Friend of Friend's

9.肉食男子はお断り

春休みも終わりに近づいた頃、黒鵜戸はトシローから旅行に誘われた。
「旅行って……旅行?今から?」
「そうだよ、旅行だ!」
「え、いや、でも、もうすぐ学校始まるぞ?」
「なぁ〜に、旅行ったって日帰りだ。この近辺を電車でさ、乗り降りして見て回るんだよ!」
「えっ、でも乗り降りするったって、そんなお金ないぞ?」
「そっこっでっだ、ババーン!」
得意満面なトシローが机に広げたのは、JR東日本のチラシだ。
「青春18切符!これを使うっ。知ってるか?クロード。青春18切符って十八歳だけが買える切符じゃねーんだぞ」
「いや……そもそも何?それ」
この世界にはまだ疎い黒鵜戸が知らないのも、無理はない。
この世界の人間でも名前の知名度だけが先行していて、具体的には何なのか知らない人のほうが多いのではなかろうか。
「有効期限は一日一回。JR線内なら、どの駅でも乗り降り自由の切符なんだ」
「ふぅん……でも何かコレ、アレは乗れなかったりコレはOKとか、制限が多すぎて覚えられねーよ……」
チラシの説明を読んでいるうちに、黒鵜戸は頭が痛くなってきた。
たかが日帰り旅行するだけだってのに、なんで切符のルールで悩まなきゃいけないのだ。
「もっと普通の切符で旅行しようぜ?」
「カーッ!判ってないな、お前はッ。青春の18切符で旅行するからこそ価値があるんだろうが!!」
とか怒られても、黒鵜戸は、ただただポカーンとするばかり。
「高校最後の春だぞ!?だからこそ、青春の記念切符でだなぁっ」
「あ、ちょい待って。電話」
「ウォォォイ!」
「はい、黒鵜戸……あ、栃木?」
突如震えだした黒鵜戸のケータイにかけてよこしてきたのは、友達の栃木だった。
『あぁ黒鵜戸、お前んちにトシローが来てねぇかと思ってよ』
「うん、いるけど?」
『なら替わってくれ、あいつのケータイに何度もかけたんだが全然繋がりゃしねぇ』
「判った。トシロー、栃木から。お前のケータイにかけたけど繋がらなかったって」
「そりゃそーだろ、ケータイなら家にオキッパだ。ハイハイ替わりましたよ、トシロー君です。んで、何か用?」
『何か用?じゃねぇよ。お前のお友達のオタク女に迷惑かけられてんだ、今すぐコッチへ来い』
「ハァ?オタクって……もしかして、サカキン?サカキンとお前が何で一緒に」
『電車で出会っちまったんだよ、運悪く』
『ちょっと栃木くん、何が「運悪く」よ!』
遠くで聞こえるのは紛れもなく酒木の声。どうやら二人が一緒にいるのは間違いない。
「今から来いって、お前、今、何処にいるんだよ?」
『なんつったか?……あぁ、東京ビックサイトってトコだ』
なんで彼が、そんな処に?黒鵜戸とトシローは顔を見合わせ、首を傾げる。
『なし崩しに荷物持ちにされちまってよ、無理矢理連れてこられたんだ』
「あー……大体状況が読めてきた。要するに、だ。偶然サカキンと電車で出会って荷物を持たされて有明まで拉致された、と。けど、サカキン今日は春コミ行くって言ってたはずだぞ?なんでお前が、そんな朝早くに電車乗ってたんだ」
『合宿だよ、合宿が終わって帰ってきたトコだったんだ。ったく、休む暇もありゃしねぇ』
「合宿ゥ〜?何、合宿って、そんな早朝から解散するもんなの?」
『いや、解散したのは昨日の昼だったんだが、俺だけ残って自主トレしてたんだ』
「何それ。どんだけ修行バカなんだよ、お前」
『そんなの俺の好きずきだろうが。とにかく、自分の中で納得いく区切りがついたんで帰ってきたトコを、このオタ女に見つかっちまってよ』
『オタ女で悪かったわね!か弱い女子が重い荷物で困っていたんだから、手伝うのは当然でしょ!?』
『手伝うのが当然って前提で話してんじゃねぇよ……』
このままでは逃げるに逃げられないので、酒木の友達であるトシローにSOSしたらしい。
「わかったよ、とにかく今から行くから……」
時計を見ると、ちょうど正午を指している。
今から向かったら、到着するのは二時ぐらいになるかもしれない。
「サカキンに聞いてくれよ、サークル参加なのか一般なのかって」
『あぁ。酒木、トシローが一般かサークルかって聞いてるんだが』
『何?ヒビキン、来るの?今から?今から来たって、すぐ終演じゃない』
『なに、俺の身代わりだ』
「ウォオォィ!身代わりって何だ、身代わりって!」
『あぁヒビキン、あたし達サークル参加してんのよ。だから荷物が多くって困っていたんだけど、栃木くんがいてくれてホント良かったわぁ〜』
『ホントホント、助かりましたァ』と聞き慣れぬ女子の可愛い声に、トシローの耳が過剰反応。
「ちょ!ケースケ今のは、どなた様のお声だぁぁ!?」
『あァ?知らねぇよ』
『知らないって、あんた最初にも紹介したでしょーが!あたしの相方で、名前は池上 雪ちゃん』
『すみません、本当に。荷物持ちさせてしまって……』
『あー、構わねぇよ。悪いのは全部そこの眼鏡女だ、あんたが謝るこっちゃねぇ』
『ったく、男のくせにグダグダうっさい奴よねぇ。ユッキー、気にしなくていいのよ?こいつは空手しか脳のない脳筋だから』
『だ、駄目だよ、ユイナちゃん。栃木さんは親切で手伝ってくれたのに、そういう風に言っちゃ……!栃木さん、本当にすみませんっ』
『いや、だからいいっての。詫びは後で全部、そこのオタ眼鏡に請求するからよ』
『で、でも私の荷物まで全部持ってもらっちゃって……』
『あんたのは大したことねぇ重さだったからな、気にすんな。眼鏡女のは激重だったが』
『いいじゃないの、トレーニングになったでしょ』
何やら親しげな会話が延々と聞こえ、「ぐっふぉぉぉ!」とトシローが歯がみする。
「ど、どうしたトシロー?」
「畜生ッ!ケースケの奴、バレンタインデーの時から女子の接近率がハンパねーじゃねーかッ!」
目の中からメラメラと炎が生まれかねないほどの勢いで、栃木に嫉妬するトシロー。
……を、退き気味に眺めていた黒鵜戸だが、時計を見てから親友を促した。
「あ、でも、行くなら急いだ方がいいんじゃないか?栃木達を待たすのも悪いし」
「いーんだよ、あんな奴いくらでも待たせたって!」
『……オイ、聞こえてんぞ?トシロー』
「だが、奴が一人でモテモテなのは気にくわねぇッ。いくぞクロード、有明へ!!」
「え?俺も行くの?」
「ったりめーだ!ケースケをボコらねーと気が済まねー!!」
何やら目的が変わってきているような気もするが、黒鵜戸は大人しくトシローと一緒に有明へ向かった。

渋谷から銀座線で新橋まで乗り継ぎ、汐留で大江戸線に乗り換える。
有明に行くと言われたはずなのに、ついたのは国際展示場正門という名の駅で黒鵜戸は首を傾げるが、トシローは一度も迷わずに改札を抜けていくから、ここで下車するのが正解なのかもしれない。
「ここへ来るのは初めてじゃないんだ?」
「ったりめーよ。ビックサイトは俺達の聖地だからな」
「ふぅん」
「クロード、お前もそのうち一緒に来ような」
「いいけど、そのビックサイトって処では何をやっているんだ?」
「決まってんだろ?コミケだよ、コミケ!ま、サカキンが今日参加してんのはコミケじゃなくて、春コミだけど」
そういや春休みが始まる前にも聞いた覚えがあるような、ないような。
やがて見えてくる大きな会場に黒鵜戸が「おぉーっ!」と驚くのにも振り返らず、トシローはズンズン歩いていく。
懐からケータイを取り出すと、栃木にかけた。
「おいケースケ、サカキンに聞いてくれる?スペ番」
『ハァ?スペバンって何だ』
「スペ番つったら、スペース番号に決まってんだろーが!」
『……何キレてんだよ?お前。おい酒木、トシローがまた何か聞いてきたんだが』
『ちょっと待ってよ。今、荷物整理で忙しいんだから』
『おい、それ、なんか……来た時より増えてねぇか?荷物』
「トシロー、これ、サークル名ってやつで調べたほうが早いんじゃないか?」
入口で買ったカタログを片手に黒鵜戸が問えば、トシローの頭にのぼっていた血も急激に冷めていく。
「それもそうか、そうだな。サカキンのサークル名は……と。あったあった!」
「サークル名は知ってたんだ」
「あぁ、前に教わったかんな」
「でも一緒にやってる友達は教えてくれなかったんだ?」
「そぉなんだよぉぉ〜!ったくサカキンめ、友達甲斐がないったらないぜ」
声を聞いただけで大興奮するトシローが相手じゃ、酒木が教えたくなかったとしても仕方ない。
いくら学校の友達で同じ趣味の仲間といえど、必ずしも別の友達を紹介したくなるとは限らないものだ。
普段の二十倍は早足なんじゃないかってトシローの後をくっついて、ようやく黒鵜戸は栃木達の待つスペースに到着する。
長机が並べられた売り場にて、栃木は女子二人の荷物まとめを手伝っていた。
「よぉ黒鵜戸、お前も来たのか」
「あぁ、まぁ、成り行きで。そっちは何やってんだ?」
「見て判んだろ、帰り支度だ。四時までには家に帰りたいんだと」
「途中で帰っちゃ駄目だろ!終演までいるのが売り子の義務だろうが!」
「そんな義務、イマドキ誰も守っちゃいないわよ。いい?売り子は午前十一時までが勝負なの。それを過ぎたら、売れ時も終了のお知らせよ」
「じゃあ何で、二時まで残っていたんだ?」
「買い物したかったからに決まっているじゃない。って、アラ?黒鵜戸君も一緒だったの」
「気づくの遅ェよ!!」
ビシッと突っ込むトシローの横では、箱に入れられた本を一冊手に取り、パラパラとめくる黒鵜戸の姿が。
酒木達の売り物は漫画本だったようだ。
やたら薄い割に、表紙はフルカラーと豪華である。
「ふーん。綺麗な本だね」
「どぉ?一冊買わない?お安くしておくわよ」
「サカキン、クロードに売ったって無駄なんじゃないか?クロードだってボーイズラブに興味ないだろ」
「なら、今日から興味を持てばいいじゃない」
「あーっと、そ・れ・よ・り・も……」
急にキョロキョロ辺りを見渡し落ち着きのなくなったトシローへ、酒木も怪訝に眉を潜める。
「どうしたの?」
「さっきのユッキーちゃんこと、雪ちゃんは何処へ?」
「ちょっと、気安くユッキーちゃんなんて呼ばないでよ」
「彼女ならトイレだ」
「トッ、トイレ!」
「あぁ。それが、どうかしたのか?」
「トイレ……!ゆ、ユッキィちゃんがトイレ……!トイレでしゃがんで、トイレットペーパーでオシリを拭いて」
なんか猛烈に鼻息を荒くしている。
このまま放っておいたら変質者として連行されそうなほど興奮するトシローを尻目に酒木は荷造りを再開し、走ってくる足音に振り向いた栃木が雪へ声をかけた。
「おぅ、おかえり」
「タダイマです〜」
「おっかっえっりぃぃ〜?おいケースケ!随分とユッキーちゃんに対して馴れ馴れしいじゃァないかッ!?」
猛々しく栃木へ詰め寄るトシローの後頭部を、間髪入れず酒木が分厚い本でどつく。
「あんたも充分馴れ馴れしいわよっ」
「おぉぉう……っ。きょ、凶器は反則だぜサカキン……!」
「あ、ユイナちゃん。この人達は?お友達?」
「まーね。こっちのデブがヒビキンで、そっちの影薄い奴が黒鵜戸くんよ」
「デブってゆーな!」
「影が薄くて悪かったな!」
「はじめまして。池上 雪っていいます。ユイナちゃんと一緒に同人やってます」
下手したら中学生にも見えかねない小柄な少女だが、可愛いっちゃ可愛い部類に入る顔だ。
「ハジメマシテ!ぼぼぼぼ、僕は響敏郎!酒木さんとは学校の同級生ですッ」
「僕?」
「僕?」
「ユッキー、そいつ美少女オタだから気をつけてね」
「ちょ、ちょっと酒木さん!僕は三次元の少女に危害を加えたりしませんよ!?」
アハハと笑って、雪が会釈する。
「よろしくです、響さん」
「こ、こちらこそぉッ!」
トシローは汗ばんだ手で彼女の手を握ろうとするが、それは酒木に阻まれた。
「ユッキー、荷造り手伝って。そっちの在庫を頼むわ」
「うん」
「ゆ、ユッキさぁぁん?あ、あのぉ」
「ほらトシロー、荷物整理の邪魔すんじゃねぇよ。ますます帰りが遅くなんだろが」
「池上さんって酒木さんとは、どういう関係なんだ?その、同人以外で」と栃木へ尋ねる黒鵜戸へ答えたのは、当の本人。
「あ、私達、小学、中学と一緒だったんです。高校は違っちゃったけど、イベントがある時は、いつも連絡を取り合っているんですよ」
「へぇー、ずっと昔から友達なんだ。いいね、そういうの」
「いいでしょ〜。あたし達、引退するまでずっと一緒にやるって誓った仲なんだから」
「引退って、同人を?じゃあ同人ってのをやめたら、友達も引退しちゃうのか?」
「バカねぇ、するわけないでしょ。同人やめても友達は友達よ。ねっ?ユッキー」
「うん!」
黒鵜戸が感じたよりも、酒木と雪の友情はずっと堅く結ばれているようだ。
嬉しそうな二人の顔を見ていると、こちらまで嬉しくなってしまう。
「さってっと、荷造りはこんなもんで充分ね。栃木くん、全部宅急便のトコに持ってって!」
「ったく、人使いの荒い女だな……トシロー、黒鵜戸、悪いがココで待っててくれるか?」
「ノープログレッ!栃木くんは嫌がっているようなので、僕がお持ちしましょう!」
なんと栃木を押しのけて、トシローがダンボールの山を担ぎあげる。
「おいトシロー、無理すんじゃねぇぞ?そいつァ軽く見えるが、意外と重てェ……」
だが、忠告する側からトシローは箱に押し潰された。
「おっ、おっ……重てェェッ!なんじゃ、こりゃあ!?あッ、腰グキッてなった!腰グキッて!」
脳筋の栃木が愚痴を垂れるほど、重労働だったのだ。
普通の運動すら怠っているトシロー如きに、担ぎ上げられるような荷物ではない。
「だァから無理だっつったろーが。ホラ、どいてろ」
トシローがペシャンコにされた荷物を軽々両肩へ乗せて、栃木は宅急便コーナーに歩いていった。
「やっぱり、こういう時って男の人は頼りになるよねぇ」
「まーね。次から栃木くんには毎回来てもらおうかしら、荷物持ち兼荷物番として」
何やら外道チックな発言をかます酒木と、そして目をキラキラさせる雪を交互に眺め、最後にトシローを見た黒鵜戸はゲッとなる。 まただ、トシローの両目が嫉妬にメラメラ燃えている。
「クロード。俺、旅行に行ってる暇、なくなったかもしんない」
「え?」
「春休み、最後の一週間は徹底的に鍛えるぞ!体を!目標、ムッキムキだァ!!」
「お、おぅ……頑張って」
たかが一週間でムキムキになれるわけがないのだが、アニメを見る以外の目標がトシローに出来たのは良いことだ。
でも、さすがにつきあうのは、もう御免である。
心の中で、そっと応援しておくに留めておこう。
そう思った黒鵜戸だった。
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