act3.学院 気になるアイツ?
津山 拓が編入生として現われてから、半月が過ぎた。
「……ふぅ」
机の上の写真立てを、じっと見つめていた千早が溜息をつく。
写真立てに飾られているのは、新しく入ってきた編入生。
津山 拓の隠し撮り写真だ。
二年四組に入ってきた、この後輩は。
千早が学院案内をしてあげた相手でもある。
そして……
出会って一日目にして、千早は恋に落ちた。
やることなすことハキハキしていて、それでいて嫌味がない。
最上級生の千早に対して礼儀を尽くし、且つ時折見せる彼の茶目っ気が心をくすぐる。
イケメンとは言い難いものの、拓には愛嬌があった。
教師に対する礼節もわきまえている。今時珍しい学生だ。
かといって、教師に媚びを売っているわけでもない。
相手による態度を、きちんと切り換えているように千早には思えた。
大人でも、なかなか出来る事ではない。
ちゃんとした親の教育を受けているのだろう。
写真立てを手に取り、千早は二度目の溜息をついた。
隠し撮り写真は、下級生の男子が売っていたものを友達経由で入手した。
まさか生徒会長たる自分が、堂々と校則違反の販売物を買うわけにはいかない。
なので、友達に頼んでコッソリ買ってきてもらったのだ。
あの子には箝口令をしいてある。
もし誰かに話したりしようもんなら、彼女の通信簿を残念な結果にすることなど千早には朝飯前だった。
神無 千早。
桜蘭学院の最上級生にして、生徒会長を務めている少女。
家柄は名門ではないが、幼い頃から琴に華道、茶道と嗜んできたせいか、おしとやかに育った。
――というのは、あくまでも外見上の話である。
千早の中身は、普通の女学生と変わらない。
普通に男子生徒へ興味を持ったり、おいしいスイーツには目がない普通の女子生徒であった。
ただ、言葉遣いが上流家庭的なためか、下級生はおろか同級生さえも遠慮がちになる。
大した家柄でもないのに千早はお嬢様扱いされ、皆からは一目置かれる存在となっていた。
皆に一目置かれるように、彼女は教師達からも絶大な信頼を受けている。
もし千早が誰かの悪口を教師へ伝えれば、教師はその悪口を、一も二もなく信じてしまうだろう。
先ほど友達といったが、写真を買ってきた子は取り巻きの一人だ。
信用に足りる友達とは言い難い。
千早には、真の意味での友達など一人もいない。
周りにいるのは殆どが彼女を敬うか、媚びを売るような奴らばかりだ。
彼女の周りには、彼女自身でも気づかないうちに二重三重の深い堀が張り巡らされていた。
だが拓は、その堀をいとも簡単に飛び越えてしまえる相手かもしれない。
だから、話した。
最近学院内で変わった奴がいないかと聞かれた時に、彼のことを。
「新しい保健室の先生、今日来るみたいだよ」
ぼんやりしていた倭月は、木月 佐奈の声で現実に引き戻される。
「へぇ、なんて先生?」
別の友達が請け合い、佐奈は答えた。
「えっとねぇ、ハセベ?長谷部なんとかって書いてあった」
表の掲示板に貼られていた紙をチラ見してきただけの、うろ覚えなので情報も曖昧だ。
まぁ、先生の名前など、後で紹介の時に聞かされるはずなので問題ない。
桜蘭学院の保健室は長いこと先生不在で不便していたから、やっと本来の保健室として機能するようになるだろう。
倭月は不意に、産休で暇を取った前の保健医を思い浮かべる。
妊娠三ヶ月って言ってたのが最後だったけど元気にしてるかなぁ、渡辺先生。
ちゃんと子供は生まれたんだろうか。
産んだなら産んだで、連絡を寄こしてくれればいいのに。
「先生の紹介って、いつやんの?」
「さぁ?」
他愛もない話をしていると、校内放送が流れてきた。
『全校生徒に連絡します。只今より、新しく着任した保健室の先生を紹介します。生徒はただちに、体育館へ集合して下さい。繰り返します――』
なんとタイムリーな放送だ。
「いこ、わっつん」と佐奈に急かされて、倭月も席を立った。
「長谷部 英二さんです。今日から保健医として、皆さんのお世話をしてくれる先生です」
学院長の紹介で、背広の男性がぺこりと一礼する。
よく通る声で、挨拶した。
「長谷部 英二です。皆、宜しく」
さすがに今日のGENはバンダナを外していたが、背広が思いっきり似合っていない。
含み笑いを堪える拓の耳に、予想だにしないヒソヒソ声が聞こえてきた。
「え~、やっだ、ウッソ、イケメンじゃん」
「ホントに保健の先生?格好良すぎー」
慌てて周囲に素早く視線を走らせると、どの女子生徒も一様にざわめいているではないか。
ざわめきの、どれもがGENを格好いいと褒め称えるものだったので、拓はムスッとなる。
判ってないな、どいつもこいつも。
GENさんが格好いいのは容姿じゃない、中身だぞ。
……まぁ、容姿も、それなりに格好いいけどさ。
台を降りたGENが向かう先に立つのは、齢八十歳のジジィ先生。
常時ぷるぷると震えていて、今にも倒れるんじゃないかと見ている方が不安になる。
他の男性教師も、際だってイケメンと呼べるような奴は一人もいない。
いないどころか、男性教師の中ではGENが最年少ではないかと思われる。
体育の先生を除けば、どの先生もヨボヨボばかりだ。
その体育の先生、東先生だってイケメンというには程遠い。モロ体育会系の顔をしている。
これじゃ女子どもが色めき立つのも、無理はない。
GENは、やや垂れ目で優しそうな風貌である。
彼の正体が悪魔祓いなどと、誰が予想できるだろうか。
「以上で、新着任の先生の紹介式を終わります。一同、解散!」
わざわざ放送を使ってまで集合させられたのは、長谷部先生着任の紹介の為だけだったようだ。
「んなことで、いちいち呼ぶなよー」なんて文句を言っているのは男子生徒の一人。
拓も、それには同感だ。
どうせ紹介されなくても、保健室に行けば、すぐ判ることなのだから。
帰り際に一年生の列へ視線を向けると、倭月の姿が見えた。
倭月もGENの容姿について友達と、はしゃいだりしていたのか?
考えると、ちょっぴり寂しくなった。
なので、拓は声をかけずに二年の教室へ戻っていった。
教室へ戻ってきても、女子生徒の興奮は収まらず。
「やーっ、格好良すぎ!わっつん、ねぇ、わっつんも、そう思うでしょ?どう?どう?ハセベ先生のコト!」
席に着くなり佐奈が尋ねてくるので、仕方なく倭月は答えてあげた。
「んー、まぁ、強いて言えば格好いいかもしれないけど……普通じゃない?」
「えー?わっつん、クールゥ~」
佐奈には驚かれたが、本当にそう思ったのだ。
皆が騒ぐほどイケメンではないと。
うちの学校は、お爺さん先生が多いから、若ければ誰でもイケメンに見えてしまう。
そう説明しても、佐奈の態度は変わらなかった。
「わっつん、お嬢様だからなー。ひょっとして、目が肥えてるんじゃない?」
「あ~、お見合いとか多そうだもんねー、倭月の家」と別の友達までもが乗ってきたので、即座に倭月は否定する。
「そ、そんなことないよ!お見合いなんて、まだ先の話だしっ」
もし見合いをさせられたとしても、全部断るつもりでいる。
お見合いなんて、したくないよ。だって私には、お兄ちゃんがいるもん……
拓の姿を脳裏に浮かべ、倭月はホワッと赤くなる。
津山 拓。
倭月にとって、たった一人の兄。
初めて出会った時から、倭月の心を捉えて放さぬ相手でもある。
なんというのか、拓には一種のカリスマがあった。
外見だけで語るなら大して格好良くもないのに、拓には人を惹きつけてやまない魅力がある。
だが突然、拓の隣に生徒会長の姿までもが浮かんだので、ブンブンと頭を激しく振って二人の姿を追い出した。
「……倭月ー、どうしたの?」
もう一人の友達、如月 智都が心配そうに覗き込んでくる。倭月は、慌てて誤魔化した。
「なんでもないよ、なんでも」
やだな、どうして生徒会長さんの姿なんか思い浮かべちゃったんだろ。
しかし学院案内をして貰って以降、生徒会長さんとお兄ちゃんの仲は急接近している気がする。
倭月一人が怪しんでいるだけならいいが、困ったことに二人の噂は他の生徒からも出ていた。
二人が天都の商店街で一緒にデートしていた、なんて噂もある。
考えるたびに倭月の心は打ちのめされ、超ブルーになった。
生徒会長の神無 千早は、誰がどう見ても非の打ち所がない女生徒だ。
誰にでも優しく接し、おしとやかで上品。教師の受けも人一倍良い。
もちろん言うまでもなく容姿端麗、成績優秀。
おまけに運動神経もよく、テニス部の部長を務めている。
テニス部は彼女が入部して以降、大会では二回連続優勝の負け知らず。
さらに茶道、華道、琴のエキスパートとあっては、本家お嬢様の倭月でさえもタジタジだ。
勝てる要素が一つもない。
いや、一つだけなきしもあらずだが、親の七光りで勝ったとしても全然嬉しくない。
ましてや自由奔放な拓を、名門という後光で振り向かせるのは至難の業だ。
拓は、どちらかというと護之宮の家を嫌っている風にも見えた。
つまり倭月の家がお金持ちでも、拓にとっては意味がないという結論に達する。
「……はぁ」
我知らず溜息が漏れて、再び友達には心配された。
「本当に大丈夫?わっつん。なんか顔色悪いよ~。保健室、行ってきたら?」
大丈夫だよと誤魔化したのだが、佐奈と智都には通用せず。
着任の紹介を受けたばかりの先生が待つ保健室へ、倭月は早速向かうことになった。
act3.組織 後輩
半月が過ぎた。
そよそよと、心地よい風が頬を撫でてゆく。
木陰に隠れるようにして、ひっそりと一つの墓標がある。
墓標には誰の名前も刻まれていない。
「ANIMAさん、とうとう俺にも潜入の依頼が来たよ」
人影が現われ、墓の上に影を落とした。
白いバンダナの端が風に揺られている。
「……驚いちゃうよね。チンピラを追い回してばかりだった俺が、潜入任務だなんてさ」
小さく笑うと、ぽんと花束を墓標の前に投げた。白いつぼみのついた花束を。
しばらく、じっと墓石を眺めていたが、やがてまた墓へ話しかける。
「じゃあ、俺、もう行くよ。依頼が上手くいくよう、空の上で見守っていてくれよな」
GENは踵を返し、歩き出した。
彼が次に向かったのは黒真境の首都、天都にあるティーガのアパートだった。
津山の人間として振る舞う為、そして倭月の目を誤魔化すために急遽借りたアパートだ。
普段はティーガも会社の寮に戻っているから、アパートは無人であることのほうが多い。
しかし今は任務中、彼はアパートで自活中の身であった。
「GENさん!待ってたんですよ~!」
玄関で会うなりティーガからは大歓迎を受け、招き入れられる。
「そろそろ食堂の飯が恋しくなったんじゃないか?」などとからかうGENへ拗ねた顔を向けると、彼は言った。
「それもあるけどォ~。GENさんがいないってのが、一番堪えましたよ」
「どう堪えたんだ?」
一人が寂しいって年頃でもあるまいに。
GENは靴を脱ぐのも、もどかしげにリビングへあがる。
ティーガの仮住まいは、生意気にもリビングとキッチン完備。
ダイニングキッチンもリビングも、男の一人暮らしにしては整然としていた。
奥にも二つ部屋がある。
一つは寝室だろうとして、二つ目は何に使っているのか?
本人に尋ねると、満面の笑みを浮かべて「荷物部屋です」と答えられた。
「頑張っても誰も褒めてくんねーのはテンション下がるっすよ。一人で食う飯もマズイしね」
ティーガは、さっさとキッチンへ向かって珈琲を煎れ始める。
いいよ、お構いなくと断るGENなどお構いなしに、珈琲をいれて戻ってきた。
「飯がまずいのは、お前の料理がヘタだからだろ?」
茶化しながら、GENは渡されるままに珈琲を一口ごちそうになる。うまい。
「ひどいなぁ~、俺の飯食べたこともないくせに!そうだ、今日は泊まってって下さいよ。ごちそうするから!」
後ろに回ったティーガが突然飛びついてきたので、GENは危うく珈琲で顔面を洗うトコだった。
「いや、でもまずいだろ。着任する前に俺達がベタベタ馴れ合ってるのを見られでもしたら」
「大丈夫ですよー!こんな僻地のアパートに来る奴なんて、倭月ぐらいなもんス」
天都と一口に言っても、その敷地は広大である。
ティーガの借りているアパートは天都の外れにあるから、学友も滅多に来ないだろう。
「そういや、学校ではうまくやれているか?」
お父さんみたいな事をGENが尋ねると、ティーガは少し黙った後、困ったように眉根を寄せる。
「なんだ、上手くいっていないのか」
落胆するGENへ「そんなことないですけど」と言い訳してから、ティーガは乱暴に頭を掻く。
「仲良くやってますよ、クラスの皆とも、生徒会長とも!」
「へぇ、もう生徒会長とお知りあいになったのか。すごいな、ティーガ」
褒め称えるGENに一瞬は気をよくしたものの、すぐにティーガは複雑な表情を浮かべた。
「ただね、倭月のやつが」
「倭月ちゃん?倭月ちゃんと喧嘩したのか」
ティーガの義理の妹のことは、GENも聞き及んでいる。
精子提供者側の娘であり護之宮家の娘。
桜蘭学院に通う新一年生でティーガから見ると、後輩にあたる。
「えぇ、まぁ」
ティーガは頷き、こう締めくくった。
「ただ、理由がわからなくて困ってるんですがね」
彼の話によると、ここ一週間、ずっと倭月には避けられているという。
声をかけても逃げられるのでは会話どころではない。
「そりゃ、駄目だろ」
珈琲を飲み干し、GENがティーガの方を振り向く。
倭月は学院において、最もティーガが気安く話を聞くことのできる情報源だ。
二人には何としても仲直りしてもらわないことには、依頼にも支障が出かねない。
半月やそこらで仲良くなった学友よりも、突っ込んだ話の出来る相手は必須だろう。
ティーガとは知らない者同士でいこうと考えていたが、どうやらシナリオの変更が必要なようだ。
「学内にも協力者が必要だ。俺は倭月ちゃんにソレをやってもらいたいと考えているんだがな」
するとティーガは「えー!?」と素っ頓狂な声をあげたかと思うと、一転してヒソヒソ声になる。
「俺の仕事、倭月にバラせってんですか?そりゃマズイっすよ、絶対やばい」
「何がやばいんだ?今時、悪魔祓いが珍しい時代でもないだろ」
きょとんとするGENに掴みかかり、ティーガが顔を近づけてくる。吐く息が珈琲臭い。
「駄目ですって!あいつの血筋、忘れちゃったんですか?護之宮の人間は誰一人として悪魔が見えないんですよ。兄の俺が見えるなんて知ったら、倭月のやつ」
慌てふためくティーガの頭を、ぽんぽんと軽く撫でて、GENが諭す。
「バケモノ扱いされるってか?しないよ、そんなこと。倭月ちゃんならしないって絶対言える」
「ど、どうして?どうして、そんな絶対なんて言えるんですか!?」
なおも頭を軽く撫でてやりながら、優しい声色で宥めにかかった。
「お前の話を聞いた感じだとさ、倭月ちゃんは、お前のことが好きなんだよ。じゃなきゃ血が繋がってるって程度で、何度も一緒にお茶したり買い物に行ったりしないだろ?」
「そ……そうっすかねぇ?」
ティーガは、まだ納得しかねる様子であったが「そうだよ」とGENが念を押すと、一応は落ち着いたようだった。
「けど、今は話も聞いてくんないんだ。どうしよう?GENさん」
下がり眉で尋ねてくる彼に、GENは力強く頷いた。
「俺が橋渡しをしてやるよ」
「えっ、でも」
半月の合間を開けたのは、知りあいだと悟られない為では?
そう聞き返すティーガに片目を瞑ってみせると、GENは微笑んだ。
「状況に応じて作戦を変更するのはプロの基本だぞ。お前が倭月ちゃんと仲直りできないようなら、俺がフォローするしかない。だろ?」
「あ……はい。すいません」と謝るティーガの頭を、少し乱暴にグシャグシャっとかき回し。
「謝るなって。どうせ他人のフリで始めたって、お互いすぐにボロが出るだろうしな」
自分へのフォローも忘れないGENに、不機嫌だったティーガの顔も綻んだ。
「エヘヘ……だからGENさん、大好きだなァ」
「おいおい、なんだよイキナリ?おだてあげたって何も出せないぞ」
ベッタリ抱きついてくるティーガを、やんわり押しのけてGENが立ち上がる。
「さて……じゃあ、今日の処は帰るけど」
途端にティーガからはブーイング。
「え~!泊まってってくんないんですかァ!?」
「着任前からナァナァでいるのを見られたらマズイって、さっき言ったばかりだろ?」
「でも橋渡しをするとも言いましたよね、今」
あのな、と一旦はあげた腰を再び降ろすと、GENはティーガの顔を覗き込む。
「シナリオには一連の流れが必要なんだ。お前とは、着任後に学院内で知りあったことにする。そして、お前の悩み事を聞いた俺が教師として倭月ちゃんと接触するってわけだ」
GEN発案のシナリオを黙って聞いていたティーガが、ぽつりと聞き返してきた。
「そういやGENさんって教師役でしたよね。何の教科を担当するんですか?」
対してGENの答えは、かくもシンプルで。
「保健医だ」
そう答えると、歯を見せて微笑んだ。
「ほっ、ほっけっんっいいぃぃ~~!?」
ティーガは勢い余って珈琲の入ったカップを投げ出すほどの反応を見せる。
後輩の派手なリアクションには、GENも思わず口を尖らせた。
「なんだよ、俺が保健の先生って、そんなに意外か?」
ティーガはウンウンとご丁寧に二回も頷き、腕を組んだ。
「えー、GENさんには体育の先生のほうが似合うッス、絶対」
「体育だって保健だって、そんなに変わらないだろ?専門学を教えなくても済むっていう点では」
双方の先生が聞いたら怒り出しそうなことを言っているGENもGENだが、ティーガの妄想も止まらない。
「GENさんが体育の先生だったら、人目を気にせず甘えられたのにー」
お前一体俺と何がしたかったんだ?と突っ込まずにはいられない発言に、ついついGENの声も裏返った。
「お前、体育の授業に何を期待していたんだ!?学校の体育なんて、教師とのスキンシップは殆どないぞ?」
「なきゃー作ればいいんスよ」
「作ってたまるか!とにかく、俺が保健医なのは社長と学院長が決めたんだ」
「学院長はともかく、社長がなんで?」
「俺が学院内で動きやすいように、だよ。情報を得るには学生と仲良くなる必要があるからな」
GENを保健医に設定しようと持ちかけたのは、社長が先だ。
それに桜蘭の学院長が賛成して、学院内でのGENの立ち回りが決定した。
当初、学院長としては用務員の役割を与えたかったらしいのだが、社長が一蹴した。
用務員では学生とのつながりが薄すぎる。
生徒が相談をしにくるNo1の場所が保健室ならば、GENを保健室に置くのが妥当であろう。
連携を取らなければいけないティーガとの接触も、用務員室よりは保健室のほうがやりやすい。
編入生が用務員に会わなければならぬ用事など、そうそうあるものではない。
だが、保健室なら怪我でも病気でも何でも理由は作り出せる。
といった社長からの受け売りをGENが説明してやると、ティーガもようやく納得がいったように頷いた。
「でもGENさん。仮病でベッドを使いに来る女の子に手を出しちゃ駄目ですよ?」
「俺が、いつそんなナンパな事をしたってんだ!」
あらぬ女好き疑惑に腹を立てていると、ティーガはもっともらしい、しかめっ面で訂正した。
「あ、GENさんの場合は添い寝してって無理矢理迫られるほう?でも駄目ですよ、許可しちゃ」
「するか!!ってか、されないだろ普通そんなことはっ」
むしろ、それをやりたいのはティーガ自身では?
頭に来たGENは、逆に言い返してやった。
「お前こそ、仮病を頻繁に使って保健室に来ちゃ駄目だぞ。サボッてばっかは悪いイメージがつくからな」
「え~」とか言って、ティーガは口を尖らせている。ズバリ核心だったか。
「長谷部サンは根が真面目な先生キャラでいけと、社長や学院長にも念を押されているんだ」
長谷部 英二というのが、学院長の考案したGENの仮名だ。
長谷部の名義で借りた一軒家も、学院の近くに用意してあった。
産休した前の保健医に代わって新しい担当が来ることも、すでに他の教師には話が通っている。
ただし、GEN本来の職業を知るものは学院長しかいない。
敵は生徒の中だけとは限らない。教師の中に、混ざっているかもしれないのだ。
来る予定だった本物の保健医をキャンセルして、代わりにGENをいれることになったのも当然、皆には秘密である。
「でもさ、長谷部センセイ。保健室の先生ってのは、まず第一に優しくなくっちゃネ」
また、ぺったりとティーガが抱きついてきた。
どうも彼、GENに対してだけはスキンシップが激しいようだ。
同じ先輩であるはずのバニラやZENONには、こんな態度を見せた事は一度もない。
ナメられているのか、それとも懐かれているのかは、正直GENから見ても微妙だ。
「あぁ、まぁ、そうだな」
ティーガの意見は間違っちゃいない。
優しい先生じゃなければ、生徒だって仮病を使って相談しに来たりしないだろう。
「前の先生、今、産休でいない保健の先生はね、超優しかったんだって。長谷部先生も優しくしないと駄目ですぜ」
「優しく……ね。まぁ、なんとか善処してみるよ」
「簡単でしょ、GENさんにとっちゃ。いつも俺にしてるみたいに、してくれればいいんですよ」
ティーガはニコニコ笑っている。
こぼした珈琲を、さっと雑巾で拭き取ると、立ち上がった。
トコトコと廊下のほうへ出ていきながら、さっきも聞いたような事を口にする。
「ねっ、だから今日は泊まってって下さい。そんで俺の半月の悩みを聞いてって欲しいなー」
どうあってもティーガはGENを泊まらせたがっている。
一軒家へ戻るのは、今日は無理みたいだ。諦めたGENはクッションの上に座り直す。
「悩みって倭月ちゃんとの喧嘩の件か?」
「それもあるけどー」
風呂場の方から声が響いてきた。
雑巾を洗いがてら、風呂の掃除も始めたようだ。
「この半月間、すっげぇ苦労したんスよ。どいつもこいつも自己中なガキばっかで!」
お前が他人を自己中呼ばわりするというのか。
俺に泊まれと無理矢理引き留めた、お前が。
乾いた笑みを浮かべながら、GENは更に尋ねた。
「で、肝心の情報は?怪しい奴は、見つかったか」
「一応は」
戻ってきたティーガが、ひょいっと顔を出す。
「ここ数ヶ月、ずっと授業に出ないで寮に引きこもってる奴がいるんです。三年生で」
「ふむ……引きこもり、ね」
何気なく聞いたつもりのGENは、思わず考え込んだ。ティーガは構わず話を続ける。
「別に病気ってわけでもないし、よくある根暗の引きこもりってやつでもない。元々は明るい性格だったらしいッスよ?それが、新年あけた次の日から部屋を出ないようになったって」
怪しいといえば、怪しい。
だが正月にネガティブな事件があって、ショックで引きこもりになっただけとも考えられる。
何事も、実際に当たってみないことには決断しづらい。
「そいつを何とかして寮から追い出せないかな。ティーガ、お前に頼めるか」
「三年生ッスよ?無理じゃないっすかね」
即座に首を振る後輩へ、なおもGENは尋ねる。
「その情報、誰から聞いた?」
「生徒会長の神無サンっす」
「なら、その神無さんと、もっと親密になれ」
恐らく神無さんとやらは、ティーガに好意を持っている。編入生への興味以上の好意をだ。
あくまでもGENの勘だが、彼は自分の勘に自信があった。
でなければ引きこもりになった同級生の話など、来たばかりの編入生に教えたりするだろうか。
「ん~まぁ、いいっすよ。GENさんの頼みとあっちゃ」
何故かティーガは気乗りしないようだが、それでも一応は引き受けてくれた。
「よし、いい子だ」
頭を撫でてやると、ティーガは途端に破顔して抱きついてくる。
「も~、やめてくださいよ。俺もう十七歳なんですぜ」
などと、口ではしっかり否定しておきながら。
言動と行動がチグハグだ。だが、まぁ、彼がやる気になったのなら、それでいい。
「手っ取り早く神無さんと仲良くなって、三年の寮に入り込むんだ。何としてでもな」
「りょーかいッス」
その間に、俺は倭月ちゃんを説得しておこう。声には出さず、GENは決心する。
学院に来て、さっそくやることが出来た。
ティーガが部屋を出ていく。
「あ、じゃあ荷物部屋を整理してきますね。GENさんが寝られるように」
GENは立ち上がると、後を追いかけた。
「待てよ、俺も手伝う。お前一人じゃ大変だろ?」
「わ~い、だからGENさん大好きー!」
廊下でも盛大に飛びつかれ、GENは勢いよく壁に頭をぶつけたのであった……