今日も授業が終わり、校門から生徒達が吐き出されてくる。
いつもの帰宅ルートを歩きながら、人通りの少なくなってきたタイミングを見計らって栃木が尋ねた。
「なぁ、トシロー」
「なんだ?」
「その、コミックマーケットってやつだがよ」
「うん」
「……生徒会長も、来るのか?」
空手一辺倒の栃木が、何故コミックマーケットなどという言葉を知っているのか?
答えは明解。
友達の友達、トシローが超のつくオタクだからだ。
彼は今、夏の祭典に向けて、コツコツと昼飯代を貯蓄している。
ダイエットにもなって一石二鳥、とは本人の談である。
「あぁ、まぁ。一緒に行く約束してるし」
「一緒に行くほど仲良しなのか……やっぱ、カノジョなんだろ?お前の」
「違ェーよ、そんなんじゃない。あいつだって俺がカレシじゃ嫌だろ」
「そんなこたないんじゃねーか?」
「クロードまで、何言ってんだよ?」
「だって趣味が同じなんだろ?趣味のあう異性が身近にいるのって、嬉しいと思うけどな」
「嬉しいのと恋愛感情は別だろ!第一、あいつは――」
「あいつは、何?」
すっと三人の前を塞ぐようにして軽く会釈をしてきた女生徒こそは、今まさに噂をしていた当の酒木であった。
「ヒビキン、ちょっといいかしら。ついてきなさい」
急に声を低めて、有無を言わせぬ口調で酒木が命じる。
逆らえぬ雰囲気に怯えながら「お、おう……」と頷くトシローへ、栃木と黒鵜戸の二人もついていった。
ひと気のない公園へ到着した途端、トシローは酒木に詰め寄られる。
「ちょっとヒビキン!あたし、誰にも言うなって言わなかったかしら!?」
「だ、だって、仕方ねぇーじゃん、しつこく聞かれたんだから!」
「あんたがキモオタなのは学校中の皆が知ってるからいいけど、あたしは秘密にしとかないとイメージに響くのよっ。ったく、口が軽すぎるにも程があるわね、あんたって奴は!」
なにげに酷いことを言っている。
「い、いや、トシローだけを責めないでくれ」
たまりかねて、栃木と黒鵜戸も口を挟む。
「トシローを問い詰めたのは俺達だ。トシローは悪くねーよ」
すると酒木は、二人にも人相の悪い目を向けた。
「あんた達、このことは、ぜぇーったいに他言無用よ!誰にも話すんじゃないわよ!?」
「ハイハイ」
「あぁ、判ってる」
「ホントに判ってんのかしら?特に栃木くん、さっき思いっきり公道で話していたし」
「い、いや、それは、すまなかった。だから、その……」
「罰として、あなたをネタにさせなさい」
「ハ?」
「ハ?じゃないわよ。あなたをネタにさせろって言ってんの」
「おいサカキン、やめてくれよ。こいつらは関係ないだろ?悪いのは全部俺なんだから!」
「そうよ、あんたも悪いのは判ってる。だから、ヒビキン×栃木くん……いいえ、この場合、攻めは栃木くんのほうが萌えるわね」
「全っ然、萌えねぇよ!っつか、俺とケースケでカップリングすんのかよ!?」
もう、すでに黒鵜戸と栃木は蚊帳の外だ。
二人の会話は、全くと言っていいほど意味が判らない。
「当然よ。嫌がるヒビキンを無理矢理脱がせて押し倒す栃木くん……あぁ、妄想するだけでハァハァするわね」
「やめてくれよー!もう、本当に!」
「というわけで、栃木くん!」
「おっ、おう?」
「今すぐ、ここで脱いで頂戴」
「……ハ?」
「だからぁ、ハ?じゃないわよ、飲み込みの悪い脳筋ねぇ」
なにげに栃木もバカにされた。
「あたしの漫画の題材になるのよ?参考資料として協力するのは、当然じゃない」
「俺を漫画のネタに?一体、どんな内容なんだ」
「決まってんじゃないッ。嫌がるヒビキンに、無理矢理エロいことをする栃木くんよっ!」
公園でエロネタに盛り上がるのは、人としてどうなのか。
そんなことを、黒鵜戸は考えたりもした。
周囲に誰もいなくて本当に良かった。
というか、さっき秘密にしてくれと言ったのは酒木本人なのに、んな大声で妄想を宣うのはアリなのか?
「トシローにぃ?そいつぁ心外だな。キャストを変えてくれ」
「何よ、口答えする気?」
「口答えじゃねぇ。そんなんじゃ、誰も読まないっつってんだ」
「じゃあ、誰となら萌えるってーのよ?」
「そうだな……俺の見立てじゃ、黒鵜戸あたりが無難なんじゃねぇか?」
「おい!お前まで何言ってんの、ケースケ!?」
「黒鵜戸くぅぅん?……ふぅぅ〜ん、そうなの。ああいうのが、あなたの好みってわけ?」
「あと脱ぐのは構わねぇがな、上だけでいいか?」
「冗談じゃないわ。脱げって言ったら、とーぜんオチンチンも見せろって言ってんのよ!」
とんでもなく下品な発言に、慌てて黒鵜戸が間に割って入る。
「ちょ、ちょっと」
「なによ、黒鵜戸くん!」
「ここ一応公園だし、そーゆー発言は」
「公園だったら、何だっていうのよ!男なら潔く、裸一貫になってごらんなさい!」
「いや、下は、さすがの俺でも辞退させてもらうぜ」
「何よ、男らしくないわね!その筋肉は、ただの飾り?」
「男らしいってのと、ストリートキングになんのは、ベツモンだろうが」
「似たようなもんよ!あんた、好きな人に脱いでって言われても、今みたいに断るつもり?フン、女々しい奴ッ」
「好きな奴が、公園で脱げなんて言い出すかよ!」
酒木の勢いにつられて、栃木までもが冷静さを欠く始末。
二人の口喧嘩を唖然と見つめながら、黒鵜戸は、同じく呆然と佇むトシローに頼む。
「言ってる事が、無茶苦茶だ……トシロー、彼女を何とかしろ」
「む、無理だよ。サカキン、普段は落ち着いてっけど、怒ると誰にも止めらんねーんだ」
俗に言う『怒ると怖いんです』というタイプの女か。
しかし今は誰もいないけど、いつまでも公園に誰も来ないとは限らない。
こんな変態会話、うっかり知っている人に聞かれでもしたら大変だ。
「いいから、とっとと脱げっつってんのよっ」
ついに、酒木が実力行使に出た。
栃木のズボンに掴みかかり、引き下ろそうとしているが、栃木だって簡単に脱がされるほど間抜けじゃない。
「いっやっだっ、っつってんだろうが!」
すっぽんのように食らいつく酒木を、引きはがそうと悪戦苦闘。
そうこうするうちに「おい、こんなトコで何やってんだ?いい歳して女子と相撲ゴッコかよ、お前ら」と、いきなり話しかけられ、慌てて黒鵜戸とトシローが振り向けば。
そこに立っているのは、火浦じゃないか。
「おっ、お前、こないだの……」
「火浦じゃねーか!」
「火浦?」
「火浦?」
栃木と酒木が同時にハモり、かと思えばパッと栃木から身を離して、酒木が叫ぶ。
「だ、誰っ!? このイケメン!誰のお知りあいなの!?」
「イケメン?」
「って、誰が?」
「どこにいるんだよ、イケメンなんて」
「どこって決まってんでしょォ!そこにいらっしゃるイケメン様よ!」
ビシッ!と指を突きつけられ、火浦も誰かいるのかと背後を振り返る。
しかし、誰もいない。
すぐに「あなたよ、あなた!」と酒木に再び叫ばれ、向き直った。
「イケメンって、俺が?おいおい、すげェ美的センスの持ち主だな」
「やだもう、謙遜しちゃって!ねぇ、あなた、この三バカトリオのお知りあいか何か?」
「お知りあいっちゃー、知りあいだな。ま、黒鵜戸以外は顔見知り程度だけど」
「そぅ……じゃあ、黒鵜戸くんの友達なんですね?」
なんと、火浦に対して酒木は敬語だ。
同い年なのに。
「あぁ、まーな」
「そうですか……黒鵜戸くん×火浦さん、いえ、逆のほうが萌えるわね……」
カップリングが変わった。
じゃなくて、無差別ボーイズラブ・テロが始まった。
「おいっ!そいつは全然関係ないだろ!?」
「火浦さん!」
「火浦で結構だ。で、何だ?」
「では、火浦くん。今、カノジョかカレシは、いますか?」
「なんだ、ナンパか?カノジョなら昔いたぜ、今はフリーだけどよ」
「つまり今は、恋人がいないんですね?」
「あぁ。っつか、敬語もやめてくんねーか?敬語とか使われっとよ、背中が痒くならぁ」
「そう……じゃあ、黒鵜戸くんとくっついても何ら問題はないわけね」
ニヤッと口の端を歪ませた酒木が、媚を売る目つきで火浦を見つめた。
「火浦くん、この際だから黒鵜戸くんと恋人になっちゃいなさいよ!」
「……ハァ?」と、さすがに百八十度斜め上にすっ飛んだ、この発言には火浦もポカンとなる。
「大丈夫よ!あたしが保証するっ。あなたと黒鵜戸くんなら絵になるわ、絶対!」
「いや、恋人って、あいつと俺が?冗談やめろよ、男同士だぞ」
「ノープログレッ!最初は誰だって戸惑うけど、だんだん可愛くなってくるもんだから!」
「あー、もう、サカキンやめろって!おい火浦っつったっけ?いいから、早く逃げろ!」
「ちょっとヒビキン邪魔よ、視界を塞がないでちょうだい!」
「いいから、逃げろー!ここは、俺が死守してやるから、早く、早く!!」
「おい、なんなんだよ、あいつら……ラリッてんのか?」
文字通り体を張って、酒木の視界を塞ぐトシロー。
なにがなんだか判らずドン引きする火浦には、黒鵜戸が撤退を促した。
「いいから、今日の処は逃げといてくれ。後で事情を説明するから」
「あぁ……じゃ、また今度な」
「こらー!ヒビキン、邪魔すんな!あぁんっ、ネタが逃げるぅー!」
「いい加減にしろよ、このオタク女!」
「オタク女じゃないわ、あたしは腐女子よ!」
酒木の絶叫が響く公園を背に、火浦は、すたこら走り去ったのであった……