もあれば、おねだりをしてもくる。
体をまさぐってやると、可愛い声を出す。
彼が絶頂する瞬間を見るのが、アシュタロスの楽しみになった。
こう言っては本人は気を悪くするかもしれないが、小動物のような愛らしさがクォードにはあった。
小さいのも可愛い。
弱いのも可愛い。
からかうと、むきになって反論してくるのも可愛い。
見かけに反して、意外と真面目な処も可愛い。
彼が何をやっていても、何を話していても可愛い。愛でたい。
可愛いと呼ぶと、クォードは怒った。
だが嫌がりつつも、クォードはアザラックの元を離れようとせず。
アシュタロスもまた、彼の元を離れて一人になりたいとは思わなかった。
離れたくない。
朽ち果てるまで一緒にいたい。
そう願っていたのに――
迎えは、唐突に現れた。
「あの時の神族が、迎えだったってのか」
暗い目のクォードへ「神族?」と首を傾げてから、あぁ、とアシュタロスは独りごちる。
「なるほど、君には神族に見えたのか……あれは特級だ、私の直属配下の魔族達だったのだよ。彼らが私の擬態を強制解除したせいで、君には私が消滅したように見えた事だろう。すまなかった。ろくに別れの挨拶も出来ないまま、君を放り出してしまって」
そんなことは、どうだっていい。
過去に愛し、今もなお面影を求める相手が、他の誰かの仮初めの姿だったとは。
酷いオチが待っているのではないかと予測していたが、ここまで斜め上の展開になるとは思ってもみなかった。
沈黙するクォードを眺め、アシュタロスが遠慮深げに話しかけてくる。
「怒ってしまったのか?擬態を解いても、私は私だ。アザラックであり、アシュタロスでもある。君へ対する愛も変わらない」
ぎゅぅっと抱きしめられ、反射的にクォードは抵抗した。
腕を振り回し、逃れようとする。
「お前が、それで良くても!俺が、嫌なんだッ」
「どうして?」
真顔で聞き返してくるアシュタロスに、カッとなってクォードは喚く。
「だって、お前は男だろうが!俺は女じゃなけりゃ愛せねぇ」
「それは違う」
抱きしめる力を強め、耳元でアシュタロスが囁いてきた。
「私は男でも女でもない。無の存在だ」
「無だって!?」
訳の判らない説明に、ますますクォードの怒りはヒートアップするも。
がっちりホールドされて、抱擁は振りほどけそうにない。
さすが大魔族と名乗るだけあって、力の差は歴然だ。
「雄と雌に分かれた種は、すぐ表面の姿で判別する。良くない傾向だ。私は生まれながらに唯一無二の存在であり、他に仲間を持たない種でもある。そして、私に性の区別はない。雄でもなければ雌でもない。いわば、無だ」
そうは言うが、見た目が男じゃ男だと判断するしかないではないか。
不機嫌な顔でクォードがアシュタロスを見上げると、大魔族の口元にはシニカルな笑みが浮かぶ。
「この姿も、所詮は君と同じ場所に立つ為の擬態に過ぎん。本来の私は巨大すぎるが故、君を潰してしまいかねんのでな」
どうしても嫌だというのなら、アザラックの姿になってもいい。
そう耳元で囁かれ、クォードは視線を外した。
「……いい。アザラックとお前は同一人物なんだろ?だったら姿なんて、どれだろうと同じだ」
事実を聞かされた時には酷く狼狽えさせられた混乱も、急速に落ち着きつつある。
アザラックは死んでいなかった。
ただ、アザラックという存在自体が虚無だっただけで。
落ち着いたと同時に、大切な事を忘れていたとクォードは思い出す。
「そ、そうだ!アルタスッ」
自分が魔界へ転移した後、他の皆はどうなった?
あの場には神族がいた。下手に戦いを仕掛けたら、全滅も免れない。
「アルタス?あぁ、君が残してきた先発隊の生き残りか。それならば、君の遣い魔を通して様子を見られよう」
クォードを解放してアシュタロスが立ち上がると、部屋の中央にあった水晶玉へ手をかざす。
水晶玉の後ろに立てかけられた大きな鏡に、何かが映し出された。
紛れもない、惑星ボルドの風景だ。
先ほどまで自分がいた景色の中で、ひときわ眩しい魔力のオーラを、クォードは見た。
アミュが「やめてください!」と叫んでも、アルタスが「やめるんだ!」と叫んでも、魔族の勢いは止められず。
襲いかかってきた彼らの攻撃を、アミュは魔力の結界で防いだ。
仲間を倒すな、とクォードに言われている。
本人はいなくなってしまったが、約束を破るわけにはいかない。
特級神族の張る結界だ。
全ての攻撃を跳ね返し、無効にする。
結界を張り続けていれば、攻撃が効かないと知った彼らも、そのうち諦めてくれるのではないか。
しかしアミュの平和的な作戦は、予想外の助っ人のせいで思わぬ展開へ繋がった。
「アミュ!」
鋭い男の声に、誰もが慌てて空を見上げる。
弾丸の如くスピードで飛んできた白いものは、ふわりと地上へ降り立つや否や手近にいた魔族を一撃で斬り倒す。
「アスペル!?」
馬鹿な。兄弟子なら天界で大天使様の護衛についていたはずだ。
だが現に彼は此処にいて、手当たり次第に魔族達を剣で斬り払っている。
一撃即死だ。一瞬にして二人の魔族がバラバラの肉塊となって地面に降り注ぐ。
「アスペル、やめてください!無抵抗の者を傷つけては、いけません!!」
結界の向こうでアミュが叫べば、アスペルも負けじと叫び返す。
「何が無抵抗なんだ!複数で一人を襲う野蛮な輩を放っておけるものか!」
途中から来たアスペルには、そう見えても仕方がない。
アミュは結界で防戦一方、魔族達はがむしゃらに結界を殴りつけていたとあっては。
「違います、これには深いわけが――」
説明しようにも、魔族の咆哮がアミュの声をかき消した。
「援軍か!?貴様ら神族の思い通りにさせてたまるかよ!」
仲間は今やアルタスとペテルギウス、名無しを除けば二人しかいない。
その二人も、いきり立ってアルタスの命令を無視している。
ここに滞在し続けていたら、待つのは死だ。
クォードも居ない今、ここに居続ける意味がない。
そう判断したアルタスの行動は早かった。
片手で名無しの腕をひっつかむと、副官へ命じる。
「逃げるぞ!」
「はい!」
打てば響く返事を従え、「え、ちょ、ダメです、クォード様の仇を、仇をぉーっ!」と泣き喚く名無しを小脇に抱え直すと。
アルタスとペテルギウスは宙に浮かぶや否や、恐るべきスピードで飛び去ってゆく。
「待て!逃げるのかっ」
追いかけようとするアスペルの動きを止めさせたのは、アミュの悲痛な叫びだった。
「もう、やめてください!戦えぬ者に戦いを仕掛ける意味はない。大天使様の教えをお忘れになったのですか、アスペル!」
「アミュ……」
結界は、いつの間にか解けていた。
彼女に歩み寄るアスペルの姿を最後に、視界が遠ざかっていく。
消すにも値しない、か弱き存在の遣い魔には、新手の神族も気づかなかったようだ。
瞬きをする間もなく起きた惨劇の一部始終を眺め、クォードは溜息を漏らした。
「……ったく、馬鹿が。かなわない相手に向かっていくのは勇気でもなんでもねぇってのによ」
アミュは悪くない。
理性では判っていても、割り切れない蟠りが残る。
彼女へ襲いかかっていった部下は、明らかにクォードの弔い合戦をする意気込みで戦っていた。
それを思うと愚か者めと一笑に臥す気分には、なれなかった。
その一方で、早々と撤退を決めたアルタスと名無しが死ななかった事に安堵している。
少しの間だが、大切な仲間だったのだ。
死なないに越したことはない。
複雑な思いを抱えるクォードを眺めていたアシュタロスが、ぽつりと呟いた。
「そうだ。こうして君が石を手に入れたことだし、そろそろ撤退命令を出しておかねば」
その言葉で我に返ったクォードが「石は全部集めるんじゃなかったのか?」と尋ねれば。
アシュタロスはニヤリと微笑み、切り返してきた。
「石は一つでも手に入れば御の字だと睨んでいた、最初から。一つでも入手できれば神族の企みにも抵抗できる。世界の浄化を防ぐなど、容易い事よ」
ハナから神族の狙いも知っていたらしい。
驚くクォードに、更なる情報を大魔族が打ち明ける。
「驚いている処を見ると、ヴィクターからは何も聞かされていないようだな。石は元々神族対策として集める予定だったのだ。神族の魔力を防ぐのに、神族の魔力を使う。これほど合理的な防御策も、あるまい?」
何に使うかは、確かに聞かされていなかった。
下は上の命令に従ってさえいればいい。
それが先発隊における暗黙の了解であった。
「君が先発隊に志願した時、私は死ぬほど驚かされた……だが、こうして無事に、それも石を携えて戻ってきたのだ。何も言うことはない。これからは末長らく、永久に私の伴侶として傍らに寄り添っていて欲しい」
またしても、ぎゅっと抱きしめられて。
「いや、だから、それはっ!」
泡を食って暴れるクォードなど物ともせず、惑星に残された遣い魔を通してアシュタロスは伝令をかける。
惑星へ降り立った全魔族に告ぐ。
奇跡の石入手成功につき、生き残った者は全て魔界へ撤退せよ――