Devil Master Limited

3-3.朗報

アーシュラ達の奇襲によりテロリストのアジトが上や下やの大騒ぎになっている間、雑誌記者のジェイムズは街の外れの港へ足を運んでいた。
一旦この街を出る。それも考えた。
だが彼はどうしても、もう一度あの青年と会いたかった。
エイジ=ストロン。
燃えるような赤い髪の毛に涼しげな緑の瞳を携えた、細身で美麗の青年だった。
何者かは詳しく教えてくれなかったが、観光客ではないというのは最初から察しがついていた。
今このタイミングでイスラルアへ観光に来る馬鹿は、いない。
テロのニュースが大々的に報道された今となっては。
エイジに話した己の目的、半分は本当で半分は嘘だ。
テロリストを調べているのは事実だが、本来の目的はイスラルアへ、ある人物の足取りを追って来ていた。
失踪した悪魔遣いだ。
名をナタリー=マスカレイドという。
アナグレッド=ザグレイの一番弟子とされた人物だ。
片羽の天使――そう呼ばれていた。
ザグレイの遣い魔、アスカードは。
通り名通り、白い羽根が片方しか生えていない。
悪魔の中でも比較的珍しい、治癒能力を持っている。
ザグレイも弟子のナタリーも、主に貧しい者達を相手に商売していた。
治療と称して遣い魔の能力を使っていたのである。
それが、ある日。ナタリーは唐突に姿を消した。
仕事でトラブルがあったわけでも、生活が苦しくなったわけでもないというのに。
ジェイムズが彼女の失踪を知ったのは、ほんの偶然で。
酒の席で出てきた噂に興味を持っただけだ。
彼の記者としての勘が、失踪の裏に隠された秘密を追えと囁いてきた。
だからジェイムズは自腹で情報収集を始め、ついにナタリーの足取りをつきとめる。
それが、このイスラルアであった。
イスラルアへ立ち寄ったのを最後に、彼女の目撃情報は途絶えている。
イスラルアで何があったのか――調べていくうちに、テロリストの奇襲を知った。
まだ、TV等で大々的に報道される前のタイミングで。
テロリストの目を逃れて潜り込んだまでは良かったが、手がかりを探し回っているうちに運悪く見つかってしまう。
あとはエイジが見たとおりの状況だ。
押し問答の最中に彼が現れてくれたのは、とてもラッキーだった。
得意の早口でまくし立てて、いざという時の為に用意していた煙玉を投げつけて、一目散に逃げることが出来た。
一人だったら、ああも上手くは逃げ切れなかっただろう。
エイジの姿を思い浮かべると、胸がきゅっと甘い痛みを訴えてくる。
あの年頃にしては礼儀正しく物腰穏やかな青年であった。
少々人見知りなのか、それとも恥ずかしがり屋なのかスキンシップは苦手なようだが、そこもまた魅力の一つだ。
もう一度、会いたい。
うやむやのままに、追いかけてくるテロリストから逃れるため別れたっきりだ。
もう一度ちゃんと再会して、改めてサヨナラを言いたい。
そして願わくば彼の連絡先、メールアドレスや電話番号をゲットしたい。
月に一度、エイジに電話をかける自分を妄想しただけでジェイムズの鼻息は荒くなる。
可愛いエイジ。
細くて華奢で、強く抱きしめたら折れてしまいそうな腰つきが、たまらない。
ぐいっと溢れる涎を腕でぬぐい、延々と続きそうな妄想をジェイムズは断ち切る。
エイジとの甘い生活を夢見るのも結構だが、それよりも今、最優先して調べなければいけないのはナタリーの足取りだ。
テロリストと接触したのではないか?という懸念が、あった。
なにしろ世界でも希有な回復能力を所持する悪魔である。彼女の遣い魔は。
テロリストならずとも目をつけるだろう。
彼女が自分の意志で殺し合いに参加するとは思えないが、もし、なんらかの手段で洗脳されるなりしたら?
ありえない話ではない。
悪魔の中には、洗脳能力を持つ者もいるというし。
港には人っ子一人いなかったが、ジェイムズは構わず声をかけた。
「皆、聞いてくれ!テロリストに戦いを挑んでいる者がいる。旅行者じゃない、彼は恐らく……恐らく、悪魔遣いだ。要請か依頼を受けて、ここへ来た」
建物に隠れて息を潜めているであろう住民に、なおも呼びかける。
「俺は彼を助けたい。彼のちからになりたい。その為には君達の情報が必要だ」
ゆらり、と建物の影から人影が現れる。
「……一体、誰を助けたいんだ?」
サンダル履きに色あせたシャツ。頭にはターバンを巻いている。
イスラルアの住民で間違いない。
「名前はエイジ=ストロン。たった一人でテロリストへ戦いを挑みに来た、悪魔遣いだ」
直接本人に確認したわけじゃない。
だが観光でなく迷子でもなければ、今このタイミングでイスラルアに来る一般人なんて悪魔遣いぐらいなものだろう。
テロリストに荷担する側か、或いは討伐側か。
どちらかと言われたら、後者ではないかとジェイムズは当たりをつけた。
彼が本当に一人で乗り込んできたのかも判らない。
しかし、エイジなら仲間を巻き添えにしないのではないか?と、これはジェイムズの勝手な妄想なのだが。
「たった一人で?勝てるのか」
住民の問いに、ジェイムズは肩をすくめてみせる。
「勝算がなければ、こないだろう?」
「それもそうだな……」
相手が納得するのを見ながら、さらに話を続けた。
「彼はテロリスト撲滅のついでに人を探していた。ナタリー=マスカレイド、聞き覚えはないか?」
自分の探し人をエイジにかぶせて聞こうというのは少々気が咎める。
だが一介の雑誌記者と、街を救おうとする英雄。
どちらの立場のほうが情報を集めやすいかなんて、比べるまでもない。
微かなざわめきが、あちこちの建物から漏れる。
目の前に現れた住民にも聞き覚えがあったようで、彼は顎を引く。
「片羽の天使か」
「そうだ。誰か、彼女が此処から何処かへ行くのを見かけなかったか?」
「遣い魔の姿は見ていないが――」と言葉を発したのは、真死角から姿を見せた別の住民だ。
「ナタリーらしき女性が港へ来たのは見た覚えがある」
「本当か?」とジェイムズが問えば男は短く頷いて、地平線の彼方へ目をこらす。
「ここから行ける場所は限られている。シャリムだ。ナタリーが向かったとすれば、そこしかない」
シャリムはジェイムズも知っている。
しかし、あの街は港街ではなかったか?
砂漠を横断して海の街に出るとは、脳内に地図を思い浮かべても到底解せない。
「砂船を使って移動するんだ。悪魔なら単身でも渡れるが」
「砂船?」
聞き慣れない単語が出てきた。
首を傾げるジェイムズに住民が説明する。
シャリムは、かつて港町として栄えていたが、現在は港が封鎖されて移動手段がないとされている。
海はもちろん陸を歩いて近づいても、町の入り口が閉ざされていて入ることは叶わない。
しかし、イスラルアから砂船――砂の中を移動する潜水艦――を使えば、シャリムの町の中へ直接出入りできるのだ。
「シャリムへ行くには、ここイスラルアから行くしか手段がない。だが」
「シャリムには、何があるんだ?」
ジェイムズの問いに男が首を真横に振る。
「何もない」
「何もない、だって?」
「あぁ。だいぶ前から、あの町は廃墟同然になってしまったんだ。何故ナタリーみたいな有名人が砂船に乗ろうとしているのか疑問に思ったから、それで覚えていたのさ」
もしかしたらシャリムに難病患者がいて、それを治しに行ったのかもしれない。
そう言って、男は話を締めくくった。
「ありがとう。彼が無事に戻ってきたら是非伝えておくよ」
軽く頭を下げるジェイムズに、住民の声が被さってきた。
「エイジは、勝てると思うか?テロリストの軍団に」
「勝つよ」と応え、ぐるりとジェイムズは周囲を見渡す。
砂船は、どこにあるのだろう。
潜水艦のようなものらしいから、地中だろうか。
ジェイムズの様子から何かを悟ったか、住民が口を開く。
「事が全て終わったらエイジくんとやらを連れて、ここへ戻ってくるといい。砂船に彼を乗せてあげよう」
エイジとの再会、そしてナタリーの足取り追いが一石二鳥で重なった。
「判った。じゃあ、エイジの様子を見てくるよ。大丈夫、危なくなったら逃げるから」
ジェイムズは早足になりながら、港を後にした。


テロリストのアジトは奇襲してきた五人の悪魔遣いの手によって、壊滅を迎えていた。
影食いレトフェルスはアーシュラの手の中で絶命し、淫夢クィーンリリスはランスロットの次元分断で亜空間に取り残された。
有名な悪魔二匹がいなくなってしまっては、アジトに残るのは、ただの烏合の集団だ。
建物が全壊したおかげでラングリットはパーシェルと再会できたし、バルロッサもエイペンジェストを取り戻す。
瓦礫の山と化したアジトを踏み歩きながら、しかしエイジの顔は憂鬱に曇っていた。
単なる人捜しが目的だったのに、えらく大事に発展してしまったものだ。
明日のニュースの一面トップを飾りそうである。
社長は、きっとカンカンになって怒るだろう。
想像しただけで、うんざりした。
建物が崩壊する頃にはテロリストも散り散りに逃げてしまい、エイジ達を除けば、ここに残っているのはラダマータとハムダッドぐらいなものだ。
瓦礫に埋もれたハムダッドの側まで歩いてくると、エイジは彼に尋ねた。
「もう一度聞こう。ベルベイが今、どこにいるのか覚えはないのか?こちらはミス・ラダマータが彼女と行動を共にしていたという目撃情報を掴んでいる。だから、あなたがたがベルベイを知らないとは到底思えない」
「全く……こうも早く追っ手がかかるたぁ、アリューは読みが浅すぎるよ」と、ぼやいたのはハムダッドではない。
瓦礫に寄りかかるようにして呆けていたラダマータだった。
やはり、知っていたのだ。
知っていて隠したのは、何故だ?
エイジが問うと、ラダマータは疲れきった表情を浮かべて答えた。
「あいつと約束したんだ。刻がくるまで時間稼ぎをしてやるってね。けど、命までかけるとは聞いていなかった。もう、こんな危険な荒事は御免だよ」
瓦礫をラングリットがどかしてやると、ハムダッドも「やれやれ」と溜息をついて立ち上がる。
「我々は、とんだ道化だ。面白さを求めてやった結果が、ここまでの損失になるとはな」
「見知らぬ街を襲って住民を殺しまくるテロ行為が面白いとは、僕には思えないんだけど。あんた達は何に惹かれてアリューの手伝いをしようと思ったんだ?」
デヴィットの質問に「テロ行為なんざ、ただの煙幕に過ぎないよ」とラダマータが答える。
「煙幕?」と首を傾げる五人へ、ハムダッドも頷いた。
「そうだ。真の目的は他にある。我々は、それに興味を示して飛びついたのだ」
「アリューは何を企んでいたんですか」と尋ねるカゲロウへは、ラダマータが吐き捨てる。
「魔界の扉を開ける。あいつは、悪魔が人間界へ自由自在に渡れるようにしたいと言っていた」
「魔界の……」「……扉!?」
言われた意味が、すぐには理解できず、五人は顔を見合わせる。
「つまり、それは……ランスロットの次元移動みたいなもん?」
戸惑いのデヴィットに「違う」と否定し、ラダマータは訂正する。
「次元分断は、すぐ閉じちまうだろ。それに、その能力を持つ奴がいなければ次元も開けない。アリューは人間界に繋がる扉を開けっ放しにして、どんな悪魔でも人間界へ来られるようにしたいのさ」
悪魔が自由に人間界へ来られるようになってしまっては、酷い混乱が起きる。
野良悪魔の被害が、これまで以上に激増する。
今いる悪魔遣いだけでは対処できなくなるほどに。
「アリューは、悪魔遣いと悪魔の関係が不自然だと言っていた。悪魔遣いは悪魔を呼び出せるのに、悪魔が人間を連れていけないのは不公平だと。魔界と人間界を行き来できるようになれば、人間界にも新しい風が吹き荒れる。新しいビジネスも生まれる。退屈な人間界が、百八十度変わるだろう……そう言っていたんだ」
確かに世界は変化するだろうが、その変化は、けして人間にとって良い方向には動くまい。
退屈さを捨てて好奇心を求めたとラダマータは言っているが、その先にあるのは身の破滅だ。
「命を捨てた囮どころの危機じゃないでしょう、これは。それが判らない貴方たちでもないでしょうに」
カゲロウの咎める視線から逃れるように目をそらすと、ラダマータはポツリと言い訳する。
「アリューが言ったんだよ。渡ってきた悪魔達を自分が制御するって。制御できるなら怖いことなんて何もないだろ?一度ぐらいは魔界へ行ってみたかったしね」
「制御できそうだったの?アリューは、他の悪魔達を」と、これはバルロッサの質問に。
「奴の能力は洗脳だ。これほど他者への制御に向いた能力もあるまい」
ハムダッドが答え、しばしの沈黙が訪れる。
やがて口を開いたのはデヴィットで、彼は何度も首を振りながら呟いた。
「悪魔が……魔界へ、人間をつれていく……ねぇ?アリューはベルベイを魔界へ連れて行きたかったのかな」
「しかし」と難色を示したのはエイジで、眉間に皺を寄せて反論する。
「魔界には瘴気があると言われている。人間は魔界では暮らしていけないぞ」
「そうです、それに……扉が常に開いていては、瘴気も人間界へ入ってきてしまう。人類が滅亡する可能性だって」
言いかけて、カゲロウはハッとなる。
もしや、自分の予感が正しければ。
アリューの目的は人間と悪魔の交流なんかじゃない。
本気で魔界の扉を開こうとしているのなら、瘴気の問題だってアリューも気づいていたはずだ。
「急ぎましょう!奴を、アリューを一刻でも早く止めなければ」
急に焦りだしたカゲロウを見つめ、先輩諸氏はポカンとしている。
「でも魔界の扉を開くったって、どうやって?次元分断能力でもない限り、次元の道は造れないんじゃぁ」
「そうよね」とデヴィットの言葉に頷いたバルロッサが、再度ハムダッドへ尋ねた。
「アリューは、そこらへんも何か言っていなかったの?というか、彼は今どこにいるの」
「奴は今、シャリムにいる」と答え、一旦ハムダッドは口をつぐむ。
しばらくしてから、付け足した。
「……方法はあると言っていた。自分では開けなくても、開ける者を知っていると。或いはもう、開ける者を手中に収めているのかもしれん」
なおのこと、急がなければ。
急かしてくるカゲロウを軽くスルーして、デヴィットが仲間に尋ねた。
「シャリムって、どこだっけ?」
「嫌ぁねぇ、デヴィット。あなたもベテランを気取っているなら、地理ぐらい把握しておきなさいよ」
「港町だ。いや、元港町とでも言うべきか?小さい港町だよ、観光名所も何もない」
ラングリットとバルロッサ両名に突っ込まれ、デヴィットは声が裏返る。
「港町ィ?砂漠の次は海の幸か。えっ、でも、ここからだと、かなり遠くないか?」
「言われてみれば、そうね」とバルロッサも首を傾げ、ラングリットに確認を取った。
「私の記憶と、あなたの脳内地図が同じなら、シャリムは海岸沿いの町だったわよね」
「あぁ、間違いなく、な。しっかし何で廃港なんかに?身を隠すにしたって海沿いはねぇだろ。しかも廃港じゃ逃げ場もねぇ」
不意に誰かに名前を呼ばれたような気がして、エイジは振り返る。
「…………エイジ〜〜!エイジ〜〜!いるなら返事してくれ、我が愛しのエイジィィ〜〜〜!」
だんだんと近づいてきた声の主を肉眼で捉え、ぎょっとなった。
あのヒゲヅラには、よぉく見覚えがある。
それも、あまり良くない記憶のオマケつきで。
「誰だい?」と他の皆も気づいて、声の方向へ目をこらす。
「我が愛しのエイジって何なの?図々しいわねぇ」
そこに突っ込むのか。
エイジが内心オタオタしているうちに、ジェイムズが駆け寄ってくるや否やエイジに抱きついてくるもんだから。
「ちょ、ちょっと!何なの、あなた!誰の許可を得てエイジに抱きついているのよ!」
「全くだ、僕のエイジに馴れ馴れしく触るのはNG行為だよ。いっぺん地獄を見てもらわないとねぇ」
場は一気に騒然とした。