Folxs

act14.格上

紛れもない。
こいつは神族だ。背中の白い羽根と頭上の光る輪が嫌でも、それを証明していた。
「誰だ、テメェッ!どこから入ってきやがった!?」
クォードの叫びに、神族がパチリと目を覚ます。
だが、続いてクォードが言おうとした言葉は片手で塞がれた。
「ぐぅッ!!」
「静かに」
落ち着いてはいるが、有無を言わせぬ口調だ。
神族は女だった。赤い瞳がクォードを睨みつけている。
「騒ぐと皆が集まってきて、大事になってしまいます。あなたの側で寝てしまったのは、すみませんでしたが、あなたの存在に気づかなかったんです」
「む、むぐぐぅっ!?」
口を塞がれた状態で、クォードの眉間に縦皺が寄る。
ふりほどこうと両手で掴みかかったが、全く動かせない。
細腕に見えて、なんて馬鹿力だ。
階級を探ろうとするも全然判らず、クォードは戦慄した。
――この女、何者だ?
何故、自分の隣で無防備に寝ていたのか。
何故起きた今も、戦おうとしないのか?
片手でクォードの動きを封じられるほど、実力の差は歴然だというのに――
じたばたもがくのを止めたクォードに対し、神族はコクリと頷き弁解を繰り返す。
「私も疲れ切っておりましたし、あなたが、あまりにも小さかったので見落としました」
自分の背丈が他の者より小さいのは自覚している。
だが見知らぬ他人の、しかも神族に言われる筋合いはない。
大体、自分の隣には副官が寝ていたはずだ。
夜中に一度目が覚めた時、彼女が横で寝ていたのを確認している。
彼女はどうした、どこへ行ったのだ?まさか、こいつに殺されたんじゃ――
「あ、いててて……あれ?どうして床で寝ているんでしょう、私」
そこへ、むくりと起き上がる人影。
ベッドの真横で起き上がったのは、通称名無し。本日の名前はメリー。
起き抜けで、しばらくボーっとしていた彼女の視線が、ようやくベッドの上の神族とクォードに定まった。
「あ……れ……?」
「あ、あの、もう一人いたんですか?私は、そのっ」
神族が何か言いかけるも、次の瞬間にはメリーのくちから最大級の悲鳴が飛び出して。
「んっぎゃーーーーーーーーーー!!!神族ゥゥゥー!!」
「い、いけない!このままじゃ大事に――」
神族の取った行動は迅速であった。
皆が集まってくるよりも先に、屋敷を低空飛行で飛び出していったのである。
片手には壁に立てかけてあった剣を。
そして、もう片方の手にはクォードを掴んで。
「むーっ!むーむーっ!!」
口を塞がれた状態で何やら抗議の声をあげる彼など、一切お構いなしに。

先ほどの村が、あっという間に地平線の彼方へ消え去り、全く見えなくなる範囲まで遠のいてから。
神族は飛ぶのをやめ、地上に降り立った。
「ぶはッ!」
口を塞がれていたままのクォードも、ようやく解放され、周囲を見渡す。
てっきり仲間の元へ連れ去られるのかと思ったが、誰もいない。無人の荒野だ。
「てめぇ、こんなとこに俺をさらってきて一体何をするつもりだ!」
怒るクォードに、ペコペコと神族が頭を下げる。
「す、すみません。あなたを誘拐する気はなかったのですが、咄嗟で離すのを忘れてしまい」
「忘れただと!?」
また小さくて見えなかった、とでもいうつもりか。
こめかみに青筋立てて怒鳴るクォードを、ちらっと神族が上目遣いに見つめる。
「……あなたは、恐れないんですね」
「何を!」
「私とあなたの階級差に、です。魔族も階級を探ることは出来るのでしょう?」
そうだ。
頭に血が上りすぎて、こちらも忘れていたが、目の前の神族は階級が測れない。
つまり、少なくとも第三階級より上という事だ。
以前同等の階級に遭遇した以上、格上との遭遇も予想できたが、まさか、こんな早くに機会が訪れるとは。
「レジェンダーを襲っている魔族は容赦しませんが、あなたは見たところ誰も襲っていませんでした。ですから、私はあなたとは戦いたくありません。すみませんが、ここからは自力で戻っていただけますか?」
相手は戦う気がないと言っている。
しかし、このままコイツを見逃すわけにもいくまい。
階級の判らない神族を野放しにしておくなんて、脅威以外の何物でもない。
「信じられるかよ!」
勝てる見込みは全くない。
だが、クォードの選択肢は一つしかなかった。
戦って、こいつの階級を見極める。
仲間達にとって邪魔な障害になるか否かを調べなくてはならない。
それが捨て石、先発隊の役目でもあった。
ばっと間合いを後方に取って魔力を集中させるクォードに、再度神族が叫んできた。
「やめてください!実力の差は、はっきりしているでしょう!?あなたに私は倒せませんッ」
ずけずけと言ってくれる。
奴にはクォードの階級がハッキリ判っている。
判っていて、自分より低いから余裕があるのだ。
「うるせぇッ!神族の言うことなんざ、信じられるか!!」
長時間戦っていられるほどには、魔力が回復していない。
仕掛けるなら一度きりだ、一回で確実に仕留めなければ。
魔力を高めるクォードを、神族が困惑の表情で見つめている。
片手に持った剣は、鞘から出してもいない。
剣なんか使わなくても止める自信があるんだろう。だが、馬鹿め。
俺が今から仕掛けようとしているのは、たとえ剣でも止められない。
クォードは魅了のちからを使おうとしていた。
ただし、格上に使うのは初めてだ。失敗するかもしれない。
それでも、やるしかない。単純な魔力や戦闘力では勝てない以上。
「――くらえ!」
視線に集中した魔力を一気に解放する。
神族とクォードの視線がかち合い、数分が過ぎて。
神族が首を傾げる。
「えっと、何を?」
駄目だ、半分以上は予想された結果だったが全く効いていない。
魅了どころかポケチンと気の抜けた顔で見つめられ、クォードは失望よりも苛つきが勝ってきた。
こちらが真面目に戦っているというのに、こいつは何なんだ。
戦う気はないだの、掴んでいたのを忘れていただの。
いくら相手が階級不明の格上とはいえ、ここまで侮辱されたのも初めてだ。
「真面目に戦いやがれ!」
「いえ、ですから」
「お前に戦う気はなくても、こっちにはあるんだ!」
ブチキレて飛び込んでくるクォードに、今度は神族も容赦しなかった。
否――
「ごめんなさい!」
甲高い謝罪を耳にしたのが最後で。
クォードは土手っ腹に剣を突き入れられて、呆気なく気を失った。

クォードが再び目覚めたのは、荒野ではなく。
薄暗い森の中であった。
――森!?
慌てて飛び起きると同時に腹の辺りがズキリと痛み、彼は小さく呻いて膝をつく。
咄嗟に腹を押さえようとして、両手が封じられていると気づく。
両手は後ろにまわされ縛られていた。
硬く結んであるのか、どれだけ藻掻いても解けそうにない。
「あ!大丈夫ですか?一応、手加減はしたのですが」
聞き覚えのある声が頭上から響き、間髪入れずに人相悪く睨みつけると。
そこには先ほどの神族の顔があった。
「てめぇ、何の真似だ?まだ俺を拉致しようってのか」
叫ぶと腹に響くのでクォードが語気を抑えて尋ねると、神族は、ふるふると首を真横に振る。
「違います。あなたを、あなたの仲間の元へ戻そうと思って……」
訳のわからない返答に、ついつい抑えていたはずのボルテージもあがってしまう。
「じゃあ、この拘束は何だ!?なんで俺の両手を縛ってあるんだ!」
叫んだ拍子に腹がズキリと痛み、クォードは小さく呻きをあげる。
全く、なんてザマだ。
たった一人の神族に、さっきからずっと無様を晒している。
「それは、あなたが暴れるからです!」
つられて神族も語気が高ぶるが、呻いたクォードには優しかった。
「駄目ですよ。手加減したとはいえ、あなたの骨は折れているんですから」
抱きかかえられ、ぎょっとするクォードを神族が暖かい眼差しで見下ろしてくる。
「もうすぐ、お仲間の元へ帰れます。ですから、それまでは我慢して下さいね」
柔らかい感触が頭の後ろにある。
神族の胸だ。意外と大きい……
余計な意識を抱いている自分に気づき、邪念を脳裏から追い出そうと必死になって首を振るクォードに。
神族は改めて思い出したかのように微笑んだ。
「あ!そういえば、忘れていました」
「な、何をだ」
「自己紹介ですよ。名乗りをあげるのを忘れていました。私の名前はアミュです。あなたは?」
あまりにもマイペースにニコニコと微笑むアミュを、ぽかーんと見上げたまま。
クォードは、自分でも信じられないぐらい素直に「クォードだ……」と名乗りをあげていた。

草木が鬱蒼と生い茂る森の中をアミュが歩いていく。
その後を追いかけながら、クォードは尋ねた。
「それで……ここは、どこなんだ?」
ぴたりと足を止め、アミュが答えた。
「それが、そのぅ……ここ、どこなんでしょう?」
「聞いてんのは、こっちだろうが!」
少々叫んだだけでも骨に響いたが、それどころじゃない。
自分を誘拐して散々引っ張り回した張本人は、今、困ったような顔で迷子になったと告げてきた。
冗談ではない。
一刻も早く、魔界の中枢へ通達しなければならない事項が幾つもあるのだ。
こんな処で油を売っている暇はない。
通達はアルタスが代わりにやってくれるかもしれないが、問題は残された部下達だ。
あいつらはクォードがいないと、次の指針もきめられないボンクラどもだ。
今頃は司令官を失って動揺しているかもしれない。
「お前、まっすぐ飛んできたはずだよな?なら、まっすぐ引き返せば良かったんじゃないのか」
クォードの問いにアミュは「そのつもりで引き返したはずなんですが」と首を傾げる。
「どこで迷ってしまったのでしょうね」
それも、こちらが聞きたい。
だが何をどう聞いても無駄だ、この女はクォードが考えているよりも遥かにマイペースな方向音痴なのだから。
森には良い思い出がない。昨日、散々な目に遭ってきたばかりだ。
この森の樹木も魔族に襲いかかってくるのではないか?
そう思うと、気が気ではない。
森は薄暗く、歩けど歩けど終着点が見えない。
そもそも何故、森の中を歩いているのか?
クォードが尋ねると、アミュは眉根を寄せて答えた。
「余計な戦闘を避ける為です。あなた方魔族は神族と見ると、すぐ襲いかかってきますからね」
それに、とも付け足した。
「レジェンダーも、です。もっとも、彼らが神族を見て殺気立つのは判ります。先に降り立った神族が、彼らに酷いことをしていると知りました。彼らは、とても弱いのに」
「言っとくが」とクォードもやり返す。
「俺達だって出来ることなら、お前ら神族となんか、やりあいたかねーんだよ。なのに、お前らが襲いかかってくるから仕方なく応戦してんだ」
「神族が先に!?いいえ、ありえません!」
反射的に怒鳴るアミュへ、むすっとしてクォードは「どうして判るんだよ?」と言い返す。
「お前、後続部隊だろ。後から来た奴に何が判るってんだ」
「部隊……ではありませんが」
アミュが目を伏せる。
「そうですね。私は何も知りません。この星で、これまでどんな戦いが繰り広げられてきたのかを」
再び歩き出した彼女を追い、クォードは油断なく周辺を見渡した。
木々に今のところ変化はない。
ざわざわ、と時折頭上の枝が風に揺られて鳴っている。
枝と枝を走り抜ける小さな影は、この星に住む小動物か何かだろう。
この森には、複数の生き物の息吹が感じられる。
少なくとも、あの妙な石を見つけた森とは違うようだ。
「それで……さっきから同じ方向に歩いているが、アテはあるのか」と聞きかけて、クォードはハッとなる。
そういや、こいつは方向音痴なのではなかったか!?
うっかり先導させてしまったが、本来ならクォードが先に立って道を探すべきだ。
そのほうが、きっと早く抜けられる。
が、続けて何か言おうとした瞬間。
先頭のアミュが突然立ち止まったので、クォードは思いっきり彼女の羽根に鼻先を突っ込んだ。
「ぶふっ!」
「まぁ、素敵!見て下さい、湖ですよ。綺麗です……水浴びができますね」
「水浴びなんか、している場合か!?」
カーッとなって怒鳴るクォードを見向きもせずに、アミュがすたすた湖へ近づいていく。
岸辺で屈んで、指先を水につける。
「冷たい……でも、入れない温度ではありませんね」
どうあっても水浴びする気満々だ。
果てしなくマイペースな神族に、もうクォードは怒鳴る気力も失せてしまった。
草地に腰を下ろし、再びモゾモゾと身を揺すって両腕を束縛している縄を外しにかかったのだが。
アミュがずんずん寄ってきたかと思うとクォードの匂いをスンスン嗅いでくるので、気が散ってどうしようもない。
「……俺の匂いが、どうかしたか?」
「やっぱり匂います。あなたを先に洗いましょう」
「だったら、この手を解放しやがれ」とクォードは凄んだのだが、アミュは全く聞いておらず。
いや、「駄目です、拘束を解いたら暴れるでしょう?」と一応は聞いていたのか答えながらも、手はクォードの服を脱がしにかかる。
「じょっ、冗談じゃねーぞ、オイッ!」
大方ちびっこい背丈から子供だと判断したんだろうが、クォードはこれでも大人の魔族だ。
子供扱いなど、まっぴら御免だ。
蹴っ飛ばそうと足を伸ばしたら、その足を掴まれ引き倒される。
「いい加減に――!」
「大人しくしてくださ、きゃあっ!?」
クォードがブチキレるよりも先に手を滑らせたアミュが乗っかってきて、重たさにグエッと呻く暇もなく。
額と額を嫌というほどぶつけ、半ば押し倒される形で唇を塞がれた。

その頃、第一小隊と第二小隊の生き残りが宿にした村では騒ぎになっていた。
小隊の司令官がいなくなり、副官はというと「あわわ、あわわわわ、殺さないでください」と震えてばかりで話も出来ない。
「一体どこへ消えてしまったんだ?クォードは。まさか一人で逃げ帰ったわけでもあるまい」
悪態をつく第二小隊の司令官アルタスへ、彼の副官ペテルギウスが応える。
「まさか。一人で行動するほど迂闊な方ではございませんでしょう?」
ちら、とメリーを一瞥して、続けた。
「彼女の話をまとめると、ここには神族が入り込んでいた……そして、クォード様がいなくなっている」
ハッとなったアルタスも、メリーを見た。
哀れなほど縮こまりボロ雑巾を頭からかぶった彼女は、真っ青な顔をますます濃くして、ぶるぶると震えている。
「つまり、神族に殺害されたというのか?だから彼女は、あんなに怯えて」
だがペティの話には続きがあったようで、彼女は唇を舌で濡らすと「か、或いは拉致されたのではないかと」と締めた。
「拉致?しかし」
「その証拠に、クォード様のご遺体が何処にも見つかりません」
ぐるりと見渡す副官につられ、アルタスも部屋を見渡した。
部屋に乱闘の跡はない。
殺風景な部屋だが、倒れている家具も見受けられない。
家具はきちんと置かれていて、壁にも窓にも天井にも、何者かの侵入した形跡は残されていなかった。
格上の神族に襲われて塵一つ残さず消滅したにしろ、何も痕跡が残っていないのは不自然だ。
神族は入口を通り、中へ侵入した。
そして、何らかの理由があってクォードだけを連れ去った。
と考えるのが自然だろう。
クォードが殺されたのであれば、メリーも今頃は命がない。
一緒の部屋にいたのだ。彼女だけ殺されないのも、ありえない。
だが、何故神族が彼を誘拐する?
こう言っては何だがクォードは所詮先発隊の一人であり、一介の兵士に過ぎない。
彼をさらったところで、人質には使えない。
仲間は容赦なく彼を見捨てて反撃に転じるだろう。
微弱な気配を感じ、アルタスはベッドの下を覗き込んだ。
「誰かいるのか?」と問いかければ、キィ、キィと哀れな鳴き声が答え、ベッドの下から小さな者が這い出てくる。
黒いモコモコとした、蝙蝠のような悪魔。クォードがいつも連れている使い魔だ。
「使い魔が残っている、だと……?」
首を傾げるアルタスの前で、ペテルギウスが質問する。
「お前、どうしてここに?お前の主人は何処へ行った」
使い魔がギィ、ギィと小さく鳴いて、それに耳を傾けていたペティが、やがて顔をあげた。
「契約は消滅していません。クォード様は神族に連れ去られたようです」
「なんだって!?」
一斉に動揺する仲間達。
アルタスも大いに動揺しながら、それでも彼は小隊長として皆に命じるのを忘れなかった。
「ペテルギウスは中枢への連絡を!他の者は全員、神族の追跡に向かう!!」
「なんだって!?」と再び部下達は驚いて、アルタスの顔を、まじまじと眺める。
「どうした?僕が、それほどおかしな事を言ったか」
「いや、でも人質になるような間抜けは切り捨てるのが」
ムッとする第二小隊司令官に誰かが言いかけるも。
「忘れたのか?クォードは第三階級だ。彼を捕まえられる神族は、恐らく彼より格上の存在……そんな奴を確認もせずに放置しておけるか?我々は何だ、言ってみろ!」
こづかれて、一番近くに立っていた奴が渋々答える。
「せ、先発隊です」
「そうだ。なら、我々がなさねばならない使命も覚えているな?」
また、誰かが答えた。
「石の入手で邪魔者となる障害は全て排除する、です」
「その通りだ」
険しい表情で部下達を見渡すと、アルタスは号令をかける。
「僕はクォードを救出しろとは一言も言っていない。彼が太刀打ちできないのであれば、僕もお前達も誰一人、その神族には勝てないだろうからな。ただ、存在を確認するだけでいい。外見を記憶したら、一路脱兎だ。おい、クォードの使い魔!」
呼び寄せられ、慌てて使い魔が飛んできて、アルタスの差し出した腕に止まる。
「お前になら、主人の魔力を追いかけられるはずだ。我々を導け、クォードのいる場所まで」
キィ、キィ!と、どこか嬉しそうに使い魔は鳴くと、パタパタと舞い上がる。
その姿を追って、魔族の一団も慌ただしく出発した。

「とにかく――俺が先に進む、文句ねぇよな?」
アミュの答えを聞く前から、先に立ってクォードが歩き出す。
黙々と歩き、返事がないのに気づいてクォードが振り返ると。
アミュはハッとなった後、頬を赤く染めて俯いた。
「あ、はい……どうぞ、ご自由に……」
先ほどまでとは、うってかわって大人しい。キスしたせいだろうか。
いや、あれは不慮の事故だったのだ。意識されるような状況ではなかったはず。
大体、異種族とキスしたぐらいで、この神族は何を動揺しているのだ?
同族の、好みのタイプにされたというのなら、ともかく。
咄嗟のことで、こちらも何も出来なかったのが悔やまれる。
せっかくの接触だったのだ、魔力を吸い取ってやれば形勢逆転したものを。
両腕は相変わらず後ろで縛られたままだし、腕が邪魔で羽根を広げられないから飛ぶことも出来ない。
忌々しげに木々で覆われた空を見上げると、クォードは再び歩みを進めた。
アミュのせいで、だいぶ方向を狂わされている。
今どこを歩いているのか、クォード本人にも把握できない。
しかし森も永遠に続くわけではあるまい。
いずれは終わりが見えてくるはずだ。
何日かかろうと、必ず森を脱出してやる。
そして部下の元へ帰るのだ。石を見つけるまでは、何としてでも。
がさっと茂みが揺れて、物思いに沈んでいたクォードは我に返る。
「誰だ!!」
誰何すると同時に身構えた。直後、背後で甲高い声が彼を制する。
「待って下さい!この気配、レジェンダーでも神族でも魔族でもありません。森の生き物でしょう」
アミュの言うとおり、茂みを割って出てきたのは小さな野兎だ。
兎は軽快に跳ねながら、反対側の茂みへ消えた。
ふぅ、と小さく息を吐くクォードの体に、アミュが手を回す。
「大丈夫ですよ。この森で私達に敵意を持つ者はいません」
だが、すぐさま「どさくさに紛れて何やってやがる!」とクォードには怒鳴られて、ヒャッと手を引っ込めた。
「言っとくが、俺はテメェを信用したわけじゃねぇんだ。気安く触ろうとすんな」
一度も襲ってこないとはいえ、アミュを完全に味方だと判断してはいない。
奴は神族だ。いつ本性を表すか判ったもんじゃない。
じろりとクォードが睨みつけると、アミュは悲しそうな瞳で彼を見つめた。
「でも……あなたは怪我をしています。私が、うまく手加減できなかったせいで」
哀れむ目つきにも感じられ、瞬く間に「うるせぇ!」とクォードは癇癪を起こしアミュに詰め寄る。
「なんで手加減した?なんで俺をバッサリ殺さなかった!俺が雑魚だからか!?手加減して恩を売って、懐柔しようって腹か!だがな!俺は易々と、てめぇら神族の言いなりになんかならねぇぜ!!」
「だって、あなたは悪い魔族じゃなかった」と言いかけるアミュの反論をもねじ伏せる勢いで、クォードが詰る。
「その、良いとか悪いとかってのも、どこの誰の基準だ!?神族のルールを俺に押しつけてくるんじゃねぇッ。俺は、俺はこれでも先発隊の」
その先はズキーンと腹が痛んで続けられず、クォードは顔をしかめてしゃがみ込む。
体が万全なら、両手が自由に使えたなら、羽根を広げられたなら。
こんなアホ神族と仲良くおしゃべりしていないで、さっさと森を抜け出してやれるのに。
一体、自分は何をやっているのだ。
アホ神族なんかと、しゃべっている場合じゃない。
一歩でも前に、いや、でも前とは何処だ。
前に進めば、本当に森の終わりは見えてくるのか?
涙でかすむ目で前方を見やっても、緑の道は果てなく続いている。
不意に、ひょいっと視界が高くなり、柔らかいものを顔の真横に感じて。
「お、おいっ、こら!」
だっこされていると気づいたクォードは無茶苦茶に暴れたが、やはり頑としてアミュの手は振りほどけない。
「ふふっ。軽いですね、小さいからでしょうか?」
「うるせぇ、小さいって言うな!」
プンプン怒るクォードにも意を介さず、アミュは微笑んで言った。
「私が歩きますので、クォードさんは方向を指示して下さい。大丈夫、こう見えて私、腕力と持久力には自信があるんですよ」
「そういう問題じゃねぇ!降ろせっつったら降ろせ!!」
叫んだ拍子にズッキーンと鈍い痛みが走り抜け、クォードは息が止まりそうになる。
さっきから騒ぐたびに、怪我が悪化しているような気がする。
怪我を作った張本人は、まるで気づいていないようだが。
静かになったのをヨシとして、アミュがクォードの耳元で囁いた。
「いいことを思いつきました。私とあなたで、しばらく一緒に行動しませんか?」
涙ぐみながらも、「な……なんだって?」と反応するクォードに。
「あなたを同族の元へ返しては、いずれ悪事に手を染めてしまうかもしれません……ですが私と同行すれば、神族も魔族も私達には手が出せません。素敵なアイディアでしょう?二つの種族が諍いをやめる、きっかけとなれるんです!」
そう上手くいくわけがない。
魔族も神族も、互いに目の前の同族を見捨てて攻撃してくるに違いない。
だが息を吸い込んで怒鳴ろうとした瞬間、狙い澄ましたかのようにアミュがクォードのお腹をツンと突っつき。
「ぐあっ!?」
ズキズキする部分を突かれ、再びクォードは言葉をなくして痛みに耐える。
こ、こいつ、気づいていないんじゃない。
気づいた上で、俺を黙らせる手段に使ってきやがった。
なにが『攻撃する気はない』だ。しっかり攻撃してんじゃねーか!
涙目で睨みつけるクォードに、アミュがにっこり微笑みかける。
「クォードさん。あなたの怪我が癒えるまでの間は、私があなたを守ります。どのみち、両手の束縛は私以外の者の魔力では解放できませんし……あなたに選択権は、あげません」
クォードは悔しさでギリギリと歯がみしたが、もう、どうにもならない。
こいつの魔の手から逃げるには、寝込みの油断を誘うぐらいしか方法がなさそうだ。
だが、それでも逃げ切れるかどうか――圧倒的な格差の前で。
そいつを思いだし、クォードは尋ねた。
「そういや……お前、結局何級なんだ?」
「えっ?私の階級を読んだのでは、なかったんですか?」
意外そうに言われ、ムッとしてクォードが答え返す。
「知ってんだろ?自分より強い奴の階級は判別できねぇ。神族だって同じだと思ったがな」
アミュはしばらく考えていたが、やがて「あぁ!」と小さく漏らし、納得したかのように何度も頷く。
「カインが以前言っていたのは、それだったのですね。自分より強い人の階級は読めない、と」
「で?第何級なんだ、お前」
もう一度クォードが尋ねると、アミュは今度こそ真面目な顔で答えた。
「私の名はアミュ。大天使様の近衛剣士、階級は特級です」
「特級……?」
聞き慣れぬ階級でポカンとするクォードへ頷くと、いくらか柔和な顔に戻って付け足した。
「えぇ。第一階級の上にあたりますね。大天使様の、すぐ下にもあたります」
第一階級よりも上。
そのことを脳が理解する頃には、クォードは押さえきれぬ恐怖と戦慄でガクガクと体を震わせ続けた。
初めて、一緒にいる格上の相手を恐ろしいと感じた――!
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