Devil Master Limited

エイペンジェストの優雅な日々 - 2.赤毛野郎とご主人様

生意気な赤毛とは、その後すぐに再会する運びとなった。
といっても、こちらが一方的に姿形を知っているだけで、会う分には初対面だ。
顔合わせの上では上品ぶって挨拶しておいたが、内心エイペンジェストの腸は煮えくり返って仕方がない。
こいつが、主をたぶらかしている張本人かと思うと。
見えない場所で八つ裂きにしてやりたくなる。
だが、今は無理だ。共同作戦を取ると決まった今は。
少なくとも、しばらくは友好的なフリを続けておかなくては。

今日も上機嫌で帰ってきた主の口から、奴の名を聞くことになろうとは。
ここのところ我がご主人様は、帰宅と同時に奴の話ばかりをエイペンジェストに聞かせてくる。軽く拷問だ。
「はぁ〜今日も格好良かったわぁ、エイジ。あの顔を間近で何時間も見ていられる日が来るだなんてねぇ」
玄関先で靴を脱ぎ散らかし、荷物をその辺の床へ放り投げると、バルロッサは上機嫌でソファの上に陣取った。
靴は脱いだら揃えろと、いつも口うるさく言っているのに。
彼女を追いかけ靴をきちんと揃えると、エイペンジェストは台所からカクテルを持ってくる。
グラスに酒を注ぎながら、そっと主人に忠言しようと囁きかけた。
『御僭越ながらバルロッサ様に申し上げたいことが』
「しかも、しかもよ?淫夢を知らないだなんてイマドキありえる?あれで社会人だなんて、ホントおいしすぎっ!」
『バルロッサ様――』
「くぅっ、こうなったら先輩権限持ち出して、私が教えてあげようかしら……うふふ、女を知らないエイジの清らかな体を」
『バルロッサ様!!』
エイペンジェストが些か強めに声をあげると「何よ、うるさいわね」と不機嫌になったバルロッサと視線がかち合う。
唐突な機嫌の変わりようも気にせず、エイペンジェストは己の伝えたいことをバルロッサへ話し始める。
『バルロッサ様、任務中に私情を交えるのは危険かと思います。たとえ共同作戦を取る仲間といえど、あくまでもビジネスとしての態度を崩さず』
遣い魔は最後まで言わせてもらえなかった。
鼻息荒く、彼のご主人様が机を乱暴に叩いたのだ。
「なぁーに言ってんのよ!エイジと共同で仕事やるなんて、これが最初で最後になるかもしんないのよ!?ここで勝負をかけるに決まっているでしょ!エイジを絶対、私のモノにしてやるんだからッ」
ここまで恋心をむき出しにされたのは初めてで、エイペンジェストとしても心穏やかではいられない。
何しろ目の前の女、バルロッサは自分がモノにする予定なのだから。
モノにして、会社のトップに立たせるのがエイペンジェストの夢だ。
『何故、そう急くのです?彼はバルロッサ様と同じ会社に勤めている後輩でしょう。ならば今後も接触するきっかけは、いくらでも作れるかと思いますが』
「甘いわね」
チッチッチッと指を振り、バルロッサが据わった目でエイペンジェストを見やる。
「彼はエリートなのよ?いつ何時、別の会社から引き抜かれるか判ったもんじゃなくってよ。そ・れ・に、社内で彼を狙っている女が何人いると思ってんのよ。私の知らない間に恋人なんか作られちゃ、たまったもんじゃないわ!」
ぐいーっとカクテルを一気に煽る。
あぁ、そのような飲み方をしては酔いが早く回って倒れてしまう。
荒々しい行動には内心溜息をつきつつ、突き出されるグラスにはおかわりを注いで、なおもエイペンジェストは主を諫めたのであるが。
『しかし恋心は冷静な判断力を失わせると聞きます。今回は危険な任務なのでしょう?ならば真剣にやるべきです。エイジ様とのお戯れは任務終了後になさっては』
「あんた、判ってないわねー。全然判ってないわ」と、さっそく酔っぱらいの目でバルロッサが絡んでくる。
「共同任務の間だからこそ、よ!私の印象と美貌と優しさを彼の心に叩っこんでやんのよ。私から離れたくな〜い!って彼が思うぐらいには、ね。あぁん、どうしてやろうかしら。淫夢対策って嘘こいて、裸に剥いて、あんなことや、こんなことや、やんやん、恥ずかし〜っ!」
聞いているほうが恥ずかしくなるほどの狂乱っぷりに、思わずエイペンジェストは両手で顔を覆った。
なんという有様だ。
我が主は、すっかり赤毛野郎に心を奪われている。
バルロッサを説得するのは無理だろう。
人間の女は恋愛が絡むと妙に強情になると、週刊誌や新聞にも書かれている。
かくなる上は、エイジ側のほうに動きを持ちかけるしかない。
バルロッサが失恋するよう、うまく話を持ちかけるのだ。

しかし一介の遣い魔が主に知られることなく他の人間に近づく機会など、ありようはずもない。
主が呼び出してくれなければ人間界へ移動する事すら、ままならない。
つくづく、遣い魔とは不便な立場だ。
エイペンジェストが次に考えたのは、赤毛野郎に関する詳しい身辺調査であった。
なにしろ昨日今日、ご主人様から共同作戦をやると伝えられた相手で、人となりが全く判っちゃいない。
エイペンジェストが知っているのは、いつぞやの覗き見で知った先輩を先輩とも思わぬ生意気な性格ってだけだ。
それだけでも充分万死に値するのだが、もしエイジに暴力をふるったら、次に待つのは死よりも恐ろしい解雇処分だ。
遣い魔は主人に命令された以外の行動、特に何かへ危害を加える行動を行ってはいけない。
人間の決めた、悪魔遣いと使役悪魔の基本ルールである。
遣い魔となった以上、エイペンジェストも例外なく従わなくてはいけない。
従わない悪魔は契約を破棄される。
遣い魔が自由に接触できるのは、同じ立場の遣い魔だけ。
それも、魔界に帰還している間だけだ。
人間界に出現する時は当然あるじの目の届く場所に呼び出されるのだから、あるじに秘密で接触するのは不可能だ。
人を知るには、遣い魔から知る。
エイペンジェストはランスロットに狙いをつけた。
まずは奴からエイジについて、色々と聞き出してやろう。

いずれはランスロットに話を聞くにしても、まずはバルロッサの真理を突き止めておきたい。
彼女は本気でエイジが好きなのか?
容姿と経歴だけに惹かれているのか、それとも外も中もひっくるめて全部まとめて好きなのか。
言うまでもなく、バルロッサにとって最良の伴侶は自分しかいないとエイペンジェストは思っている。
もし彼女が赤毛の野郎に全身全霊でイカれているのだとしたら、問題だ。
誰が彼女を本当に幸せに出来るのか、今一度、再確認させておく必要がある。
何しろ我が主ときたら共同作戦が決まった日から今日に至るまで、帰宅後の会話が全てエイジ一色で埋まっている。
これまでは帰宅後、会社で失敗した愚痴や社長への文句を聞かされるのが主な日課であった。
かわす言葉は少ないけれど、それなりに良好な雰囲気を保てていたと思う。
たまに、ほんのたま〜に、自分を労ってくれる事もあり、夜の短い二人の時間をエイペンジェストは大切にしてきた。
その大切なひとときが毎日聞きたくもない恋敵の想いで占領されてしまっては、こちらが先にまいってしまう。
ベロンベロンに泥酔して、ひとしきり恥ずかしい妄想を喚いた後、なおもエイジへの想いを語ろうとするバルロッサにエイペンジェストは待ったをかけた。
『バルロッサ様、バルロッサ様は、その……本気でエイジ様を射止めたいとお思いなのですか?』
「決まってんでしょ〜〜?」
ぶはぁっと酒臭い息を吹きかけて、バルロッサが血走った目で睨みつけてくる。
飲んだせいで暑くなったのか、だらしなく上着の前をはだけ、おまけに大股開いてソファに腰掛けているもんだから下着まで見えている。
今のバルロッサを見たら、さしものスカしたエイジでも裸足で逃げ出すに違いない。
もっとも、エイペンジェストにとっては見慣れた光景だ。
あるじは何か良くない出来事があった日は大抵こうなってしまう。
「何度も言うけど、百年に一度出るか出ないかのエリートな上、実家は金持ち!加えてイケメン!!おまけに何よ、悪魔遣いのノウハウ以外は、てんで無知で純粋無垢ときたら!も〜こりゃ落とさないわけにゃいかないでしょーがっ」
俗世の知識に疎いからと言って、純粋無垢とは限らないのではないか。
そう反論しようとして、エイペンジェストは思い留まる。
今のあるじは冷静ではない。
不毛な言い争いをするのは、するだけ時間の無駄だ。
時刻は既に深夜を回っている。
そろそろ寝ないと明日に響く。話は簡潔に済ませるべきだ。
『では一生を共にする伴侶として彼を見ている……と?』
「結婚!いいわねぇ、望む処だわ。あぁ、エイジと結婚したら、きっと彼、料理が得意そうだから毎日私の為にご飯を作ってくれるに違いないわ」
『ご飯を作る相手が欲しいのですか?ならば私が作りましょう』
ここぞとばかりに身を乗り出す遣い魔へ、バルロッサは、きょとんとした目を向けて。
「え?どうしてエイペンが作るの。いいわよ、ご飯ぐらい自分で作るから」
ひらひらと手を振るご主人様へ、重ねてエイペンジェストは己を売り込んだ。
『いや、しかし今エイジ様にご飯を作ってもらうと言ったばかりではありませんか。ご飯担当が欲しいのであれば、いつでも私に命じて下されば、お作りいたします。彼の作る料理よりは数倍美味しい物を』
熱意を込めて見つめたにも関わらず、バルロッサの反応は非常に鈍く。
「いいって言っているでしょ。悪魔の味覚で作られたら、たまったもんじゃないわ」
てんで本気にしていないといった調子で、冗談めかして締められた。
「それにエイジとなら夜もきっと楽しい一時になるでしょうけど、あなたじゃねぇ」
『夜?夜が、どうしたというのです』
「決まっているでしょう?男と女が一緒のベッドに入ったら、ヤることは一つよ」
またしても、バルロッサはグイーッと勢いよく酒を飲み干す。
よく見たらグラスではなく、瓶に直接くちをつけて飲んでいた。
明日に差し障るどころではない。確実に二日酔いコースだ。
夜か。夜のお供は、さすがにご主人様を愛する遣い魔と言えど範疇外。
性的欲求を求められたこともなければ、求めたいとも思わない。
だからといってバルロッサが、あの赤毛とベッドを共にする。
考えただけでも、腸が煮えくり返って沸騰する。
エイジの何が嫌いって、バルロッサに対して冷たい態度を取る処が一番エイペンジェストの癪に障る。
我が主は絶対の存在だ。
その彼女を無下に扱うなど、断じて許していいものではない。
しかし当のあるじときたら、つれなくされても赤面して格好いいなどと宣っているのだから手に負えない。恋は盲目、である。
「彼はきっとベッドの中でもウブなのよ。何をしたらいいのか判らないのね。だから、私が手に手を取って一から全部教えてあげるの。ファーストキスも私がいただくわ。唇が触れあっただけでも、『あっ……』とか呟いて頬を赤く染めて――」
またしても愚にもつかない妄想をバルロッサは赤らんだ顔で延々垂れ流していたが、構わずエイペンジェストは割って入った。
『バルロッサ様、こう言ってはなんですが、エイジ様の側には四六時中遣い魔のランスロットが張り付いています。コブつきの男を伴侶へ迎えるのは問題があるのではありませんか』
「ランスロットォ〜?いいのよ、遣い魔なんて魔界へ追い返せば関係ないでしょ」
ぞんざいな返事は、いざとなったらエイペンも追い返せばいいと言っているようなもので、些かエイペンジェストはムッときたものの。
『ですがエイジ様は、その遣い魔の尻に敷かれているように私には見えます。バルロッサ様、あなたを一番大切に想っているのは、この私めであることを、お忘れなきよう』
とっておきの笑顔で微笑みかける。
多くの女性を虜にする魔性の笑みも、泥酔しきったご主人様の目には何の効果もなく。
「あんたが私を一番大切に想ってる?そりゃ〜決まってんでしょ、私の遣い魔なんだから!」
酒臭い息で爆笑され、トドメの一撃をお返しにくらった。
「仮に、あんたが私を愛していたとしてもよ、結婚するなんてゴメンだわ。悪魔と人間じゃ生活水準が違いすぎる。夜の営みの件もあるけど、私は理解が一番欲しいの。判る?あんたに私の全てが理解できる?できないでしょ、悪魔は人間とは違うんだから。エイジは私を、いつか必ず理解してくれるわ。だって私達、同じ人間同士ですものね」
そこまで言うと、ぷっつり糸が切れたようにバルロッサは机へ前のめりで倒れ込み、あとはスースー寝息を立てて夢の中へ突入してしまった。
風呂も入らず着替えもせず、化粧を落とすことさえも忘れている。
こんな女を理解して全てを受け入れられる人間の男が、この世にいるとは到底思えない。
いるとすれば、やはり、この自分を置いて他にはいないのだ。
爆睡したご主人様を抱え上げてベッドまで運んでやりながら、エイペンジェストは一人、己の出した結論に満足した。
ぐうたらでどうしようもない女だが、だからこそ完璧な女に育ててやる甲斐がある。
こういう形の愛もあるのだと、いつかバルロッサも判ってくれるだろう。