Devil Master Limited

1-3.猫と蟷螂

ラングリット=アルマーの父親は平凡な営業マン、母親は専業主婦だった。
彼らの息子もまた、ごくごく平凡な少年時代を終え、平凡な大人に成長した。
唯一平凡でない部分をあげるとしたら、人より多少霊力が高いぐらいか。
といっても、それだって自慢できるほどのモノじゃない。
本当に、ほんの少し他人より高いってだけだ。
だから就職先に悪魔遣いを選んだのは、特別な理由があったわけじゃない。
スクールを出て就職活動を始めた矢先に誘われたのだ、元同級生のベン=ファイマンに。
「俺みたいな馬鹿にでも出来るかな?」
難色を示すラングリットに、彼は言ったものだ。
「なぁに、俺達は悪魔に指示を飛ばすだけでいいんだ。後は全部悪魔がやってくれる。楽な仕事だよ」
ベンの言葉に勇気づけられ一緒に面接を受けに行き、ラングリットは面接に合格してベンは落ちた。
入社から数年経った今も、なんとかクビにならない範囲で業績を上げている。
悪魔遣いの業界に入って、初めて判ったことがある。
この仕事は、けして楽ではない。
悪魔の能力次第で難易度が恐ろしく変化する。
おまけに残業は多いし、依頼にかかる費用もハンパではない。
例え総合業績がトントンでも、手に残る金は思ったより少ない。
だが、それでもラングリットは、ベンの奴め、よくも騙しやがって――とは考えなかった。
悪い奴を叩きのめし、弱い人達を苦難から救い出す。
人から感謝される喜び、加えて全力で戦える相手のいる、この仕事が彼は大好きであった。
それに、引いた悪魔もラッキーだった。
馬鹿にする同僚もいるけど、パーシェルほど愛すべき相棒は、この世にいないんじゃないかとラングリットは思っている。
何故なら、彼は大の猫好きであったからだ。


いざエイジがラングリットに話を持ちかけてみれば、返事は一発オーケーで。
「ガッハッハッ!ようやく俺の偉大さが判ったか」
馬鹿笑いされ、背中をバンバン叩かれたエイジは、あまりの痛さに思わず涙が出た。
ラングリットは悪魔遣いだというのに極限まで肉体を鍛えており、いかにもマッチョの典型だ。
比較してエイジは、いかにも悪魔遣いの基本と呼べるスマート体型……といえば格好いいが、要は細っこいモヤシである。
涙ぐむエイジなどラングリットは猫の毛ほども気遣わず、己の力こぶをバシッと叩いてアピールしてくる。
「任せておけ!俺とパーシェルの手にかかりゃ〜、どんな悪魔でもチョチョイのチョイよ」
「チョチョイのチョイって死語よね」と呆れ顔で突っ込んだバルロッサが、エイジを見やる。
「あと大体、何人ぐらい連れて行く予定なの?」
目元に滲んだ涙をぬぐい、エイジが答える。
「あと二人ぐらいいれば充分だと思っているんだが」
探索用にパーシェル、遠距離攻撃にエイペンジェスト。
ランスロットは大技専用だ。残る二人には、前衛と連絡役を頼みたい。
本当は回復役がいれば最高なのだが、残念ながらCommon Evil所属の悪魔に、そのような能力を持つ者はいない。
「二人ねぇ」と考え込むバルロッサの横で、ラングリットが提案する。
「おぉ、そういやデヴィットは誘わんのか?あいつのアーシュラは壁にも特攻にも使えて便利だぞ」
まるで捨て駒にしろと言わんばかりの発言にバルロッサは眉をひそめたが、エイジは無表情に応えた。
「奴は誘わない」
「どうして?」と当然の疑問が返ってくるも、それは無視して机の上に社員リストを並べてみる。
殆どの者がチェック済みだ。
能力や人格は勿論のこと、現在引き受けている依頼があるか否かまで。
内、一人だけ情報を掴み切れていない社員がいる。
新入社員のカゲロウだ。
現在仕事を引き受けているのかいないのか、どの部署の人間に聞いても誰も知らないと言う。
だが何も引き受けていない状態の社員など、いるはずがない。
悪魔遣いは年中引っ張りだこの人気職業、ましてやCommon Evilは大手企業だ。
現にカゲロウ以外の新入りは皆、仕事を受け持って悪戦苦闘している。
彼が会社に出てきているのかどうかも、皆の反応が薄くて判らない。
酷いのになると、そんな奴いたっけ?なんて反応まで返ってくる。
カゲロウは、その名の通り、皆にとって印象に残らない男のようだ。
とはいえ入って早々会社を休んでいるのだとしたら、こいつはとんだ問題児である。
「誰か、カゲロウの近状を知らないか?」
エイジが二人へ尋ねると、バルロッサは首をかしげる。
「カゲロウ?誰よ、それ」
「新入社員のカゲロウ=ミスティックだ」
ラングリットとバルロッサは同時に「あぁ!」と手を打ち、頷いた。
「あー、あー、カゲロウね!いたいた、そんな名前のやつが」
今の瞬間まで存在を忘れていたかのように、ラングリットが大声で騒ぎ。
バルロッサも「あなたの後に入ってきた子達は、影が薄くて忘れちゃうのよねぇ」と言い訳がましく付け加える。
構わず、エイジは話を切り出した。
「彼の遣い魔は万能型と聞いている。俺は彼を誘ってみるつもりだ」
社員名簿にも、ちゃんと記載されている。
彼の悪魔はパーミリオンという名で、特殊能力は潜水と精神遠隔感応。
数いる悪魔の中では、比較的珍しい能力を持っている。
特に注目すべきなのは精神遠隔感応、直接相手の心に語りかける伝達手段である。
戦闘では役に立たずとも、電波の届かぬ場所での任務では役に立つこと請け合いだ。
「ハン、地味な能力だな。これのドコが万能型なんだ?」
さっそく資料の上だけ見てラングリットがケチをつけ始め、エイジは肩をすくめた。
「紙の上では記されない場所で、活躍を残したんだろう。少なくとも、数人の社員は目撃しているようだ。社内で噂になるぐらいなんだからな」
「誘うなら彼と、あともう一人を誰にするか……ね」とバルロッサが呟き、社員リストを覗き込む。
全悪魔を比較しても、やはりアーシュラが一番ずば抜けている。
特殊能力は飛行に魔力増幅と悪魔の中では極めて平凡、特殊と呼べる能力ではない。
でも、それは大した問題ではない。
アーシュラの真骨頂は、肉弾戦にある。
前衛を任せるなら、彼をおいて他に並ぶ悪魔はいないだろう。
しかし、エイジは何故かアーシュラを嫌っている。
きっとアーシュラのマスターに問題があるのだと、バルロッサは考えた。
デヴィットの性格は限りなく軽薄で、何を考えているのか、いつもニヤニヤ薄ら笑いを浮かべていて判らない。
おまけに自慢好きで気取り屋で、見栄っ張り。
アーシュラの強さを鼻にかける処もあって社内でも賛否両論、真っ二つに評価が分かれる。
自信満々をポジティブと取るか、それとも嫌味と取るか。
概ねの社員には不評でも、実力重視の社員からは人気があった。
バルロッサも概ねの社員に入る一人だが、アーシュラの功績は素直に認めている。
社長直々の密命なら、必ず成功させなくてはいけない。
任務の成功率をあげたいのなら、やはりデヴィットを誘うべきでは?
彼は今、これといって長期の依頼も難易度の高い任務も請け負っていない。
受けていたら、今頃は彼の放った自慢話が社内を飛び交っているはずだ。
良い意味でも悪い意味でも、デヴィットは目立つ。
存在さえ忘れ去られる新人とは、えらい違いだ。
二人の目がデヴィットのページで止まっている事に、エイジも気づいたのだろう。
気むずかしい顔を、さらに気むずかしくさせて、エイジはバルロッサとラングリットに尋ねた。
「……二人とも、意見は同じか?」
「えぇ」とバルロッサが頷き、ラングリットは力強く説いてくる。
「気に入らん面は多いかもしれんが、奴は使えるぞ。いや正確には奴の悪魔が、だがな」
ラングリットも、デヴィットに対しては何か思うところがあるようだ。
それでもアーシュラを推してくるのは、あの悪魔の実力を認めている証拠である。
「しかし強力な剣は時として凶悪な刃として、こちらへ向かってくる可能性がある……」
まだ渋るエイジには、輝く笑顔を向けてラングリットが断言する。
「アーシュラが洗脳されるとでも?あいつは肉体だけじゃない、精神も強靱だ。そう簡単に他の悪魔に操られるような奴じゃない」
アーシュラの武勇伝なら、エイジも聞き及んでいる。
軍の戦車部隊を壊滅させただの、悪魔百体を一人で蹴散らしただの、灼熱地獄地帯で厄介な強敵とガチンコしただのと。
どこまでが本当かは判らないが、社内で広まる噂にデマは少ない。
それに、ハンデつきバトルで生き残る。
且つ、勝利する苦労が判らないエイジではない。
性格の不一致がどう、などと選り好みしている場合ではないのかもしれない。
成功率をあげる為には、仲間内で最も優秀な奴をつれていく。
こいつは任務の基本じゃないか。
デヴィットを嫌がるあまり、先が見えなくなっていたと気づかされる。
エイジは、しばらく考え、そして決めた。
「判った、デヴィットを誘ってみよう。その代わり、二人に任せていいか?奴のスカウトを」
だが、バルロッサには断られた。
「あら、駄目よ。手伝って欲しいなら、エイジが直接言いにいかなきゃ」
「俺はカゲロウを探したいんだが……」
少々退け腰になったエイジを逃がさんとばかりに、ラングリットが彼の腕をガッチリ掴む。
「新人より先輩の予定を抑えるのが先だろ!エイジは早くデヴィットの元へ行ってこい。さっさと奴を捕まえんと、どんどんカゲロウの元へ行く時間がなくなるぞ」
二人がかりで言われては、仕方がない。
エイジは、これにも渋々妥協して、デヴィットの席へ向かった。


エイジはアーシュラがランスロットの重荷になると考えた。
だから最初は仲間にするのを、嫌がった。
ならばパーシェルとエイペンジェストは、どうなのか。
ランスロットとは相性が合うのだろうか?
それに、この二人の相性も、どうなのか。
「まさか俺達が、エイジと手を組む事になるたぁな」
給湯室で煎れてきた珈琲をガブ飲みしながらラングリットが呟けば、バルロッサも肩をすくめる。
「そうね、まさか後輩と組むなんてね。しかも社長から直々に任された依頼よ?滅多にあるもんじゃないわ」
先輩と後輩がパーティを組むこと自体は、珍しい話ではない。
エイジは新人にして社内ナンバーワンの業績を誇るエリートだが、頼まれれば気さくに手伝ってくれる事もあるらしい。
だがベテランの意地にかけて、後輩に下げる頭などバルロッサもラングリットも持ち合わせてはいなかった。
バルロッサは上機嫌でエイペンジェストを呼び出すと、ラングリットを促した。
「私とあなたが組むのも初めてじゃなくて?どうせだから、今の内に遣い魔同士の顔合わせをしておきましょうよ」
「顔あわせ?今更?」と文句を言いつつ、ラングリットも己の悪魔を召喚する。
『にゃ〜ん、お呼びですニャ?ご主人様』
黒い煙の中から黒猫が飛び出してきたかと思うと、瞬く間に少女の姿へ変身する。
さっそく抱きついてくるパーシェルを、やんわり手で遠のけながら、ラングリットはエイペンジェストへ視線をやった。
雷光と共に姿を現した、背の高い金髪の優男。
エイペンジェストは常に人間の擬態でしか姿を現さない。
社内で飛び交う噂通り、端麗な容姿だ。
『こうして会うのは初めてですね、ラングリット様、それにパーシェルも』
優雅に会釈するエイペンジェストを胡散臭そうに見上げて、パーシェルが鼻を鳴らす。
『お前が噂のカマキリ男ニャ?でも、ちっともカマキリらしくないのニャ。もっと手足が緑で顔が細いと思っていたニャ、拍子抜けもいいとこニャ』
第一声から喧嘩を売られちゃ、エイペンジェストのマスターも心穏やかではいられない。
「ちょっと、あんまりじゃないの?あなたの遣い魔って、可愛い割に口汚いわね」
憤慨するバルロッサへ、まぁまぁ、と手を振ると、ラングリットはパーシェルを窘めた。
「パーシェル、こいつは今から手を組む仲間だ。仲良くしてやらんと、おまんま食い上げだぞ」
目をまんまるくして、パーシェルが飛び上がる。
『ニャッ!?仲良くしないと極上マダラゴイも、お預けニャ?』
「あぁ、そればかりか数日は何も食べるもんがなくなるかもな」と、ラングリット。
実際には、そこまで貧乏でもないのだが、パーシェルはまともに信じてしまい、しょんぼりと項垂れる。
『ニャ……三食ヒモノ生活は、もう嫌なのニャ……』
「あなた遣い魔に、そんな粗末な食事を与えているの?」
同僚にはジト目で睨まれ、ラングリットは慌てて撤回した。
「馬鹿を言え!俺は、ちゃあぁぁんと大好物ばかり与えとるわ」
「大好物って何よ?」
ラングリットはパーシェルを眺め、こちらの様子へ気づく前にバルロッサへ耳打ちした。
「ニャンニャン印のペットフレーク極上だ」
「何それ、猫の餌じゃないの!?」
驚きでバルロッサの声は跳ね上がり、間髪入れず、パーシェルには怒鳴られた。
『パーシェルは猫じゃないニャ!失礼ニャ、ぷんぷんニャ!』
「あ、ご、ごめんなさい」と一応遣い魔に謝ってから、ひそひそとバルロッサもラングリットへ耳打ちする。
「本人も猫じゃないって言っているのに、猫用の餌をやるなんて酷いんじゃない?遣い魔虐待よ」
ラングリットは顔をしかめ、ぼそぼそと低く囁き返してきた。
「いや、ホントはマダラゴイが大好物なんだがな……あれは予算オーバーなもんで、首尾上等のご褒美設定にしているんだ」
マダラゴイは、ご家庭の食卓でも滅多に並ぶことのない高値の食材だ。
いくら最愛の遣い魔へあげると言っても、ラングリットが渋るのは当然だろう。
一匹だけでも、依頼報酬の半分が軽くすっ飛ぶ値段なのだから。
「パーシェルは何も言わないの?文句を」
「毎日コイのフレークだと偽って与えているからな、素直に信じてパクパク食べとるわ」
酷いマスターだが、しかし毎日の食事代が猫缶で済ませられるのは経済的だ。
エイペンジェストは人間と同じものを食べる。
その点だけでいうなら、ラングリットが少々羨ましい。
『悲観なさる必要はありませんよ、パーシェル。要は我々が手を取り合い、うまくやっていけばいいだけの話です』
黙っていたエイペンジェストが口を開き、しょぼくれていたパーシェルは顔をあげる。
こっちはカマキリと罵ったのに、慰めてくれるなんて。
なんとイイヤツなのだ、こいつは。
たちまちパーシェルの中でのエイペンジェスト評価は鰻登り、猫娘はキラキラした瞳で彼を見つめた。
『じゃー改めてよろしくニャ、エイペン!』
『エイペン?』と首を軽く傾げる彼へ、大きく頷くと。パーシェルは元気に答える。
『エイペンジェストって名前は長いのニャ。だからエイペンって呼ぶことにしたニャ』
エイペンジェストをエイペンと呼ぶのは、マスターであるバルロッサだけの特権だ。
でも、彼女がその名前で呼んでくれるのは、二人っきりの空間にいる時だけ。
ご主人様と二人きりの時間を、エイペンジェストは、とても大切にしている。
だからこそ彼は一瞬引きつった表情を浮かべ、すぐさま曖昧に微笑んだ。
『あぁ、そう……ですか。長いと覚えられないのですね。いいでしょう、私のことはエイでもエでも好きに省略なさって下さい』
さりげなく放たれた嫌味にも気づかず、パーシェルがケタケタと笑う。
『エイでもエでもいいのニャ?それは、ちょっと短すぎなのニャ!パーシェルは、やっぱりエイペンって呼ぶことにするニャ』
「……あなたの遣い魔って、どこまでもマイペースなのね……」
背後ではバルロッサが頭を抱え、ぶつぶつと文句を漏らしている。
自分の考えた愛称が悪魔と同センスだったことに、少なからずショックを受けたのだろう。
ラングリットはニヤリと笑い、そういやと話題を変えた。
「遅いな、エイジのやつ。デヴィットの説得に手こずるとは思えんが、一応様子を見に行ってみるか?」
「そうね」とバルロッサも気づき、彼の去った方角を心配そうに見やった。
「もしかしたらデヴィットがゴネているのかもしれないわ、報酬の分配で」
「報酬の分配?まだ具体的な依頼内容も判っとらんのに、それはないだろ」
片眉をつり上げるラングリットにはお構いなく、彼女は続けて想像し、己の想像に身震いする。
報酬の分配でゴネている程度なら可愛いもんだが、もしかしたら――いや、ひょっとして。
「行きましょう、急いで!」
「お、おい?」
ツカツカと早足で歩き出したバルロッサにつられるようにして、エイペンジェストも すまして退室する。
取り残されたラングリットとパーシェルは顔を見合わせ、やがてラングリットが遣い魔を促した。
「一体、何を心配したんだか……まぁ、いい。俺達もいくとするか、パーシェル」
『アイアイニャ〜♪』
ビシッと敬礼で応えると、パーシェルもラングリットの後をついて部屋を出た。