Friend of Friend's

7.兄妹

寒い季節を乗り越えた先には、春休みが待っている。
二週間前後の短い期間だが、生徒にとっては待望の長期休暇だ。
終業式の帰り道、ピロピロリンとトシローのケータイが鳴り響き、彼は差出人をチラリと確認した。
「誰だろ……酒木から?」
「ほぉ、メアドも交換してんのか。こいつぁ、いよいよもって」
「つきあってねーから」
ばっさり栃木の軽口を遮ると、トシローはメールを開いた。
「ふーん……あいつ、春コミ行くんだ。ま、俺は行かないから、どうでもいいけどな」
「春コミ?」
「あー、春にもあるんだよ。春コミってのが。ただし正式名称は春コミックシティって言って、コミックマーケットとはベツモンだけど。まぁ、俺は夏と冬しか行かないから、春はスルーだな」
「へぇー」
「秋は?ねぇのか、秋コミっての」
「聞いたことねーよ。俺が知ってんのは、春と夏と冬だけだ」
言い返してから、ニヤニヤして聞き返す。
「何?急にコミケに興味持っちゃったりして、もしかして一緒に行きたいのか?ケ〜スケ」
「バカ、行きたいわけねぇーだろが」
「とか何とか言っちゃってぇ、こないだから、ずっと熱心じゃないか、酒木のコト!」
「別に?お前らがつきあってんなら面白いなって思っただけだ」
「とか言って、案外お前が酒木に気があるんじゃないのォ?なぁクロード、ケースケなら案外お似合いじゃないか?酒木と」
「えっ?あー、うーん、どうだろうなぁ……?」
制服のボタンをきっちり留めた生徒会長と無精髭で空手着な栃木を脳内で並べ、黒鵜戸は首を捻る。
同じ趣味同士のトシローとつきあうよりも、無理のあるカップルだ。
「冗談じゃねぇぜ。俺ァ、あんな女は趣味じゃねぇよ」
「じゃー、どんな女なら好みだってんだよ!大体、ケースケの好みなんて一度も聞いた覚えがないぞ!?」
「うるせぇ、別に公言するようなモンじゃねぇだろうが」
「格好つけて、脳内に思い浮かべられる女性像もないんだろ!寂しいよなー、こういう男って!な、クロード」
「まぁ……いいんじゃないか?硬派って奴だと思えば」
「カーッ!だからぁ硬派じゃないだろ?ケースケのは、タダの空手バカっていうんだよ!」
「そういう、お前は美少女なら何でもいいんだろ?声がアニメ声で可愛いなら」
「決まってんじゃん!」
とりとめもない与太話をしながら、横断歩道へ差し掛かった時だった。
「あっ、危ない――!!」
不意に頭上から声が降ってきて、いや降ってきたのは声だけじゃなくて、鉄骨もだ。
「ひぎぇぇっ!!」
「ぬぅっ」
「ひぃぃーっ!!」
三人揃って悲鳴をあげ、あわや鉄骨の下敷きになろうかと思われたのだが、後ろから嫌というほど背中を蹴っ飛ばされ、顔面シャベルで地面をこすった代わりに重傷を免れた。
「い……いでぇー……」
「た、助かった……?」
「助かったって言えるのかよ……いってぇ〜」
ヒリヒリ痛む顔面をさする三人の頭上に、聞き慣れた声が降ってくる。
「よぉ、バカトリオ。ああいう時は、さっさと逃げなきゃ死んじまうぞ?」
「お、お前、火浦!?……もしかして、お前が助けてくれたの?」
「まーな。助けるのに間に合いそうもなかったんで、とりあえず押してみたんだけどよ」
「ありがとうー!!お前は命の恩人だー!!!」
ベソベソ泣きながら手を握ってくるトシローを無理矢理振り払うと、火浦はニヤリと笑った。
「……お前ら、三人一緒にいてラッキーだったな」
「どういう意味だ?」
「ホントは黒鵜戸だけを助けてやろうと思ったんだが、ちょうどまとまって固まってやがったんで三人ついでに助けただけだ。感謝するなら、黒鵜戸に感謝しとけ」
「にゃ、にゃにおぉう!? 俺達ァついでか!」
「いや、でも火浦が咄嗟に機転利かせてくれたから助かったんだ。助かったのは火浦のおかげだよ」
「誰のおかげでもいいだろ。とにかく次からは、上にも気をつけて歩くんだな」
「そうする。ありがとう、助けてくれて」
「なーに、礼にゃ及ばねーよ。友達だろ?……あぁ、それと、そこのデブ。もっと痩せたほうがいいぜ?次は命を落とすかもしんねーぞ、逃げ遅れて」
「う、うるせー!これでもダイエット中だ!!あと、俺はデブじゃねー!響 敏郎ってんだ、覚えとけ!」
「おいおい、お前がデブなのは誰がどう見ても一目瞭然だろ」
「ケースケ!お前はどっちの味方なんだ!?」
ニヤニヤ笑いながら、火浦は去っていった。
「ったく、なんだよ!せっかく俺が素直に感謝してやれば、なんだぁ?あの態度っ。ツンデレにも程があるぜ!」
「ツンデレ?何だ、そりゃ。つーかトシロー、お前のそれも感謝って態度じゃねぇぞ」
「しっかし……怖いな〜。これが当たっていたら、俺達今頃全員、骨がグシャグシャか……」
「こ、怖い想像すんなよ!い……行こうぜ、もうっ。何ともなかったんだしさ!」
今頃になって工事現場の人が慌てて駆け寄ってきた。
ペコペコ謝る彼らに「大丈夫ですから」と答え、黒鵜戸達三人も帰路を急いだ。
「それにしても、だ。なんであいつ、あんなトコをうろついてやがったんだ?」
「あいつって?」
「火浦だよ、火浦。あいつ、学校通ってないんだろ?」
「あぁ。普段は働いているって言ってた。妹さんは学校に通ってるらしいけど」
「あー、妹がいるってのも聞いたな。どんな妹なんだろーなー」
「どんなって、まぁ、可愛い子だったよ?ちょっと気が強いけど……」
「へーぇ。でも、あの火浦の妹だろ?可愛いつってもなー、想像できないよなー」
「いや、マジ可愛かったって。胸も……でかかったし」
「マジ!?今度是非お会いしたいんだけど!」
「お前……本当に節操ねぇんだな」
「あー、でも会ってくれるかなぁ。なんか知らないけど、俺、嫌われてるみたいなんだよな。妹さんに」
「嫌われてるって!?クロードお前、一体何やらかしたんだよー!」
「まさかと思うが、妹ってのに迫ったのか?」
「まさか。何もしてないのに、めっちゃ嫌われちゃったらしくって」
「何だ、そりゃ?ひでぇな。トシローみたいな奴ならともかく、お前を嫌う奴が、この世にいるたぁ」
「トシローみたいな奴って何だよ!!」
「あぁ、あと栃木さんも近づくなって騒いでいたな、この間」
「ハァ?なんで、そこで俺の名前が出てくるんだよ」
「いや、チョコレートさ、こないだ貰ったやつ、あげに行った時」
「チョコレートってバレンタインデーの?そん時から嫌われてんのかよ?」
「あぁ……」
「かぁ〜、そりゃマズイだろ!さっさと仲直りしてこいよ、もぉ〜」
「いや、仲直りったって、何で嫌われているのかも判らないのに?」
「火浦くんとラブラブになってしまえば、妹さんだって文句言えないわよ!」
「ハァ?」
「って、サカキンいつの間に!?」
後ろから追いかけてきた私服の眼鏡女子が、強引に会話へ混ざってくる。
誰かと思えば生徒会長にしてトシローのオタク友達、腐女子の酒木だった。
「黒鵜戸くんが火浦くんと愛し合うようになれば、妹さんだって暖かく迎え入れてくれるはずよ」
「どっから出てきたんだ、その斜め上思考は」
「何言っているのよ!どっからどう見ても、お似合いカップルじゃないッ」
「そ、そぉかなぁ〜〜?」
「何よ、ヒビキン。じゃあ黒鵜戸くんには誰が似合うと思っているの?」
「え〜?誰って言われても、急には」
「でしょう?だから、私の言うとおりにすれば皆が幸せになってハッピーエンドじゃない」
「酒木、お前なにか悪い宗教にでもハマッてんのか?」
「ハマッていないわよ、失礼ね!そういえば栃木くんっ、あの時の約束まだ果たしていないじゃない!」
「いや、あれは時効だろ、時効」
「私の法律に時効なんてないわ!今日こそ見せてもらうわよッ、あなたのオチン」
「ア゛ーッッ!!!」
「なによヒビキン、うっさいわね!耳元で怒鳴らないでくれる!?」
「とっとっところで、なんで火浦は俺達の通学路付近を歩いていたんだろうなぁ?なぁ、クロード?」
「そ、そうだな、きっと何処かへ出かける途中だったんじゃないか?」
「火浦くん?火浦くんと会ったの?」
「え?あぁ、うん」
「俺達、あいつに助けられたんだぜ。上から鉄骨が降ってきて」
「わぁ……!怖いわねぇ、で、誰にもぶつからなかったの?」
「あぁ、奇跡的にな。俺達は真下にいたんだが、奴が背中を押してくれたおかげで助かったってわけだ」
「押すっつーより、蹴っ飛ばされたんだけどな」
「ふぅん……命の恩人ってわけね。じゃあ、黒鵜戸くん。火浦くんちに案内してくれる?」
「え?」
「ヒビキンの友達として、一言お礼を言いたいの。いいでしょ?」
「あー……あ、でも今行っても会えないんじゃないかな。道端で会ったってことは何処かに出かけて」
「じゃあ、家ぐらい教えてよ。自分で行きますから」
「あぁ、それぐらいなら……」と言いかけた黒鵜戸の脳裏を横切ったのは、里見の横顔。
「いや!いやいや、待って、一人は余計危ない!!」
「危ない?って何が?そんなに怖い人なの、火浦くんのご両親って」
「い、いや、両親じゃなくて妹さんが!」
「妹さん?何よあんた、年下の女の子相手にビビッちゃってんの?だっさいわねぇ〜」
「そうは言うけど、すっごいんだから、火浦の妹って……!」
「じゃあ、その妹さんと話して、待たせてもらいましょ」
「いや、聞いてる?すごいんだけど、その妹さん!」
「いいから案内しろっつってんの。あたしが大人しいうちに、言うこと聞きなさいよね。聞かないと」
「オイ、黒鵜戸に何しようってんだ?事と次第によっちゃ生徒会長でも」
「お、おいおいケースケ、何殺気立ってんの?」
「聞かないと……?」
「栃木くんを、この場でスッポンポンに脱がすわよ!!」
「100%お前の欲望じゃねーか!」
「何それ?ケースケが脱がされてもクロードは痛くも痒くもねぇじゃん」
「いや、そこは阻止しろよ!友達だろ!?」
「えっと……こちらです」
「そうよ、素直に案内すればいいの」
「あれ、守ってくれるんだ。クロードやっさしぃ〜」
「……お前は守る気すら見せなかったよな……」
「ほらほら、栃木くん。いつまでもいじけていないで、さっさと行くわよ!」
「……って、俺達も行くのかよ?」
成り行きから、一緒に行くことになった四人は揃って火浦の家へ。


黒鵜戸が言ったとおり、火浦 俊平は留守だった。
代わりに出た里見の一言は、そりゃあもう、黒鵜戸達の予想を遥かに超える態度で。
「帰って」
「いきなり失礼な妹さんね。私達は、俊平くんのお友達なんですけど?」
「サカキン、お前も相当失礼だってばっ!あ、あの里見ちゃん、ごめんね」
「馴れ馴れしく里見ちゃんなんて呼ばないで下さい。気持ち悪いです」
「ご、ごめんなさい……」
「お兄ちゃんは今、留守です。さっさとお帰り下さい」
「家の中で待たせろっつってんのが判らないのかしら?このボンクラ妹さんは」
「酒木お前、悪徳金融のバイトでもしていたのか?言っている事、無茶苦茶だぞ……」
「なによ、友達が家の中で待って何が悪いっていうの?」
「お兄ちゃんの……」
「ん?」
「お兄ちゃんの友達に、女の人なんていらないんだから!!」
「ハァ?」
「あんたが友達なんて嘘でしょ!紹介されてないもん、お兄ちゃんに!」
「あーら、それは当然だわ。あたし、内縁の恋人なのよ。妹ちゃん」
「内縁の恋人って何だよ……」
「ドラマの見過ぎじゃねぇのか」
「妹ちゃんじゃありません!私には、里見って名前がありますからっ」
「じゃあ里見ちゃん、お兄さんの恋人にこんな仕打ちして、タダで済むと思っていないでしょうね?」
酒木の言い分は脅迫に近い。
対する里見も度胸負けしておらず、二人の女は戸口を境にバチバチと火花を散らしあう。
「知らない人は家にあげちゃダメって言われているんだから、お兄ちゃんに!」
「あら、でも黒鵜戸くんは知らない人じゃないでしょぉ?この家にも何度か来ているし」
「し、知らないもん!お兄ちゃんの友達だって言い張ってるだけの人なんて!!」
「いや、言い張った覚えなんてないし」
「じゃあ、お兄さんの行き先を教えなさいよ。そうしたら家にはあがらないであげる」
「嫌!あんた達なんかには絶対教えたくない!!」
「強情な娘ねぇ……大人しく言っているうちに言うことを聞きなさいよォ」
「聞かないと、また誰かを脱がすのか?」
「そうよ!黒鵜戸くん、この子を裸に剥いて無茶苦茶にしておやりッ」
「断るっ!」
「なによっ。どーせ、あんた嫌われてんでしょぉ?この子には!」
「そーゆー問題じゃないだろ!?フツーに社会問題になっちまわぁっ」
「おーい」
「どうせなら、とことん鬼畜キャラになってみなさいよ!大体、影が薄いのよ、あんたは」
「影が薄いのが俺の取り柄だ!」
「おいってば」
「あ、里見ちゅあん、待って!」
「ドア!ドアに足入れて、ヒビキンッ!閉じさせるんじゃないわよっ」
「おいっ!」
「わぁっ!」

いきなり怒鳴られ、涙目で黒鵜戸が振り向いてみると、火浦が呆れ顔で立っている。
「お前ら、大勢で押しかけてきて何やってんだ?いるんだろ、里見」
「お、お……おにいちゃ〜んっ!」
勢いよく扉が開いて、里見が泣きながら兄の胸へ飛び込んだ。
「里見?どうしたんだ、里見っ」
「あ、あっ、怖かったよぉ、お兄ちゃぁん……この人が、この人達が……」
「い、いや、その、俺達は、ただ」
「この人が、あたしをそこのツンツン頭に襲わせようとしたのぉー」
「何ィ?」
「あ、あらあら、違うのよ〜。それは言葉のアヤでぇ」
「テメェら……よってたかって俺の妹を虐めてたってのか?」
「い、いや虐めたってのは誤解だ。俺達は、ただ、お前に」
「黒鵜戸!お前も里見を虐めたのか?」
「いや、どっちかっつーと俺が酒木に虐められていたっていうか……」
「酒木?どいつだ、酒木ってのは」
「この人」と、酒木を除いた全員が彼女を指さす。
「そうかい……」
「な、なによぉ」
「覚悟は出来てんだろうな!?俺の里見を泣かしやがって、女だろうと容赦しねぇぞ!!」
「ひっ……!」
「う、うわわわわぁっ!」
「危ねぇっ!」
間一髪、酒木への一撃は栃木が庇って事なきをえる。
その勢いで、わらわら逃げ出す一行の背中へ、火浦が吼えた。
「次、里見を泣かせてみろ!黒鵜戸、お前とはもう、絶交だ!!」

逃げて逃げて、ようやく馴染みの公園まで辿り着いた時には、全員が息切れしていた。
「ひぃぃぃ〜〜っ!な、なんなのよ、あいつっ。女の子に殴りかかる?グーでっ」
「しかも妹泣かされたぐらいで、だぞ!シスコンだったのか、あいつ!」
「しかし、俺達もやり過ぎちまったからな……あいつが怒るのは当然だろ」
妹どころか、兄にも嫌われてしまった気がしないでもない。
はぁと溜息ついて暗く落ち込む黒鵜戸を、栃木が慰めた。
「まぁ、酒木を案内したのが運の尽きだ。奴との友情は諦めろ、黒鵜戸」
「そ、そうだよ!あいつが友達じゃなくなってもさ、俺達がいるじゃん」
「そうよ、火浦くんが駄目でも栃木くんがいるじゃない。カップリング的には問題ないわ!」
「……そういう問題じゃないだろ……」
春先早々、縁起が悪い。
これからの二週間、いかに火浦と仲直りするべきか。
はたまた火浦の事は潔く諦めて、トシローらと春休みを謳歌するべきか。
悩ましい、黒鵜戸の春休みが始まった。
Topへ