EXORCIST AGE

act7.学院  夏休み

鞄を取りに行く為、廊下を早足で駆け抜けながら。
拓の心は今や、学院から海へと飛んでいた。
嬉しい。
学校に潜入と聞かされた時は、どうなることかと内心不安だったが、まさか、こんなイベントが待ち受けていようとは。
それは、夏休み。
七月後半から九月頭まで、約一ヶ月まるまる学校が休みになる。
エクソシストとなるべく運命に位置付けられて生まれてきた拓には、初めてのイベントである。
会社の盆休みだって、これほどまでには長くない。
課題がたくさん出るので嫌だとクラスの皆は嘆いていたが、本業が学問ではない拓にとっては、どうでもいい話。
一ヶ月、何をして過ごそうかなぁ?
毎日GENさんや倭月と遊び倒すのも、悪くないかも。
あ、でも、その前に。生徒会長さん達と海へ遊びに行くんだった。
海へ行くんだったら、やっぱ水着を用意しなくちゃいけないよね!
三泊四日の、お泊まり旅行。これも拓には初めての経験だ。
これまでに、泊りがけの仕事をする機会がなかった。
難しい仕事は、全てGENが一人で請け負っていた。
一緒に行くと駄々をこねても、彼にはあっさり「無理だよ」と断られ、いつも悔しい思いをしていたのは内緒である。
泊まりって言ったら、やっぱりホテルかな。それとも、旅館?
ご飯は出るのかな。出ないんだったら、食事の用意も持っていかないとね。
ガラリ、と二年の教室を開く。
すでに皆帰ってしまった後なのか、教室には人っ子一人いなかった。
「あっ、そうだ!」
鞄を引っつかみ、廊下へ出たところで、拓は大声で叫ぶ。
どうせなら倭月を誘って帰ろう。
水着を売っている店や、旅行に必要な道具が何かを教えてもらう為に。


「ふぅ……」
何度目かの溜息をついて、千早は机の上の写真立てをバッグへ放り込む。
旅行用のバッグだ。三泊四日の海水浴旅行。
自分で立てた旅行の計画だが、何故か当初の予定とは大きく異なり人数が増えてしまった。
拓だけを誘ったはずなのに、気づけば彼の妹や、その友達。
そして千早側も、生徒会の連中が何名か一緒に行くことになっていた。
その中の一人、竹隈 甲斐の顔を思い浮かべ、千早は先ほどよりも重い溜息をつく。
生徒会で副会長をやっている男子だが、はっきり言って千早は彼が嫌いだった。
どこがどう嫌いなのかと言われれば、極めて内面的なものだ。
頭の良い、エリートにありがちな高慢な態度。
出来の悪い生徒を見下している部分が、鼻につく。
しかも千早をカノジョ扱いしている処があり、ますます千早の神経を苛立たせる。
顔の良さを自慢しているフシもあった。
それでいて学内の女子人気が高いというんだから、他の女生徒は節穴かと疑いたくもなる。
竹隈が行くと知って、千早の取り巻きである女子の何人かが参加を希望したもんだから。
仕方なく「いいですわよ」と良い顔をしているうちに、総勢九人の大所帯になってしまった。
旅行に行くと知った時、最初、両親は猛反対した。
なのに竹隈が一緒に行くと判った途端、手のひらを返すように納得する。
何かあるなと千早は思ったのだが、聞けば、きっと面白くない事を聞かされると懸念して、深くは追及しなかった。
――そういえば、拓の妹が「旅行には保護者が必要」だと言っていた。
千早の両親に頼んでもよかったのだが、なんとなく言いそびれているうちに、心あたりがあると拓が言い出して。
彼の知人が選ばれる事になり、一同は、ひとまず解散した。
編入してきたばかりの彼に、天都付近で年上の知人が居たとは驚きだ。
でも編入が遅かっただけで、天都には昔から住んでいたと考えれば、それほどおかしな話ではないのかもしれない。
一体、どんな人を連れてくるつもりだろう。
怖くない人だといいのだが……いや拓に限って、怖い人など連れてくるわけがない。
たった一ヶ月の間に、ずいぶんと拓を信用している自分に気づき、千早は小さく微笑んだ。
拓は不思議な少年だ。
他の生徒みたいにベタベタ干渉してこないくせに、何故か存在感がある。
話しかければ、一歳年下という年齢差を忘れさせるほど屈託なく接してくる。
竹隈などにしてみれば、そこがカンに障るという話だが、千早は大らかな人格だと拓を評価した。
一度だけ、竹隈と拓が対立する場面があった。
「あまり馴れ馴れしく生徒会長に接しないでくれ。学内の風紀が乱れる」
自分を棚に上げた嫌味節を放つ竹隈には、千早のほうが苛つかされた。
だが、当の拓ときたらケロリとしており。
「そう?誰とも親しく話が出来ないんじゃ、誰も友達になってくんないじゃん。そうなったら、学校に通っている意味もなくなっちゃうよね。ね、千早さん?」
相づちを求められて、思わず千早は頷いてしまった。
「そうね。お話しできるお友達は、誰にでも必要だと思いますわ」
「君ィ!千早くんまで、何を言うんだい。学生の本分は学業だぞ!」
怒鳴る竹隈を差し置いて他の生徒会員、特に男子の面々が千早の意見を支持し始めたもんだから。
二人の論争――といっても一方的に竹隈のしかけた喧嘩だが――も、うやむやのうちに終結した。
今度の旅行も拓が一緒に行くと知ったから、竹隈は自分も同行すると言い張ったのだ。
自分を挟んで、また喧嘩が繰り広げられるのかと思うと気が重くなる。
倭月と、その友達。
或いは拓の連れてくる保護者とやらが、良い緩和剤になってくれるといいのだが……
まぁ、悩んでいても仕方がない。
旅行用の電車チケットも、もう買ってしまったのだ。
水着だって買った。高校生が着るには、ちょっと派手すぎるものを。
拓くん、褒めてくれるかしら。うぅん、絶対褒めてくれる。
彼に褒められるのは竹隈や取り巻き組に褒められるよりも、きっと、ずっと嬉しいはずだ。
その瞬間を脳裏に描き、派手すぎる水着もバッグへ詰め込むと。
一旦詰め込んだはずの写真立てを取り出して、千早は、ぎゅうっとそれを抱きしめた。
「拓くん……この旅行で、千早は、あなたに……」
軽く口づける。
いつ隠し撮りされたものか、天都のアーケード街を背景に微笑む拓の写真へ。


残念ながら倭月も帰宅した後だったが、そこで諦める拓ではない。
わざわざ携帯電話で彼女を呼び出すと、アーケード街で待ち合わせした。
さすがに、護之宮の家まで出向く勇気はない。
倭月の親父と鉢合わせては、たまらないからだ。
実の父親だろなんて突っ込まれるかもしれないが、所詮DNAだけで繋がっている間柄。
一体何を話せと言うのだ。話すことなど一つもない。
倭月も、よく旅行の許可を貰えたもんだ。
なんちゃってお嬢様の千早と違い、倭月は正真正銘、名家のお嬢様。
しかも一人娘とあっちゃ、女友達も一緒だとはいえ心配にならないんだろうか。あの二人は。
ま、護之宮家の事情など、知ったこっちゃない。
拓としては、倭月が一緒に旅行へついてくる。それだけで充分だった。
千早のことは嫌いじゃない。
むしろ好意を抱いているが、それと三泊四日の旅行とは話が別だ。
最初、二人きりで行こうと誘われた時は耳を疑った。
女の子が男の子と二人っきりで、泊りがけの旅行に行くなんて。
破廉恥だって学校の先生に習わなかったのかな?俺は習ったけど、バニラさんから。
思わず、傍らの倭月と顔を見合わせた後。
勢いで「倭月も一緒に行っていい?お前だって行きたいよな、倭月」と確認を求めたら、意外や倭月のほうがノリノリで。
「行きた〜い!あ、でも駄目……ですよね、神無さん。神無さんは、お兄ちゃんと二人だけで行きたいんでしょうし……私なんかが一緒じゃ、おじゃまですよね」
相手の同情を誘うかのような悲しげな目つきで呟き、慌てた千早から同行の許可を、もぎ取ったのだった。
しかも、しかもだ。千早が去った後。
ブイッと大きくVサインをつきだして倭月が喜ぶ。
「やったね!これで今年の夏休みは退屈しないですみそうだよ、お兄ちゃん」
「護之宮家って、あんま旅行しねぇの?」
「するわけないじゃない。毎年家でダラダラするのが、我が家の風習なの」
でも今年は憧れのお泊まり海だとはしゃいだ挙げ句、三人だけじゃ退屈だから友人も誘って良いか?と尋ねてくる。
もちろん拓に断る理由もなし。
頷いてOKすると、妹は拓の耳元に口を寄せて、ぬけぬけと言い放った。
「感謝してよね、お兄ちゃん。生徒会長と二人っきりの旅行だったら、きっと新学期までには大変なことになってたよ」
「な、なんだよ、脅かすない。大変なことって何だ?」
驚く拓へニコニコと微笑み、倭月は答えた。
「イタズラ電話や悪口メールで毎日嫌がらせされたかも、ってこと!人気あるんだから、生徒会長さん」
とても笑顔で言うような内容じゃない。
「水着や浮き輪も買わなくちゃ。用意するものが一杯だね。じゃ、また後でね?お兄ちゃん」
去っていく倭月の背中に手を振って、拓も生暖かく微笑んだのだった。
生徒会長にファンが一杯いるというのなら、倭月、お前にだってファンは沢山いるんだぞ?
お前自身は気づいちゃいないかもしれないが、俺のクラス、二年四組の男子なんかが良い例だ。
一年女性の体育を見る為にプールへ双眼鏡を向けていた男子がいたことを、お前は知らないんだろうなぁ……

「おにーぃちゃん。何、ニヤニヤしちゃってるの?」

ポン、と軽く背中を叩いてきたのは倭月だ。
「ん、ちょっとな」
曖昧にごまかし、拓が振り返る。
電話で話しておいた通り、友達を連れてきていない。倭月は一人だ。
電話した時、彼女は友達と一緒に遊んでいた。
それを無理矢理帰らさせてショッピングに同行しろと言うんだから、我ながら傲慢なお願いだったと思う。
なのに倭月はブーブー文句も言わず、ちゃんと拓の願いどおり一人でやってきた。
よく出来た妹だ。
いや、兄に従順というべきか。とにかく倭月がお兄ちゃんっ子なのは間違いない。
「あ、そうだ。お兄ちゃん、一緒に行ってくれる保護者の人は見つかった?」
尋ねてくる倭月へ頷き「そうだなー」と躊躇ったのも一瞬で、すぐに拓は破顔する。
「そうだな、倭月には先に教えとこ」
「えっ、何?私だけ?」
つられて笑顔になる倭月の耳元で、ごしょごしょと囁いた。
「長谷部センセ。誘っちゃった」
「え……えぇ〜〜っ!?
予想を裏切らぬ倭月の驚きっぷりに満足した拓は、ついでに、もう一つサービスしてやる。
「実はさ、センセの家も、もう教えてもらっちゃってるんだ」
「すっごい!お兄ちゃん、いつの間に、そこまで仲良くなったの?」
妹に、そこまで尊敬の眼差しで見つめられるのは悪い気がしない。
「へっへっへ」
得意げに笑うと、拓は一つ提案する。
「買い物が終わったらさ、一緒に行こうぜ?センセの家」
「う、うん……あ、でも大丈夫かな?今から行ったら、夕方にならない?」
夏だから、まだ辺りは明るい。
帰りの道には困らないだろうが、先生の都合というものがある。
良識的に渋る倭月を説得しようと、笑顔で拓は連呼した。
「ちょっとだけだよ、ちょっとだけ。ちょっと顔出すだけなら平気だろ?」
「うー、うん。そうだよね……ちょっとだけなら」
というわけで。
あっさり兄の言い分に納得した倭月は、買い物の帰りに長谷部先生のお宅へ遊びに行くと決めたのだった。

act7.組織  奇想天外、予想外

一路帰宅したGENは割り当てられた借家で悩んでいた。
先に言っておくが、三泊四日のお泊まり旅行に関する悩みではない。
目の前に散らかされているのは、桜蘭学院の生徒一覧表だ。
ティーガの作成した、生徒データも含まれている。
例の引きこもり、データの取れなかった三人について、それとなく教師に尋ねて回った処。
なんと、そんな生徒は在学していないというのだ。
だが、こうして一覧表や生徒の噂には上っている。
先生達の記憶が間違っているのか、それとも知らないうちに三人とも退学してしまったのか?
念のため学院長にも確認を取ったが、ここ近年、退学した生徒なぞ一人もいないという。
驚いたことに学院長も、三人の生徒について見覚えがないとの返事だった。

訳が判らない。

三人の生徒は一覧表に載りながら、教師の記憶から抹消されてしまったというのか。
しかしティーガが生徒に情報を聞き回った限りでは、三人を覚えている者も何人かいたようだ。
生徒会長も、その一人。
引きこもりの最年長、三年生の大貫 達也をティーガに教えてくれたのは彼女だ。
旅行には彼女も一緒に行くという話だから、詳しい話を聞き出せるかもしれない。
いや、旅行には自分も誘われていたんだったと思い出し、GENは渋い顔になる。
ティーガの奴、去り際に引率を頼みます、などと言っていたが、旅行に行く場所が場所である。
海だ。しかも海水浴場。どうあっても、泳がざるをえない場所じゃないか。
夏の真っ盛りに長袖を着ていくわけにいかないし、ましてや海水浴場で白衣を着込むなんて、それこそ有り得ない。
保健室では絶対白衣着用を強制していたくせに、一体どういうつもりなんだ。
行く前に、一度はティーガを締め上げておかなくては。
などと物騒な思いを巡らせていると、携帯電話が鳴った。
会社用の番号にかかってきている。ティーガだろうか。
「はい、GENだけど」
『あ、GENなの?よかった〜、出てくれないんじゃないかと思っちゃった』
受話器の向こうから聞こえてくるのは、意外や甲高い声。
この声はミズノじゃないか。どうして彼女が、任務中に電話を?
「ミズノ、俺が今、仕事中だってのは知ってるよね?」
『判ってる!でも、こっちも緊急事態なのっ』
公共電波を使って電話してくるぐらいだ、相当な緊急コールとみていい。
本社に異変でも起きたのか、とばかりにGENも焦って聞き返す。
「何かあったのか?」
『あのねGEN、正直に答えてちょうだい』
「何?」
『あなた、SHIMIZUさんのこと、どう思う?』
言われたことを理解するまで、GENの脳は数分を要した。
ややあって出たのは「……は?」という如何にも冴えない返事で、たちまちミズノには怒られる。
『どう思うかって聞いてるの!』
「いや……どうって、何が?」
『だからぁ、好きとか嫌いとか、ほら、色々あるでしょ?そういうの』
「いや、まぁ、別に、好きでも嫌いでも……強いていえば仲間としては頼もしいかな、ぐらいで」
『何よ、それ!』
怒られたって、それ以上の感情を彼女へ持っていないんだから仕方ない。
それよりも、わざわざ任務中に電話をかけてきた上、聞きたいのが恋話とは、そっちこそ、どういうつもりだ。
真面目な奴だと思っていたが夏の暑さで、脳味噌が溶けてしまったらしい。かわいそうに。
「聞きたいことって、それだけ?」
『それだけじゃないわよ、もう!』
話は、まだ続くようだ。すっかり呆れきった調子でGENが先を促すと。
ミズノは、彼が予想だにしない斜め上の発言をよこしてきた。
『ね、GEN。そっちは、もうすぐ夏休みなんでしょ?』
「ん、あぁ、まぁ。二十一日からね」
『だったら、一度会えないかしら。そうね、八月三日なんかどう?』
「八月三日は……駄目だ、旅行が入ってる。って、おい待てミズノ!」
はたと気づき、すかさず突っ込むGEN。
「俺、仕事だって言ったよね?こっち出てくる前にッ」
『えぇ、聞いたわよ』
「なら、こっちで会うのがNGってのも判るよな?聡明なミズノさんなら」
『何よ、聡明って。判ってるけど、緊急事態なのよ!』
またしても緊急事態を繰り返すミズノに、だんだんGENもイライラしてくる。
「さっきから緊急緊急って繰り返してるけど、一体何が緊急なんだ!?俺とSHIMIZUの恋話なら、半永久的に有り得ないと思ってくれ!」
『半永久的って……あなた、結構ひどいことサラッと言うのね』
電話の向こうでドン引きされた。
だが、そんなこたぁどうだっていい。
緊急だと急かすならば、その理由を教えてもらおうじゃないか。
苛ついたGENに急かされて、ミズノは急に声のトーンを落とすと、ひそひそと囁いた。
『会社に裏切り者……スパイがいるかもしれないの。どう?気にならない?』
「ならない。ミズノ、寝る時は冷房で頭を冷やしすぎないよう気をつけた方がいいぞ。バカになる」
さっさと切ろうとするGENに、痛切な悲鳴が聞こえてくる。
『ちょっとー!GEN、あなた私をバカだと思ってるでしょ!?ちゃんと私の話を聞いて!!』
「THE・EMPERORにスパイなんか、いるわけないだろ?一体何の映画に影響を受けたんだ、君は」
延々とミズノの妄想につきあっている暇はない。
こっちは旅行の準備に失踪した生徒の調査と、色々忙しいのだ。
――教師と生徒の記憶が食い違う原因は、悪魔の仕業なのではないか。
という考えが、ふと脳裏に浮かび、GENは素早く手近な紙にメモを取る。
電話の向こうでは、まだミズノが何か騒いでいた。
『ZENONがCommon EVILのメンバーを見たんだって、SHIMIZUさんが言っていたの。でもね、ZENONは局長と社長にしかCommon EVILのメンバーを見た件を話さなかったって言うのよ!GEN、あなたも退治部の人間でしょ!?同じ部署の人間同士が啀み合っている現状に、何の感情も沸かないの!?』
受信オフのスイッチへ伸ばしかけた指が止まる。
「……なんだって?」
ZENONがCommon EVILのメンバーを見たって?一体、どこでだ。
しかも局長と社長にしか話していないのに、何故かSHIMIZUが知っていた?
じゃあミズノの言う裏切り者は、SHIMIZUって結論になる。けど、そんな馬鹿な。
彼女はBASILと同じく、年季の入ったベテラン社員だ。
今さらTHE・EMPERORを裏切る理由が浮かばない。
それに彼女は、バニラさんの弟子である。
むやみに噂をばらまくのが、どういう結果を招くかぐらい、バニラさんに叩き込まれているはずだ。
「その噂、ZENONが連中を見たって話、本当にSHIMIZUが言っていたのか?」
本当に、そうだったとして。SHIMIZUの狙いは何だ?
Common EVILの噂をまき、社内を混乱へ落とすこと?
だがZENONが見たというだけでは信憑性に薄いし、そもそもZENONの社員評判は言っちゃ悪いが、すこぶる悪い。
奴を気に入っているのなんて、社長と局長ぐらいだろう。
あのバニラさんでさえ、もてあます相手だ。
もしZENONを追い出したいんだとしたら、噂をまくだけ無駄手間だ。
奴の受け持つ任務を妨害して、失敗させる事で社長と局長の信頼を落とす。それで充分だ。
『そうよ。それに……ZENONも本当に見たみたい』
「Common EVILのメンバーを?奴自身に尋ねたのか」
『えぇ。チラッとしか見ていないから確信できないけど、多分デヴィット=ボーンじゃないかって』
「デヴィットだって!?」
思わず大声で叫んでから、オットットと口元を押さえて小声になった。
「悪魔のツカイッパが、天都に何の用だっていうんだ」
『知らない。ZENONは彼を天馬町で見たらしいわ』
天馬町といえば、天都の中でも外れにあたる、いわばド田舎だ。
そのような辺境にZENONが派遣されたのも意外なら、デヴィットがいたのも不思議だった。

デヴィット=ボーン。
本名不明、年齢も不明。金髪碧眼という容姿から、西大陸の人間であると推定。
常に、にやけた薄笑いを浮かべており、服装は洗いざらしのシャツなどを好む傾向にある。
Common EVILのメンバーで、THE・EMPERORに所属するエクソシストは何度も遭遇している。
本人曰く『悪魔の使い』であり、悪魔のちからを借りることのできる人間でもある。
考えようによっては、悪魔よりも恐ろしい存在。そう言えるかもしれない。

デヴィットの目撃情報は、これまで天都の中心部に限られてきた。
それが何故、天馬町などという田舎で目撃されたのか。
だが、ZENONに聞いても判るまい。
チラッと見かけた程度じゃ、判るわけがない。
「ZENONは、どうして、その時やつを捕まえなかったのかな?」
『任務中で、しかもチラ見じゃ、しょうがないわよ』
「そうだな……」
GENも納得し、話を元に戻す。
「とにかく、その話を知っているのは君とZENONとSHIMIZU以外に誰がいる?あぁ、社長と局長も除いてだ」
『いない……と、思う。SHIMIZUさんが他の人に吹聴していなければ、だけど』
SHIMIZUか。一体何故彼女が噂をまき散らすのか、理由を知りたい。
しかし今は任務中の身、おいそれと本社へ帰るわけにはいかない。
かといってミズノに頼んだところで、彼女だって困った挙げ句にGENへ電話してきたんだから無理だろう。
う〜む、と唸るGENへ、ミズノが提案してきた。
『それでね。本当にデヴィットが天都へ来ているのか、確かめてみようと思うの』
「君が?けど任務でもないのに、こっちに来ちゃっていいのかい」
もしかして、俺に頼もうと思っているんじゃないだろうな?
そんな考えが脳裏に浮かび、GENは慌てて嫌な考えを振り払う。
冗談じゃない、そんな暇はない。
しかし嫌な予感とは、えてして当たりやすいもので。
ミズノは急に猫なで声になると、甘えた調子でGENへ囁いてきた。
『ねぇ、GEN。今から、そちらへお邪魔してもいいかしら?私とあなたなら、彼を捜し出すのも容易いと思うの』
「思わない!ミズノ、君、何を言っているのか判ってんのか!?俺は仕事中なんだぞ、ティーガと組んで!!」
絶叫するも、相手は全然聞いちゃいない。
『判ってるわよ。でもデヴィットを野放しにしておいたら、また犠牲者が出ちゃうんじゃない?それって、任務放棄よりタチが悪いと思うんだけどな』
タチが悪いのはミズノのほうだ。
喉元まで出かかった、そんな言葉を飲み込んで。GENは妥協案を出すのが精一杯。
「それで、こっちに来てどうするんだ?具体的な案があるのかい?ないなら大人しく諦めて」
『あのね、さっき書庫の子に聞いたんだけど。最近は西の人間を親善大使として招いたりするんですってね』
いきなり話題が飛んだ。
ポカンとするGENの耳元で、ミズノが、どんどこ話を進めてゆく。
『その中に、桜蘭学院も入っているの。親善大使を九月から呼ぶんですって。そいつの写真を入手したんだけど、なんていうか……デヴィットに似ている気がするのよね』
「なんだって!?」
本日、何度叫んだか判らない。
『うぅん、もちろん写真の写りが悪いから断定できないんだけど。でも、調べてみる価値はあると思う。そ・こ・で、GENにお願いしたいんだけどォ』
「駄目!駄目ったらダメ!!」
『まだ何も言ってないじゃない』
言われなくたって判る。余計な厄介事を押しつけようとしているのが。
今度こそスイッチをオフにしようと指を伸ばしかけるが、電話の向こうでグサッとくることを言われた。
『いいの?もし、その親善大使がデヴィットだとしたらティーガが大変な目に遭うかもしれないのよ!?』
ミズノの言うとおり。
親善大使がヤバイ奴だとすれば、一番に被害が行くのは桜蘭学院の生徒達。
すなわち、学院にいるティーガや自分も被害を被るわけで。
どうあっても、その大使を調べるのはGENの役目になりそうだ。
「……判ったよ。で、手始めに俺は何をすればいい?」
渋々頷くGENへ、何故か嬉々とした様子でミズノは言った。
『しばらくGENの家へ泊めて欲しいの』
「泊めるだけ?それなら構わないけど、俺、八月三日は旅行に行くんだぜ」
何気なく言ったつもりの一言の何が逆鱗に触れたのか、いきなりミズノには喧嘩腰になられる。
『旅行ォ!? あなた、任務中なのに何処へ行こうっていうのよ!』
「い、いや、ティーガが友達に誘われて、あ、友達って言うのは学院の子なんだけど……それで、俺も付き添いっていうか、保護者として」
しどろもどろに説明するGENへ、どこまでもミズノは猜疑心満々だ。
『ふぅん……とかいって、そっちでナンパでもしたんじゃないでしょうね』
なんでミズノにまで、ナンパ野郎疑惑を受けなきゃいけないのか。
俺って、そんなにナンパなスケコマシに見えるのか?
愕然とするGENの耳に、まだ刺々しいものの幾分勢いの和らいだミズノの声が響く。
『まぁ、いいわ。そういうことにしておきます。それでね、GEN』
「は、はい。なんでしょう?」
『あなたが旅行に行くっていうんなら、私も一緒に行かなきゃいけないわね』
「ハァ!?」
『ハァ?じゃないわよ、ハァ?じゃ。あなたの家に泊まる、すなわちこれ、あなたとは恋人って偽装になるんですからね!』
またしても、突拍子もない話題になった。
「イヤ、待てミズノ、お前何を言って」
『独身男性の家に妙齢の女性が泊まるのよ?生徒なら恋人なんだなって考えるでしょ、普通』
「い、いや、でも俺の家にはティーガぐらいしか遊びに来ないし」
『夏休み期間中なら他の子だって来ます!本当に、あなたって年頃の子の気持ちには鈍いのね』
もはや、何を言っても焼け石に水。とりつく島もない。
泊まりを受け入れた時点で、自分の敗北は決定していたのだ。
しおしおと項垂れつつ、GENは承諾する他ない。
『今から行くから、ちゃんと鍵、開けておいてよ?それと、くれぐれも逃げないように』
「……ハイ」
GENの返事を最後に、長い電話は、ようやく切れた。