Devil Master Limited

ランスロットの穏和な日常 - 2.籠の中の恋

エイジがランスロットと同居するようになってから、しばらくは親族が彼を捜しに近くまで来ることもあったけれど、そのたびに亜空間を作り出し、ランスロットはご主人様を上手く匿った。
十歳が十二歳になり十五を迎える頃にはエイジの身長も伸びて、頭や背中に乗せる事も次第に少なくなり、幼い頃とは違う感情に彼が振り回されているとランスロットが感じたのも、ちょうどその頃だった。
エイジは学校に通っていない。
十で親元を飛び出してしまったせいだ。
にも関わらず、同じ年頃の少年少女と知りあう機会はあった。
近所に、同年代の子供がたくさん住んでいたのである。
エイジは家から滅多に出ない子供ではあったが、たまに気晴らしで外へ出ると、近所の住民と挨拶を交わすこともある。
ちょっとしたきっかけで、エイジが彼らを気に入るような出来事もあった。
『どうしました?ご機嫌ですね、エイジ様』
ランスロットがエイジに話しかける。
散歩から帰ってきた若きご主人様は、頬を紅潮させて戻ってきた。
「ほら、これ!」と差し出してきたのは、古ぼけた一冊の本だ。
表紙には何やらミミズが のたくったような文字が記されている。
『なんですか?この本』
首を傾げる鎧甲冑へ、エイジは興奮気味に答えた。
「創世記に出版された悪魔大全集だ!リアーナがもっていたんだ、正しくは彼女のお爺さんだけど」
『リアーナ?』
再びランスロットは首を傾げる。
名前の語感からして、恐らくは女子だ。
近所の子供には女子も多く、この悪魔は常に神経を尖らせていた。
「あぁ、マグリさんの処のリアーナだ。一本通り向こうにある家だよ。あの家に、おさげの女の子がいただろ?この本は彼女がお爺さんから譲り受けたそうだから、これは正式に僕のものにしていいそうだ」
上機嫌で語るエイジによると、こうだ。
散歩に出たらリアーナと出会い、何が好きかと尋ねられたので本と答えたら、ジャンルも聞かれたので召喚関連の書と答えた。
さらに今欲しい本のタイトルを適当にあげたところ、彼女が題名に聞き覚えがあると言い出し、二人でマグリ家へ向かった。
お爺さんの書斎にて、二人で一緒に本を探しだし、譲ってもらったのである。
『そう……女の子のお宅へ……』
相手の声質が変わったのにも気づかず、エイジは興奮気味にマグリ家での発見をランスロットへ伝える。
「あの家は凄い。金持ちじゃないとリアーナは言っていたが、お爺さんの書斎は素晴らしい本の宝庫だよ。上から下まで全部本棚なんだ!判るか?天井から床まで全部だぞ。それが壁一面に備えつけられているんだ。リアーナのお爺さんは他にも欲しい本があるなら、いつでも遊びに来ていいと言ってくれた。リアーナも、もちろん来て欲しいと言っていた。明日にでもまた行ってみようと思っているんだけど、いいかい?」
『エイジ様が、そうしたいとおっしゃるのであれば、私に止める権利などございません』
鎧甲冑は俯き加減に、だが、きっぱりと言い切る。
中身の心情を知ってか知らずかエイジは喜んで頷くと、さっそく貰った本を食堂で開く。
悪魔大全集は、その名の通り、この世に存在する悪魔を紹介している本だ。
もっとも載っているのはメジャーな悪魔ばかりで、ランスロットみたいな遣い魔は編集の知るところではない。
それでもいいのだ。
優秀な悪魔遣いを目指している身としては、できるだけ多く、世にはびこる悪魔の種類を知っておきたい。
学校で教わる知識は、悪魔遣いには必要ない。
必要なのは敵の知識と味方との信頼だ。
全て独学で覚えなければいけない。だからこそ、本は重要だ。
ご近所さんから本をもらってエイジが喜ぶのも当然といえば当然であった。
――それは判っている。
解せないのは、本をもらうまでの過程に入り込んだリアーナという少女の存在である。
書物が爺さんの蔵書だというのなら、リアーナは関係ないじゃないか。
彼女がきっかけで家へ行く羽目になったんだとしても、そこから先は爺さんとの取引でリアーナはお呼びじゃない。
おまけに、彼女はまた家へ遊びに来いとエイジを誘っている。
図々しい小娘だ。
爺さんの本がなければ、お前なんか、エイジ様と接触することすら叶わないのに!
あまりにも無言で、自分の考えに没頭しすぎていたのだろう。
ふと気づくと心配そうな様子で、こちらを伺っているエイジの視線とかち合った。
「ランスロット、どうしたんだ?具合が悪そうだが……」
『平気ですよ。どうぞ私にはお構いなく、本をご堪能下さいませエイジ様』
素っ気なく答え、ランスロットは食堂を出た。
このまま一緒にいると内面の黒い部分が表に出てきてしまいそうで、そんな黒い感情を自分が抱いていると知られるのも御免だった。
エイジには何一つドス黒いものを知って欲しくない。
彼には、いつまでも純粋でいて欲しい。

楽しめと言われても、楽しめるはずがない。
数分後には寝室の扉をノックしてきたエイジを、ランスロットは招き入れていた。
何故寝室にこもっていたかといえば、鬱に浸りながら泣こうかと思っていたのである。
理由?決まっている、エイジに異性の友達が出来たせいだ。
五年が過ぎて、童子だった彼も精悍な少年へと成長した。
近所の女の子達が目をつけるのも、無理はない。
もっと大きくなったら、エイジもいずれは誰かと恋に落ちて結婚し、やがて子供も作るだろう。
それが、とてつもなく悲しいのだ。
エイジが自分の手元を離れていってしまうような気がして。
遣い魔なら、ご主人様の幸せを祝福しなければいけない。
でも、そんなの無理だ。
だって、ランスロットはエイジを手放したくないほど大好きなのだから。
初めは親になったつもりで見守ってきた。
いつの間にか愛着がわき、愛着は恋愛感情へとすり替わった。
最近は、エイジと抱き合ったりキスしたりといった夢も頻繁に見る。
その時の自分は、大抵女の格好をしていた。
自分は無である――
一番最初にエイジと出会った時、ランスロットは、そう自己紹介した。
嘘ではない。
男でも女でもない。
それが、この悪魔の種が持つ大きな特徴だ。
人間界では人の形を取っているが、本来の姿は黒い霧状の気体であり実体を伴っていない。
魔力の高さはピンキリで、上位になるとランスロットのように次元移動の力を持つ者も存在した。
実体がないのだから、ふれあう必要もないわけで、愛を重ねる方法も他の種とは、だいぶ異なる。
だが、ランスロットは魔界で自分と同じ種族の者に出会ったことがない。故に、愛の方法は人間界で覚えた。
すなわち知識の元とは新聞や週刊誌。
そこから人間社会の常識や、恋人同士の愛しあい方を吸収したのだ。
そのくせエイジには、そういった物を徹底的に見せない。
もっともエイジはエイジで、そういった雑学には全く興味がなさそうでもあった。
彼が一番好奇心を示すのは、いつだって本の中の知識、それも将来の役に立つ悪魔関連の知識ばかりだった。
「どうしたんだ、急に」
エイジに話を切り出され、ランスロットは平常心を装う努力をしたのだが。
『どうもしやしませんよ。眠くなったので先に寝ようかと』
「けど、まだ夕飯も食べていないじゃないか。具合が悪いのか?」
『具合なんて、別に』
悪くないですよと言い終える前に押さえつけられ、顔の近さにランスロットはドキリとする。
と言っても鎧の上からなので、まさか遣い魔がドキドキしているなんて、ご主人様は夢にも思うまい。
そのご主人様は更にランスロットの心拍数をあげる――心臓というものがあれば、だが――衝撃の言葉を吐いた。
「ランスロット、鎧を脱いでみろ」
『ど、どうしてですか?』
「お前が気づいていないだけで、何かの病気にかかった可能性もある。僕に見せてみろ」
『ですが、お医者でもないエイジ様に見せても』
どもるランスロットへ、エイジは自信満々に答える。
「悪魔のケアなら、この間買ってきた本で覚えた。だから多少は判るつもりだ」
この間買ってきた、というと【遣い魔の育て方】という、ふざけたタイトルの本だろうか。
ペットじゃあるまいし育てるもクソもあるか、とランスロットは内心、本の著者へ唾を吐いていたのだが。
しかし目の前のご主人様は、あの本で得る知識があったようで、今にも試したくて仕方がないように見えた。
『わ、私は特殊ですから……あの本の情報では役に立たないかも、キャッ!?』
話している途中でベッドに押し倒され、思わず甲高い悲鳴をあげる。
先ほどよりも近い距離に、エイジの顔がある。
真剣な目で、じっと見つめられて頬が熱くなってきた。
きっと自分の顔は真っ赤に染まっているに違いないと、ランスロットは焦りを覚える。
こんな顔を見られたら、言い訳できない。
下手したら、思いあまって愛の告白を口走ってしまうかもしれない。
『だ、駄目です、エイジ様……』
それでも制止する感情より期待のほうが上回り、ランスロットの声は尻すぼみになる。
抵抗する気なしと見られて、エイジには兜を脱がされた。
「ランスロット、お前……顔が赤いじゃないか」
恥ずかしさのあまり俯き加減になる遣い魔の額へ、エイジは手をあててみる。
いや手だけでは判らなかったのか、おでこまでくっつけてくるもんだから、否が応でも、された方のカッカポッポは激しくなり。
『エ、エ、エイジさまっ』
勢い余って腕を彼の背中へ回そうとした直後、エイジが身を離し、両手は虚しく宙を抱きしめる。
「熱があるのか。なら今日は先に寝るといい、邪魔して悪かった」
さっさと出て行こうとする彼を、今度はランスロットが呼び止めた。
『ま、待って下さい!』
熱があるのは当然だ。
だって、さっきまで嫉妬で怒り狂っていたのだから。
けして病気ではない。
これだけは、はっきりさせておかないと。
「どうした?欲しい物でもあるのか」と、さながら病人を労る態度のご主人様へ、ランスロットはポツリと言い返す。
『病気では、ないのです。ただ、とても悲しくて、それで』
「悲しい?……どうして」
エイジは怪訝に眉をひそめている。
それもそうだろう。
これまでの会話でランスロットが悲しくなる場面など、彼には想像もつかないはずだ。
『私の知らない人と、あまり仲良くならないで……』
言いながら、なんと無茶な要望を出しているのだろうと悪魔は自分でも思った。
年老いた悪魔遣いが、脳裏をよぎる。
彼の口が言葉を紡ぐ前から、それらはランスロットの脳に響いていた。
悪魔遣いと悪魔は、必要以上に仲良くなってはならぬ。
愛や恋をかわすなど、もってのほかだ。
悲しい。
どうして種族が違うというだけで、必要以上に仲良くなっては、いけないのだ。
どうして種族が違うというだけで、愛し合っては、いけないのだ。
涙が自制心を乗り越えて、ぽろぽろとランスロットの頬を伝って落ちる。
いけない、と思った時には大粒の涙がベッドのシーツを濡らしていた。
「ランスロット……判った、二度と仲良くしたりしない」
エイジが再び近寄ってきて、ランスロットをぎゅっと抱きしめる。
涙で濡れた瞳では表情までは判らないが、抱きしめる力の強さから、ご主人様の優しさと決意が伝わってくるような気がして、ランスロットは駄目ですと言うのも忘れて、ぼろぼろとエイジの腕の中で泣き続けた。