EXORCIST AGE

act5.学院  女生徒には、要注意

暦の上では、六月から七月へ差し掛かろうとしていた。
鬱陶しい雨ばかりの天気が、やっと明けたと思ったら、今度は蒸し暑い季節の到来である。
「ぶぇー、参ったなァ。このガッコって冷房ないのかよ、冷房」
文句を言いつつ、紙を団扇にパタパタ扇いでいるのは新任の保健医。
このクソ暑い中、長袖の白衣なんぞを着込んでいるもんだから、すっかり汗だくになっていた。
一応、桜蘭学院の名誉の為に言っておくならば、冷房器具がないことはない。
生徒達の使う教室や体育館、食堂、それから部室にも冷暖房が完備されている。
もちろん、保健室にも冷房装置はある。
ただし『故障中』と書かれた紙が、べったり貼りつけられていた。
「軽く虐待だろ、これ……」
流れ落ちる汗を袖で拭うと、とうとうたまらなくなった長谷部は白衣を脱ぎ捨てる。
ランニングシャツ一枚という開放感溢れる格好で涼んでいると、扉がノックされた。
「はい、どーぞ」と応えてから、長谷部は時計を見た。
まだ授業中だ。サボリか、本物か?
「エイさーん、いる?」
聞き覚えのある声、これはティーガじゃないか。
もとい、この学院では津山 拓と呼ばれている。
「誰がエイさんだよ。長谷部先生と呼びなさい」
かしこまる長谷部をひと目見た途端、拓がすっ飛んでくる。
「ちょっと、ダメだよGENさん!もー、誰もいないと思って、そんな格好で!!」
えっ?となる保健医へ白衣を押しつけると、拓は一人前に説教してきた。
「GENさんの体、ムキムキすぎるんだから。誰かが見たら、すぐバレちゃうだろ?偽者だって」
「おいおい、ムキムキッてほど俺は」
苦笑する長谷部の腕を取ると、拓は自分の腕を突き出して並べてみせる。
「少なくとも、俺よりは太いよね?ってか、この太さは東先生と同じぐらいだよ。保健医ってのは皆、青びょうたんなんだから。だからGENさんは脱いじゃダメ」
保健の先生は全て青びょうたんだと決めつけている。
まぁ、確かにGENの体は一般人と比べて、かなり鍛えられている方だ。
肉弾戦で悪魔と戦わなければいけない職業なのだ、青びょうたんでは務まらない。
「それより、お前、GENさんって呼ぶなよ。ここでは長谷部先生と呼べって言ったはずだぞ」
渋々白衣を羽織りながらGENが突っ込むと、ティーガは「あっ」と、くちを押さえて謝った。
「ごっめーん」
「次から気をつけてくれよな。それで、何か用があって来たんじゃないのか?」
「あっ、そうそう、それなんだけど」
やっと本題を思い出したティーガが、切り出してくる。
服の中からゴソゴソと取りだしてきたのは、数枚の紙を束ねたレポートだ。
「他の先生にも色々聞いて回ったんだけど、引きこもりって三年生だけじゃないみたいです」
「ま、これだけ大きい学校だ。他にいても、おかしかないわな」
レポートを受け取り、ざっと目を通す。
生徒の名前と顔写真、家族構成などが事細かに書き込まれている。
「一日二日で調べたってわけでもなさそうだな。半月間の成果か?」
GENの問いに、ティーガは嬉しそうに頷いた。
「うん。これはね、学院付属の寮に入っている生徒全員のデータなんだ」
ティーガ曰く詳しいデータを書き込まれていないのが、いわゆる『引きこもり』の生徒だという。
「最初は偶然休んでいるだけなのかなって思ってたんだけど……もしかしたらーって考え直して調べてみたら、ビンゴでしたよ」
嬉々として話す彼の頭を、GENは撫でてやった。
「上出来だ。一人で活動したにしては頑張ったじゃないか」
ティーガが破顔する。
「えへへ……GENさんの手を、わずらわせたくなかったんス」
なかなか可愛いことを言う。
喜ぶ後輩を横目に、GENはレポートをペラペラとめくって空欄データの人物を見つけ出す。
不登校の生徒は、全部で三人だ。件の三年生も入っている。
「向井 賢治、二年生……一年生もいるのか、速水 優子、女の子だな。それと例の三年生……」
読み上げるGENの後に続いて、ティーガが締める。
「大貫 達也、ですね」
一、二、三と見事に学年がバラバラだ。
だが同じ学寮にいるだけ、マシともいえよう。
これが家からの通いだったりした日にゃあ、面倒臭さも倍増である。
「学寮に入れるのは、原則学生だけ……か。拓、お前に全員を見て回れというのは」
任せると命令したいところだが、ティーガの負担が大きすぎやしないか。
言葉尻の鈍るGENとは裏腹に、当のティーガは素直に頷いた。
「OKッス」
だもんだから、逆にGENのほうが焦って聞き返してしまった。
「え?いや、OKって、ホントに一人で大丈夫なのか」
もう一度頷き「大丈夫ッスよー。半月間の俺の成果、見たばっかでしょ」とティーガは胸を反らす。
その代わり、と付け足すのも忘れなかった。
「GENさ……じゃなかった長谷部先生は、仮病を使ってくる生徒を全員チェックしといてね」
「あぁ、お前に言われなくても、やっているよ」と答えてから生徒の名誉を思って、言い直す。
「全員が全員、仮病ってわけでもないだろ?」
「GENさん、鈍いからなぁ……」
ティーガは尚も小声でブツブツ呟いていたが、鳴り響くチャイムに顔をあげると扉へ向かう。
出ていきざま、くるりと振り向いてGENを見た。
「あのね、これからも時々は来ていいよね?」
一応質問してはいるものの、どう答えたところで保健室には来るつもりだろう。
予想される答えを狙った誘い受けに、GENは苦笑しながら頷いてやった。
「怪しまれない程度になら、な」

保健室を出て教室へ戻る途中の拓の顔は、意外や暗い。
暗いというよりは悩んでいる、そんな風にも見える。
GENさんに言おう言おうと思っていて、とうとう言えなかった情報があった。
言わなかったことを、今になって悔やんでいるのである。
同級生から聞いた噂だった。
女子の一部、それも不良と呼ばれるタイプの子達が、なにやら良からぬ画策をしている。
詳しい内容は判らないが、どうもターゲットは新任保健医らしいのだ。
まさか女子高生ごときに後れを取るGENではなかろうが、万が一の事態も考えられる。
つまり、彼女達の中に凶悪な悪魔が混ざっている可能性だ。
悪魔がもし、生徒を人質に取ってくるような事があったら――
GENさんは一人で対処しきれるんだろうか?
いつも俺が保健室に居られればベストなんだけど。
でも毎日保健室に入り浸りの生徒ってのは、ちょっとなぁ。
せっかく出来た友達にもドン引きされそうだ。
思わず声に出して、拓は叫んだ。
「あーもーっ、なんで保健医なんだよっ!」
別の教科か部活の顧問だったら、一緒にいられる時間も増えるのに。
「保健医が、どうかしたのか?」
唐突に後ろから呼び止められるもんだから、危うく悲鳴をあげるところだった。
なるべく平常心を装って拓が振り返ると、廊下にいたのは東先生。体育の教師だ。
「どうした、津山。なんで、こんなトコロにいる?授業はどうした、授業は」
「ついさっきまで保健室で寝てたんス。授業が終わったから、教室へ戻ろうと思って」
平然と答える拓へ、東が同じ質問を繰り返す。
「なるほど……で?長谷部先生が、どうかしたのか?」
「あ、えぇっと、その」
めまぐるしく頭の中を回転させながら、拓は答えを導き出した。
「長谷部センセって優しいんだよねー。なんで、ああいうセンセーがクラスの担任になってくんないんだろって思ったんだ」
そうか、と頷いたが、東先生はまだ拓を開放しそうにない。
不意に声を潜めると、拓の耳元で囁いた。
「優しいって、どんなふうに?」
「えっ?」
「ひとくちに優しいと言っても、色々あるだろ。例えば、生徒の体を労ってくれるとか……長谷部先生は、どんなふうに、お前を優しく扱ってくれたんだ?」
そんなことを突っ込んで聞かれるとは。しかも男の先生に。
呆気に取られる拓の名を、誰かが廊下の向こうから大声で叫んできた。
「つーやーまーくーっん!」
振り向くと、男子生徒が手を振って笑っている。
同じクラスの生徒で、佐竹という奴だ。
編入してすぐ、彼とは打ち解けた。
親友とまではいかないが、クラスの中では、そこそこ仲良しな一人である。
「あ、じゃあ、これで」
無理矢理話を終わらせて東先生を振り切ると、拓は生徒のほうへ走り寄る。
先生も、しつこく追いかけるほどには執着していないのか、あっさり歩き去っていった。
「ふぅー、なんなんだよ、あれ」
ぼやく拓へ、佐竹が話しかけてくる。
「東先生とナニ話してたの?」
「長谷部センセのこと。なんか、しつこく聞いてくるんだよね」
あー……と、やたら納得している佐竹を見て、拓の脳裏に閃くものがあった。
「もしかして、東センセってアレなの?そっち系なの?」
「えっ!?」と我に返った佐竹が呆けたのも一瞬で。次の瞬間には笑い出す。
「まっさかー。違うよ、東先生が気にしてんのは自分の人気度だよ!」
「自分の、人気度?」
きょとんとする拓へ、佐竹が得意げに説明する。
「そっ。ほら東先生って、うちのガッコの先生にしちゃ若いじゃん。だからケッコー人気あるんだよね、女子にさ。でも長谷部先生が来てさ、それが危うくなりそうだから焦ってんじゃないの?」
なんだ。蓋を開けてみれば、なんという馬鹿馬鹿しい理由。
「そんなに女子人気が高いの?来たばっかなのに、あの先生」
逆に探りを入れてみると、佐竹は即答した。
「だって、あの先生が来てから保健室に行く奴増えたじゃん。それも女子ばっかり!」
そこまで言ってから、佐竹が、まじまじと拓の顔を覗き込む。
「……津山くんも、もしかして仮病だったの?」
そういや、こいつは何故、授業が終わった時間に一階の廊下を歩いていたのか。
拓が突っ込むと、佐竹は照れたような笑いを浮かべて答えた。
「津山くん、具合悪そうだったから大丈夫かな、って。様子を見てこようと思って、僕も仮病を使っちゃった」
長谷部先生のことよりも、拓は自分の心配をするべきかもしれない。


授業開始のチャイムが鳴り響くのを聞きながら、屋上で寝ころんでいた生徒が起き上がる。
次は三時間目。教科は……なんだったっけ?忘れた。
まぁ、教科なんてどうでもいい。どうせ授業には出ないんだから。
長いスカートを翻し、彼女は側でタムロしている仲間へ声をかけた。
「そろそろ行くよ、準備はいいか」
「あぁ」と頷いた一人が、手元のカメラを掲げてみせる。
「カメラも、この通り。バッチリさ」
安っぽいパーマ姿に似合わず、高そうなカメラだ。恐らく自前の物ではあるまい。
「紗英!」
名前を呼ばれて、チョコチョコッと走り寄ってきたのは小さな女生徒。
大きな黒目がくりっとして、屋上でサボッていた奴らの仲間とは思えないほど愛らしい。
「あんたの演技にかかっているんだからね、しっかりやんなよ」
リーダー格らしき女子に睨みつけられ、紗英と呼ばれた少女は、おずおずと頷く。
「が、頑張ります。任して下さい、松宮さん」
「へっへ、あの野郎、アタイらが来たら、どんな反応見せますかね」
松宮の横に並んだ女生徒の一人が、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる。
「……驚くか、退くか。普通に歓迎したら、大物かバカのどっちかだな」
薄く笑うと松宮は屋上の扉を開き、脇目もふらずに保健室へと向かった。
後ろにゾロゾロ、大勢の仲間達を引き連れて。

三時間目が始まり、保健室では、またしてもGENが一人で汗だくになっていた。
「あっじぇぇー」
犬のように舌を出し、教員机に身を投げ出している。
生徒には、到底見せられない姿だ。
誰も来ていないからこそ、出来る芸当である。
着任早々は保健室も大賑わいだったが、暑くなってからは誰も来ない。
冷房が故障中と知っているからか。
暑いというよりも、もはや、熱い。
冷房が効けば、ここまでダレる事もないのだが。
いや、この際そこまで贅沢は言うまい。せめて白衣だけでも脱げれば……
コンコン、というノックの音で、GENは我に返って身を起こす。
手ぬぐいで汗を拭き取ると、一転してサワヤカ教師の顔になり「開いてますよー」と返事をした。
「失礼するよ」
だいぶハスキーな声が返ってきたかと思うと、声の主以外の生徒もゾロゾロ入ってきた。
どいつもこいつも進学校に通っているとは言い難い格好で、一目で不良と判る生徒達だ。
オッサンみたいなパンチパーマを当てた奴。
このクソ暑い中、ご苦労にも長いスカートを履いている奴。
気合の入ったソリをいれている奴もいるが、驚いたことに全員が女生徒だった。
一人だけ背の高い、長スカートの奴が用件を切り出した。
「屋上で遊んでいたら、紗英が日射病になっちまったみたいなんだ。他の子も、具合が悪いって言ってる。ベッド、空いてるよね?」
最初に返事をしたのは、この子か。この珍妙な軍団のリーダー格らしい。
初対面でも、顔には見覚えがあった。
桜蘭学院生徒の一覧表に載っていた、松宮 瑠璃という子で間違いない。
長スカートの脇からチョコチョコと小柄な生徒が顔を出し、ぺこりと頭を下げる。
「佐伯 紗英ですぅ。あのぉ、あったま痛くて、ガンガンなのぉ」
涙目で泣き言を申し立てる紗英を一瞥し、続いてベッドへ目をやった長谷部が答えた。
「三つまでなら空いているけど……具合の悪い子は、紗英ちゃんの他に誰と誰?」
パンチパーマが手を挙げる。
「アタイと、美枝子だよォ」
名指しされて、鼻にピアスを通したモヒカンガールが一歩前に出た。
「ここ、すっげェ暑いんだけど。冷房、故障したまんまなの?」
「ごめんな」
長谷部が苦笑する。
「修理をお願いしておいたから。そのうち直ると思うよ」
氷嚢を用意しながら、付け足した。
「心配だとは思うけど、寝ていれば良くなるから。他の皆は教室へ戻りなさい」
すると「ハーイ」と返事を残して、松宮率いる不良達はゾロゾロと出て行くではないか。
怪しい外見に似合わず、意外や素直な子ばかりのようだ。
ピシャリと閉まる扉の音を聞きながら、長谷部先生は三人をベッドへ促した。
「荷物はベッドの横に置いといて。暑いようだったら、上着だけでも脱いでいいから」
すかさず「先生、エッチー」とモヒカンが冷やかしてきたが、大人しくベッドへ這い上がる。
パンチパーマは既に布団を被って、ベッドに潜り込んでいる。
紗英だけが、モジモジと突っ立っていた。
「どうしたんだい?」
かがんだ長谷部が優しく声をかけると、紗英は聞こえるか程度の小声で囁いてよこす。
「あのね……頭くらくらして、もうダメなのぉ……せんせぇ、だっこしてぇ」
彼女の顔を覗き込んでみたが、日射病と言う割には血色がよい。
だが本人が痛いと言っている以上、素人判断で決めつけるのは危険である。
なので「判った」とダッコしてやると、紗英は、ぎゅぅっとしがみついてきた。
「えへへ……せんせぇの胸……逞しいネ」
なにやら呟いているようだが長谷部は聞こえないフリで華麗にスルーし、ベッドへ横たわらせる。
額に氷嚢を乗せてやると、潤んだ瞳が彼を見上げてきた。
「せんせぇ、あのね、あの……服、脱がしてほしいのぉ」
「……ハ?」
思わず素に戻ってポカーンとするGENの耳に、信じられない言葉が飛んでくる。
「ふく、ベタベタして気持ち悪いのぉ……せんせぇの手で、脱がしてぇ」
何?このアダルトビデオ的ベタな展開。
こんな破廉恥な事を実際にのたまう女の子がいたことに、まず驚きだ。
「あぁん、せんせぇ、助けてぇ。あつい、あついよぉ〜」
紗英はベッドの上で激しく身悶えしている。童顔の少女が、だ。
彼女が胸元へ手をやるたびに、中の下着がチラチラと見え隠れしている。
胸元だけじゃない。スカートも捲れ返って、はしたないことになっていた。
たかが少女、されど女子高生。小学生とは違うのだ。
童顔で小柄なわりに、紗英の体は発育している。大人と子供の中間ぐらいまでには。
「あ、あぁ。冷房が切れているからな……とにかく、落ち着きなさい」
自分のほうが熱中症なんじゃないかってぐらい赤く染まりながら、GENは必死に保健医を続けたのだが。
「せんせぇ、はやくぅ、おねがぁい」
紗英に手をつかまれ胸元へ持っていかれた時には、頭がパニックで真っ白になってしまった……!

act5.組織  Common EVIL

どんなに整備された街でも、一箇所や二箇所は汚い区域がある。
すえた空気。
よどんだ瞳の住民達――
天都の郊外にある豊田町も、汚いと称される区域の一つだった。
裏通りには酒場が並び、道には吐瀉物の匂いが漂う。
小路地を奥へ入った先に、二つの人影があった。
「食料補給、これで最後よ。最近は警邏も厳しくなってる。なかなか難しいね」
一方が片言の黒真境語で話す。
もう一人は何も応えずに、ただガフガフと生肉の塊に齧りついていた。
赤い血が滴り落ちるのも構わず、一心不乱に食べている。
「私、もう行くよ。近々ここにも警邏入ってくる。あなたも気をつけるヨロシイ」
月明かりに照らされて、片言の奴の顔が闇夜に浮かび上がる。
男は、金色の髪の毛をしていた。


『THE・EMPEROR』の朝は早い。きっかり八時に始まり、夜は零時に終業する。
「ふぅぅぃいいああぁぁぁ〜〜っ、と」
廊下で大きくノビをしたZENONは、コキコキと首を鳴らしながら会社へ戻ってきた。
朝帰りである。
といっても、遊んでいたわけじゃない。れっきとした仕事帰りだ。
ここんとこ、立て続けに大きな仕事が入ってきていた。
やれ悪魔の軍団がヤクザの組に紛れ込んで悪さをしているだの、軍隊の中で暴れている悪魔がいるだの。
ヤクザや軍人だって、まがりなりにも武装しているんだから、自力で何とかしろと言いたい。
だが社長直々の指名とあっては行かぬわけにもいかず、ZENONは渋々出動したのだった。
それが、一週間も前の話。
二十対一という超ハンデな戦いを見事勝ち抜き、意気揚々と凱旋したのが今日の話。
無限の体力バカを誇る彼でも二十匹もの悪魔を相手に戦ったのは、さすがに重労働だったのか。
先ほどから眠くてたまらない。
もう一度「ふがぁぁああ〜〜あ」と、でっかいあくびをかましてから自分の席へ近づいてみれば。
何故かBASILが座っており、他の皆と楽しく雑談に興じていた。
「ティーガとGENが、あと何ヶ月で終われるかって?だったら賭けようじゃねーか」
「賭けるって、あんた不謹慎な……でもいいよ、何ヶ月に賭ける?」
しかも不謹慎極まりない会話で盛り上がっている。
たちまちZENONの血圧はあがり、戸口で仁王立ちしたまま怒鳴り散らした。
「アホかッ、テメェらは!命をかけた仕事をネタに賭けたぁ、よっぽどブッ殺されたいらしいな、俺に!!」
「ぎゃあ!」
ぴょこんっと文字通り飛び上がったBASILが恐る恐る振り向くと、慌てて席を立つ。
「な、なんだZENONか。いつの間に帰ってきたんだよ、お前」
「ついさっきだ。テメェらは相変わらず社内で雑談か?雑魚は暇そうで羨ましいねェ」
ジロッと睨みつけると、BASILはすっかり沈黙してしまう。
自由になった自分の席へ、どっかと腰を下ろし、ZENONは改めて部署内を見渡した。
馬鹿馬鹿しい雑談に興じていたのはBASILとMAUI、それからスズリの三人だ。
MAUIは、いつも社内にいるような気がしてならない。
まぁ、こいつは部署の中でも一番弱いからな。
二年目のサクラよりも回ってくる依頼が少ないってんだから、実力はお察しだ。
ZENONは独りごちると、机の上に荷物をぶちまける。
鞄には一週間分の洗濯物や洗面用具以外にも、色々と入っていた。
ごちゃごちゃになった荷物の中から仕事のレポートを取り出すと、再び立ち上がる。
「オイ。局長は、どこにいる?」
すっかり萎縮しきったBASILに問うと小さな返事が返ってきた。
「事務室にいると思うよ」
ZENONは口の端をつりあげて、ニッと笑う。
「よし。無駄足を踏ませやがったら、あとで酷い目に遭わせてやるからな」
脅迫とも取れる言葉を残して、出ていった。

局長には専用の部屋があるのだが、この日の局長は事務室におじゃましていた。
局長というのは、コードネームでもなければ本名でもない。部署内での呼称だ。
コードネームはVOLTという。
退治部と管理局を束ねる総リーダーを務めている為、皆からは局長と呼ばれている。
「局長、こんなトコで何やってんですかぃ。暇つぶしの雑談ですか?」
珍しく敬語で話しかけるZENONを、ちらと一瞥して。サングラスの男が頷いた。
呆れたことに部屋の中でも、この男はサングラスにコートを外さない。
「仕事ばかりでは、心も病んでしまう。息抜きは必要だ。お前も出張先で息抜きをしてきたか?」
「息抜きばっかしてたんじゃ、逆に疲れちまいまさァ」
ZENONは肩をすくめて質問をはぐらかすと、レポートをVOLTへ手渡した。
「仰せのままに、鳴門玉組の内部事情と国防軍の内部情報も書いておきましたぜ」
「ご苦労」
レポートを懐にしまい込み、局長は珈琲を一口啜る。
うまい。ミズノの煎れる珈琲は、いつも絶品だ。
「しっかしヤクザの内部事情なんざ調べて、どうしようってんですかね?社長は」
「あとで脅されないよう、弱味を握っておきたいんだろう」
とだけ答えると、VOLTは席を立った。
「あっ――と、ところで」
呼び止めるZENONへ振り向くと、局長のくちに僅かながらの笑みが浮かぶ。
「バニラか?彼女なら仕事だ」
先手を取られたZENONが次の言葉を探しているうちに、踵を返す。
「彼女の後を追いかけるのも結構だが、他の視線にも気づいてやるといい。では」
意味深な一言を残して去っていく局長の後ろ姿に、ZENONは、ただ首を捻るばかり。
「……あ?他の視線って、だ〜れの視線だっつーんだよ。おかしなことを言う人だぜ……」
ZENONを想う女性社員がいると言いたいんだろうが、全く心当たりがない。
退治部の新米サクラは、もっぱらBASILやウォンドといったチャラ男に夢中だし。
SHIMIZUの本命はGENだ。あれだけハッキリ判る奴も珍しい。
他にも次々と女性社員の顔を思い浮かべては、アレでもない、コレでもないと首を捻っていると。
事務室へ入ってきた奴が、不意に話しかけてきた。
「よっ。戸口の前で仁王立ちして、何の考え事かい?邪魔だよ。少し避けて、避けて」
いかにも軽薄ナンパなチャラ男の出現に、ZENONの額には縦筋が入る。
「誰だ、テメェ」
見たことのない顔だ。事務部の新人だろうか。
「トシロー君、そいつに関わっちゃ駄目よ。くちより手が先に出る乱暴者なんだから」
涼やかな声に、ZENONとチャラ男の双方が振り返る。
チャラ男が嬉しそうに名を呼んだ。
「ミズノさん!」
そのチャラ男をグイッと押しのけるようにして、ZENONが問う。
「ミズノ、こいつは誰だ?新入社員か」
「そうよ。コードネームはトシローくん。部署は違うけどティーガの同期って処ね」
ZENONを押しのけるようにしてトシローの横へ並ぶと、ミズノはニッコリ微笑んだ。
対してZENONの機嫌は悪くなる一方で、不機嫌も露わに悪態をつく。
「新入社員か、にしちゃあ礼儀がなってねぇよな。先輩の俺相手にタメグチききやがって」
だが、新入社員も然る者で。
トシローはサワヤカに微笑むと、あっけらかんとした調子で頭をさげた。
「あっ、すいません。社員だとは思わなかったもので!どこの部署の方ですか?」
たちまちZENONの額には無数の皺が寄り、彼はトシローに詰め寄った。
「THE・EMPERORに入っておきながら、俺を知らねぇとはモグリのエクソシストか!?」
まぁまぁ、と間へ割って入るようにしながら、ミズノが仲裁に入る。
「トシローくん、こちら退治部のZENONくん」
「ケッ。クンなんてつけんな、気色悪ィ」
文句の多いZENONをジロッと睨みつけてから、気を取り直して紹介を続けた。
「私とは同期で一応ベテラン社員なの。もっと敬ってあげてね。じゃないと乱暴を振るうから」
「乱暴を、ですか?」
キョトンとするトシローの向こうでは、ZENONが吼えている。
「オイ、ミズノ!俺をなんだと思ってやがるんだ!?」
「乱暴者」
きっぱりと答えるミズノに苦笑しながら、トシローが握手を求めてきた。
「では、宜しくお願いします。乱暴者さん」
事務新人とはいえ、コイツも一筋縄ではいかないタイプのようだ。
それにも余ってZENONの手の早さと来たら、ミズノもトシローも予想できないスピードで。
あっと思った時には殴られており、哀れ生意気の過ぎたトシローは後方の壁まで吹っ飛ばされた。
「トッ、トシローくん!大丈夫!?」
さっさと立ち去ろうとするZENONを、ミズノが呼び止める。
振り返って彼女を見てみれば、怒りに燃えた目でコッチを見ているではないか。
「もう、ZENON!そこは苦笑しながら握手してあげるのが先輩の貫禄ってもんでしょ!?」
なんでクソ生意気な後輩相手に先輩側が、そこまで寛大にならなきゃいけないのだ。
「GENなら、そうしたかもしんねぇが、相手が悪かったな。何しろ俺は乱暴者なんでなァ」
ミズノの紹介を逆手に取り、ニヤッと笑う。
グッと言葉に詰まった彼女を睨み付け、ZENONは吐き捨てた。
「事務部なんざ経理部のオマケで出来た部署だろうが。あってもなくても同じような部署なんだから、せめて後輩の教育ぐらいは真面目にやっておけよ」
トシローを殴る時、これでも一応手加減した。
それで後ろの壁までぶっ飛ぶようじゃ、彼の実力も、たかが知れている。
嘲るように嘆息すると、再びZENONは事務部を出ようとしたのだが。
「ちょ……ちょっと待って!」
ミズノに呼び止められ、不機嫌全開な顔で振り返った。
「なんだよ、まだ文句があんのかよ?」
文句ってんじゃないんだけど、と前置きしてから、彼女が問いただしてくる。
「天都で奴らを見たって話、本当なの?」
「奴ら?」
「Common EVILよ!」
つい甲高くなるミズノの声を「シィッ!」と制してから、ZENONがひそひそ声で受け答えた。
「あぁ……見たぜ」
「それ、いつ頃の話?」
「あーっと、いつだったかなァ……」
ZENONは天井を見上げ、ウーンと腕組みして考え込む。
「仕事が入る前だから、二週間も前だったような」
「そう、二週間も……」
一旦は落胆したように見えたミズノだったが、すぐ勢いを取り戻す。
「それで、奴らは何をしていたの?天都で」
「あー?何って、別にじーっと観察してたワケじゃねぇぜ。ただ、デヴィットっぽい奴をチラッと見かけただけで。アッと思った時には、いなくなってたしよ」
「デヴィット!?」
再び声の跳ね上がるミズノを「シィーッ!」とZENONが制し、ミズノも慌てて小声に戻る。
「ご、ごめんなさい。デヴィットって、デヴィット=ボーン?」
「そうだよ、そのデヴィットだ。他に、どんなデヴィットがいるってんだよ」
ZENONの答えに、ミズノはしばし沈黙した後。
最後に、もう一つだけ質問を寄こしてきた。
「それで……彼を見たのは天都の、どの辺りだったの?」
「あぁ、それなら、よ〜く覚えてるぜ。天馬町だ。知ってるだろ、あのド田舎」
ド田舎にZENONが行っていた理由は、聞くまでもなく仕事の類であろう。
だが、天馬町に『Common EVIL』がいたのは何故だ?
ZENONに聞いても判るまい。彼は、ちらっとしか見かけていないのだから。
「その話、誰かにした?」
「社長と局長にだけ話した。他の奴らにゃ、まだ言ってねぇ」
ZENONが嘘のつけるような男ではないことを、ミズノは知っている。

では、SHIMIZUは誰から噂を聞いたのか?

社長や局長が、うっかり話したとは思えない。
そんな口の軽さでは、仲介業の上役など務まるまい。
いずれまたSHIMIZUをとっつかまえて、詳しい話を聞くしかない。
その為にも――
「ね、GENはいつ頃帰ってくるか、聞いてない?」
唐突に変化した話題についていけず、ポカーンとするZENONの腕をミズノが揺さぶる。
「聞いてるの?GENは、いつ帰ってくるのかって聞いてるんだけど」
「しっらねーよ。長くかかるとは、聞いたけどよ」
学院へ潜入すると言っていた。だから当然長期の仕事と予測される。
だがミズノには今、彼の協力が必要だ。
仕事中は携帯電話も切っているだろうし、なんとかして連絡を取れないだろうか。
しばし考え込んだ後、急に何かを思いついたミズノは慌ただしく事務室を出て行った。
「……なんだ?あいつ」
一人呆けるZENONを、その場へ残して。