Devil Master Limited

2-7.鋼鉄のランスロット

デヴィットとラングリット、そしてカゲロウの三人は大通りに出てすぐ手近な建物の影へ転がり込む。
悪魔の気配を感じる場所がある。
一番大きな建物、役所の中だ。
役所はテロリストに占拠されたと見ていいだろう。
パーシェルが囚われているのも、きっとそこだ。
「さて……問題は、どうやって入り込むか、だね」
ポツリと呟くデヴィットに、傍らで座り込んだカゲロウが案を唱える。
「奇襲をかけるしかないでしょう。あの中が悪魔遣いだらけだと考えると、どう忍び込もうと見つかります」
「アーシュラ一人で奇襲かぁ」
難しい顔をして、デヴィットは腕を組む。
「手数が厳しいな。せめて、もう一人いてくれりゃ攻撃がバラけて戦いやすくなるんだけど」
そうは言ってもバルロッサもエイジも連絡が取れないのだ。
ここはアーシュラ一人に頑張ってもらうしかない。
「お前の遣い魔は百匹斬りをやってのけたんだろ?その時の調子で踏ん張ってもらえよ」
脳天気なラングに「あの時とは状況が違いすぎるよ」と、まだブツブツ文句を言っていたデヴィットだが、やがて諦めたかして小さく呪文を唱え始めた。
だが、黒い煙が出現するより早く『大変です、大変なんですぅぅー!』と三人の脳裏に直接響くキンキン声が割り込んできて。
思わず「うわっ!」と呪文を途切れさせてしまったデヴィットの目前に、にゅっと鎧甲冑が姿を現した。
何処から?勿論、決まっている。
デヴィットの目の前、何もない空間を切り裂いて。
「ちょ、ちょっとマズイですよ!ここから離れないと!!」
予想外の悪魔出現には、カゲロウも泡を食ってランスロットに命じる。
「何処でもいい!今すぐ空間を開いて、僕達をつれて、ここを離れるんです!早く!!」
『でも、でも、エイジ様が!エイジ様がぁっ!』
鎧からこぼれ出る声は涙で湿っている。
エイジに良からぬ緊急事態が起きたのは、デヴィットにもラングリットにも把握できた。
が、ここでじっくり話を聞く暇がない。
これだけ巨大な魔力が出現してしまっては、テロリストに気づかれない訳がない。
「いいから早く、空間を開け!」とラングもランスロットに怒鳴った。
「そこでたっぷり、お前の話を聞いてやるッ」
アーシュラを呼び出す前に駆けつけられては、危険だ。
ランスロット一人では対応しきれないだろう。
使役できるマスターが不在では、こいつだって本調子が出まい。
『わ、判りました!』
ぐすんっと鼻をすすりつつ、ランスロットが槍を一回転させる。
何もない場所がパクリと丸く開かれて、黒い入り口を覗かせた。
『さぁ、早く中へ』
悪魔に言われるがまま悪魔遣いの三人が空間に入り込むと、黒い穴は、すぅっと大気に溶け込むようにして消えた。

表通りにランスロットが出現した瞬間、ハムダッドが「むっ?」と小さく呟き立ち上がる。
「どうしたの?」と尋ねるラダマータへは、低く答えた。
「今一瞬、悪魔の気配が表に現れた」
「そう?」
彼女には感じられなかったようで、ラダマータは髪をかき上げると、ぽつりと言い返した。
「仲間の誰かじゃないのかい?」
「……それならば、よいが」
浮かぬ顔で、ハムダッドは椅子に腰掛けなおす。
エイジを無傷で捕まえた。
それはよいのだが、奴が一度も悪魔を召喚しなかった事がハムダッドの心に引っかかっていた。
エイジ=ストロンの噂は聞き及んでいる。
メディアには注目されていないが、悪魔遣いの間では有名な存在だ。
脅威の悪魔を使役する男として。
空間を切り開く――これまで自力で空間移動の出来る悪魔は、一度も遣い魔として選ばれていない。
強すぎるのだ。
物理的な強さであれば、同じく物理的な力で封じ込めることが可能だ。
空間をどうにかするなんてのは、人間には到底出来ない行為である。
使役しきれないのではないか?という疑問視や危惧は、繰り返し討論されてきた。
だが、エイジは完璧に悪魔を使いこなしているという。
一体どのような手口で悪魔を手なづけたのか、ハムダッドは大いに好奇心をそそられた。
それが今日、目の前で見られたかもしれないのに、彼は悪魔を召喚しなかった。
何故だ?
己の身に危険が迫るとなれば、使役悪魔を呼び出すのが悪魔遣いではないのか。
それとも危険だとは、思わなかったのか?
テロリストと会って、話をする程度なら大丈夫だと高を括った?
馬鹿な。そんな甘っちょろい考えでは、いずれ命を落とすだろう。
エイジは今、意識を失った状態だ。
クィーンリリスの淫夢にかかり、夢の中に幽閉されている。
放り出しておくわけにもいかないので部屋に寝かせてあるが、誰もちょっかいをかけぬよう扉は施錠しておいた。
鎧甲冑を使役するというぐらいだから、もっとごつい容姿を想像していたのだが、エイジはハムダッドの想像と異なり華奢で綺麗な顔をしていた。
いかにも女が好みそうな美青年だ。
傍らのラダマータをちらりと一瞥し、ハムダッドは小さく溜息をつく。
先ほどの一瞬現れた悪魔の気配。
すぐに消えてしまったが、かなり強大な魔力だった。
あれほどの魔力を持つ悪魔が、果たして仲間にいたかどうか。
ラダマータは、本当に何も感じなかったのか。
あれに気づかないってのは頭の中が先ほど捕えた男の事で、いっぱいになっていたんじゃないのか。
視線に気づいたラダマータが「何よ?」と尋ねてくるのへは無言で首を真横に振ると、ハムダッドも己の思考に没頭した。
鋼鉄のランスロットは必ずやってくる。
マスターを助ける為に。
油断は禁物だ。あとで一度、エイジの様子を見てこよう。

ランスロットの切り開いた亜空間で、ひとまず三人は話を促す。
「それで?君が単独で現れるってことは」
デヴィットの問いを遮る勢いで、ランスロットが叫ぶ。
『連絡が取れないんです!ずっと念じているのに返事をして下さらないんですよぅっ』
「意識がないのか?」とは、ラングリット。
デヴィットも「囚われの身になった可能性が高いね」と相づちを打った。
「しかし何故」と疑問を吐き出したのは、カゲロウだ。
「何故、エイジさんはランスロットを呼び出さなかったんでしょう?」
ラングリットは思案顔で黙り込み、デヴィットが予想を唱える。
「必要がないと踏んだんじゃないか?戦うつもりがなかった、とか」
「けど結果的に戦いになって捕まった……?しかし、それならランスロットを呼ぶ暇もあったはずです」
ちらっとランスロットを見て、確かめた。
「君はエイジさんに念じられれば、すぐに出て来られるんでしょう?」
『当然です!』と悪魔は胸を張り『エイジ様の危機とあらば、私はすぐにでも馳せ参じます!』と言い切った。
ランスロットを呼び出すのに、呪文はいらないと言っているも同然だ。
なにしろ、この悪魔は自力で空間移動が出来るのだからして。
『この街に来てからエイジ様が私に話しかけてくれることは全くなくて……それで私、心配になって念を送ったんです。でも全く返事がなくて、それで』
エイジの気配を辿って空間を移動していったら、あの場所に出たというのである。
あの建物の中にエイジがいるのか?というデヴィットの問いに、ランスロットは迷わず頷いた。
『います!絶対ッ。私がエイジ様の気配を間違えるなど、ありえません!!』
遣い魔の言い分だ。信用していいだろう。
となると、エイジは単身テロリストのアジトに乗り込んでいった事になる。
何故カゲロウの言うとおり、エイジはランスロットを呼び出さなかったのか。
戦いを予期していなかったとしても、戦いになれば呼び出す暇も充分にあったはずだ。
「……そんな暇もない相手だとしたら?」と言ったのはラングリットだ。
デヴィットに目をやると、彼も同じ考えに行き着いたのか頷いた。
「クィーンリリスか。ラダマータが、あそこにいるんだな」
「いきなり大物との対決ですか。えっ、そうするとエイジさんは淫夢の虜に?」
先輩二人は頷き「エイジは戦った事がないんだろ?サッキュバスと」とデヴィットが肩をすくめる。
「そうですが、しかし淫夢というのは相手が寝ていないと効果ないのでは」
カゲロウの疑問に答えたのは、ラングリットだ。
「クィーンリリスが、その程度の淫魔だったら業界で有名になりゃあしないぜ。あれは起きている奴にも夢を仕掛けられるんだ。TVでは実力を隠していやがったがな」
「そんな悪魔だったんですか……全然知りませんでした」
絶句するカゲロウの肩をポンポンと気安く叩き、デヴィットが慰める。
「君お得意のモバイルで検索しても出てこない極秘業界情報さ。エイジが油断をつかれたとしても無理ないね」
それに、と付け足して苦い表情を浮かべた。
「エイジに教えておかなかった、これは僕達のミスでもある」
ぐすっぐすっと再び泣き出した鎧甲冑を一瞥し、デヴィットは二人と相談する。
「当初の予定通り奇襲をかけるのは難しくなったな。エイジを人質に取られる可能性が高い」
「あぁ、間違いなく人質に取られるだろうよ。なんとかしてエイジを取り返さねぇと」
ラングリットも腕組みをして真っ暗な空間を睨みつける。
パーシェルだけ助ければ良かったところ、救出対象が二人に増えてしまった。
おまけに淫夢を仕掛けられたとあっては、エイジを目覚めさせる方法も考えないといけない。
「助けたとして、解けるのかな……?クィーンリリスの淫夢は強力だって噂だけど」
不穏なことを言うデヴィットに、ランスロットが涙声で突っかかる。
『やめてください!エイジ様が寝たきりになるなんて、私、私、耐えられません!!』
俯いて考え事をしていたカゲロウが、顔をあげた。
「……僕のパーミリオンなら、いけるかもしれません」
「パーミリオンが?どういう事だい」とデヴィットに促され、カゲロウは己の作戦を披露した。
「お忘れですか?パーミリオンの能力は潜水です。他人の意識にも潜り込める。ランスロットの空間移動でエイジさんに近づき、パーミリオンの潜水で彼の意識層に潜り込めれば淫夢からの解放も出来るはずです」
「そう簡単に近づけるかな?」とデヴィットは半信半疑だったが、ラングリットが案に乗ってきた。
「だが、他に方法がねぇ。正面切って奇襲すればエイジの命がやばくなるし、忍び込むにしたって向こうは悪魔の巣窟だ。空間を切り開いて一気にショートカットで近づいて、亜空間を抜けて戻ってくる。これしかねぇだろ!」
うーんと唸ってから、デヴィットもカゲロウの案で妥協した。
「そうするしかないか……僕達だけじゃエイジとパーシェル二人を助けるにも手駒が足りないしね。そうだな、エイジの眠りを覚ますのは亜空間でやってくれ。ここは、どこも安全じゃないからな」
もし起こせなかったら?
その時はアジトを強襲してラダマータを引きずり出してでも、起こさせるしかない。
アーシュラが殴れば、サッキュバスなんか一撃で倒せるはずだ。
勿論殺さない程度に殴りつけるつもりだが。
「その間、俺達はどうする?」とラングリットが聞いてくるのへは、カゲロウが提案する。
「一旦、工場地帯へ身を隠しましょう」
「それだったら、もっといい場所を見つけたよ」と待ったをかけたのは、デヴィットだ。
「偶然見つけたんだけどね。見たら君達も、きっと驚くぜ?この街には波止場があるんだ」
「ハァ?」とラングリットが首を傾げ、カゲロウもポカンとする。
「波止場?砂漠に、ですか?」
「そうさ」
デヴィットは立ち上がり、ランスロットへ命じた。
「悪いけど、僕達を一旦大通りから離れた場所へ出してくれるかい。その後は迅速にエイジ救出劇の始まりだ」
「あ、その前に」とカゲロウが詠唱に入る。
黒い空間で、むくむくと影が動き、パーミリオンが姿を現した。
「いいか、パーミリオン。僕達と別れたら、ランスロットと共にエイジさんを助けに行くんだ」
あるじに命じられ、パーミリオンは無言で頷いた。
相変わらず口数の少ない悪魔である。
「現場での判断は、お前に任せる。最善を尽くせ」
再びこくんと頷くと、パーミリオンはランスロットを見た。
ランスロットもパーミリオンを見つめ、頷いてみせる。
組むのは初めての相手だが、四の五の言っていられない。
エイジの命がかかっているとあらば。
『では、ついてきてください。一旦大通りを離れます』
ふわりと鎧甲冑が宙に舞って、奥へ奥へと飛んでいく。
前をいくランスロットを追いかけて、上も下もない空間を三人も走り出した。

悪魔遣い達三名を住居区へ放り出してから、ランスロットは再び空間を渡って大通りの手前まで戻ってくる。
『――では、別の空間を開きます。準備は宜しいですか?』
パーミリオンへ尋ねると、少女のなりをした悪魔は短く答えた。
『結構よ。始めて』
素っ気ない言い方には多少困惑したが、ランスロットは槍を構える。
『判りました、では』
ぐるりと円を描くように槍を回すと、空間が丸く切り開かれる。
真っ暗な場所を歩いていった先でランスロットが再び空間を切り裂き、表に出た。
『――エイジ様ッ』
出たと同時に主を見つけ、ランスロットが小さく叫ぶ。
エイジはベッドに寝かされていた。
瞼を閉じて静かな寝息を立てている。
『エイジ様、起きて下さい!』と揺さぶろうとするランスロットを止めたのは、パーミリオン。
『ここではなく亜空間で、やって。すぐに人が来る』
扉を隔てて遠くのほうから「何だ!?でかい気配が」という誰かの叫び声や、複数の足音が聞こえてきた。
悪魔の気配に気づいたテロリスト達が、この部屋へ向かってきている。
『あっ、そ、そうでしたね』
慌ててランスロットはエイジを抱き上げ、まだ開いていた空間の隙間へ入ると、入り口を手で撫でて閉じておく。
二人の悪魔が消えた直後、テロリスト達が扉を開けて部屋へ転がり込んできた。
間一髪であった。
『――ふぅっ』
ぺたんと座り込んだランスロットが、エイジをゆさゆさ揺さぶる。
『エイジ様、エイジ様、起きて下さい!』
どんなに激しく揺さぶろうともエイジの起きる気配はない。
無言で眺めていたパーミリオンが、口を開いた。
『やはり潜らないと駄目みたいね。いきましょう、彼の最深層まで』
『最深層?』とランスロットが問い返す。
パーミリオンは頷き、ランスロットの膝の上で横たわるエイジを見下ろした。
『淫魔は心の奥、最深層にまで入り込んで夢を見せる。彼を起こすには、心の中に入り込んだ淫魔を追い払うしかない。私の能力なら、あなたを連れて彼の心の中へ入り込める。彼を起こすのは、あなたの役目。あなたが彼に呼びかけて、目を覚まさせるの』
『わ、判りました』
自信なさげに頷くランスロットを見、パーミリオンは小さく付け足した。
『でも、気をつけて。彼を下手に刺激すると、私達に敵意を持つかもしれない』
『敵意?敵意ですって?エイジ様が、私に?』
ありえない。エイジがランスロットに敵意を持つなど。
どんな事があったって穏やかで遣い魔に優しく労りをもって接してくれる最高のご主人様なのだ、エイジは。
パーミリオンはランスロットの抗議の声も無視して、淡々と続けた。
『最深層は彼の本音が隠された場所。誰にも見せたことのない、彼の本音が。そこへ近づくのは、彼の防衛本能が許さない。たとえ誰であろうとも。だから私達は、極力彼の本能を刺激しないようにしないといけない。彼の意思に逆らったり、無視したり、叫んだり怒鳴ったりするのは厳禁……判った?』
『は、はぁ……』
まだ納得のいかないランスロットではあったが、ここで言い合うのは時間の無駄だ。
こうしている間にもエイジの本能とやらが淫らな夢に囚われているかと思うと、気が気ではない。
何度もいうが、エイジにはイヤラシイ妄想をして欲しくないのだ。
いつまでも純粋なご主人様でいてくれないと、こちらまで血迷った真似をしてしまいかねない。
『いきましょう』
パーミリオンが手を伸ばし、エイジの体に触れる。
ずぶずぶとエイジの中へ入り込む手を見てランスロットは『ヒッ!』と悲鳴をあげるも、片腕をパーミリオンに掴まれて、たたらを踏む。
『ちょ、ちょっと一体何を』
『黙って』
有無を言わせぬ視線と口調に、口を閉ざしたランスロットはパーミリオンに引きずられるようにして、エイジの中へ吸い込まれていった。


最初は真っ白な空間が、どこまでも広がっているように感じた。
白い霧が徐々に晴れていくと、今度は周りにレトルトカレーやらヒゲヅラの男やら、分厚い書物などがプカプカ浮いているのに気づく。
『これは……』
驚くランスロットに、パーミリオンが簡潔に説明する。
『彼の記憶ね。つい最近見た物や食べた物が記憶されている。最深層は、もっと奥。ついてきて』
下へ下へと潜っていく彼女を追いかけ、ランスロットも下へ潜ってゆく。
途中でパーミリオンがランスロットを振り返り、ぽつりと命じた。
『脱いで』
『えっ?』
『脱ぐの、鎧を』
『し、しかし』
ぐずぐずしていると黒い手が伸びてきて、ランスロットの鎧に巻き付いてきた。
『あっ!』と叫んだ瞬間には手元の槍、そして鎧甲冑までもが跡形もなく消滅し、裸のランスロットが残される。
『きゃあ!ど、どうして裸……っ』
誰が見ているというでもなしパーミリオンの前で体を隠そうとするランスロットだが、パーミリオンは白けた表情で相方を見、反論を許さぬ口調で締めた。
『言ったでしょ?敵意を持たせないようにすると。あなたの鎧と槍は邪魔。説得に武具は必要ない』
『あ、あぅぅ』
それは判るが、いくらなんでも素っ裸は恥ずかしい。
赤面するランスロットを一瞥すると、パーミリオンは自身も服を脱いで裸になる。
『服を着ているかどうかなんて、ここでは大した問題じゃない。けれど……あなただけ裸が恥ずかしいと言うなら、私も裸になる。これでいい?』
いいとか悪いとかといった問題ではなかったのだが、せっかく相手が気を遣ってくれたのだ。
無下にするのも気がひける。
ランスロットは渋々妥協し、頷いた。
『あ、ありがとう……ございます』
返事はなく、どんどん下降していくパーミリオンを追いかける。
やがて最下層と思わしき広い地面が見えてくると、二人はそこでエイジを見つけた。
――エイジ様!
叫びそうになり、咄嗟にランスロットは自分で自分の口を塞ぐ。
刺激するな、大声を出すなと言われたばかりだ。
エイジは一人ではなかった。
彼の上に、誰かがまたがっている。
上に乗った人物が激しく腰をふり、そのつどエイジが切ない吐息を口から吐き出す。
息も絶え絶えに「ランス、ロット」と名を呼んだ。
『え、はい?』と返事をしてから、ランスロットはエイジの上に乗っかる人物を見て驚いた。
自分だ。
まごう事なき、女の擬態をした自分が素っ裸でエイジの上に跨っている。
いやいや、自分は一人しかいない。
今こうして驚いている己こそが、エイジの遣い魔ランスロット本人である。
では、自分とうり二つのコイツは誰だ!?
こいつが淫魔というやつなのか。
パーミリオンが言う。
『あれは彼の創り出した幻』
幻?では、実体ではないのだろうか。
エイジも偽ランスロットも全身に汗をかいている。
どちらも頬を上気させていた。
偽自分の尻はエイジの股間に押し当てられ、上の奴が動くたびにエイジも体を揺すって反応している、ように見える。
『淫魔は、きっかけを与えるだけ。相手を創造するのは、夢を見る本人。彼は、あなたとセックスがしたかったのね』
『ブッフォォ!!』
まさかパーミリオンのくちからセックスなんて単語が出るとは思わず、ランスロットは思いっきり咽せ込んだ。
それ以前に今なんと言った、この相棒は。
エイジがランスロットとセックス、すなわち性行為をしたがっていただって?
そんな馬鹿な。
あれだけ悪魔と人間とでは愛し合えないと説教に説教を重ねてきたのに、エイジが全然学習していなかったとでも?
ランスロットの動揺を、どのように受け取ったのかは判らないが、パーミリオンがフォローを入れてくる。
『安心して。あれはクィーンリリスではないわ。本体は何処かに潜んで、あれを操っている』
『いや、その、えっと、え、エイジ様はアレとセッセセセ、セックス、していると?』
セックスと言葉にするだけでも、ランスロットの頬は赤く染まってしまう。
『えぇ』
あっさり肯定し、パーミリオンが指で示す。
偽自分の尻とエイジの股間が、ちょうど重なる部分を。
『結合しているわ。近くで見てみる?』
『けけけ、結構ですっ』
ブンブンと首を猛烈な勢いで振って拒絶しておきながら、ランスロットの心に生まれたのは別の感情であった。
ずるい。
エイジ様と結合するのは、私だけの特権なのに――!
自分の中に生まれた新たな感情に気づき、ランスロットはハッとなる。
同時に、狼狽えもした。
何だ、今の感情は。
そんなの、思っちゃいけない。考えるだけでも罪深い。
悪魔と悪魔遣いは必要以上に仲良くなっちゃ駄目だと、何度自分にも言い聞かせてきたと思っているのだ。
『このまま放っておいたら、彼は完全に自分の生み出した幻と融合してしまう。そうなる前に幻を追い出さないと』
ポツリと呟いたパーミリオンの一言が、ランスロットを混乱から救い出す。
『融合?どういうことですか』
『夢から永遠に覚めなくなる、ということよ。急いで。彼が目を覚ませば、クィーンリリスも幻ごと追い出せる』
と言われても。
何をどうすれば、エイジの目を覚ますきっかけになるというのか。
困惑のランスロットがパーミリオンへ視線でSOSを送ると、彼女はこくりと頷いた。
『呼びかけて。彼の心に。あなたの本当の気持ちを、彼に伝えて』
『本当の、気持ち?』
意味が判らず首を傾げるランスロットに、重ねてパーミリオンが言う。
『彼は、あなたの本当の気持ちが知りたいの。彼の気持ちは、この行為を見ても判るわね?あなたが好き。あなたが欲しい。だから今度は、あなたが答える番。あなたは、彼をどう思っているの?正直に伝えてあげて』
告白大会をしろと言われているのだと、ようやく理解したランスロットは、またしてもポッポと赤くなる。
『恥ずかしいなら』とパーミリオンが提案する。
『私は、向こうを向いているわ』
『い、いえ、その、それは、そのぅ』
煮え切らないランスロットの背中を押したのはパーミリオンの更なる説得ではなく、偽の自分に愛を囁くエイジの一言であった。
「あ、はぁ……ッ、ランスロット、もっと強く、強く締め付けてくれ……ッ」
『うふふ、エイジ様ったら好き者ですこと』と偽自分がイヤラシイ笑顔を浮かべ、両足でエイジの体を挟み込む。
ご希望通り何かが締めつけられているのか「ん、くっ!」と体を震わせ、エイジが偽ランスロットを抱き寄せる。
「あぁ、ランスロット、好きだ、お前を愛しているっ、だから、ずっとこうして」
肌は汗ばみ頬を上気させ目は半分虚ろになりながらも、偽ランスロットの唇にむしゃぶりつく。
ちゅくちゅく、と口の中で唾を混ぜ合わせ、唇を離した偽者がエイジに微笑みかけた。
『ん、はァ、エイジ様、私も永遠に、あなたとこうしていたいですわ』
――と、そこまで見るのが本物の限界で。
『んんん、なぁ〜〜にをやっているんですか、私のエイジ様に対して!』
ぶっつんとランスロットの中で何かが勢いよく弾けて、切れ飛んだ。
パーミリオンが注意を促す暇もあらば本物の平手打ちが唸りをあげて偽者の頬をクリーンヒットし、エイジの上から転がり落とす。
『エイジ様がキスしていいのは私だけです!!失せなさいッ、この痴れ者がぁッ!』
体勢を立て直す前に追い打ちキックが綺麗に決まり、幻は『グッハァ!』と呻いて脇腹を押さえる。
「んあッ、はぁ、はぁ……、ラ、ランスロット……?」
急に上から愛する者がいなくなり、エイジが手を伸ばしてランスロットを求める。
その手をぎゅっと握りしめ、本物のランスロットが呼びかけた。
『さぁ、もう起きて下さいエイジ様。ねんねの時間は終了ですよ!』
「ランスロット……」
汗だくのエイジが、ぽつりと名を呼び、問いかける。
「お前は、本当は、俺をどう思って」
手を握ったまま、しかしランスロットは答えをはぐらかす。
『そのお話は後でやりましょう。敵地にいるんです、今は任務を続行させましょう』
起き上がらせようとしても、エイジは身を起こそうとしない。
悲しげに瞼を閉じると、聞こえるか否かの小さな声で呟いた。
「そうか……やはり、こんな時でも、お前は俺に何も答えては、くれないんだな……」
ざわり、と辺りの空気が変わったのを肌で感じたパーミリオンが『駄目よ、彼の問いを無視しては駄目!』と叫ぶも一歩遅く、ボコボコと地面が沸騰し、ぴしゃんと熱い液体を顔に浴びて『あつっ!?』とランスロットは悲鳴をあげた。
そんな馬鹿な。
ここはエイジの最深層、心の中だったはず。
エイジがランスロットに攻撃を仕掛けてくるなんて!
地面から無数の触手が生えてくる。
触手はエイジの体を包み込み、二人の手が届かぬようにしてしまった。
『敵意を持たせては駄目と言ったはずよ』
ふわりと浮遊し、パーミリオンが傍らのランスロットを叱咤する。
呆然としていたランスロットも宙に浮かぶと『す……すみません』と素直に謝った。
あの触手はエイジの心の壁か。
我が主は心を閉ざしてしまったのだ。
『どうしましょう』
地面は今やグツグツと煮えたぎっており時折マグマの如く、ごぽっごぽと泡立っている。
エイジを包んだ触手は、煮えたぎる地面の上に浮かんでいた。
マグマに根を下ろした巨大な花のように。
『どうもこうもないわ。触手を引きちぎってでも彼を取り出して、先ほどの問いに答えてあげるのね』
『す……素手で!?』
頬にはねた液体は熱かった。
きっと触手も熱々に違いない。液体の中から生えてきた物だから。
やはり槍は必要だったんじゃないかと文句を言おうとしたがパーミリオンを見た瞬間、ランスロットは慌てて視線を明後日に逃す。
彼女は怒っていた。
殺気走った瞳と目があった刹那、ランスロットは自分がパーミリオンに殺されるんじゃないかと思ったぐらいだ。
だが、彼女が怒るのは当然だろう。
こうなったのは、なにもかも自分のせいだ。
『大丈夫よ』とパーミリオンが気休めを言う。
『熱いと感じるのも幻だから。あなたが真に彼を助けたいと願うなら、熱さは大した障害じゃない』
つっけんどんな物言いであったが、一応アドバイスをくれたのだ。
まだ撤回のチャンスはある。
『い……いきますっ!』
ランスロットは意を決し、触手の元へ勢いよく突っ込んだ。
熱い!
熱い熱い熱い熱い、熱いではないかっ!!
まさに身を焦がす熱さだ。
実際ぶすぶすと己の身は熱さに焦げて、黒い煙を吐き出している。
このまま燃え尽きてしまっては、何のために救出に来たのか判らなくなってしまう。
『え、エイジ様ぁっ、ごめんなさい!』
たまらず、ランスロットは謝っていた。
触手に包まれたエイジへ向かって、何度も頭を下げた。
『私、どうしても恥ずかしくって、素直になれなくて……!で、でも、今なら言えます!言っちゃいますぅ!!』
ぐっと触手に掴みかかり、思いっきり引っ張った。
どんなに力を入れて引っ張っても、切れる気配が全くない。
熱さが皮膚を通り越し、すでに掌の感覚はなくなっていたが、それでも夢中で触手を引っ張り続けた。
『私ッ!エイジ様が好きです、大好きです!愛していると言ってもいいでしょう!!老人達なんか、どうだっていい!種族が違っても構いません!私は永遠に、あなただけの物ですエイジ様ァァ!!』
最後のほうは、ほとんど悲鳴だった。
全身の感覚がなくなっていく。
自分の体が灰になり、さらさらと崩れていくのをランスロットは見たような気がした。
この熱さはエイジの怒りだ。
灰になるということは、エイジは許してくれなかったのだろうか?
でも、いい。
自分の気持ちは伝えたのだ。
あとをどう取るかはエイジの自由だ――
己の全てが灰になり、ランスロットは意識を失った。