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act15.賢人たち

その山は昔から、そびえたっていた。
しかしレジェンダーは誰も、山の奥へ立ち入ろうとはしなかった。
必要なかったのだ。
樹木を得るにしても山菜を採るにしても、麓で充分事足りた。
それに、森は危険だ。方向感覚が狂わされてしまう。
山へ行く必要があるならば、よほどの準備をしておかないと駄目だ。
レジェンダーの入らぬ山道をマナルナとスカイ、そしてリンタローは登っていた。
用意など何もない。手ぶらの探索だ。
だが、何もなくても彼女達には案内役がいた。
脳に直接響いてくる声――そいつが、次はどの方向へ歩けと指示してくる。
誰と、はっきり名乗られたわけではない。
だがスカイもマナルナも、声が古代レジェンダーの物であると信じて疑わなかった。
樹木の生い茂った深い森だが、不思議と生き物の気配はない。
黙々と山道を登る。
急な傾斜に出たかと思うと、今度は坂道を下らされ、遠回りしているようにリンタローには感じられたのだが。
「山頂が近いな」
ポツリと呟いたスカイに、マナルナもリンタローも注視した。
「どうして判るの?」
尋ねるマナルナに「風の向きが変わった」とだけ答え、再び無言でスカイは歩き出す。
酷く遠回りをしながら、それでも山のてっぺんへ辿り着く。
辿り着いた先には、何もなかった。
それこそ、草木一本生えていない。
土の面を見せた大地が広がっているばかりだ。
「何もないでござる」
落胆するリンタローの脳に、声が届いてくる。
リンタローのみならず、他の二人にも。

――今、入り口を開ける

「入り口?」
首をひねる三人は次の瞬間、あっとなる。
かすかに足下へ振動が響いてきたかと思うと、揺れは次第に激しくなり。
と、同時に土の一部が四角く割れて、地下への階段が現れたではないか!
「何これ……すごい」と感嘆の溜息を漏らすマナルナ。
その腕を軽く掴み、スカイが促した。
「行こう」
灯りも点らぬ階段を、ゆっくり下りていく。
途中何度もマナルナが足を踏み外しそうになり、スカイへ抱きつく形で最後の段を降り立った。
広い空間が広がっていた。
足下は石畳、壁も石造りで、しっかりした構造になっている。
建物が並んでいた。店もある。遠目に見えるのは、畑だろうか。
一つの街だ。
地下に、街が存在している。
恐らくは遥か昔から、この場所は存在していたに違いない。
だが伝承を語り継ぐラギ使いのスカイでさえも、地下に広がる街の話は聞いたことがない。
「ここは、一体……」
きょろきょろと辺りを見渡していると、足音が近づいてきて。
ハッと身構える三人の元へ、姿を現した者がいた。
褐色の肌に、燃えるような鮮やかなオレンジ色の髪の女だ。
耳元には、ぽわぽわした毛が生えている。
紛れもない、自分達と同じレジェンダーである。
そうと判って警戒を解く三人に、女が微笑む。
「地上の民よ、古代レジェンダーの街へようこそ」
「古代レジェンダーの街?賢人は谷間の村に住んでいるんじゃなかったのか」
スカイが聞き返すと、古代レジェンダーは答える。
「谷に残ったのは、ほんの数人。地上を見守る役目を持った者だけです。多くの仲間は異界からの災害が来るよりも前から、ここに移り住んでおりました」
「イカイ……って?」と、これはマナルナの問いに。
女は改めてミカルと名乗り、彼女へも答えた。
「異世界と言い換えても良いでしょう。ホルゲイやフィスタの住む世界……彼らは、我々とは違う世界からやってきたのです。それにいち早く気づいたのが、谷に残った我らの仲間でした」
信じられない事を平然と告げると、ミカルが踵を返す。
「ついておいでなさい。あなた方は賢人達に用があるのでしょう?新羅フォルクスを作る手伝いがしたい――そう、お聞きしました」
歩き出した彼女の背を追いかけてスカイとマナルナ、リンタローの三人も街の中へ。

石と土で囲まれた地下洞窟街の最も奥深くに、賢人達の住まいはあった。
住居の近くには火事場もある。
そこで最強の武器を作っているのだと、ミカルは教えてくれた。
最強の武器の名は、新羅フォルクス。
奇跡の石を材料に、ホルゲイとフィスタ両方を滅ぼす力を持つ。
「けど、まだ出来ていないんでしょ?どうして討ち滅ぼせるって判るの」
マナルナの問いに、ミカルは優しい視線を向けると。
「奇跡の石について、あなた方は、どれだけご存じでいらっしゃいますか?」
逆に問い返してきた。
どれだけ、と言われても。
村を出るまで石に関する情報など、マナルナは持ち合わせていない。
スカイが代わりに答えた。
「この大地を悪しきものから守る、そう伝えられてきた」
それも漠然とした伝承だ。
悪しきものとは具体的に言うと、何なのか。
石が、どんな形態なのかも判っていない。
「なるほど……」
ミカルは静かに微笑み、やがて語り出す。
「奇跡の石は遥か昔、レジェンダーが生まれるよりも前から、この星に存在していました。刻の賢者が調査したところ、石は別の世界から運び込まれたものではないか……異世界の住民が『魔力』と呼ぶものが凝縮され、石となったのではないかと仮定しました。やがて時は経ち、この大地に最初の災厄が訪れたのです」
「災厄?」
三人が同時に声をあげる。
ミカルは頷き、賢人の住まいの扉を開いた。
「そうです。この星は、今より数百年前にもホルゲイやフィスタに襲われたことがあったのです」
「なんだって!?」
驚くスカイ達の目前に、賢人達が姿を現す。
どの姿も年老いていた。
白い髭に顔一面を包まれて、見えるのは鼻ぐらいか。
ミカルの言葉を継ぎ、背の低い賢人が朗々と唱える。
「奇跡の石、虚空より現れし存在。魔と神より生まれ、闇に帰る力。研ぎ澄ませば強力な牙となり、何物をも打ち倒さん。死者に与えれば生命を吹き返し、大地は花を芽吹く。石は一つにあらず。世界に三つ点在す」
「三つ?」と聞きとがめるスカイに、別の賢人が頷く。
「さよう。ここで加工しておる石の他にも、あと二つ。世界の何処かに眠るとされておる」
「そ、それよりも」
身を乗り出してきたのは、マナルナだ。
「死者に与えれば息を吹き返すってホント?ホントにホントッ!?」
もし本当ならば。吹き飛んだクォン村の皆を蘇らせることも可能なのでは――
だが少女の淡い期待を打ち消すかのように、賢人は重々しく、かぶりを振った。
「石を使っての蘇生は危険を伴う。使う者にも魔力を必要とする。それに……仮に成功したとしても、同じ生命ではないかもしれぬ」
「それは、どういう……?」
首を傾げるスカイへ、賢人が言う。
「違う生命となって地上へ現れる。その可能性もある、ということじゃ」
「なるほど」
ウムウム、と頷くリンタローへ、スカイとマナルナの視線が集まる。
「奇跡の石とは魔力の塊でござったか。ホルゲイとフィスタは魔力を持つ者でござるから、より強い魔力をぶつければ消滅させられる、という次第で候」
「お前、本当に理解しているのか?」
スカイには訝しがられ、リンタローは片瞼をつり上げる。
「当然でござるよ。蘇生も魔力を使って形成するから、見た目は同じでも魂の異なる物ができあがる――そうでござろ?」
賢人に相づちを求めると、皆が頷いた。
「さすがは聖獣の末裔ぞ。知識の深さは我らと同じか」
褒められ、調子を良くしたリンタローは羽根を広げて勝ち誇る。
「ふふん。伊達に長生きはしておらぬで候」
「長生き、ね」
ポツリとスカイが呟き「なんでござる?」とリンタローが絡んできたが、相手にせずスカイは賢人へ尋ねる。
「新羅フォルクスは、確実に奴らを消滅させられるのか?それを使う奴にも魔力を必要とするのか?」
皆が声を揃えて言った。
「できる」
「奇跡の石は魔への歯止めとして生み出されたもの」
「我らは、そう考えておる」
「石を、いかなる者でも使えるように加工する」
「それが新羅フォルクスだ」
一人が、すいっと歩み寄り、スカイへ手を差し出した。
「少年よ。最強の武器を作る手助けをするがよい」
「あぁ」
力強く頷き、スカイが手を握り返す。
直後、賢人とスカイ、そしてマナルナとリンタロー。
それからミカルも一緒に、一瞬にして火事場へと移動した。
中央に燃えさかる炎。
その脇では、何人もの男達が鎚を振るっている。
巨大な塊を叩きつけていた。あれが奇跡の石なのか。
体に震えが走る。衝撃が止まらない。
恐ろしいような、それでいて暖かい光に包まれた気がして、マナルナは大きく身震いした。
傍らでリンタローが呟く。
「これが……奇跡の石」
まだ剣の形になったとは到底言えず、尖った石の塊に見える。
炎で真っ赤に熱された石の塊だ。
賢人が囁く。
「お前達も手を貸すのだ。鎚を取り、振るうがよい。想いの重さが石を剣に変える。強い想いであれば、あるほど剣の完成は近づくであろう」
「よ、よし」
手近にあった鎚を手に取り、スカイが石へ近づいていく。
思いっきり振り上げ、脳裏に両親の姿を思い浮かべた。
楽しかった、あの頃。
まだ皆が生きていた時代。
幸せな生活は一瞬にして奪われた。
空からの奇襲で、次々と命を落としていく仲間達。
もう、あのような惨い目に、誰も遭わせてはいけない。
勢いよく鎚を石へ叩きつけると、澄通った音が響き、火花が散る。
「ほぅ」
賢人の一人が顎に手を当て、感心する。
「いい想いだ。ほどよい重さだ」
マナルナも鎚を手に取り、真っ赤に輝く石へ近づいた。
クォン村を思い出すのは辛かったけれど、これも剣を完成させる為だ。仕方ない。
思い出すのは、亡き両親との楽しい日々。
そして――最愛の人、ヒューイの面影。
マナルナは鎚を振るった。
振るいながら、いつしか彼女の両目からは涙が、とめどなく流れ落ちていた。

森の様子が一変したのは、ある領域に入り込んだ瞬間であった。
「くそッ!この縄を外しやがれ」
悪態をつくクォードを背に庇い、アミュが剣をふるう。
「大丈夫、あなたは私が守ります!」
枝という枝が無数の鞭となって、二人に襲いかかってくる。
樹木は身を揺らし、バラバラと木の実を降らせてきた。
それらを一つ残らず剣で叩き落とし、枝を一刀両断しながら、アミュが難なく奥へ進んでいく。
後ろから来る攻撃にも、彼女の反応は迅速で。
クォードに当たるかという寸前で、伸びてきた枝はバラバラに四散した。
さすが、第一級の上を名乗るだけはある。アミュには死角がない。
しかも彼女は、ここに至ってもまだ剣だけで戦っている。
魔力を使うまでもない相手なのか。
同じ目に遭って命からがら逃げ出してきた身としては、どうにも納得いかない。
見るからに細腕の華奢な女が、自分達より数段強いという事実に。
「どうして、木々が私達を……!?」
首を傾げ、でも打ち払う手は休めない彼女にクォードが応える。
「古代レジェンダーだ」
「古代レジェンダー?」
「古代種が、いるんだよ」
ぱらぱらと降り注ぐ木の実の残骸を避け、クォードは忌々しげに舌打ちした。
「そいつらが木を操っている張本人と見て、間違いねぇだろうぜ」
「……なんて卑怯な」
ポツリと呟く横顔を、クォードは見上げる。
「お前でも、そう思うのか」
「当たり前でしょう!」
憤った調子の答えが返ってきた。
「自分の手を汚さず、何の関係もない自然を操って戦わせるだなんて……エゴイストです!」
アミュは怒っていた。
目にも止まらぬ速さで、ヒュン、ヒュンと剣が唸るたび、パラパラと木くずが落ちてくる。
やがて相手のほうでも無駄だと悟ったのか、木々の攻撃も次第に少なくなり。
アミュとクォードは、茂みの前で一旦停止した。
「この先……」
小さく呟くクォードに、アミュが頷く。
「異質の気配を感じますね」
同じだ。森の奥で、不思議な石――アルタスが生命の石と名付けた、アレに似た。
茂みの奥に感じるのも、あの石があった場所と同じ気配だ。
木々は、もう襲ってこない。
辺りは静まりかえっている。
だが、どこかで息を潜めて二人を監視しているはずなのだ、古代レジェンダーが。
「進みましょう」とアミュが言ってくるので、クォードも頷いた。
あの時は為す術もなくボロボロに逃げ帰ったが、この女がいるなら。
安全に、調べることができるかもしれない。
もし、あの場所と同じ石が存在していれば。

茂みの向こうは開けた場所になっていて、やはり自ら光を放つ石が、そこに存在していた。
「これが……」
何の警戒心もなく、すっとアミュが石へ近づくと。
静かに表面を撫で、小さく呟いた。
「奇跡の石、ですね。大天使様のおっしゃっていた通りです」
「何ッ!?」
驚愕するクォードを振り返り、何を驚いているんだとばかりにアミュが微笑む。
「どうかいたしましたか?」
「お前……お前、どうして」
つっかえながら、クォードが尋ねる。
「どうして、お前にそれが奇跡の石だと判るんだ?」
「あぁ、それは」と、アミュが言うには。
奇跡の石の存在は、彼女達の住まう神界では有名な代物で。
今回、ボルドへ仲間が降り立つきっかけになったのも、奇跡の石探しが目的であった。
どのような物なのかは、はっきりと判っている。
神界の伝承にも記されているから。
自ら光を放ち、大きさは神族の背の丈を越す。
近づいて触ってみれば、鼓動を感じるだろう。魔力の鼓動だ。
石は生き物の心に反応する。
触ったものに、懐かしい記憶を呼び覚まさせる事もある。
死んだ者を与えれば、その者を復元する事も可能だ。
万能の石である。
その正体は、太古の昔に死した大天使の魂である。
魔力の塊と言い換えても良い。
塊は幾重にも分かれて方々へ飛び散り、ここ惑星ボルドにも欠片が三つ、隕石となって降り注いだ。
それが、今頃になって神界で必要とされるようになった。
世界の浄化――
全てを無に戻すため、大天使が命じたのだ。
神族達へ欠片を見つけてくるように、と。
「世界の……浄化?随分大きく出たもんだな」
話半分に聞き流しながら、しかしクォードは一点の情報に激しく興味を示していた。
死んだ者の復元。要は、蘇生か。
石に死者を生き返らせる効力まであるとは、知らなかった。
「えぇ、ですが大天使様になら可能ですから。奇跡の石さえ入手できれば」
あっさり言い返すと、アミュは再び石の上に手を置いた。
「それにしても、暖かい波動です……幼い頃を思い出してしまいますね」
少し離れた場所で、クォードは尋ねた。
「過去を見せるって言ったよな」
樹海にあった石と同じだ。
とすると、あれは生命の石なんぞではなく奇跡の石だったのか?
だとしたら、とんだ失態だ。仲間の死に動揺して、石まで取り逃がすとは。
クォードは内心舌打ちし、憎々しげに目の前の石を眺める。
あの樹海へは二度と入る気にならないが、あれが奇跡の石ならば、いずれまた入らねばなるまい。
奇跡の石は全て入手せよ。それが、クォード達の受けた命令だ。
命じたのは総指揮官だが、もっと上の存在が石を欲しているのであろうとクォードは考えた。
魔界にも、大天使と似たような存在はいる。
大魔族、魔神などと呼ばれているが、直に会ったことはない。
「えぇ。そのものが最も大切に想う過去を、脳裏に浮かび上がらせてくれるのだそうです」
触ってみますか?と場所を空けられて、クォードは首を真横に振る。
「結構だ」
しかし――石は大きい。どうやって持ち帰ればよいのだろう?
樹海のやつだって、びくともしなかった。
思案に暮れるクォードの前で、アミュが「えいっ」と剣を石の根本に突き立てる。
何をするのかと見守る中、ぐいっと彼女が剣を押しただけで、あの巨大な石が、ぐらりと傾くではないか!
「お、お前、何を!?」
慌てるクォードを片手で制し、アミュがニッコリと微笑んでくる。
「危ないですから、クォードさんは下がっていて下さいね」
アミュは石の真下にいる。
足下を掘り返されて、グラグラ揺れる巨大な石の真下に。
思わずクォードは叫んでいた。
「いや、危ないって、危ないのはお前だろ!」
だがアミュときたら、のほほんと笑って「えいやっ」とばかりに、さらに剣を深く地面へ埋め込む。
がくん、と石が斜めに下がり。
クォードは、考えるよりも先に動いていた。
「危ねぇッ!!」
アミュの上に石が倒れてくる寸前、彼女へ横合いから体当たりし勢い余って茂みに突っ込む。
「きゃあ!?」と甲高い叫びを残し、クォードと一緒に茂みへもつれ込んだアミュは。
ややあって身を起こすと、困ったような、それでいて嬉しそうな表情を浮かべてクォードを見た。
「えっと、ごめんなさい。気を遣わせてしまったようで……」
助けられたというのに、奥歯に物が挟まった物言いだ。
ムッとするクォードへ頭を下げると、彼女は、こうも付け足した。
「でも、大丈夫だったんですよ」
「何が大丈夫だよ!?お前、石の下敷きになるところだったろうが!」
血相変えて怒鳴る相手に、もう一度苦笑すると。
アミュは立ち上がって、巨大な石の前に手をかざした。
「えぇ、ですから。あのまま放っておけば私の張った結界に当たって、粉々に砕ける予定だったんです」
「結界だって?」
そんなもの、いつの間に張っていたのか。気配さえ感じられなかった。
「石が当たる寸前に、少しの間だけ張るんです。大丈夫ですよ、私の結界は頑丈ですし」と、アミュ。
クォードは信じられない、とばかりに何度も頭を振った。
自分にぶつけて石を砕くなど、とんでもない事を考える女だ。
肝が据わりすぎている。
「ふっ」と彼女が小さく力を込める。
両手に淡い光が生まれた、と感じたのも一瞬で。
バカンと大きな音を立てて、奇跡の石は粉々に砕けた。
「い、いいのか?砕いちまって」
「砕かないと持って帰れないでしょう。それに」と欠片をつまみ上げ、アミュが言う。
「本当に大切なのは石そのものではありません。石の中核にある魔力です」
中核と言われても、足下にはバラバラになった石の破片が転がっている。
破片はどれも同じに見えて、どれが中核だか判らない。
困惑するクォードの前で、「あっ」と弾んだ声をあげたアミュが一つの欠片を愛おしそうに拾い上げる。
「これです」と見せられたが、やはり他の欠片との見分けがクォードには、とんとつかなかった。
アミュには、判るのだろうか。
これが第三級と特級の違いなのか?
彼女といると、こちらのプライドまで粉々に壊されてしまいそうだ。
「それ……持って帰るのか」
我ながら、なんと馬鹿なことを尋ねているのだろうとクォードは思った。
後発部隊ではないけれど、彼女はこの地に降り立った。
目的は他の奴らと同じと見ていい。
神族も石が目当てだったのだ。
世界の浄化を求めて。
しかし世界の、というが、どこまで浄化する気なのか。
「えぇ、もちろん」
輝く笑顔で頷く彼女へ、再度尋ねた。
「世界の浄化っていうが、世界ってな、どこらへんまでを指すんだ?世界っていうからには神界だけじゃねぇんだろ」
「もちろんです」と同じ言葉を繰り返して。
彼女は、クォードの予想を遥かに上回る事実を口にした。
「世界とは、全ての世界です。生きとし生けるものが住む、全ての世界を浄化なさると聞きました」
それは、つまり。魔界も当然含まれる。
ボルドも然り。
とんでもなく広大な範囲を浄化――清浄にすると言っているのだ。
冗談ではない。
そんな真似をされたら、他の世界はどうだか知らないが魔界は確実に滅びる。
クォードが下向き加減に黙ってしまったので、アミュはひょいっと彼を覗き込んでみた。
「どうしたのですか?クォードさん」
だが、次の瞬間には「ふざけんじゃねぇッ!!」と怒り狂ったクォードに飛びかかられ。
アミュは「きゃぁっ」と叫びつつも、咄嗟に両手で払いのけようとして。
その手は見事に狙いを外し、飛び込んできたクォードもまた勢いを殺す手段を持たず。
二人はもつれ合い、上や下やと転がって、最終的にはアミュの大きな胸がクォードの顔面を押しつぶした。
「クォードさん、いきなり飛びかかるなんて、私、もう、もう、我慢できませんっ」
ぎゅっとのし掛かられる形で胸の谷間に顔を埋めたクォードが、じたばたと暴れる。
胸が邪魔で満足に息も出来ない。
おまけに重たいわ、アミュの手が、さわさわとクォードの頭や体を撫でてくるわで、くすぐったくもあり。
「うるせッ、苦しいんだよ、さっさとのきやがれ!」
だがアミュは聞いているのかいないのか、いや多分全然聞いていないと思われる眼差しで、己が押しつぶした男を見つめた。
その瞳は情熱で熱く燃えており、唇はつやつやと潤っている。
「な、なんだよ」
やっとこ胸をぐいっと押しのけたら、その瞳とご対面だ。
クォードがおののくのも、無理はない。
なにしろ相手は四階級も上の強敵だ。
ついカッとなって飛びかかってしまったが、アミュが本気で抵抗していたら今頃はこちらが塵と化していた。
「……クォードさん」
いやに艶めかしい声で、アミュがクォードの名を呼ぶ。
息がかかる。熱い息だ、しかも荒い。
こんなふうになる女を、クォードは過去に何度も見てきた。
魅了にかかった女どもである。
だが、アミュにクォードの魅了は効かなかったはず。
内心首を傾げるクォードの顔に、ぐんぐんアミュの顔が近づいてきて。
何をしようとしているのか察したクォードは「おい、待て!」と彼女へ呼びかけた。
いきなり、どうしてしまったというのか。
先ほど我慢ができない、と叫んでいたようにも思う。
一体、何を我慢していたんだ?
唇が重なろうかというギリギリで、アミュの接近が止まる。
「奇跡の石、欲しいですか?」
思わぬ質問をされた。
きょとんとするクォードへ、もう一度アミュが問う。
「魔族も奇跡の石を探しているのでしょう……?奇跡の石、欲しいですか」
当然、欲しいに決まっている。
その石の為に、何十何百と仲間の命が散ったのだ。
クォードが答える前に、彼女は、もう一言付け足した。
「もしクォードさんが、クォードさん自身の為に使うというのであれば……奇跡の石を、お譲りしてもいいです。ただし」
「ただし?」と先を促すクォードに、アミュが頬を染める。
「私も一緒に連れて行って下さい。あなたと共に、生きていきたいのです」
そう言って、唇を重ねた。クォードの唇に、自分の唇を。
クォードは更なる混乱に陥った。
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