EXORCIST AGE

act4.学院  保健室

兄の拓と生徒会長のことを考えるたびに、頭痛が起きる。
じゃあ考えなきゃいいなんて突っ込まれそうだが、そうはいかないのが乙女心というやつで。
悶々と悩んでいる間に、保健室の前まで来た倭月であった。
友達に行け行けと背中を押されて来てしまったものの、いざ入るとなると足が止まってしまう。
保健室のヌシは、もう倭月の知っている渡辺先生ではない。
新しく赴任してきた長谷部という男の先生だ。
どんな人なんだろう?怖くないといいな。
紹介で見た限りでは、優しそうな感じだったけれど。
でも男の先生って、東先生もそうだけど時々シモネタを振ってくるのが嫌なんだよね。
長谷部先生は、どうなんだろう。シモネタ、好きじゃない人だといいなぁ……
なんて考えながら、倭月はガラリと戸を開けた。
「失礼します」
「やぁ、どうも」と挨拶を返してきた長谷部が、席を立つ。
カルテらしきものを書いていたのだと判り、倭月は邪魔したら悪いかな、と躊躇したのだが。
「気分が悪くなったのかな?ベッドなら空いているよ」
と、手招きされては逃げ帰る訳にもいかず。
おずおずと入っていき、ひとまず手前の椅子へ腰掛けた。
「え、あ、えっと、その……」
モジモジしている倭月へ、にこやかな笑顔で先生が話しかけてくる。
「はじめまして。さっきも挨拶したけど、改めて自己紹介しておくよ。長谷部 英二です。これから君達の健康管理を承る事になります、よろしく」
「あ、は、はいっ。え、えっと、護之宮 倭月、一年生です!」
弾かれたように立ち上がって頭を下げる倭月に、長谷部が苦笑する。
「そう畏まらなくてもいいよ。それで、今日はどうしたのかな?」
意外やナチュラルな反応に、倭月は内心アレッ?となった。
倭月のフルネームを聞いた人は必ず、護之宮の名前に何らかの態度を示すはずなのに。
天都に住んでいて護之宮家を知らない人がいるとは思えないし、他地区から来た先生なのか?
再び腰を下ろし、用件を伝える。
「あ、えっと、その……気分が、悪くなっちゃって」
気分がというよりは機嫌がといったほうが、本当は正しい。
しかし乙女の嫉妬心を着任したばかりの先生に相談できるほど、倭月は厚顔無恥ではない。
「そうか……」
思案顔で頷いていた長谷部が立ち上がり、体温計を取り出した。
「一応、測っておこう。そこのベッドを使って」
「あ、はい」
言われたとおりに窓際のベッドへ横たわっていると、体温計を差し出される。
大人しく受け取り、脇へ挟んだ。
熱など測らなくても平温なのは判っていたが、ここで先生と押し問答するのは無意味である。
ベッドで横になっていれば、そのうち眠気に誘われて嫌な妄想をしなくて済むかもしれない。
ベッドのシーツは真新しくて、洗い立ての匂いがする。
病院とか保健室って、どうして、こうも眠りやすいんだろ……
そう考えているうちから、ウトウトと睡魔が倭月を襲った。

すぅすぅと規則正しい寝息を立てる倭月を横目に、GENは内心焦りを隠せずにいた。
まだティーガと何の連携も取っていないうちから、当の倭月と接触するはめになるとは。
保健の先生らしいことを言ってみたが、偽者だとバレやしなかっただろうか?
こうやって安眠している処を見るにあたり、一応は倭月も長谷部を信頼してくれたものらしい。
彼女が来るまで眺めていた書類へ、目を落とした。無論カルテなどではない。
桜蘭学院の全校生徒一覧表の一部である。
ティーガから聞いた『引きこもり』の生徒について、調べようとしていた。
熟睡しているのを確かめてから、そっと倭月の脇から体温計を取り出す。
三十六度五分。平熱だ。
まぁ顔色を見た時から、風邪の類ではないと判っていた。
体温を測るか?と尋ねたのは保健医らしさのアピールに過ぎない。
何か悩んでいるようにも見えた。大方、ティーガと喧嘩した件で間違いなかろう。
誰かに相談したい。しかし友達や親には、できない。
それで保健室に来たものの、相手は着任したばかりの知らない先生だ。言えるわけがない。
彼女が起きたら、なんと声をかけてやろう。GENは悩んだ。
突然、核心へ触れると警戒されてしまう。
思春期の少女との対話は、どうにも苦手だ。
これが、もっと小さい子供なら得意なんだけど。
不意に扉をノックする音で、GENは現実へ戻された。
「どうぞ、開いてますよ」
声をかけると、ノックの主が入ってくる。
「失礼しまーす」
なんと、ティーガではないか。
もとい、この学院では津山 拓と名乗っているんだったか。
「えへへ……新しい先生にも一応挨拶しとこうと思って」なんて無邪気に笑っている。
「授業中だぞ?今は」
しかめっつらで注意してやると、拓は悪びれもせず椅子へ腰掛けた。
「ついでに熱も測ってもらおうと思って」
「熱?具合が悪いのか」
ぺたりと拓の額に手をやったが熱くない。なんというミエミエの仮病。
長谷部はムッツリしたまま、紙にサラサラと文字を書く。
万が一、倭月が起きていた時に聞かれては困る会話を。
『用があるなら手短に頼む』
対して拓はヘラヘラ笑いながら、ぺこりと頭を下げた。
「津山 拓っていいます。編入生で二年です。よろしく、長谷部センセー」
「編入生?へぇ……いつ入ってきたんだい?」
会話を併せてやりながら、ちらりと倭月の様子を伺った。
まだ、彼女の起きる気配はない。
「センセより半月ぐらい前ですかねぇ。同じ転校生同士、仲良くしましょ〜」
「転校生って、オイオイ、俺は先生だぞ?」
長谷部先生のツッコミに拓は、ひらひらと手を振ってみせた。
「先生だって生徒だって似たようなもんじゃないスか。どっちも来たばかりの新人でしょ?」
「まぁ、来たばかりという点には反論しないが……」
減らず口をたたく処なんざ、社内にいる時と全く変わらない。
学校でも万事この調子でやっていたんだろうか。
それでいて生徒会長と仲良しになったというんだから、ティーガの社交術は侮れない。
「じゃあ、挨拶も済んだことだし。もう教室へ帰りなさい」と急かしてくる長谷部先生へ手を差し出すと、拓は、にっこりと微笑んだ。
「まだですよ。熱、測ってないじゃないですかー」
「あ、あぁ。そうだったな」
生徒に突っ込まれるとは、保健医も形無しだ。
リセットしてから体温計を拓へ手渡す。
「ん、っと……これ、挟むだけでピピッて鳴るやつ?」
「そうだ」
「ふーん……脇の、どの辺に挟めばいいの?」
拓は体温計の使い方が判らないのか、先ほどから、しきりに首を捻っている。
体温計の使い方など、社内で行われる定期検査の時に教わっているはずである。
密着した状態で、何か伝えたいことがあるのか。そう察した長谷部は、拓へ近づいた。
「どれ、貸してみろ」
体温計を受け取り、拓の脇へ挟んでやる。
と、拓が長谷部の腕を掴んで身を寄せてきた。
「えへへ……優しいなぁ、長谷部センセー」
「な、なんだよ、突然」
思わず素に戻って軽くドン引きするGENなど、お構いなしに拓は話を続ける。
「前の保健室のセンセーって、俺知らないんですよね。編入してきた時には、もういなかったから。でも噂じゃ優しい人だって聞いてたから、今度の先生もそうだといいなぁって思ったんです」
「そうなんだ。で?君のお眼鏡にかなったのかな、俺は」
尋ねると、拓は心底嬉しそうに「はい!」と頷いた。
「センセーになら、相談してもいいかな……って」
なるほど、そういう流れか。
倭月ちゃんの寝ている側で、喧嘩の相談をしたかったのだ。
「あの、いいですか?今……相談しちゃっても」
倭月はまだ熟睡しているような気がするが、拓の話も、すぐに終わるものではなかろう。
話しているうちに彼女が目を覚ますことだって、充分あり得る。
「いいとも。あ、体温を測りながらでいいからね」
拓を椅子へ腰掛けさせると、長谷部先生も自分の定位置へ戻った。
すなわち、生徒一覧表の置いてある机へと。
「良かったぁ〜」
再び満面の笑顔を浮かべて拓が椅子を、ずずいっと前へ引いてくる。
「あのね、センセー。センセーは兄姉とかっている?一人っ子?」
「ん、あぁ……姉がいた」と答えてから、ハッとなって長谷部が言い直す。
「いや、いるよ。いるいる。結婚したから、住んでいる家は一緒じゃないんだけど」
「へぇー、そうなんですかぁ」と、ナチュラルに受け答えつつも。
今の流れには少し引っかかる部分があった、と拓は感じていた。

最初、過去形で答えたのは何故だ?
もしかして本当に、GENさんには姉がいたんじゃないかしら。
でも、もう死んでしまったかなんかして、いなくなったんだ。
それで無意識に『姉がいた』と答えてしまって、慌てて修正した……?

ともあれ追及は後回しだ。今は自分の立てたシナリオを遂行しないと。
「そっか〜お姉さんかぁ。いいなぁ、年上の兄姉がいるのって!」
椅子をギッシギッシ揺らしてはしゃぐフリをする拓に、長谷部も併せてくる。
「姉なんて、皆が思うほどいいもんじゃないよ。津山くんは、一人っ子?」
「いえ、妹が一人いるんですけどね。俺、ホントはお兄さんが欲しかったんだぁ。長谷部センセーみたいなのが、お兄さんだったら良かったのにィ」
といって、拓はちろりと上目遣いに長谷部を見上げる。
長谷部は苦笑して「そんなことを言ったら妹が可哀想だぞ?」と一応、先生らしくお説教。
すると拓、拗ねた顔で長谷部を見つめ「だって……最近妙に冷たいんですよ、倭月の奴」と、ようやく本題を切って出した。
「へぇ〜、倭月ちゃんっていうのか、津山君の妹さんは。……あれっ?そういえば、さっき来た子も倭月ちゃんって名前だったなぁ」
GENこと長谷部先生は素っ頓狂な声をあげて、机の上の紙を見つめながら小さく付け足した。
「でも、苗字が違うし……同名にしては珍しいね」
少々わざとらし過ぎると自分でも思ったのだろう。
長谷部の頬は、心なしか赤く染まっている。
思わず吹き出しそうになった拓だが、なんとか笑いを口の端で押さえて演技を続けた。
「あ、それ、きっとそうですよ。この学院で倭月って名前の女の子は、あいつしかいませんから」
「えっと、じゃあ、尚更お姉さんが欲しいなんて言っちゃいけないね」
「えっ?」と驚いた拓に、指でベッドをさし示すと。
ようやく終わる三文茶番劇に内心ホッとしながら、長谷部先生は小声で囁いた。
「今、あっちのベッドで寝ているんだよ。その、倭月ちゃんが」
「うわ〜……マジで?」
拓は素のティーガに戻っている。
とても演技とは思えぬ迫真の驚きっぷりに、長谷部は紙に書いて尋ねた。
『もしかして、本気で知らなかった?』
だが、それには答えず拓は落ち着きなく辺りを見渡した。
「あっ、どうしよう。今の話、聞かれちゃったかなぁ」などと、本気で焦っている。
クスクスと忍び笑いを漏らしながら、GENは先生に戻ってフォローしてやった。
「最近、妹さんが冷たいって?」
「あ、はい……」
「それはね、きっと君が他の誰かと仲良くしたりしているからじゃないかな?」
「誰かと、仲良く?」
「そう。妹さんは多分、その人に嫉妬しているんじゃないかと思う」
うーん……と、拓は本気で考え込んでいる。
演技抜きで、本当に喧嘩の原因が判っていなかったようだ。
恐らくは生徒会長とやらに原因があるのでは、とGENには薄々予測がついていた。
生徒会長は女生徒だ。先ほど全校生徒の一覧表を眺めた時に確認してある。
兄を慕う倭月ちゃんとしては、そりゃ〜面白くない気分だろう。
いくら生徒会長といえど、女は女。
他の女生徒と兄が親しくなるのを見ちゃったら、むくれて冷たくなるのも無理はない。
「倭月ちゃんね、今は寝ているけど、ここに来た時は、すっごい顔色悪かったんだよ」
少々脚色してオーバーに伝えてやると、拓は見るも哀れなほど狼狽えて聞き返してくる。
「ど、どうして?倭月、もしかして病気になっちゃったんですか!?」
「うーん。たぶん、その件で思い悩んでいるんだと思う」
長谷部は笑ってつけたした。
「大丈夫、熱はなかったし変な病気じゃないよ。ただ……」
「ただ?」
「このまま放っておくと、ひどい病気へ悪化するかもしれないねぇ」
ちょっぴり脅かしただけで、拓は顔面蒼白。
涙を流して泣きじゃくりそうなほど落ち込んでいる。
……まったく。
妹が永遠に自分の方を向いていると思っているから、多少の喧嘩程度で慌てるハメになるのだ。
ふぅっと大きな溜息をついて、長谷部先生は窓の方へ歩み寄る。
すっかり平常心をなくした拓が、ついてきた。
「せ、センセー、どうしよう?俺、どうしたらいいんだ。倭月に何をしてやれば」
くるっと振り向き、先生が笑う。
「素直に謝ってあげればいいと思うよ。気持ちに気づいてあげられなくて、ごめんねって」
――といった一連の流れを、布団の中で聞きながら。
倭月は己の中に生まれた興奮を、押さえきれずに舞い上がっていた。

お兄ちゃんが!
あのマイペースなお兄ちゃんが、私のこと、すっごく心配してくれている?

新しい保健医は、倭月が相談するまでもなく心配事を看破していた。
そればかりか心配事を、あっさり解決へと導いてくれた。
人の近づいてくる気配がある。
さりげなさを装って、倭月は「う、うーん」と起き上がった。
「あっ、倭月。お、おはよう」
近づいてきたのは、拓だった。
どもりながらも手を挙げて挨拶してくる兄をじっと見つめ。
数秒後、「うん……」と頷いた倭月の横へ、拓が腰掛ける。
「あ、あのさ……ごめんな」
「えっ?」
いきなりの切り出しに驚く倭月、そして拓を背に、長谷部先生が戸口へ向かう。
「そうそう、二人とも。先生ちょっと用事を思い出したんで、出かけてくるから」
「あ、はい……」
「いってらっしゃい〜」
二人の返事を後に長谷部は、そそくさと保健室を出て行った。
まったく、世話の焼ける兄妹だ。


――放課後、も過ぎて夜になり。
仮住まいへ戻ってきた長谷部先生を、待ち受ける声があった。
誰かと思えば、そこにいたのは拓だ。
「えっへっへ……今日は、どうもアリガト。長谷部センセー」
「そうだ、たっぷり感謝しておけよ?これでやっと任務を始められるんだからな」
言いながらGENが鍵を開けて中へ入ると、拓も一緒に入ってくる。
「なんだ、どうした?もう遅いし、家に帰らないとまずいんじゃないのか」
振り返ったGENへ「あのね、GENさん」と、ティーガに戻った拓が囁いてきた。
「なんだ?」
「紙に文字を書きながら人と話すのって、すっごくヘンだよ。それに文字で尋ねられても、こっちは答えることができないしさ、やめてよね」
ぷぅっとふくれたティーガを前に、「うっ」と呻いて硬直するGEN。
ティーガは、ついでに彼の勘違いも正しておく。
「それとね、倭月が保健室で寝ていたの、俺最初から知ってたよ。話はそれだけ。じゃあね〜」
「お、おい!じゃあ、あの泣きそうな顔も演技だったってのか!?」
出て行きかけるティーガを呼び止め、肩を引っつかむと。
くるりと振り向いたティーガは、満面の笑顔を浮かべて頷いた。
「何?俺がホントに泣くと思ったの?全部演技に決まってんじゃん。喧嘩が原因で病気になる人なんて聞いたことないし。あ、GENさんの演技も良かったよ、初々しい感じで可愛かった!」
「か、かわいぃだとぅっ!?」
屈託なく笑うと、GENが何か言い返すよりも先にティーガは表へ飛び出していった。
後に残されたGENは、悔し紛れに背広を床に叩きつけたものの。
一体どこからどこまでが演技で、残り何パーセントが素のティーガだったのか?
と考えるうちに、口の端に笑みが溜まっていく自分を感じ取っていたのであった……

act4.組織  噂

ティーガとGENが不在でも、THE・EMPERORに入ってくる依頼の量は変わることがない。
今日も社員は東へ西へと、悪魔退治に忙しい。
「はーぁ……でも、やっぱり、あの二人がいないと寂しいわねぇ」
この道八年のベテランSHIMIZUが呟いたのは、社内にある一階の女子トイレにて。
隣で手を洗いながら、ミズノも同意する。
「そうですね。ティーガが一人いるかいないかってだけでも、社内の盛り上がりは違いますもの」
「あの子、無駄に元気だからね」
サッサと髪の毛にブラシをいれ手早くまとめあげながら、そういえばとSHIMIZUが話題を変えてくる。
「こんな噂を聞いたんだけど、あなた知ってる?」
「え?どんな噂ですか」
昼休みは、とっくに過ぎている。
従ってトイレで雑談している暇はないのだが、ミズノは興味を惹かれて尋ね返した。
Common EVILコモン・イービルのメンバーが天都にいたって噂」
「えぇっ!?」
ミズノは驚いた拍子に、ハンカチを落としてしまった。よりによって床の上に。
彼女の動揺に気づいているのかいないのか、SHIMIZUは平然と話を続ける。
「最近、東でも悪魔の数は増えてきているし、あいつらが暗躍していたとしても、おかしくないわよね」
「それは……確かに多いな〜っとは思っていましたけど。でも、本当なんですか?」
噛みつくミズノにSHIMIZUは、あっさりとしている。
「本当かどうかは知らないわ。だから『噂』だって言ったのよ」
軽く化粧直しも終えた彼女は、颯爽とトイレを出ていった。
去り際「この噂はZENONから聞いたのよ。詳しい話は、あいつから聞いてみなさいな」と言い残して。
「……む〜」
床に落ちたハンカチを拾い上げ、ミズノは小さく唸る。
噂のソースはZENONときたか。
あいつだけは、どうにも苦手なミズノである。
同じ会社の社員なんだから仲良くせねば、とは思うのだが……
如何せん相手側が調子を合わせてくれない人間では、仲良くしたくとも出来ないというもの。
それでもやっぱり噂の内容が気になった彼女は、ハンカチを洗うとZENONの元へ向かった。

ミズノは退治部署にやってきた。
THE・EMPERORは大会社、部署は他に経理、事務、食堂、営業と色々あり、退治部はビルの五階にあった。
「ZENON?あいつなら仕事だよ。長くかかりそうだっつってたから今日は、もう戻んないんじゃないかな?」
部屋に残っていたのは男性社員が一人だけで、他は席を空けている。
そのMAUIも暇をこいていたというわけではなく、書類の山に埋もれていた。
「仕事?泊りがけの依頼なの?」
ミズノの問いに頷き、MAUIが顔を上げた。
「らしいね。一旦戻ってきたと思ったら救急箱を抱えて飛び出してったよ。長くかかる、泊りがけになるだろうから社長と事務にヨロシクな、つって」
ふぅん、と唸り、ミズノは腕を組む。
「あいつが手こずるなんて、よっぽどの強敵ね」
ZENONとミズノは同期の桜だ。
同じ年に入社し、違う部署に振り分けられた。
ZENONは退治部に、ミズノは事務部へ。
新人時代のZENONは今よりも、もっとギラギラしていて凶悪な面構えをしていた。
入社目的は、ずばり悪魔の撲滅。
悪魔を根こそぎ、自分の手で撲滅するんだと息巻いていた。
彼が得意とする戦い方は、見た目通りのパワープレイ。
素手で悪魔の首を引きちぎるというんだから、どっちが悪魔か知れたもんじゃない。
彼の血なまぐさい武勇伝を耳にするたびに、ミズノはウンザリした。
願わくば、仕事を失敗してクビになってくれればいいのに――
なんて思った日も、あったりしないではない。
しかし乱暴者でも任務は与えられるのだから、ZENONは一応社長に信頼されていると見える。
今日も泊りがけの退治だ。それなりにベテラン扱いされているということか。
「何?ZENONに何か用でもあったのか?伝言なら伝えておくよ」
「あ、いいの。ちょっと聞きたいことがあっただけだから」
MAUIの親切な申し出を丁寧に断ると、ミズノはクルリとUターン。
ついでにバニラの姿がないのも確認して落胆したが、自分の部署へと戻っていった。

ミズノが去って、しばらくした後。
「え〜っ!?ミズノさんってZENON先輩を狙ってるんですかァ!」
素っ頓狂な奇声が、退治部署の部屋全体に響き渡る。
あげたのは、新人でコードネームをサクラという。まだ若い、女性の社員だ。
噂の出所MAUIは「さっきも、あいつの居場所を尋ねてきたよ」と、いけしゃあしゃあ。
「えー、でもZENON先輩ってバニラ先輩のコトが好きなんですよね?」と、サクラ。
MAUIは頷き、ニヤリと微笑む。
「でもバニラさんはZENONのことが眼中にないときた」
そこへ「おい、どーゆーことだ!」と、別の男性社員が混ざってくる。
「どうもこうも、さっき突然訪ねてきたのさ。ZENONに聞きたいことがあるんだって」
「それだけじゃ、彼女がZENONを好きだって結論にゃあ至らねぇだろうが!」
混ざってきた社員は鼻息が荒い。大方、ミズノを狙っている男性の一人だろう。
「あらぁ。私が見た時は、彼女、ZENONに会う気満々だったわよぉ」
そこへ、さらに横から入ってきたのはSHIMIZU。
自分がZENONの話題をミズノに振った張本人だというのに、さも、彼女がZENONに興味津々だと言わんばかりの口ぶりである。
「本当か!」
怒気を孕んだ相手に頷くと「疑うのぉ?なら本人へ直接聞いてみなさいよぉ」と、SHIMIZUは素っ気ない。
だが、さすがに、そこまでの度胸は、この男性社員にもないようで。
「ぐっ……!」と呻くと、荒々しく席を立って去っていった。
「トイレで泣きはらすつもりですかネ?セキヤさん」
目で追いかけるサクラに「多分……」と相づちをうち、MAUIはSHIMIZUを見た。
「で、ミズノとは、どこで話したんだ?お前のほうは」
「W.C。おトイレよ、女子トイレ。彼女、興味津々って感じだったわぁ」
「あ、でも」とサクラが口を挟んでくる。
「ミズノさんて確かぁ、GEN先輩と怪しいって噂されてませんでしたっけ?」
途端に、ピクリと眉毛を跳ね上げSHIMIZUが反論してきた。
「冗談でしょぉ?GENが、あんな弱っちぃカマトト女なんて相手にするワケないじゃない」
「カマトト?なんですか?それ。カマドウマの親戚ですか?」
ピントのずれた疑問で首を傾げるサクラを余所に、MAUIも首を傾げる。
「そうかなぁ?ミズノ、結構可愛いし。GENだって興味ぐらいは、あんじゃねーの?」
可愛いが故に。ミズノは、影で結構な人気を誇っている。
彼女の隠し撮りで儲けてウハウハだぜ!と、ZENONが得意げに話していたのも思い出す。
ZENONがミズノを女性として見ていないのは、MAUIも承知の上だ。
やつはバニラさん一筋だ。崇拝していると言ってもいい。
そんな奴が、他の女性に関心を持つとは思えない。
だからこそ、ミズノが突然彼を訪ねてきたのは不思議でならなかった。
加えて、伝言を断られたのも気になる。
なんでもないなら何故、昼休みでもない時間に突然訪ねてきたのか。
気になる。すごく気になる。
MAUIの疑問にSHIMIZUは、ひどく憤慨して答えた。いや、怒鳴った。
「あんな弱い役立たずのクズ、GENがパートナーにしたがると思えて!?」
「ちょ……っ!クズは酷いですよ、SHIMIZU先輩!」
さすがにサクラが慌てて止めに入り、MAUIも眉を潜める。
「確かにミズノは、どうやって入社したんだ?ってぐらい奇跡的に弱いけどさぁ。人には得手不得手ってもんがあるんだし、クズは言い過ぎじゃね?」
「クズはクズよ!役立たずのお茶くみ係をクズと言って何が悪いの!?」
怒鳴り散らすと、フンッとソッポを向いてSHIMIZUは、おかんむり。
ついでにボソッと呟いた。
「どうせ面接官を色仕掛けで、たらしこんで合格したんだわ」
「そいつぁ、聞き捨てならねぇなぁ」
のっそりとした影が、三人の上に落ちてくる。
見上げれば、そこにいたのは小山ほどの巨漢。男性社員のシグマだ。
シグマは指をボキボキ鳴らしながら、SHIMIZUをジロリと睨みつける。
「それ以上、ミズノを侮辱しようってんなら俺が相手になるぜ」
なんと、ここにもいたか。ミズノの信者が。
だがSHIMIZUも伊達にエクソシストをやっている訳ではなく、強気なもので。
「あらぁ、女性に暴力をふるう気?セクハラで訴えるわよ」
逆にジロリと睨み返した。
ヤバイ、このままでは喧嘩になってしまう。
立ち上がったMAUIは両者の間に割り込むと、喧嘩を諫めに入る。
「あー、もー、もーっ!二人とも、ヤメヤメ!社員同士で殴り合ったって、しょうがないだろ!」
でも、と、小さくサクラが呟いた。
「GEN先輩って、どうしてパートナーがいないんですか?いてもよさそうなのに」
「だよなー」と割り込んできたのは、先ほど部署に戻ってきたばかりのBASIL。
ドサッと荷物を自分の机に降ろしながら、気楽な調子で付け足した。
「あいつ、うちの会社に来てから誰とも組んでないんだぜ。言い寄る相手は沢山いたってのにな」
「来てから……って。入社してから、一度もですかァ?」
奇声を張り上げるサクラに「ん?」と振り向いたBASILは、彼女の間違いを訂正する。
「入社ってか引き抜きな。あいつ前は、なんつったかなぁ、どっか別んトコに勤めてたんだよ」
EX・ZENEXTエクス・ゼネクト」と、SHIMIZU。
BASILはポンと手を打ち、嬉しそうに叫んだ。
「あー、そうそう!そこ!よく覚えていたな!」
その社名はMAUIにも初耳で、彼はSHIMIZUへ尋ね返す。
「BASILさんが知っているのは判るけどSHIMIZU、お前まで何で知って――」
だが、言いかけた途中で気がついた。ははぁ、なるほど。
さっき頭で茶が沸かせそうなほど怒っていたのは、そういうわけね。
言いかけたのを途中でやめてニマニマしている同僚に、ぶすっとしたSHIMIZUが問い返す。
「……何よ」
「そっかぁ。お前、GENさんを狙ってるワケね。うんうん、なるほど」
途端にサクラが叫び。
「え〜っ!?SHIMIZU先輩、スズリ先輩とパートナー解消したいんですか!?」
SHIMIZUは慌てて弁解しなくてはならなくなった。
「ちっ、違うのよ、サクラちゃん!私は別にコンビ解消したくてGENを好きなわけじゃ――」


「あっ」


小さく叫んだのは当のSHIMIZUか、それとも他の誰かか。
ニマニマ笑いが四つに増え、恥ずかしさのあまりSHIMIZUは後ろを向いてしまった。
「そ、そうよ。私はGENのことが好き。悪い?」
「いやぁ、悪かねぇけど……」
「青春ですなぁ〜」
男達はニマニマ笑い、サクラが懸命にフォローする。
「そっ、そうですよね!パートナーにするだけが狙いじゃないですものね!男女としての関係ってのも、断然アリだと思います!! 私、応援しますから頑張って下さい!」
握り拳を固めて力説する後輩には、SHIMIZUのほうが赤面せざるを得ない。
「ちょ、ちょっとサクラちゃん……声、大きすぎるわよぉ」
「おぅ、SHIMIZU。俺も応援するぜ。頑張ってGENをGETしろよ」
さっきまで怒っていたはずのシグマまでもが恋の応援。なんと清々しい友情だ。
「そんでもって、早いところミズノの目からGENを消してくれよな」
と思いきや、しっかり下心あっての応援だったようだ。
「だから!ミズノなんかGENにとっちゃ対象外だって言ってるでしょ!!」
怒鳴り返すのは忘れず、しかし自分に旗色悪しと見たかSHIMIZUもまた、席を立つ。
「お、離席か?恥ずかしいのは判るけど、トイレで泣くのだけはカンベンなー!」
同僚達の冷やかしを背に受けながら、そそくさと部署を出ていったのだった。