Folxs

act16.選ばれたのは

――起きよ。

鳥の囀りに混ざって、声は確かにヒューイへ呼びかけていた。

――起きよ、目覚めよ。我らが未来の子よ。

「ん、んん……?」
ヒューイが身を起こすと、周りにいた鳥たちが一斉に飛び立つ。
あれから、どれだけ経ったのか。
ずっと眠ってしまっていたのか。
緩く頭をふって、彼は思い出そうとしたのだけれど。
頭の中に、もやがかかっているようで、前後の行動を思い出せない。
まぁいいや――
諦めて、立ち上がる。
森の中だ。
一面を緑で囲まれた。
まだ、このような森が、この大地に残されていたのは不思議であった。
ホルゲイとフィスタが暴れ回ったせいで、どこもかしこも荒れ野原になってしまったかと思っていた。

――こちらへ。

脳に直接声が響く。
重々しい、だが、どこか懐かしさを感じさせる男の声だ。
ヒューイは歩き出した。
声の聞こえる場所に宛があるわけではなかったが、茂みの割れた方向へ。
声はヒューイが間違った方向へ行きそうになるたびに、脳に響いてくる。

――こちらだ。

――こちらへ。

導かれ、歩いていく。どれだけ歩いても、疲れは一向に感じない。
ぐっすり眠って、体力が漲っているようでもある。
生い茂った茂みをかき分けて奥へ奥へと歩いていくと、やがて開けた場所にたどり着く。
石だ。
大きな石が立っている。
周りには小鳥や栗鼠などの小動物が群がっていて、一面に花が咲いていた。
頭の上を木々が覆い隠しているというのに、石の周辺は光り輝いている。
否、石そのものが、ぼんやりと光を放っているのだった。
「なんだ?これ。光る……石?」
ぺたりとヒューイの手が石の表面に触れる。
と、同時に彼の脳裏に懐かしい光景が蘇った。

砂利道を走っていく。
行き交う皆がヒューイに「おはよう」と声をかけ、微笑んだ。
手に野菜のたくさん詰まった籠を抱えた少女。
牛の乳搾りをする女性。
畑を耕す男。
どの顔にも見覚えがある。クォン村の住民だ。
ホルゲイに村が襲われる前に生きていた人達。
息を切らせて坂道を登ると、一軒家が見えてくる。
勢いよくドアを開いて、ヒューイは愛しき者の名を呼んだ。
「マナルナ!」
輝く笑顔が、彼を迎え入れる。


あぁ、マナルナ。
クォン村を最後に出たのが、遠い昔に感じられる。
村はヒューイが出て、まもなく吹き飛んだ。跡形もなく。
彼女も吹き飛んでしまったのだろうか。
ヒューイの頬を涙がつたう。
いつの間にか小動物は姿を消し、石と自分を静寂が包み込む。
石に手をついたまま、ヒューイは泣き続けた。
見知った顔は、この世に一人も残っていない。
マナルナも村長も、ヒューイより年下の子供達も全て吹き飛んだのだ、村と一緒に。
吹き飛ばしたのはフィスタの男だ。カインと呼ばれていた。
行動と共にしていたフィスタの女性、アミュに。
カインはアミュに一撃で葬り去られ、そのアミュとも別れた。
恐ろしくなったのだ。
村を吹き飛ばす魔力を持ったフィスタを、一撃で倒したアミュの剣が。
強すぎる力は、何もかも吹き飛ばす。
建物も、人の命も、ヒューイが村から持ち出した、なけなしの勇気も。
草を踏む足音が近づき、ヒューイに声をかける。
「未来の子、ヒューイよ。力が欲しいか」
涙を流し、石と向き合った格好のまま、ヒューイが首を真横に振る。
「力は欲しくないと?」
脳に響いていた、あの声だ。
声の主が問う。
「では、なんとする?このまま滅びに身を任せるか」
再びヒューイは首を振る。
つっかえつっかえ、己の想いを口にした。
「ちからは、欲しくない――けど、あいつらは、追い出したい」
矛盾した答えだ。
ホルゲイやフィスタを倒すには、強大な魔力か剣術を身につけなければ勝ち目がない。
だが強大な力は、それ以外の物も滅ぼしてしまう。
ヒューイは、ホルゲイとフィスタだけを倒す力が欲しかった。
自然を傷つけず、周囲の街やレジェンダーにも被害を出さず、奴らだけを追い出す力が。
しかし、そんな都合のいい力があるのだろうか?
「ついてこい、未来の子よ。お前に託す力がある」
踵を返し、声の気配が遠ざかっていく。
ヒューイも振り返り、声の主を見た。
褐色の肌、オレンジ色の髪の毛。耳にはポワポワした毛が生えている。
まごう事なきレジェンダーだ。ヒューイと同じ種族の。
男は白いローブを身に纏い、一度だけヒューイを振り返る。
「ついてこい」と、静かに繰り返した。
ヒューイは頷き、腕でぐいっと涙をぬぐうと、男の後を追いかけた。

男の向かった先は行き止まりで、泉が沸いていた。
首を傾げるヒューイに、男が告げる。
「この泉は山と繋がっている。その先にあるのは古代レジェンダーの街だ」
「古代、レジェンダー?」
しきりに首をひねり、なけなしの知識を総動員してみたが、ヒューイには思い当たる知識が一つもなかった。
それもそうだ。この歳になるまで、外の世界を知らなかったのだから。
「世界には、こうした場所が三つある。いや、あったというべきか」
ヒューイの疑問に答えることなく男は淡々と呟き、泉に両手をかざす。
「石は一つ奪われた。だが、新羅フォルクスは刻々と完成の時期を迎えている」
「石?」と尋ねて、すぐにヒューイは、ハッとなる。
石といえば、一つしかない。
奇跡の石だ。
世界の何処かで、奇跡の石を使って武器を作るレジェンダーがいたはずだ。
もっとも情報源はフィスタのカインだから、真実かどうかは判らないが。
石は一つ奪われた、と目の前の男は言う。
何個もあるようなものだったのか。
「新羅フォルクス……っていうのが、武器の名前?」
そろりと尋ねたヒューイに目を向け、男が微笑む。
「知っていたのか。その通りだ」
笑うと誰かに似ているような気がした。が、すぐには思い出せない。
「必殺の武器だ。異界の種を真っ向から叩き斬る。その斬動は誰にも止められぬ」
「で、でも、そんなものを振り回したら」
森や山にまで被害が及ぶのではないか。
ヒューイの杞憂を受け止めて、男はゆっくりと首を振る。
「心配は無用だ。新羅フォルクスは魔力を断ち切る剣。魔力を持たぬ我らレジェンダーや大地に危害は及さぬ」

あった。
都合のいい力が。

「その剣は、どこで作っているの?」
そっとヒューイが尋ねると、男は泉を指さした。
「古代レジェンダーの街で、お前を待っている」


泉に入り、水の冷たさを感じたのも一瞬で。
一瞬で、ヒューイの体は遥か遠くの山頂へ移動した。
草木一本生えていない、平らな地面の広がる場所へ。
ヒューイの後から男も姿を現し、地面を、とんと軽く叩く。
地震が起きて、大地の一部が四角く入り口を開けた。
下へ続く階段の先には古代レジェンダーの街がある。
男はヒューイに説明すると、改めて名乗りをあげた。
「私は古代レジェンダーが一人、ゲーリー。フォルクスを託せる未来の子を探し、旅をしていた」
「未来の子?フォルクスってのは誰でも使える武器じゃないのか」
ヒューイの問いに、ゲーリーは肯定も否定もしない。
ただ、淡々と事実を伝えた。
「特別な力が必要なのではない。我々は、未来を託せる魂を必要としていた」
魂?と首を傾げるヒューイの疑問を置き去りに、ゲーリーが階段を下りてゆく。
「あっ、待ってくれよ!」
ヒューイも後をついて、階段を下りていった。

地下に広がる街を物珍しげに眺める暇もなく、ヒューイはゲーリーに連れられて長老の家まで到着する。
建物の中からは、絶えず金属を叩く音が聞こえている。
ここで最強武器が作られているのだ。
石は三つあると言った。
一つはフィスタかホルゲイに奪われ、もう一つは、ここで使われている。
「さっきの石、あれも奇跡の石なんだろ?放っておいて大丈夫なのか」
ヒューイが尋ねると、ゲーリーは無表情に答えた。
「一つあればフォルクスを作るのは充分足りる。それに――あの森へ入れるのは、星に選ばれし未来の子のみ」
「えっ?」
ホルゲイに襲われて必死で逃げ込んだ森に、そのような秘密があったとは知らなかった。
そう考えてみると、森に走り込んだ程度で追っ手を振り切れたのにも納得がいくような。
ホルゲイやフィスタの連中、奴らは何故かレジェンダーのいる場所が判るようだ。
カインは偶然ヒューイの元へ現れたのではなかった。
アミュがつれてきたのかとも考えたが、あの状況を思い出すに、彼女はヒューイとカインを会わせたくなかったのではないか。
でなければ、同族の剣からヒューイを守るわけがない。
「俺を追ってた奴、どうなったのかなぁ」と、ゲーリーに尋ねるでもなくヒューイは呟く。
森に入れなくて、諦めたのだろうか。
それとも、まだ、あの辺りをウロウロしている?
いずれにせよ、もうあの場所へ戻る気などないのだから、気にしていても仕方がない。
再び歩き出したゲーリーの後を追いかけ、ヒューイも建物の中へ足を踏み入れる。
そして、懐かしい顔と再会した。
「ヒューイ!ヒューイなのっ!?」
「マナルナ!?」
鍛冶部屋でヒューイを待ち受けていたのは、クォン村の幼馴染みであった。
もう一人、知らない顔が彼女の横にいたが、ヒューイにはマナルナしか見えておらず。
マナルナの視界にも、もはや映るのはヒューイのみ。
二人は唖然とした表情で見つめ合い、次第に近づいていくと、どちらがというでもなく抱き合った。
「ヒューイ、ヒューイ、本当にヒューイだぁ……」
「マナルナ、生きていたんだな!良かった、本当に良かった」
お互い、譫言のように呟いて背中を撫で合う。
感動の再会を遮るかのように、リンタローが尋ねた。
「感極まっているところ申し訳ないのだが、お主は一体何者でござる?」
「えっ?」と顔を上げたヒューイは、ぎょっとなる。
目の前にいるのは巨大な猛禽類、しかもレジェンダーと同じ言葉を話すときては。
すぐに、巨大鳥の側にいた青年が補足した。
「こいつはリンタロー、自称聖獣の末裔だ」
「誰が自称でござるかっ!拙者は正真正銘、聖獣の」
「で?お前は誰だ」
スカイの冷たい視線がヒューイの顔面に突き刺さる。
謂われのない敵意を感じ、ヒューイがたじろいでいると、マナルナが代わりに紹介した。
「この人はヒューイ。あたしの幼馴染みなの」
「クォン村の?しかし……」と首を傾げるスカイへ、こうも言った。
「ヒューイは村が、その、壊滅する前に出て行ったから、だから助かったんだと思う。そうよね?」
「あぁ」とヒューイは力強く頷き返すと、改めて部屋の中を見渡した。
部屋の中にいるのは、当たり前だが全員レジェンダーだ。
マナルナと巨大鳥、バンダナ少年の他には年老いた老人が七人。
若い女性が一人と、ヒューイよりは年上の男性が三人。
ヒューイを案内してきたゲーリーも居る。
ローブを着ているのが古代レジェンダーで、そうじゃないのは避難民か。
と、ヒューイはアタリをつけた。
ヒューイをじろじろ無遠慮に見つめていたバンダナ少年が、頭を下げる。
「そうか、マナルナの幼馴染みか……失礼した。俺はスカイ、ラギ飼いの一族だ。といっても、お前も知らないかもしれないが」
マナルナが知らなかったのだ、ヒューイだって知るよしもない。
スカイの予想は大当たりで、首を傾げるヒューイにはマナルナが小声で教えていた。
「そうか、君は酪農一族だったんだね。いいな、俺も見てみたかった」
差し出されたヒューイの手を、スカイが握り返す。
こいつがマナルナの心を占める男なのかと思うと、スカイの胸は締めつけられた。
だが、今はくだらない嫉妬の炎を燃やしている場合ではない。
「お前もフォルクスの鍛刀に協力しにやってきたのか?」
スカイの問いに答えたのは、ヒューイ本人ではなく。
彼をここまで連れてきた、ゲーリーであった。
「その者は未来の子。鍛冶作業には加わらぬ。代わりに新羅フォルクスを使いこなす能力を、我らの手で鍛える」
マナルナとスカイ、リンタローの三人が同時に叫ぶ。
「未来の子?」
「そうだ」と頷き、ゲーリーの視線はヒューイへ向かう。
「未来の子は、大地に未来を託された者。フォルクスをふるい、天魔をあるべき世界へ送り返す使命を受けたのだ」
その大層な使命を受けた本人は、落ちつきなく視線を彷徨わせている。
体つきも貧弱だし、戦いの心得があるかどうかも怪しい。
こんな奴に任せて大丈夫なのか?とスカイは思ったが、マナルナの反応は違った。
「大地に選ばれたの?ヒューイ、すっごーい!」
ぎゅっとマナルナに抱きつかれ、ヒューイはデレデレする。
「え、えへへ、まぁ、それほどでもあるかな?」
ますますスカイの不安は増し、彼を励ますかのようにローブの女性がスカイの肩を軽く叩く。
「大丈夫。今は頼りなくとも我らが鍛えるのです。未来の子は、必ずや異世界の者達を退けてくれましょう」
「確信、できるのか?」
スカイの強い猜疑心を受けても、目をそらす事なく女性は応える。
「我らが鍛えるのです。古代レジェンダーの全てをかけて」
その言葉は、未来の子がどうというよりも古代レジェンダーの誇りのほうが重たく感じられた。
スカイも無言で頷く。
古代より生き続ける賢人が育てると言っているのだ。彼らを信じよう。
今はヘナチョコな未来の子が豪剣を振るえるようになると、必ず。

翌日から、ヒューイの特訓は始まった。
だが特訓といっても、いきなり剣を振り回すのではない。
彼に課せられた訓練。
ただ、静かに座って大地との呼吸をあわせる、座禅であった……

樹海を黙々と歩くうちに、前方に光が差しているのを見た。
クォードはアミュを追い抜いて、先に森を走り出る。
「――よし!」
樹木のカーテンを抜けると、周りには何もない。一面に草原が広がるばかりだ。
太陽が眩しい。
ずっと薄暗い森の中にいたせいだ。
「はぁ、やっと出られましたね」
アミュも後から歩いてきて、クォードの隣に立つ。
「これから、どうしますか?私は、あなたに何処までも同行したいと思っているのですけれど」
それには答えず、クォードは歩き出す。いや、走り出した。
方向は大体覚えている。一刻も早く仲間と合流するのだ。
走り出したクォードの真横にぴったりくっついて、アミュも低空飛行でついてくる。
彼女の表情には余裕が伺えた。とても振り切れそうにない。
そうと判ったクォードは歩調をゆるめ、ついには立ち止まる。
「OK、判った。降参だ」
「えっ?」
地面に降り立ち首を傾げるアミュを見上げ、クォードは、しかめっつらで言った。
「お前の同行を許してやる。だが、俺の仲間には一切手をかけるなよ。約束だ」
「はい!」と嬉しそうに頷く彼女など最後まで見ず、クォードは再び歩き出す。
こいつをつれて戻ったら、仲間は、さぞ驚く事だろう。
もしかしたら、裏切り者だと判断されるかもしれない。
それでも奇跡の石さえ差し出せば、風向きが変わるのではないかという目論みが、あるにはあった。
あったが、しかし。
探し求めていた奇跡の石、その中核をあげると言われても、クォードの心には迷いがあった。
俺の望み、か。
そんなものはない。
先発隊に志願したのも、半ば捨て鉢な気持ちだ。
アザラックが失われた日を境に、クォードの人生からも光は奪われたのだ。
神族アミュの話によれば、奇跡の石には死者を蘇らせる力があるという。
本当に可能なら彼女を、アザラックを蘇らせたい。
しかし――と、クォードは考えを巡らせる。
うまい話には大概酷いオチが待ち受けているもので、死者の蘇生も、きっと自分の望み通りには進むまい。
蘇ったとしてもクォードの事を忘れているといった、そういう展開が待っていたら何の意味もない。
それに、奇跡の石を個人で使う。考えもしなかった。
先発隊は石を持ってこいと命じられたのだ。勝手に使っていいわけがない。
念のため、クォードは尋ねた。
「死者を蘇生できるって言ったな。なにか落とし穴があるんじゃねぇのか」
「落とし穴、ですか?」
「そうだ。例えば、蘇っても全くの別人になってしまうといった」
「それは、ありえませんね」
いやに、きっぱりと首を真横にふる。
「私達神族の再成形とは異なり、蘇生は最後の状態を復元するものです。当然、記憶も最後の状態で蘇りますね」
「そうか」
なら、希望はある。更に念には念を入れて、クォードは聞いてみた。
「蘇生には何が必要だ?魔力がいりそうだってのは判るんだが」
「えぇ、魔力は必要です」
にっこり微笑み頷いた後、アミュは口元に手をやり考える仕草をする。
「そうですね……できれば遺体の一部があったほうが好ましいのですが、なくても大丈夫です。蘇らせたい相手の生前の姿を思い浮かべ、石に念じるといいでしょう」
言ってから、尋ね返してきた。
「……クォードさん、どなたか蘇らせたい相手がいるのですか?」
クォードは視線を逸らし「誰だっていいだろ」と呟くと、歩を早める。
見慣れた景色が近づいてくる。
あの村から、さほど離れた場所でもなかったようだ。
まだ、仲間達が村に残っているかどうかは定かではない。
「ギギッ、ギッギィッ!!」
不意に頭上で甲高い鳴き声がしたかと思うと、まっすぐクォードの胸に飛び込んでくる黒い塊がいる。
使い魔だ。使い魔はクォードの胸にしがみつくと、嬉しそうにキィキィ鳴いた。
「お前、俺を捜しに、ここまで?」
キィ、キィと甘えた声を出して、使い魔がクォードを見上げてくる。
真っ黒な瞳はキラキラと輝いており、その通りと言わんばかりだ。
先ほどよりも数倍嬉しそうに、頬をクォードの胸にすり寄せてくる。
その様子を見ていたアミュが、そっと声をかけてきた。
「可愛いですね。あなたに、とても懐いていて」
たちまち使い魔は全身の毛を逆立てて、ギィッ、ギィ!と激しく神族を威嚇する。
勝てる相手でもないだろうに、勇ましいものだ。
第十五階級以下の下級魔族は言語もまともに扱えない者が多く、それらは使い魔としてこき使われる運命にある。
戦う必要のない者は、却って格上に対する恐怖心がないのかもしれない。
「あぁ、大事な俺の使い魔だ。手を出すなよ」
クォードが頷くと、使い魔はコロリと態度を変えて、再びご主人様の胸に顔をすり寄せる。
「出しません。約束しました、あなたの仲間には一切危害を加えないと」
アミュは微笑み、さらに何かを言おうとしてハッと前方へ目をこらす。
「どうした?」と尋ねたが、彼女が何を察知したのかクォードも気配で感づいていた。
魔族だ。数人が、こちらへ向かってきている。
恐らくはアルタスと部隊の生き残り。
使い魔を追いかけて、クォードを探しに来てくれたのか。
いや、そんなはずはない。
人質になるような間抜けは見捨てろ。
散々部下に言ってきたのは誰だ。自分じゃないか。
ならば何故、アルタスは使い魔を追いかけてきたのか。
その答えは、すぐ明らかになった。
「クォード様を発見しました!」
ペテルギウスが叫ぶのと、一同が急停止したのは、ほぼ同時で。
アルタス達と向かい合う。
彼らの視線はクォードを飛び越え、真っ直ぐアミュへ向かっていた。
くぅっ、と小さく呻いたのはアルタスだ。相手の階級が読み取れない。
数時間前、クォードが味わった恐怖を彼らも味わうことになるのだ。
アルタスの視線がアミュからクォードへ移る。
両手を束縛された姿を見、彼は苦し紛れに言った。
「そこの神族、聞きたいことがある。クォードを人質に取って、どうしようというのかね?」
アミュが答える。
「人質って……そんなつもりで縛ったわけじゃ」
「質問に答えたまえ」
「えぇと、その。最初は一緒に旅をしようと思っていたのですが、気が変わりました。彼の好きなようにさせるかわりに、私も同行しようかと」
ポッと頬を赤らめ、もじもじテレる神族を、仲間がぽかーんと見つめている。
しばらく経ってアルタスがクォードに口をパクパクさせた。
――魅了したのか?
音のない質問に、クォードは首を真横に振る。
アルタスは難しい顔で考えていたが、ややあってアミュに問う。
「魅了されたのではないとすると……何故だ?何故、君はクォードと行動を共にしたがっている」
聞きながら再び階級を探ったが、やはり判らない。
とすると、少なくとも第三級以上である。
クォードがあっさり捕まったのも納得だ。
アミュは赤い頬を両手で押さえ、ポツリと答える。
「彼を、好きになってしまったからです」
魔族が一斉にどよめく。
「好き、とは?」と更に突っ込んだ質問をしたのはアルタスの副官、ペテルギウスだ。
「異性としてですか?それとも、食用としての意味で」
「もちろん、異性としてに決まっているじゃありませんか」
アミュは微笑むと、皆の前でぎゅっとクォードを抱きしめた。
たまらないのはクォードで「放せッ!」と暴れるが、背後から抱きしめられているのでは、どうにもならない。
魔族が、ざわめきあう。
「どういうことだ?」
「ちっこいから愛着がわいたんじゃねぇか?ほら、使い魔として」
なんて小声も聞こえてきて、ますますクォードの怒りを上昇させる。
あいつら、好き勝手言いやがって。
好かれているとは思っちゃいなかったが、何も目の前で言わなくても良かろう。
「ク、クォード様ぁっ」と切ない叫びをあげたのは通称名無し、今の名前はメリーだ。
「クォード様を、クォード様を放してくださいっ」
普段は神族と聞いただけで腰を抜かすほど臆病なくせに、この時ばかりは飛びかからん勢いだ。
両側から仲間に押さえつけられているが、放せば、きっと神族へ向かっていくつもりだろう。
臆病な部下の意外な勇気に、クォードは驚かされる。
そういや、あいつだけは最初から自分に好意的だった。
だが、あれがどんなに騒いだところで、この状況を打破できるとは到底思えない。
メリーの切実な願いにもアミュは首を振り「嫌です」と答えると。
腕の中のクォード、その頬にそっと唇を寄せる。
またまた仲間がどよめき、クォードは癇癪を起こして怒鳴った。
「放せっつってんのが判らねぇのか!?いい加減にしねぇと、お前を嫌いになるぞ!」
もう充分、これ以上ないってぐらい嫌いだったのだが、牽制するつもりで叫んでみれば。
アミュは慌ててパッと離れ、しょんぼりと項垂れた。
「す……すみません、つい」
「言いなりだな」
ポツリとアルタスが呟き、アミュを見据える。
階級の判らない神族など相手にするべきではない。
彼の理性はそう告げていたが、好奇心が理性を上回った。
「君も奇跡の石を探しているのか?それで、クォードを使って探し出そうと」
アルタスの言葉を遮って、アミュが己の羽根の中から欠片を取り出す。
何の変哲もない石の欠片を、魔族の皆にも見えるように高く掲げた。
「石ですか?それなら、もう見つけました。これが、その中核です」
「なんだと!?」
大きくざわめく魔族を前に、アミュは平然と続けた。
「大天使様の為に持って帰ろうと思っていたんですが、気が変わりました」
大天使というのは、恐らく神族のボスだろう。
そいつの命令を無視して、一体何をやろうというのか。
先の読めない相手の返事に、アルタスの頬を汗が伝う。
それでも彼は冷静に切り返した。
「またか。君は、よくよく気が変わりやすいと見える」
「今までは、そうでもなかったんですけどね」と言って、アミュがクォードに視線を落とす。
「彼に会って、私……目覚めたんです」
「何に?」とアルタスが問えば、アミュはにっこり微笑み「自我に」と答えた。
「これまでの私は、こうしたい、ああしたいと自分で考える事が、あまりなかったんですけど、彼に出会って、初めて、この人に一生ついていきたいって思うようになって」
一体、クォードの何がそこまで神族を惹きつけたのだ?
予想外の答えにアルタスは硬直し、背後の部下のどよめきが収まらない。
魅了が効いたわけではなさそうだ。先ほど、クォード本人も否定していた。
かといって心が通じているようにも思えない。
クォードの嫌がりっぷりを見る限り。
一方的な恋心?一目惚れ?
訳が判らない。
判らないが、判ることが一つだけある。
それは奇跡の石を、目の前の神族が手にしている事実だ。
なんとしてでも石を奪いたい。
できればクォードも奪還したいが、両得は難しかろう。
神族はクォードに固執している。
ならば、石と引き替えというのは?
思いついた事を、アルタスは口にした。クォードに嫌われるのも覚悟の上で。
「君が石を何に使う気なのかは知らないが、一つ提案がある。その石を我々に渡すかわりに、クォードを君にやろう。交換条件だ、悪い条件ではあるまい?」
「なっ!」と叫んだのは第一小隊の部下のみならず、クォードは勿論ペティやメリーも驚愕する。
驚かなかったのはアミュだけで。
彼女は笑みを崩さぬまま、きっぱりと拒否した。
「この石はクォードさんにあげるつもりです。ですから、あなた達には渡せません」
「なんだと」
石もクォードも自分のものにしたいと言うのか。強欲な神族め。
女からは余裕が伺える。
アルタスも第三級だ、格下相手と舐めてかかっているのだろう。
実際、力づくで飛びかかるのは無謀というもの。
一瞬にして塵と化すのが関の山だ。
「クォードさんが、ご自分の為に使うというのなら、ですが。魔族の他の誰かの為に持ち帰る――それは駄目です、渡せません。私は、クォードさんに使っていただきたいのです。奇跡の石を」
「なら」と口を挟んだのは、そのクォード本人で。
「その石をよこせ。俺の願いが決まった」
「クォード!? 石を勝手に使うだと、本気で考えているのか?」
どよめくアルタスや他の連中を一瞥し、クォードは冷たく言い放つ。
「どのみち、このままじゃ石は神族の手の内だろ?こいつらに使わせたら、とんでもない目に遭うぞ。世界を浄化させるなんて、冗談じゃねぇ……そんなの絶対やらせる訳にいかねぇ」
「世界を浄化?一体、何の話をしているんだ!?」
話の見えないアルタスには答えず、クォードはアミュを睨みあげる。
「俺の望みは、ただ一つ。死んだあいつを生き返らせる事だ。石を渡せ」
一歩も退かず、アミュが尋ねる。
「あいつとは、どなたですか?」
クォードは答えた。
「アザラックだ。俺の、一番大切だった女だ……」
沈黙が空いた。
渡さないと言い張るのではないかと、誰もが危惧した。
昔の恋人を生き返らせるのが目的では、クォードを好きだと言う神族が納得するとは思えない。
だが皆の予想を覆すかのように、アミュの返答は違っていた。
「……いいでしょう。それで、あなたが満足なさるのでしたら」
ぱらり、とクォードを束縛していたロープが地に落ちた。
石の欠片が、アミュの手からクォードに渡る。
暖かい光だ。石自体も暖かい。
クォードは欠片を握りしめ、一心に祈った。
愛しき人、アザラックの面影を脳裏に浮かべて、彼女と再び会いたいと願った、その直後。
彼の姿は一瞬にしてかき消え、石ごと皆の前から姿を消してしまった。
「クォード様ッ!?」
仲間の手を振りほどいたメリーが彼のいた場所へ駆けつけるも、クォードの残り香すら感じられない。
「貴様、司令官をどこへッ!」と第一小隊の誰かが叫ぶのへは、アミュも困惑の表情で叫び返す。
「わ、わかりません!私が聞きたいぐらいです!!彼は、どこへ行ってしまったんですか!?」
求めていた答えではない、それもこちらを疑う発言に、魔族は怒りで沸き立った。
「やめろ、奴に関わるな!ここから急いで撤退しろ!」
アルタスが命じても、仲間は聞き届けない。
猛々しい声をあげて、一斉にアミュへ襲いかかる――!
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