Devil Master Limited

1-7.父親

ラングリットが調達してきた車は、六人乗りの大型自動車だった。
分厚いタイヤが特徴の、オフロードを走るに適した車である。
「これはまた、無粋なスタイルだねぇ」
さっそく文句をつけてきたデヴィットに、ラングリットは苦笑する。
「だが山道を走るなら、これが一番安定している」
さっさと運転席へ乗り込むと、エンジンキーを差し込んだ。
「荷物は全部積み込んだわよ」
後部座席は荷物の山だ。
それでもバルロッサら三人が乗るには、充分なスペースが空いている。
エイジは助手席に座りシートベルトを締めると、ナビを見やすい位置に固定した。
「道はどうする?どのルートでいくんだ」
「山道以外にいけるルートがあるんだったら歓迎したいね」
山道以外にも行けるルートがないことはない。
ただ、その道は、えらく遠回りになる。
エイジは少し逡巡した後、近道を選んだ。
すなわち、山道を通るルートを。

ビル街を抜けると、しばらくは平坦な一本道が続く。
「貴族ってなぁ、煙と一緒だな。やたら高いところに住みたがる」
一本道では誰もがスピードを出したがるものだが、ラングリットは規定速度を守った安全運転を保っていた。
これならカーブの多い山道に入っても、無茶をすまい。
「なぁ、音楽かけてくれよ」
エイジがラジオのチューニングを併せると、軽快な音楽が流れてきた。
後部座席からは、早くもビリッとお菓子の袋を破る音がする。
「ちょっとデヴィット、お菓子のくずをこっちにこぼさないでよ!」
バルロッサの悲鳴も聞こえてきたが、エイジは聞こえなかったふりをした。
「高いところが好きなんじゃない。外敵が多いから仕方なく高地へ避難したんだ」
「外敵?そういやジェイも言っていたが、貴族の敵って何なんだ」
ラングリットに尋ねられ、窓の外を眺めながらエイジは答えた。
「金に目のくらんだ自称遠い親戚、役人。強盗や押し売り。それから商売敵や恨みを持つ者の放った刺客に狙われることもある」
一瞬の絶句。
しばらくして、ラングリットがポツリと漏らす。
「……敵が多いんだな、貴族ってなぁ」
「全部、身に余る金のせいさ」
振り返って答えると、エイジは再び窓の外へ視線を逃す。
「大金だけ持っていても、人は幸せになれない。人生を明るくする何かをプラスしなければ」
「なんだ、えらい感傷的じゃないか。出がけに何かあったのか?」
ラングリットに突っ込まれ、エイジはドキリとする。
だが今度は彼を見ようともせず、素っ気なく答えた。
「余計な詮索は無用だ」
「へいへい」とラングもそれ以上突っ込もうとはせず、運転に集中する。
それにしても――がさつなように見えて、ラングリットには意外と洞察力があるものだ。
出がけに起きた出来事を思い出し、エイジは少し憂鬱になる。
いつもなら、おはようの挨拶をしてくれるランスロットが、今朝はしてくれなかったのだ。
正確に言うと、夕べのうちから遣い魔は機嫌が悪かった。
夜遅くまで啜り泣きと詛いの言葉が、ランスロットの部屋から聞こえ漏れてきた。
一晩明ければ機嫌もなおるかと思えば、全然直っておらず。
朝食を取っている間も恨みがましくチラチラとエイジを見ては、深い溜息をつく。
どうも非は此方にあるようなのだが、その非がなんなのかエイジには、とんと思い当たる節がない。
気まずい朝食を終え、出かける時間になってもランスロットは見送りすらしてくれなかった。
こんな状態で依頼を始めるのは気が引けたが、一人だけ休むわけにもいかない。
まぁ、どうせ今日はベルベイの父親に会うだけだ。
ランスロットの協力は必要ない。
景色が草原から森林に変わる。道も平坦から上り坂になってきた。
後部座席をミラーで一瞥し、ラングリットが声をかける。
「さて、こっからが難関だ。一応安全運転でいくが、やばくなったら声をかけてくれよ」
「やばくなるって?」と聞き返すバルロッサに、ラングは答えた。
「だから、ゲロ吐きたくなったら言ってくれってんだよ。脇に止めてやるから。この車、一応借り物なんでな」
「へぇー、そうだったんだ。てっきり君の車かと思ったよ」
ぼりぼりクッキーを頬張ってデヴィットが言うのへは、ラングも嫌な顔をし小言を垂れ流す。
「おい、下に食べかすを落とすんじゃないぞ?掃除すんのは全部俺なんだからな」
「あーい」
判っているのか、判っていないのか。
否、判っていても食べるのを止める気はないのだろう。
口を忙しく動かしながら、デヴィットがカゲロウを覗き込む。
「何、こんなトコでまで情報収集?オタクだねぇ、カゲロウくん」
カゲロウはモバイルプロセッサ、すなわち携帯型のプロセッサを膝の上に置き、真剣にモニターと睨めっこしている。
画面から顔もあげずにカゲロウが言った。
「情報は刻一刻と変化していくんです。調べるに越したことはありませんよ、デヴィットさん」
「とかなんとか言って、僕らの見ていない隙にエロ動画でも見ているんじゃないの?」
「エロ動画に用はありませんね」と、尚もデヴィットを見ずにカゲロウは応えた。
視線は今開いている画面、ニュースサイトに釘付けだ。
無論、調べているのは失踪した三人の続報である。
どのサイトにも、まだ目新しい情報は載っていないようだが。
「必要とあらば、パーミリオンにやらせれば済む話です」
「やだぁ、何の話をしてんのよ、あんた達!」
唯一の女性バルロッサが文句を言えば、デヴィットはニヤニヤと笑って彼女をからかった。
「何って、ナニの世話に決まっているだろ。君もしてもらっているのかい?夜の処理をエイペンジェストにさ」
「させるわけ、ないでしょぉ!?」
激しい平手打ちが鳴り響き、一瞬ではあるがデヴィットのおしゃべりも沈黙する。
これ以上、下品な会話が続くようなら車を降りようかと考えていたエイジは、ほっとした。
「いったぁ……顔の形が変わったら、どうしてくれるんだい」
頬を押さえて呻くデヴィットを、すかさずラングリットが茶化してくる。
「今より男前になれるかもしれんぜ?」
「ラング、君はパーシェルを――」
こりずに何か言いかけるデヴィットへ、運転席の男は睨みをきかせた。
「させてねぇよ。そこの変態新入社員と一緒にするんじゃねぇ」
変態と呼ばれたカゲロウは涼しい顔でやり返す。
「僕は一言も夜の情事をパーミリオンにさせる、とは申し上げておりませんがね。何処の誰のとも判らぬ裸を見るぐらいなら、パーミリオンを裸に変身させたほうがマシだって話ですよ」
チッと短く舌打ちし、ラングは視線を前方へ戻す。
「あぁ言えばこう言う。生意気な新入社員だぜ」
「デヴィットさんは、させていそうですよね。アーシュラに夜のお相手を」
モニターに視線を落としたまま、カゲロウがやり返す。
「アーシュラに?冗談じゃないよ。そんな真似したら殺されるじゃないか、この僕が」
悪趣味な反撃にはデヴィットも気を悪くし、膝の上にこぼれたクッキーの食べかすを手で払いのけた。
「おい、下に落とすなと言っただろう!」
すかさずラングからは怒りの抗議が飛んできたが、デヴィットは当然のように無視。
窓の外を眺め、気怠げに独り言を呟いた。
「やぁ、景色がすっかり緑一色だ。こんな退屈な場所に住んでいる奴らの気が知れないね」
「まったくよね」と、そこはバルロッサも頷いて、同じく景色に目をやる。
娯楽も何もない場所で隠れ住むぐらいなら、大金なんて必要ない。
エイジの言うとおり、人生には少しの金とプラスして生きる為の楽しみがあればいい。


目的地に到着しました、とナビがドライブの終わりを告げる頃。
車を降りたバルロッサが一番最初にした事とは、思いっきり伸びをして新鮮な空気を肺へ取り入れる行為だった。
「――はぁーっ!気持ちいいっ」
「帰りも山道を通らなきゃいけないのか」とぼやいているのは、デヴィットだ。
顔色が悪いのは途中で何度も車を停止させて、崖の下へ反吐をぶちまけたせいだ。
おかげで、せっかく食べたクッキーも全部谷底へ消えた。
デヴィットはお腹を押さえ、心の中で悪態をつく。
「お前が、あそこまで車に弱いとは思わなかったよ」
車に鍵をかけてラングが近づいてくるのへは、減らず口で応戦した。
「帰り道は僕に運転させてくれないか?運転席は後部座席と違って揺れが酷くないからね」
「俺の腕が悪いとでも言いたげだな。だが、お断りだ。運転席にまで、お菓子のくずを撒かれちゃたまらん」
さっさと会話を切り上げ、ラングは前方を見つめるエイジへ声をかける。
「ベルベイの親父の家へは徒歩で行くしかなさそうだな」
バルホ地区の入り口は、高い門で閉ざされていた。
ここから先は乗り物禁止。
門の向こう側は、細かい路地で区切られた住宅街が広がっている。
「一応、ナビを持っていきましょうよ」
車から外してきたのか、バルロッサがナビを片手に歩き出す。
エイジも後を歩き出し「あの門にはいるのかい?門兵ってやつが」と尋ねてくるデヴィットへは、かぶりを振った。
「あの門は飾りだ。SPは常に街に潜んでいる。くれぐれも、おかしな真似はするな。たとえ悪魔遣いといえども、バルホでは特別扱いされない」
「九つまで住んでいなかったにしちゃあ詳しいな」
茶化してくるラングを一瞥し、エイジは辛辣に言い返す。
「この程度、調べれば、すぐに判る情報だ。カゲロウの言うとおり、情報を集めるのは大切だ。何も知らずにノコノコ出かけてゆくよりは」
エイジの言うとおり、門の側には誰もいなかった。
一見無人とも思えるが、彼の情報を信じるなら、あちこちの建物の影には見張りがいるのであろう。
曲がりくねった細い路地を幾つも通り抜け、ナビが指し示す方向へ歩いていく。
「ここまで外で遊ぶ子供の姿、一人もナシ……か」
小さく呟くデヴィットへ、エイジが即答する。
「貴族の子供は安全な年齢になるまで、外で遊ばせて貰えはしない。親の英才教育か、或いは寮制度の学校で大きくなるまで育てられる」
「それも調べた情報か?」
ラングの問いには首を振り、小声で答えた。
「いや、俺自身の記憶だ」
貴族の子供は自由がない。
親の敷いたレールの上を、死ぬまで強制的に歩かされる。
それが嫌で飛び出したのだ、あの家を。
「守られていたほうが幸せだったかもよ?」と混ぜ返してくるデヴィットへは、エイジの代わりにカゲロウが応じる。
「親の愛を窮屈に感じる人だって、いるのではありませんか?そう、例えばあなたのように」
「僕が?」
心外だとでも言いたげに、デヴィットは片眉を跳ね上げた。
「僕は親の愛を邪険にしたりしないぜ。ただ、そう、ちょっと意見に食い違いがあっただけなのさ」
何の意見の食い違いやら、デヴィットにも複雑な家庭の事情がありそうだ。
バルロッサはナビから目を離し、辺りの建物を見渡した。
「あんたみたいな息子を持った両親には同情するわ、私」
「そりゃ、どういう意味だい?」
「さぞや反抗期が酷かったんだろうなって」
デヴィットが肩をすくめ、言い返す。
「君のご両親こそ同情の対象じゃないの?バルロッサ」
たちまちバルロッサの眉間には、無数の縦皺が刻まれる。
「何よ、それ。私の素行が悪いとでも?」
「悪くないとでも――」
雲行きの怪しくなってきた会話に待ったをかけたのは、先頭を歩くラングリットだった。
「よぉ、お二人さん。痴話喧嘩は帰りの車の中でやんな。今はベルベイの父親と話すのが先だ」
「ちっ、痴話喧嘩って!?」
ヒステリックに素っ頓狂な声をあげるバルロッサの横では、デヴィットが蔑みの目線でラングを見やる。
「僕らのコレが痴話喧嘩に見えるようじゃ、一生女にゃモテないぜ?ラングリットくん」
その横をカゲロウが追い抜いていき、追い抜きざまに言い放つ。
「大丈夫ですよ、ラング先輩には愛しの黒猫悪魔がいますから」
続けてラングリットにも微笑みを向け、余計な一言を付け足した。
「悪魔と猫にはモテモテなんだから、人間にモテないなんて余計なお世話ですよねぇ?」
「よッ、余計なお世話なのは、お前だ!!」
顔を真っ赤にブチキレるラングリットになどは目もくれず、カゲロウはナイヴ家の呼び鈴を鳴らす。
「先輩達の軽口につきあっていたら夜になってしまいます。さっさとご対面と行きましょう」
「まったく!ああ言えば、こう言うッ」
ラングの罵りや、デヴィットとバルロッサの突き刺さる視線を背中に感じながら。
召使いでも執事でもいいから、早いところ誰か出てきてくれとエイジは心の中で祈った。

ベルベイ=ナイヴの父親、ローウェン=ナイヴは在宅であった。
執事は最初のうちこそ警戒して、なかなかこちらを信用しようとはしなかったのだが、エイジが名乗りをあげ、お嬢さんの事で話があると切り出すと、頭のてっぺんからつま先まで眺め回し。
「まぁ、宜しいでしょう。ストロン家のご子息ならば、間違いもございますまい」
執事は尊大に頷くと、一行を家の中へ通した。
赤い絨毯の敷かれた長い廊下を歩きながら、バルロッサがひそひそと囁く。
「ストロン家が、どうのこうのって言っていたわよね。エイジの家って名門なの?」
「目の前に本人がいるんだから、本人に直接聞いたら?」とは、同じく小声のデヴィット。
バルロッサは舌打ちし「聞けるんだったら苦労しないわよ」と、いつしたんだか判らない苦労を漏らした。
「個人情報の詮索は一切禁止、ですもんね。エイジ先輩は」
カゲロウも小声で噂話に参加し、ですがと先を歩く執事の背中へ目をやった。
「身分証明書も出さずして、他人の家の執事を信用させるぐらいです。相当有名なお家柄なんでしょうね」
九歳で家出したのに?デヴィットは声に出さず、疑問に思う。
執事が立ち止まった。家主の部屋に到着したらしい。
「ご主人様、お客様をお連れしました」
軽く扉を二、三ノックし、主人の返事が来る前に道を空けた。
「どうぞ、お入り下さい」
いいのか、とは聞き返さずエイジが扉を開ける。
デヴィット達も後に続いた。
重厚な輝きを放つ家具に囲まれた中に、ローウェンがいた。
椅子に腰掛けていたが一行の先頭にエイジを見留めると、笑顔で立ち上がる。
「これは、これは。ストロン家のご長男が私のような者の家を訪れるとは」
「社交辞令は結構だ」
ぴしゃりとエイジは言い放ち、ローウェンの顔からも笑顔が消える。
「ベルベイ=ナイヴ、今日は貴方の娘の件で話を聞きに来た」
エイジの横柄さに、バルロッサやラングは戸惑いを覚える。
ローウェンの歓迎っぷりを見ても、ナイヴ家よりストロン家のほうが格上なのは判る。
だからといって、ぶしつけに面会して偉そうに振る舞うのは、いくらなんでも失礼ではないのか。
だがバルロッサ達の心配を余所に、ローウェンは怒り出しもせず両手で顔を覆った。
「あの子は……あの子は、ここには戻ってきておりません」
幾分表情と口調を和らげ、エイジが再度尋ねる。
「我々は彼女を捜している。悪魔狩りから彼女を保護する為に」
がばっと顔をあげたローウェンが、エイジにすがりついた。
「ストロン様!どうか、どうか、あの子をお助け下さい」
抱きついてくる彼の手を、やんわりと外しながら、エイジも強く頷いてやる。
「まず、順を追って話してもらおう。君はどうしてベルベイの親権を放棄した?」
座るように一同を促しながら、ローウェンも自分の椅子に腰掛けた。
「放棄したわけではないのです」
苦々しく言ってから、付け足した。
「あれの母親が、ベルベイを連れて行方をくらましたのです。あまりにも突然で……私も人を使って方々を探しました。けれど、二人は見つかりませんでした」
「どうして離婚したんですか?」と口を挟んだのはバルロッサだ。
ローウェンは じろりと彼女を睨み、続けてエイジの顔を伺う。
エイジが頷いたのを見ると、話し始めた。
「ベルベイの教育方針で私達は激しく争いました。結局二人の意見があう事はなく、私達は離婚を余儀なくされたのです」
「ベルベイの?」と、エイジ。
ローウェンは頷き、どこか遠くを眺める目で正面の扉を見つめた。
「あの女、失礼、私の妻はベルベイを自由にさせてやれと言いました。ですが私は、それを許せなかった。ベルベイは貴族の妻となりナイヴ家を継ぐのだと」
「ハハァ、よくある話ですね。子供の進路に親が口を出す」
デヴィットが嫌味を放ち、すぐさま隣のバルロッサに嫌というほど股をつねられる。
「ぁいたッ!」
何もかも無視して、ローウェンはエイジを見た。
「貴族の娘は貴族として生きるのが一番幸せな人生です。なのに、あの子は何を思ったのか悪魔遣いになってしまった」
頭を抱えるローウェンに、エイジは更なる質問を飛ばす。
「ベルベイは、ここへはよく遊びに来たのか?」
すんと鼻をすすり、哀れな父親は顔をあげた。
「はい。ベルベイは、よく私の元へ遊びに来ていました。あの子が十五歳になるかならないかの頃まで。私達親子は仲が良かった。私と妻が離婚していても、あの子は私を父と呼び続けてくれました。ただし進路の話になると、あの子は頑として私の話を聞こうとしませんでしたが」
「貴方の処へ遊びに来ていた頃から、ベルベイは悪魔遣いを目指していたのか?」
エイジの問いに首を振り、ローウェンが言い直す。
「いいえ。私が言ったのです。私の元へ戻り、貴族として生きろと。あの子は猛烈に拒否しました」
大きくなるにつれベルベイの訪問は目に見えて減り、しばらくしてローウェンは風の噂で聞いた。
ベルベイが悪魔遣いとして、とある大会社へ就職したと。
「私は間違っていたのでしょうか?娘の幸せを親が願うのは、娘にとって迷惑だったのでしょうか」
ローウェンは今や泣いていることを隠そうともせず、ぼろぼろと涙を流している。
娘の話をするうちに、幸せだった過去を思い出してしまったのかもしれなかった。
教育方針には一切触れず、代わりにエイジは彼を慰めた。
「そんなことはない。ただ、ベルベイは貴族の幸せより自由な未来を選んだ。それだけの話だ」
それにしても、当てが外れたという他ない。
てっきり逃亡先はここだと見当をつけたのだが、父親の様子を見る限りだと彼女は久しく訪れていないようだ。
「ベルベイから、その後、連絡は?」
無駄だと知りつつも、エイジは一応聞いてみた。
予想通りの答えが返ってくる。
父親は首を真横に振り、悲しげに俯いた。
「ありません。あの子は悪魔に魅入られて、私を忘れてしまった。私を捨ててしまった……」
がくりと頭を垂れるローウェンを気の毒に思ったか、またしてもバルロッサが口を挟む。
「そんなこと、ありません。そんなふうに考えては、いけませんわ」
たとえ睨みつけられたとしても、彼女はベルベイの父親を慰めずにはいられなかった。
親が娘の幸せを願うのは、当然だ。
誰だって自分の子供には幸せになってほしかろう。
目の前の男が、自分の両親と激しくかぶる。
バルロッサの両親も、バルロッサの進路には激しく口出しをしてきた。
儲け第一な娘の目を覚まさせようと、何度見合いをセッティングしてきたことか。
結局、彼女もベルベイと同じ道――すなわち、自分の意志を優先してしまったけれど。
親に愛されているのには、気づいていた。
愛しているからこその口出しだったと、ちゃんと理解していた。
ベルベイも、きっとそうだと信じたい。
「親に愛されるのを疎ましいと考えるような娘なら、貴方の元へ遊びに来たりするもんですか。貴方の愛は伝わっていますし、貴方を捨てたわけじゃない。ただ、仕事が忙しくて」
『――違う。あの子は、私を捨てたのだ』
不意にローウェンの口から人ならざる声が飛び出し、全員ギョッとなる。
先ほどまで話していた彼の声ではない。
異形のものが出す、地の底から響くような低い声。
悪魔遣いならば、聞き覚えのある感覚。
「悪魔だとッ!?」
ソファーを乗り越え、ラングリットとバルロッサが後方へ飛びすさる。
エイジは至近距離から動かず、様子を伺う。
デヴィットもソファーを離れず、ニヤニヤと成り行きを見守った。
カゲロウは、反応が遅れた。
一歩も動けず、ソファーに座ったまま身を固くする。
よたよたとローウェンが立ち上がる。
苦悶の表情を浮かべ脂汗を流しながら、彼は目を異常なほど血走らせて一同の顔を見渡した。
『あの子は、私を捨てた。私を裏切った。だから、私は雇った。金を使って。あの子を私から奪った、あの悪魔もろとも、あの子をコロスために』
「雇ったって、誰を?」
デヴィットの質問に、ローウェンが口元を歪ませる。
『オマエらが、それを知る必要はない。オマエらと、ワタシは敵同士。ベルベイを保護するなど、無駄な真似よ。ワタシは必ず任務を実行スル』
ガハッ、と大量の血を吐いてローウェンが崩れ落ちた。
エイジが抱え起こすと彼はまだ意識を保っており、うつろな目でエイジを見上げた。
「ローウェン、しっかりしろ!誰を雇ったんだ?娘を暗殺とは、本気なのか!?」
エイジの呼びかけに、しかしローウェンは答えになっているともいえない独り言を呟いた。
「悪魔に魅入られたのは、あの子ではなく私のほうだった……ストロン様、どうか、あの子を」
「判っている、守ってやる!だから誰を雇ったのか」
言いかけて、エイジは口をつぐむ。
ローウェンはとっくに意識を失っていた。
「金をばらまいて、娘のヒットマンを雇ったか。……いや、違うな。この人の性格からして、それはありえない」
ぶつぶつ呟きながら、カゲロウが近づいてくる。
ローウェンの腕を取り脈拍を調べると、エイジへにこりと微笑んだ。
「大丈夫、命に別状はありません。ただ、なにかしら悪魔の干渉を受けているようですし、然るべき病院への手配は必要ですね」
「大丈夫?低級悪魔に取り憑かれているんじゃないの」
こわごわと遠目に見守るバルロッサを、デヴィットがジト目で睨む。
「ったく、君は何年悪魔遣いをやっているんだ?今のは時限発動だよ。ハッタリ好きな悪魔遣いが、よくやる手さ」
「じ、時限発動?」
意味が判らず首をひねる彼女へは、ラングリットが説明した。
「聞かせたい相手のくる場所に、伝言を吹き込んだ悪魔をセットしておくんだ。時が来れば悪魔は解放される。伝言を言うだけ言ったら、とっととご主人様の処へ戻るって寸法だ」
「口寄せとは、どう違うのよ」
まだよく判っていないバルロッサへモバイルプロセッサを突きだしてきたのは、カゲロウだ。
「気になる案件があったら自分で調べるのが世の常識ですよ、ルベロ先輩」
到底先輩を敬っているとは思えない態度の後輩にバルロッサの血圧が急上昇しかけるも、エイジの冷静な「誰か執事を呼んできてくれ」の一言で我に返り、「私、呼んでくるわね」と部屋を飛び出していった。
「誰を雇ったんだろうな。失踪している三人の誰かかな?」
デヴィットの推理に、ラングリットが乗ってくる。
「だとしたら、何の為に?娘を守って欲しいとでも言うつもりかい」
「かもしれないね。エイジに泣いてすがるくらいだもの」
傍らでは興味津々、カゲロウがエイジに尋ねている。
「ストロン家ってのは、どれくらいの影響力を持つんですか」
エイジは、すげなく冷たい目で後輩の質問を切り捨てる。
「個人詮索は却下だと言ったはずだが?」
そんな様子を眺めながら、デヴィットが言った。
「エイジがストロン家を家出しているの、このオッサンは知らないのかね」
このオッサンとは言うまでもなく、今はソファーの上で失神しているローウェンだ。
「そりゃ〜、知るわきゃないだろうよ。他人のうちの、お家騒動なんざ」
「そんなもんかねぇ。貴族なら噂が回ってきていそうだけど」と、なおもデヴィットは納得できかねる様子であったが。
誰だって、家の恥など外へ漏らしたくないものだ。
ましてや貴族はお家柄を気にする連中だ。
貴族だからこそ、箝口令が敷かれている可能性だってある。
エイジが自分の出生や実家について語りたくない心境を、ラングリットは朧気に判ったような気がした。