EXORCIST AGE

act8.学院  意識

ピンポーォーンと間延びした音を聞きながら、GENは苦み走った顔で戸を開ける。
「お邪魔しま〜す。あら、結構いい部屋に住んでいるのね」
笑顔で入ってきた人物は、ぐるりと部屋の中を見渡すと、いきなり駄目出しをしてきた。
「でも、綺麗に片付きすぎているわ。これじゃ一人暮らしの男の人としては追及点ね」
「なんでだよ?」
「一人暮らしなのよ?もう少し雑然としていなきゃ、生活感が出ないわ」
玄関先で靴を脱ぎ入っていくミズノの後を追うようにして、GENもリビングへ向かう。

――何故パートナーでもないミズノが、GENの任務先へ現われたのか?

答えは、先ほどの電話にある。
ZENONが目撃したという、デヴィット=ボーン。
彼が九月から親善大使として桜蘭学院へやってくるというのだ。
無論写真で見た限りの印象でしかないので、全くの別人という事も考えられる。
しかしミズノとて、THE・EMPERORの一員である。
見間違えの可能性は限りなく低かろう。
現に今、彼女から写真を見せて貰ったGENも、うぅむと唸り声をあげていた。
「確かに……似ているな。ニヤケ具合といい、きっちり分けた七三といい……」
「でしょ?こんなに似てていいのかってぐらい似ているわ、あいつに」
言いながら、ミズノは勝手に珈琲メーカーを動かして珈琲を煎れている。
止めるでもなく写真と睨めっこするGENの手元にも、カップを置いた。
「影武者……?いや、そんなことをするメリットがないよな。となると本人か」
「その可能性は限りなく高いわね。ただ、問題は何故このタイミングなのかって点だけど」
ただでさえ、学院内は悪魔疑惑でゴタゴタしている。
なのに学院長は何を考えて、西の親善大使なんぞを招き入れようとしているのか。
いや、もしかしたら親善大使の話は、ずっと前から決まっていた事だったのかもしれない。
学院に悪魔が紛れ込んでいる噂のほうが、後に出た話だとすれば?何も不自然ではない。
「悪魔祓いを雇ったり親善大使を招いたり、随分とお金のある学校よね」
「そうだな。この家も」と、天井を見上げてGENが言う。
「学長の好意で用意されたんだぜ」
ちらっと彼の顔を一瞥して「一人で住むには広すぎない?」なんてことをミズノが聞いてくる。
だから、先回りして言ってやった。
「女の子なんて連れ込んでいないよ。ティーガの目が怖いからね」
「あら、誰の目が怖いのかと思えばティーガなの!?」
苦笑しつつ、ミズノが珈琲を運んできた。
とぷとぷと注がれる茶色の液体を眺めながら、GENは頷く。
「あいつ、ああ見えて寂しがり屋さんなんだ。俺が任務で誰かに優しくしたりするだけでもヤキモチを妬いちゃってね。大変なんだ、あとのケアが」
「優しくしたり……って、誰に?」
ミズノの目がキラリと光ったような気がしたので、GENは慌てて付け足した。
「悪魔に襲われていた依頼主だよ。普通は労ったりするもんだろ?」
「いいわ、そういうことにしておきましょ」
信じたんだかいないんだか、苦笑で流される。
ムッとするGENへ、ミズノが別の話題を振ってきた。
「でも、今回の任務は学校潜入でしょ?ティーガも彼女が出来たりしたんじゃないの」
「いや?友達は、たくさんできたみたいだけどね」
答えるGENの脳裏を、倭月の笑顔がよぎる。
そうとも、妹がベッタリ張り付いているから恋人を作るなんてのは無理だろう。
あの妹、倭月ちゃんはティーガに懐いている。
懐いているなんて可愛いもんじゃない。あれは恋だ。恋をする少女そのものだ。
だって、兄が生徒会長と仲良くしただけで嫉妬するって話だから。
「意外ね。ティーガなら恋人の一人や二人、すぐ作れるかと思ったのに」
「たった一ヶ月で?」
無理だろと思うのだが、ミズノは案外真面目な顔で頷いた。
「だって、あの子可愛いし。社内でも狙っている人が多いのよ。ティーガのパートナー」
「へぇ。ミズノさんも、その一人?」
からかうGENにミズノはキョトンと「私?」と聞き返してきたが、すぐに否定した。
「私は、いいわ。競争率もだけど、ティーガと二人じゃ命がいくつあっても足りなくなりそう」
珈琲を飲み干して、GENが言い返す。
「なに、ZENONよりはマシさ。ティーガは絶対、いいベテランになれるよ。俺が保障する」
何の保障だか、本人は今ごろクシャミを連発しているかもしれない。
「トレーナーの贔屓目じゃなくて?」などと、ミズノも苦笑しながら隣へ腰を下ろす。
「ティーガはともかくGEN、あなたこそ、どうなの?」
「どうなのって?」
何気なく聞き返し、思ったよりも近くに彼女が座っていることに気がついた。
なんとなくドキンと高鳴る胸を押さえ、平常心で答えを待つと。
「パートナーよ。あなただってパートナーが必要でしょう?いないの?社内で気になる人」
ミズノは思った通りの言葉を吐き出し、じっと見つめてくる。
「あっ、いやぁ、その……」
思わずGENは言葉に詰まり、部屋には静寂が訪れた。
考えてみれば、ミズノと二人きりで話すのなんて初めてだ。
いつも、必ず誰かが彼女の周りにいた。
彼女を狙っている社員は多い。
「そ、そういう自分こそ、どうなんだよ」
なるべく彼女の顔を見ないようにしながら、GENもやり返す。
GENにパートナーがいなければ、ミズノにだってパートナーは不在だった。
返事はない。
チラリと横目で伺うと、ミズノは珈琲カップに視線をそそいだまま黙っている。
気まずい。実に、気まずい。
もしかして彼女、遠回しに組まないか?と誘いをかけているんだろうか。
そっとミズノの顔色を伺うも、俯いているもんだから何も読み取ることができない。
「ミズノ?」
軽く肩を揺すってやると、相変わらず視線は下へ向けたままミズノが不意に口を開く。
「ねぇ」
「な、なに?」
「入った時から気になっていたんだけど……」
顔をあげ、彼女は真っ直ぐ前を見やる。
つられてGENも、そちらを見て首を傾げた。
アッチにあるのはベッドと小さい机ぐらいだ。
何もおかしなモノなんて置いていないはず。
「……あの写真、誰?」
「へ?」と思う暇もなく。
すっくと立ち上がったミズノがスタスタと歩いていき、窓際にあった写真立てを手に取った。
「ね、この人誰?恋人?コイビトなの?」
「あっ……わわわ、ミズノ、ちょっと待った!」
弾かれたようにGENも立ち上がり、彼女の手から写真立てを取り返す。否、もぎ取った。
勢いの激しさにミズノは一旦キョトンとするも、すぐに意地になって取り返そうと襲いかかる。
「待ったじゃないわよー、何よ、見られて困る相手なの?不倫相手?」
「ふ、不倫って誰とだよ!?違うよ、この人は、そんなんじゃないって!」
写真立ての奪い合いでスッタモンダしていれば、いつかは転ぶのも判っていた結果というやつで。
あっと叫んだ時には、GENは背後の棚で思いっきり後頭部を打ち付けた。
つられてミズノも足を取られ、転んだGENの上におっ被さってくるもんだから。
顔の近さに二人揃って硬直する――という、何とも青春ドラマの一コマみたいな状況に陥ってしまった。
「み、ミズノ……」
間近で彼女を見たのは、これが初めてである。
今まで気にもかけていなかったが、かなり可愛い部類に入るんじゃなかろうか。
同世代の女性を可愛いと呼ぶのも失礼な話だが、美しいよりは可愛いってほうが似合う。
つまりは、童顔だ。年齢不詳と言ってもいい。
淡いピンクの口紅といい、ほのかに香る香水といい、艶やかさがない代わり彼女には爽やかさがある。
それでいて、胸は結構大きい。
幼さの残る顔と比べたアンバランスな体格も、男性の心を惹くのかもしれない。
改めて狙っている奴らの顔を思い浮かべ、GENは背筋をブルッと震わせた。
こんな処で彼女と二人で抱き合っている――といったら語弊があるが――と知られたら、後でフルボッコにされかねない。
ミズノも、じっと自分を見つめたまま硬直している。
頬に朱が差しているのは、彼女もこちらを充分意識している証拠だ。
「GEN……その人、写真の人は、恋人……なの?」
やけに気にしている。
もっとも、部屋を入った時から気になっていたぐらいだ。
ずっと聞きたかったには違いないんだろうが……
囁く彼女に首を振り、GENは答えてやった。
「違う」
「じゃあ、誰……?」
どうしても気になるのか、目線を外しつつも尋ねてくる。
言うか言うまいか、少しだけ悩んだ。
バンダナに、そっと手を触れ考えた後。GENは小さな声で答えた。
「姉さんだよ」
「……お姉さん?」
「あぁ」
「お姉さん……そう、だったの」
ミズノの視線は、じっと写真にそそがれている。
写真の中で微笑む、一人の女性へ。
「……でも、あまり似ていないよね。GENとは……」

ミズノの問いに、何と答えようか迷っているうちに――
ピンポーンともチャイムが鳴らされず、いきなりドアが開いたかと思うと。
「長谷部さん、いる?あがるよー!」
という元気な一言と共に、どかどかとティーガが上がり込んできた!

リビングに入った途端、口元を押さえて「えっ、えぇぇっ!?」と好奇の目をそそいで硬直する倭月。
続いて入ってきたティーガは一瞬キョトンとした後、満面の笑顔を浮かべて「あれ?お楽しみ中だった」と茶化してくるもんだから。
GENは自分が今置かれている状況を、はたと理解し、慌てて起き上がった。
「キャッ!」と悲鳴をあげて押しのけられるミズノなど、意にも介さず。
「ち、違ッ!違うぞ、ティ……ッと、拓!!」
だがティーガときたらニヤニヤ笑いを全く消さず、慌てふためくGENの動揺などドコ吹く風。
「へ〜、違うって何が?恋人とお楽しみ中だったじゃん、なー?倭月ィ」
傍らの倭月にまで同意を促す始末。
おかげで倭月の硬直もとけ、真っ赤になった妹はティーガとGEN、双方の顔を見比べてアワアワするばかり。
「え、えっ?あ、あの、お兄ちゃん?」
これにはGENもアワアワして「バッ、バッ、バカ!」とティーガを怒鳴りつけ、フォローを求めてミズノへ振る。
「違うよ、俺達べつに、そんなつもりで、その……足がつるっと、ねぇ?」
「そうよ、せっかくお楽しみだったのに……こちら、生徒さん?」
ミズノにはナチュラルに笑顔で振りかえされ、ティーガも笑顔で会釈する。
「うん、そうだよ。長谷部先生には、お世話になってまーす。俺は津山 拓。んで、こっちは妹の倭月っていうんだ」
つられるようにして、倭月もペコッと頭を下げる。
「は、はじめまして。護之宮 倭月っていいます」
ミズノは二人の顔を交互に見比べ、笑顔で頷いた。
「まぁ、そうなの。拓くんに倭月ちゃん、ね。こちらの英二こそ、お世話になっちゃっているわねぇ」
まるで事前に打ち合わせでもしていたかのような二人の会話に、GENは一人ついてゆけずポカーンとするばかり。
部屋の主がポカンとしている間にも、ミズノとティーガの三文芝居は続いてゆく。
「で、恋人さんのお名前は?」
「あら、ごめんなさい。名乗るのを忘れていたわね。琴川 千鶴よ、よろしくね」
咄嗟とはいえ、よく偽名が思いつくもんだ。
さすがは事務でもエクソシスト、THE・EMPERORの社員である。
「それでタックンと倭月ちゃんは、こんな遅くに先生のおうちへ何の用?」
ミズノが訪問した時点で五時を過ぎていたのだ、時計の針は六時を指している。
少なくとも、子供が先生のお宅へ遊びに来るような時間ではない。
「あ、えっと、近くまで来たものですから、ちょっと顔を見てみようかなと思って」
しどろもどろに説明したのは倭月だ。
大方ティーガが無理矢理誘って、ここまで連れてきたのであろう。
やっと余裕の出てきたGENも会話へ加わった。
「俺の様子を見るため遊びに来てくれたのは嬉しいけど、あまり遅くなると親が心配するぞ?」
「そうッスね。先生も、お楽しみ中だったみたいスし」
再び話題を戻されて「だから!」と思わず取り乱すGENとは違って、ミズノはさすがに大人の貫禄を見せる。
「あら、あれは事故よ。転びそうになった私を、英二が助けてくれたの。ね?英二」
「え、あ、う、うん。そう、事故だよ事故」
ぎこちなく笑うGENを見据えティーガは何を思ったのか、しばし黙っていたが。
やがて元通りの笑顔で、ニッコと笑いかけてきた。
「んじゃ、そーゆーことにしときましょっか!それでね、エイさん」
「う、うん?」
いっときの間に戸惑うGENへ、畳みかけてくる。
「千鶴サンも一緒に行くんすか?海旅行」
「え!?」
本当に、ミズノと事前に打ち合わせでもしていたんじゃないか?
訝しむGENがミズノを横目で伺うと、なんとミズノも驚いている。
となると、打ち合わせはしていない?ティーガのアドリブなのか?
しかし、なんでまた、ややこしい方向へ話を振ってくれるんだか。
「ど、どうして?」
聞き返すとティーガはチロッとミズノへ視線を向けて、すぐさまGENへと向き直る。
「行くんだったら、いいなーと思って。ほら、旅行って人の多い方が楽しいじゃないッスか!」
「そういえば旅行へ行くって言ってたわよね、あなた。私も行っていいのかしら?」
などとミズノが、さっそく話題に乗ってきて、見れば倭月も興味津々でGENの答えを待っているもんだから。
その場の流れには逆らえず、渋々GENは頷いた。
「そ、そうだね。君も来てくれると嬉しいなぁ」
喜ぶミズノを横目に、ティーガの魂胆を考えてみる。
ミズノが此処に来ていることなど、彼は一切知らなかったはずだ。
ついさっきまでは、GENにだって知るよしもなかった情報なのだから。
にもかかわらず大した動揺も見せずに初見のような演技を続け、さらには旅行へまで誘ってきたのは何故だ?
恐らくは、ミズノが何故ここにいるのかを聞き出す為であろう。
GENと同様、本社に何かがあったのだと思ったに違いない。
――やれやれ。
ティーガの奴、ミズノの本音を聞いたら驚くぞ。
いや、驚きを通り越して呆れるかもしれない。
「じゃ、次は三日にお会いしましょう!」
陽気にサヨナラをかます彼と倭月を、ミズノと一緒に外まで送り出しながら。
ぎこちない笑顔を浮かべたGENは内心、そっと重い溜息を吐き出したのであった……

act8.組織  局長の疑惑

「――って訳なんですよ。どう思いますかね?この事を」
翌日。
部署へ入るなり、BASILは眉を潜める。
珍しく朝っぱらからZENONが、いるじゃないか。
しかも、大声で誰かと電話している。
BASILは彼が苦手だった。いや、もう嫌いと言ってもいい。
相性が合わないなんて可愛いもんではなく、食べ物の好みから悪魔退治のやり方まで、何から何まで正反対だ。
同じ社内の社員同士、もうちょっと仲良くやりたいとは自分でも思うのだが、相手が歩み寄ってくれないことには如何ともしがたく。
「っ、と。別の奴が帰ってきやがった。んじゃあ一旦切りますぜ、局長」
なんだ、電話の相手は局長か。
同じ社内にいるんだから、直接局長室まで出向けばよいものを。
さっさと電話を切ったZENONは、机の上に置いてある物を片っ端から鞄に詰め込んでいる。
歯ブラシや髭剃りなんかも混ざっているところを見るに、また泊りがけの依頼が入ったのか。
ZENONが何故、社長や局長から頼りにされているのか。
BASILには、どうも、そこが理解できない。
局長や社長のやり方に不満があるわけじゃない。
ただZENONの退治方法は、お世辞にもスマートとは言い難く、終わった後の処理も乱雑だ。
辺り一面、悪魔の血で汚してくれるから、後始末をやらされる者達も、たまったものではあるまい。
それでもZENON指名で入ってくる依頼が途絶えないというのは、やはり実力を認められているんだろう。
回してくる依頼主も大抵がヤクザや軍隊といった、公には発表できない胡散臭い連中が多い。
もしかしたら、ZENONは会社にとって体のいい道具なのかもしれない。
そんな同情心がわき起こり、BASILは哀れみの視線をZENONの背中へ投げかけた。
だが投げかけた直後、不意にZENONがくるりと振り向いたもんだから、たまらない。
たちまち彼の眉間には皺が寄り、ズカズカと近寄ってくると、力一杯BASILの襟元を掴みあげてきた。
「オイ!何だァ?そのツラはッ。えッらそーに、この俺を上から目線で哀れむたァ、いい度胸じゃねェか!!」
「べべべっ、別に哀れんでなんか……!」
ぐいっと持ち上げられただけで、足が宙に浮く。目前にZENONのドアップがあった。
「嘘つけ、確かに今のテメェの目は俺を見下してやがったぜ。その鼻ピアス、全部ブッちぎってやろうか?」
「ややや、やめろって、いでででで!イタイ、イタイ!!」
ぐいぐい鼻ピアスを引っ張られている処へ、誰かが近づいてくる。
誰でもいいから助けて、とばかりにBASILが視線を向けてみると、近づいてきたのはバニラであった。
「あっ!バァニラすぁぁぁ〜〜〜ん、ではありませんかぁぁぁ〜〜」
途端に床へ投げ捨てられ、BASILはいやというほど腰を打ち付ける。
「あッだ!」と叫ぶ彼などほっといて、さっそくZENONはデレデレタイムの始まりだ。
「バニラすぁん、いかがなさったんですかぁ?浮かない顔しちゃって。あ!判った、俺との結婚式の予定日を考えているんですね?それともウェディングにするか和服にするか」
ベラベラと話す向こうでは、ふてくされたBASILが小声でツッコミを入れる。
「お前を入れる棺桶のサイズでも考えてるんだろうよ」
「何だと!?」
さっそくギンッ!と眼光鋭く睨みつけるZENONに、BASILは肩をすくめた。
「おいおい、そんなツラしてっと愛しのバニラさんに」
嫌われるぞ、という前に、バニラが横を通り過ぎていくので、BASILもオヤ?となった。
いつもなら「うるさいよ」と、入って来るなり小言の一つも飛ばす彼女が。
何も言わず、考え事に没頭したまま歩き去るなんて珍しい。
バニラは完全に自分の思考に入っていて、ZENONはおろかBASILにさえも顔を向けようとしない。
真剣な表情で下向き加減に歩いていき、やがて自分の席で立ち止まると小さく溜息をついて頭を振った。
「どうしたんですかィ?バニラすぁん、こんな時こそ、この俺を頼って下さいよ!!」
押しつけがましくZENONが隣で何か言っているが、それさえも彼女の耳には入っていかないようだ。
トスンと椅子に腰掛けて、悩ましげな顔で引き出しから書類を取り出す。
気になってZENON、それからBASILも背後から覗き込んだ。
表紙には『THE・EMPEROR 退治部署明細』と書かれている――と、確認できたのは、そこまでで。
我に返ったバニラに、二人揃って怒鳴りつけられた。
「誰が覗いていいって言ったんだい!?とっとと自分の席に戻りな、このバカチンどもが!!」
慌てて逃げるBASILとは違い、ZENONは、さすがバニラの追っかけを自称するだけはある。
逃げるどころか逆に聞き返してきた。
「なんでバニラさんが、うちの部署の明細を持ってんスか?そいつを持つ権限があるのは局長と社長ぐらいかと思っていたんですがねェ」
これ見よがしに溜息をつき、バニラがZENONを見上げた。
「……あたしとゾラにも権限が渡されていたんだよ。ずっと昔からね」
「えぇ!?じゃあ、バニラさんって地位は局長並みに偉いんじゃないッスか?」
叫んだBASILを疎ましげに睨みつけ、バニラは首を振る。
「地位なんざ関係ないね。長く勤めているってだけの話だ」
そんなもんすかね、と納得したBASILは、さっさと自分の席に戻ってゆく。
ZENONだけが納得のいかない顔で、側に残った。
「権限があるとしてもだ、なんで俯き加減に、そんなもんをチェックせにゃあならんのですかィ」
「あたしが、そいつをあんたに語らなきゃいけない理由も思いつかないんだがね」と、バニラはつれない。
そこへ入ってきたサクラが、開口一番に会話へ割り込んできた。
「局長に頼まれたからですよね!SHIMIZUさんの素行を調査するんでしょう?」
「局長だァ?」
「SHIMIZUの素行ッ!?なんでまたっ」
ZENONとBASILは同時にハモり、バニラが重苦しい溜息を漏らした。
その反応に「あ!」と、慌ててサクラが口元を抑える。
「あたし、ヤバイこと言っちゃいました?」
「……このバカチンが」
サクラの頭をポコンと軽く殴ると、バニラは書類を鞄にしまい込む。
人目がありすぎるので、ここで調べるのはヤメにしたらしい。
「お前達、雑談も程々にして仕事に励むんだよ。あたしは少し出かけてくる……夜までには戻る。社長や局長が訪ねてきたら、そう伝えておきな」
言うが早いか颯爽と部署を出ていく姿に、全員ポカンと見送るばかり。
ややあって、ZENONが頭をガリガリ掻きながら、ぼそっと呟いた。
「局長のやろう、バニラさんに何やらせようってんだ……?」
「局長?局長がらみなのか?SHIMIZUの素行を調べるのは……あ、そうだ、おいサクラ!」
振り返ってみれば、サクラの姿が近くにない。
こっそり自分の席へ戻ろうとしている彼女をとっつかまえ、BASILは改めて問いただす。
「SHIMIZUのやつ、社則違反でもやらかしたのか?局長直々ってんだから、そうとうな内容だと思うんだが」
「あ、いやぁ〜、そのぅ……そういう違反じゃないみたいですよォ?」と、サクラの歯切れは悪い。
見かねたか、珍しくZENONが助け船をよこしてきた。
「情報をどっかに流している可能性がある。或いは盗聴している可能性だ。俺もさっき局長と話していたんだが、な」
「と、盗聴!?」
驚くBASILの横では、サクラが小さく頷く。
「あたしも局長がバニラさんと話しているとこ、見ちゃったんです。SHIMIZUさんが盗聴しているかもしれないから局長室では話せない……って」
判っていないのはBASILだけで、なんだか自分だけ蚊帳の外へ放り出された気分だ。
噂の人物SHIMIZUは、まだ出社していない。
いや、来ているのかもしれないが席には不在だった。
「俺しか知らない情報を、あいつが知ってやがったらしいんだ」
「お前しか知らない情報?なんだ、それ。どうせ酒の席でベラベラしゃべったの忘れてるだけじゃ、うわっ!」
軽口を叩く側から、また持ち上げられて、BASILは足をばたつかせる。
側ではサクラが慌てて止めに入った。
「ちょ、ちょっと!朝から喧嘩しないで下さいよォ〜」
「フン」
またまたパッと手放され、BASILは嫌というほど腰を打つ。
「アッデ!」
ZENONは、もはやBASILなど眼中なしでサクラに向けて話していた。
「ま、大した情報じゃねぇんだが、とにかくあいつから聞かされたってミズノが言ってやがったんだよ」
「そういえば……」
ふと思い出したように、サクラが左右を見渡す。
「ミズノさん、今日出社していましたか?事務のほうにも食堂のほうにも、いらっしゃらないようなんですけど」
「おつかいで出てるだけじゃねーの?」とBASILが口を挟む横から、ZENONがボソリと答える。
「そういや一度も見てねぇな……あいつ、開始時刻には必ずいるはずなのによ」
「休みなだけじゃないか?そう心配するような事でもないと思うけど」
可能な限りの可能性を並べ立てているうちに、BASILは、またしてもからかいのネタを思いつく。
「っていうかZENON。お前普段はミズノの事を嫌っているくせに、毎日出社チェックとは案外」
「何か言ったか?」
再びグイッと襟首を掴まれて、足をバタバタさせるBASILであった……


デヴィット=ボーンが天都に来ている――
ZENONから報告されるより以前から、局長VOLTは知っていた。
否、たれ込みがあったのだ。
近い将来『Common EVIL』のメンバー全員が天都を訪れるであろう、と。
匿名のたれ込みだ。信憑性も薄い。
それでもVOLTは、その情報を信じることにした。
その矢先、ZENONからの報告を受ける。情報は信頼性を増した。
だがSHIMIZUへ疑いを持ったのは、この件ではない。
SHIMIZUがダブルスパイではないかと報告してきたのは、ZENONでもミズノでもなくセキヤだ。
退治部署に所属している社員で、見てはならぬ現場を見たと息巻いていた。
彼女が電話で誰かとやりとりしていたという。
VOLTは手元にある雑誌へ目を落とす。
『黒真境ジャーナリズム』というタイトルの週刊誌だ。
主に黒真境で起きた事件を取り上げる雑誌だが、ここにもデヴィットの影が踊っている。
セキヤの見解によれば、SHIMIZUが連絡を取り合っているのは、ここの編集者ではないか?との事だった。
物憂げな表情で、局長はページをめくる。昨日発売されたばかりの最新号だ。

オズガルドより親善大使、各地の学校へ招かれる。

一見すると何の問題もない普通の話題だが、記事は、そこから悪魔の話へすり替わってゆく。
親善大使が招かれるようになった時期と、悪魔の事件が相次ぐようになった時期との比較。
手早くページをめくっていた局長は、コラムの一つに目を留める。
見開きのページには、一枚の写真が大きく引き延ばされて載っていた。
画面は暗い。だが人影を二つ、見ることが出来る。
一人は道に崩れ落ちるように横たわっており、もう一人は、それを見下ろしている。
見下ろしている人影の方を長いこと見つめていた局長は、不意に立ち上がる。
おもむろに携帯を取り出すと、どこかの番号を手早くプッシュした。
「……あぁ、俺だ。今どこにいる?」
電話の向こうで、誰かがそれに答えると。局長は僅かに眉間の皺を濃くした。
「そうか……判った。では、引き続き調査を続行してくれ」


車が忙しない速さで行き交っている。
天都の大通りを、あてもなく彼女は歩いていた。
すらりと伸びた長い足。黒々とした髪の毛は日を浴びて輝きを放っている。
「ねぇ、キミ一人?こんな時間に一人なんて寂しいんじゃない?」
ときおり声をかけてくる相手は鬱陶しそうに払いのけながら、彼女が目指しているのは大きなビル。
看板には『天都新聞』と書かれている。数多くある新聞社の一つだ。
「……ここね」
素早く左右を見渡してから、彼女はビルへ入ってゆく。
その後ろを音もなくついてくる者がいることなど、まるで気づいていないかのように。