Devil Master Limited

ランスロットの穏和な日常 - 3.ご主人様、晴れの舞台

二十歳になると、ヨンダルニアの人間は社会で働けるようになる。
二十歳を迎えたエイジも社会人としての一歩を踏み出そうとしていた。
狙う職業は勿論、悪魔遣い。これ以外は考えられない。
問題は、どの会社に入るかだ。
駅前の就職案内所で貰ってきたパンフレットを、片っ端から机の上に並べてみる。
どれも大手の会社だ。
どうせ入るなら、うんと名の知れた会社がいい。
フリーで働いている悪魔遣いもいるが、社会人になりたての無名がフリーになったところで客がつかない。
最低でも五年は会社の雇われ兵をやったほうが、知名度をあげる近道になろう。

「ランスロット。面接はCommon Evil一本に絞ろうと思う」
夕食の時間にエイジから、そう切り出されて、ランスロットは間髪入れずに尋ね返す。
『Common Evil?そこは、どういう会社なのですか』
「自宅通いで依頼形式の会社だ。契約じゃない、正社員を募集している」
エイジは給料についても話したが、ランスロットは興味がないので聞き流した。
肝心なのは、仕事の終わる時間だ。
エイジが広告を見ながら話すところによると、定時は午後六時に全作業が終わるらしい。
悪魔遣いとしての依頼が入っていなくても、会社には仕事があるそうな。
六時とは随分早い。首を傾げるランスロットへ、エイジは広告の受け売りを説明した。
それによると、会社の建っている場所が中央街から離れている為、帰り時間を早くしてあるとの事。
社員は皆、自宅通いだから、彼らに気を遣ったものなのだろう。
儲けは依頼料から、前もってさっ引いているから問題ない。
何故数多の大手がある中、Common Evilを選んだのかもエイジは説明してくれた。
この会社が一番安定していると睨んだそうだ。
広告に書かれた社員数と、給料の額から考えて。
寮制度ではないのも有り難い。
「できることなら、他人と一緒に暮らしたくないからな」
今の家は、悪魔遣い協会がエイジの為に用意してくれた物件だ。
街の中央から外れた閑静な住宅街にある。
Common Evilへの道のりは、かなり遠い。
列車で行ってもいいのだが、旅費が馬鹿にならない。
面接で受かった場合、引っ越しも念頭に入れておかないと駄目だろう。
「あとは車の免許を取るかどうか、だが……」
悩むエイジへ、間髪入れずにランスロットが己の存在をアピールする。
『エイジ様、エイジ様には乗り物なんて必要ございませんでしょう?』
ランスロットの特殊能力があれば、一瞬で目的地にたどり着ける。
だが、せっかくの遣い魔の名案にエイジは渋い顔で応えた。
「そう毎日、お前を酷使するわけにもいかないだろう。それに町中で悪魔を引き連れていたら、街の連中から何を言われるか判ったものではない」
この界隈で、エイジが悪魔遣いだと知る者はいない。
ランスロットが表に出ないからだ。
悪魔遣いが職業として定着しているからといって、必ずしも万人に受け入れられているとは思わない方がいい。
人々の反応は、いつも二つに分かれた。
恐怖と、尊敬とで。
『そうですか……』
ランスロット自身は街の連中に何を言われようと気にならないが、エイジの世間体もある。
自分のせいでエイジが近所から村八分にされるなど、あってはならないことだ。
『エイジ様、いっそお引っ越しなされては如何です?』
「だが、先立つものがない」
親元を離れて久しいエイジの生活費は、悪魔遣い協会が担っている。
この上、引っ越し費用まで出してもらうのは、些か図々しすぎやしないか。
といったエイジの杞憂は、老いた先輩悪魔遣いへの相談で、あっさり消滅した。
「エイジ、私達は家族のようなものだ。君が資金に困っているというのであれば、協会は惜しみなく助力しよう」
慈愛に満ちたシュバイツァーの言葉に、エイジがどもる。
「しかし……貰ってばかりというわけには」
「君は就職するのだろう?ならば、貰ってばかりにはならないはずだ」
借りた分は働いて返せと言われて幾分エイジは気分が軽くなり、引っ越し代を受け取って帰ってきた。
「マンションを借りよう。駅前でも結界を張れば大丈夫だ」
『この家は、どうなさいます?』
「シュバイツァー老士は引き続き俺に貸すと言ってくれた。もしもの為の別荘として活用しろと」
もしもとは?
聞かなくても大体判る。
悪魔遣いの仕事には、危険が多いのだ。
面接に落ちれば引っ越さなくて済むし、お金も使わなくて済む。
だが、ランスロットはエイジに落ちて欲しいとは思わなかった。
エイジには、是非とも社会人になってほしい。
社会人になって、もっと凛々しく頼りがいのあるご主人様になるといい。

きたる、面接当日。
『エイジ様ぁ〜、エイジ様、起きて下さい、起きて……あっ、もう起きていらっしゃいましたか』
騒がしく扉を叩くランスロットへ、エイジが顔を見せる。
きっちりスーツに着替えており、あとはご飯を食べて家を出るだけの状態だ。
このスーツも協会が用意してくれたものだ。
エイジのスーツ姿は、この日初めて見たのだが、ピシッと決まっていて格好いい。
ランスロットは思わず、ほぅっと見とれてしまい、エイジには怪訝な顔で尋ねられた。
「……似合わないか?」
『とっ、とんでもございません!とても、よくお似合いですよ。ささ、ご飯の用意が出来ております。エイジ様、しっかり食べて、がっちり面接へゴーゴーです!』
テンション高く追い立てられ、いつものように食事を済ませた後、きっちり歯を磨いてからエイジは玄関で靴を履く。
そのエイジの正面へ回り込むと、ランスロットは身を屈めた。
『エイジ様……今日の面接が上手くいくよう、祝福しておきますね』
「祝福?」と顔をあげたエイジの瞳に映ったのは、いつもの鎧甲冑ではなく兜を脱いだランスロットだ。
「どうしたんだ、鎧を」と言いかける彼の額へ、そっと口づけると、ランスロットは小声で呪文を唱えた。
『冥界の神々よ、かの者へ勝利の祝福を与えたまえ』
唇を離し、エイジと向き合う。
『さぁ、いってらっしゃい。冥界の神々がエイジ様の面接を必ずや成功へ導いて下さいます!』
ランスロットは背中を軽く押して外へ追いやった。
『いってらっしゃいませ、エイジ様。ご武運を!』
エイジもランスロットへ手を振って、歩いていく。
必ずや吉報を持ち帰る、と言い残して。

ご主人様が面接で何を話し、どのように受け答えしたのかは知らないが、帰宅するなりエイジは採用された旨を伝えると、ランスロットの両手を取って微笑んだ。
「やったぞ!即日合格だ、お前のおかげだ、ランスロット!!」
こんなにはしゃいだエイジを見るのは幼少以来で、ランスロットもつられて笑顔になる。
『私は何もしておりません。エイジ様が面接を頑張ったおかげですよ』
「いや、してくれただろう。出がけに……その、まじないを」
そう言って少しテレたようにエイジが、はにかむ。
「あれのおかげで勇気がわいた。面接官の前でも、ちゃんと話が出来たんだ」
人見知りで恥ずかしがり屋なご主人様にしては、大快挙だ。
全く見知らぬ者の前で、きちんと受け答えできるようになるなど。
『それは、ようございました』
ちょっとしたおまじないのつもりでやったので、そこまで恩に着られるのは、くすぐったい。
でも、悪い気はしない。
エイジの笑顔を見たくて日々を共に生きている身としては。
「とにかく、これでやっと、お前と一緒に仕事が出来る……!引っ越すぞ、ランスロット。新生活の始まりだ」
協会に渡された資金は些細な額であったが、荷物の少ないエイジの引っ越しには充分間に合った。
書物は全て、この家に置いておけばいい。
持っていくのは着替えと食器、それぐらいだ。
あとはランスロットが側にいてさえしてくれれば。
新しい家はマンションで前の家より狭かったが、その程度の違いは新生活に燃える二人の障害にはならなかった。
障害になるとすれば、隣人の存在ぐらいであろう。
だが、それもエイジの提案により解決した。
結界を張ってしまえば、隣人の騒音も物好きな訪問も一切ない。
ストレスゼロ生活の始まりだ。
しかし――真のストレスは環境ではなく会社の中にあったとは、さしもの二人でも予測がつかなかったのである……

出社一日目の帰宅時。
張り切って家を出て行ったエイジは、ずどーんと落ち込んで帰ってきた。
さっそく失敗でもしたのかと心配するランスロットに、エイジが消沈した顔で答える。
「会社というのは難しい場所だな……あんな気持ちの悪い人間がいるとは」
『一体何があったというのですか、エイジ様』
椅子に腰掛けると、エイジはネクタイをゆるめ、天井を仰ぐ。
「尻を、触られた」
『なんですってェェッ!?』
全く予想しえなかった返答に驚いて、ランスロットは思わず手にした皿を数枚落としてしまった。
皿が次々割れる派手な音にも振り向かず、エイジがぶつぶつと呟く。
「トイレから出て、部署に戻る際すれ違った、多分先輩だろうとは思うが……同部署の奴に撫でられたんだ。こう、さわさわ、と」
触られた時の感触でも思い出したのか、エイジがぶるりと身震いする。
「こちらが注意する前に、逃げられた。去り際『かわいいねぇ、エイジくん』と言って……可愛いね、だぞ?男に向かって、男が言う言葉か!?」
吐き捨てると、エイジは乱暴にネクタイを床へ叩きつけた。
『お、男?男の人だったのですか、お尻を触ってゆかれたのは』
エイジ様にセクハラするなど許せない!どこの女だ、ぶっ殺す!!
と、内心いきり立っていたランスロットは、エイジの言葉でポカーンとなる。
「あぁ。男だ。馬鹿にされたんだ、こちらが何も知らない素人だと思って!」
『ど、どいつです。顔は見たんですか?名前はっ』
興奮するエイジにつられてランスロットも興奮してくる。
エイジは力なく首を左右に振ると、がくりと身を投げ出した。
「……判らない。一瞬だったし、言われた瞬間、頭の中が怒りで真っ白になってしまって」
内気で人見知りで恥ずかしがり屋だが、エイジのプライドは高い。
十歳の頃より、立派な悪魔遣いになる為の勉強ばかりしていた男だ。
立派な悪魔遣いばかりがいるはずの会社で馬鹿にされるとは、思ってもみなかったに違いない。
エイジは学校へ通っていない。
だから、イジメにあった経験もない。
圧倒的に経験不足だ。
人と人が関わりを持つ、人間社会での。
『エイジ様、お悔しい気持ちは充分判ります!ですが、ここでへこたれては、なりません』
励ますランスロットを睨みつけ、エイジが叫び返す。
「当たり前だ、せっかく入った会社だぞ!馬鹿にされて、このまま終わるつもりはないッ」
へこんでしまって会社へ行く気力もなくなったのかと思ったら、そうではない。
屈辱を晴らす為に怒りで煮えたぎっている。
ランスロットは、ご主人様の意外な一面を見た気がした。
「ランスロット、仕事が入ったら俺達の連携を見せつけてやろう。俺は社会人では新米だが、素人悪魔遣いじゃない。十年分の知識と、お前との生活は伊達じゃないぞ」
『え、えぇっ、そうです、そうですとも!その意気です、エイジ様!』
はたして十年分の共同生活が悪魔遣いの何に培うのか甚だ疑問だが、勢いにつられてランスロットは頷いた。
すっかりテンションの戻ったエイジが、不意に真顔になってランスロットと向き合う。
「よし、それじゃ初仕事が上手くいくよう、俺がお前に祝福をかけてやる」
『えっ?それは、まだ気が早いのではございませんか』
依頼を引き受けてもいないうちから何を言い出すやら。
戸惑うランスロットの兜を脱がせると、エイジはコホンと咳払い。
「確か、こうだったな……」
むちゅっとランスロットの額に口づけると、小声で囁く。
「天界の神々よ、俺の大切な遣い魔に祝福を与えてくれ」
むちゅっと柔らかいものが額に押し当てられた瞬間。
衝撃のあまり、ランスロットは己の魂が天界へ飛んでいくんじゃないかと思った。
エイジ様が!まさか、エイジ様が私にキスをしてくるなんて!!
自分がエイジにした時は特に意識していなかったのだが、自分がやられてみると、よく判る。
ものすっごく、恥ずかしいぃぃぃっ!――ということが。
唇を離した後のエイジは、いつも通りの笑顔を浮かべてランスロットに言った。
「これで大丈夫だ。どんな依頼が来ても、必ず上手くいく。お前のまじないが、俺を助けてくれたように」
エイジの言葉は右から左へランスロットの耳を通り抜け、悪魔は、ただひたすら先ほどの感触を思い浮かべていた。
この感触が額ではなく、唇と唇だったら良かったのに……と。