Dagoo

ダ・グー

26. けじめ

休み時間。
女子の何人かが携帯電話を弄りながら、小声で話している。
時折「ねー、ショックだよねー」とか「本当なのかな?」という囁き声が、秋吉の耳にも届いてきた。
もしかしたら、裏サイトを見ているのかもしれない。
イジメっ子三人の悪口が書かれた、裏サイトを。
自分の時は、あっさり信じ込まれた噂も、学園のアイドルが対象では信じない人のほうが多いだろう。
でも、もういいやと秋吉は思い始めている。
雪島に謝られて、イジメの原因を聞かされた直後、復讐心はだいぶ薄れてしまった。
森垣の必死な土下座を見た時には、加害者である彼を気の毒にさえ思ったものだ。
白鳥が聞いたら呆れるか、或いは「甘い」と罵られるかもしれない。
クラスの中には、まだ裏サイトの書き込みを信じている人がいるはずだ。
それでも、秋吉の心は不登校を続けていた頃よりは穏やかに落ち着いている。
これまでの自分は、人の目を気にしすぎていたのではないかと思う。
気にしすぎるがあまり、自分まで裏サイトに踊らされていた――そうとも考えられる。
例の写真が貼られた瞬間からショックで自分の中に引きこもってしまったけれど、不登校になる前に、もっと出来ることがあったのではないか。
秋吉は、改めて教室を見渡してみる。
こちらを眺めてヒソヒソしたり、指をさしてくるような生徒は一人もいない。
というよりも、皆が秋吉の席を意識的に見ないようにしているようにも伺えた。
まぁ、いい。面と向かって虐められるよりは遥かにマシだ。
そのうち進級すればクラス替えもあるし、噂を知らない人と友達になるチャンスもある。
森垣の席が空いている。
先ほどの土下座騒ぎが起きた後、休み時間に入ってすぐ、教師に連れられて出ていったのだ。
今頃は教員室で説教の一つや二つ、くらっているのだろうか。
白鳥の言い分を教師が丸ごと信じるとも思えないから、質問責め程度かもしれない。
でも、今の森垣なら、きっとなんでも素直に話してしまうのではないか。そんな気がする。
元より、担任には裏サイトの件を話してあった。不登校になる前に。
きっと信じて貰えるはずだ。今なら。


「さぁ〜って、ラストオーダーは淀塚 龍騎くんの土下座!でしたっけねェ?」
放課後の用務員室で、笹川が場を取り仕切る。
「裏サイトの噂は上々の結果が出ているみたいですよ」と、ダグー。
「俺が女の子数人から話を聞いた限りだと、既に『足クサ王子』ってアダナをもらっていました」
それを聞いた犬神が眉をひそめる。
「アシクサ王子、ですか……」
ダイレクトすぎるアダナに、気分を害したようでもあった。
「思春期の子供達は時として非情だからねぇ」と呟いて、笹川は肩をすくめる。
お茶請けのせんべいをバリボリ囓りながら、御堂が唸った。
「問題は龍騎って野郎を、どうやって家から引きずり出すか、だな」
龍騎は写真騒ぎ以来、学校に来ていない。
恐らく、噂が薄れるまで来ないのではなかろうか。
「卒業までには来るかもだけど、そこまで待ってらんないよねぇ。おうち、行ってみる?」
笹川の提案に、犬神が携帯電話を取り出した。
「住所なら、既に調べてあります。行ってみますか?」
「だがよ、ドヤドヤおっさんがいっぱい来たら、向こうも警戒しちまうんじゃねーか?」とは御堂の懸念に。
間髪入れず、ダグーが頷いた。
「そうですね。ここは二、三人で充分でしょう。俺と秋吉くんとクォ……いえ、白鳥くんとで行ってみます」
「白鳥くん?」と首を傾げる大原には、犬神が「協力者ですよ、ここの学生です」と説明する。
魔族の面々は、用務員室にいない。
表で待ってもらっている。
「被害者である緑くんを連れていったとしても、会ってくれますかねぇ」
佐熊の疑問にも頷くと、ダグーはあっけらかんと笑う。
「その時は、その時さ。問答無用で押し入らせてもらうよ」
「オイオイ、まさかオメ〜警察のお縄になるつもりじゃ」と言いかける御堂へウィンクすると。
「大丈夫ですよ。警察の厄介になるようなヘマはしません、白鳥くんも一緒ですし」と言って、ダグーは微笑んだ。
自信満々、だが方法不明の侵入策には、大原も山岸も首を傾げる。
笹川や犬神には判ったのか、「あぁ」と相づちをうつ犬神の横で「なるほど、だから白鳥くんを」と笹川も頷いた。
「そういうことです」
話をしめるダグーに「どういうことだよ?」と、まだ御堂や佐熊には判りかねる様子であったが。
結果を楽しみにしてほしいとダグーには締めくくられ、用務員室での会議はお開きとなった。

公園で待ち合わせをし、右手に秋吉。左手に白鳥を従えたダグーは、さっそく龍騎の家へ向かう。
淀塚家までの道のりは例によって犬神から教えてもらい、プリントアウトしてある。
「何度となく俺に頼るなよ」
白鳥は大層不機嫌な様子であったが、最初に文句を言った後は大人しく横を歩いている。
ちらっと白鳥を見、ダグーへ視線を移した秋吉が、遠慮深げに尋ねてきた。
「あの、今日はどちらへ……?」
「うん」と頷き、ダグーも秋吉を見下ろした。
「淀塚くんの処へ行ってみようと思って」
「えっ、あの、僕」
言うか言うまいか秋吉は迷っていたようであったが、ややあって付け足してきた。
「僕、もう、いいですよ?なんていうか……気が晴れちゃいましたし」
「そうはいかねぇよ」と、遮ってきたのは白鳥だ。
目線を前に向けたまま、彼は言った。
「ケジメってもんは、つけとかなきゃな。あの二人と同類なのに、あいつだけ謝らねぇってのは、おかしいだろ」
白鳥は見かけと反して、意外や真面目な面があるようだ。
「悪いことをしたら反省しないと、ね」とダグーも同意する。
「反省するチャンスを失ったら、彼はまた同じ罪を繰り返してしまう。それは彼のためにもならないんだ」
学校の先生みたいな事を言う。
だが、二人の言うとおりだ。
もし再びイジメが起きれば、今度は別の子が不登校児になってしまう。
あんな屈辱と悲しみは、誰にも与えてはいけない。
それに土下座とまではいかなくても、謝罪して欲しい気持ちは秋吉の片隅にも残っていた。
雪島は面白がってイジメに加わったと言う。恐らくは、龍騎もそうであろう。
誰かを虐めるなんて行為、面白がってはいけないものなのに。
「お前を虐める前」と白鳥が話しかけてきたので、秋吉は耳を傾ける。
「龍騎ってのは、どんな奴に見えてたんだ?お前から見て」
「えっ?えぇっと……皆と大体同じだよ。雲の上の存在っていうか、学園のアイドルっていうか」
秋吉の返事は、ダグーが学内で聞き込みした噂話と一致する。
それだけに不思議だった。
何故学園のスーパースターが、秋吉みたいな小者を虐めたのか。
イジメが面白かった――というのなら、秋吉の前にも誰か虐めていたっておかしくないのだが。
だが、彼が過去に誰かを虐めたという噂は一件も聞かなかった。
秋吉のイジメが初犯だったのだ。
「あの、ダグーさんや白鳥くんから見て、僕はどう……ですか?」
逆に秋吉からは聞き返され、ダグーも白鳥も首を傾げる。
「どう、とは?」
「その、虐めたくなるような感じですか?僕」
即座にダグーは首を真横にふり、微笑んだ。
「そんな感じには見えないよ。少し大人しそうには見えるけど」
ホッとする秋吉を上から下までジロジロと眺め回し、白鳥も答える。
「お前みたいに弱そうな奴、一定の奴には目をつけられそうだよな」
「一定の奴って?」と首を傾げるダグーには、さも嫌そうに吐き捨てた。
「いるだろ?不良って呼ばれている、クズみてぇな連中が」
思わずダグーが「白鳥くんは学生に詳しいんだね」と褒めれば、彼には睨みつけられた。
「学校に通ってりゃ一通りの人間に出会える。嫌でも詳しくなるさ」
女子の噂によると、白鳥が以前通っていた学校はセレブ高校だったはず。
お坊ちゃま学校にも、不良は存在するのか。それも意外だ。
「それより、まだなのかよ。淀塚の家ってなぁ」
どことなくイライラした調子の白鳥に言われ、ダグーは地図を見直した。
「あ、次の角だ。次の角を曲がって一番奥の家が、そうらしい」
角を曲がった先は行き止まりの袋小路になっていた。
正面に見える家は、ごく一般的な二階建て。洗濯物がベランダで風になびいている。
「割と普通の家だね。学園のアイドルっていうから、お金持ちかと思っていたよ」
正直な感想をダグーが述べ、秋吉もコクリと頷く。
白鳥はどうでもいいと言わんばかりに、無言で外門に手をかけた。
横でダグーがチャイムを鳴らし、少し間が空いて『はい〜、どちらさまでしょうか』と母親らしき声が対応する。
「すみません、常勝学園の者ですが」
少し考えるような間が空いて、龍騎の母親が応えた。
『学校の方、ですか……?えぇと、何のご用でしょうか』
「淀塚くんが今日もお休みしたと聞いて、心配になりまして。彼は元気でしょうか?」
しばしの沈黙。
こりゃダメかな、とダグーが考えていると、母親の返事があった。
『あ、はい、げ、元気だと思います。いえ、元気です』
あやふやな物言いだ。
恐らく龍騎は、あの日以来部屋に引きこもって母親とも会っていない。
だから母親にも息子の様子が判らない。そう見ていいだろう。
「ちょっと会えませんかね……?」
そろりとダグーが切り出すと、またまた長い沈黙が空いた。
『えぇと、それは、どうして』
明らかに困惑した様子の声が返ってきて、ダグーは聞き返す。
「学校で起きたこと、お母さんには話していらっしゃいませんでしたか?」
『いえ……大体は、聞いております』
「そうですか。でしたら、是非とも彼に会わせて下さい」
重ねてお願いすると、今度は早い返答が来た。
『少しお待ち下さい。聞いてみます』
パタパタと遠ざかる足音は階段を登っていき、やがて聞こえなくなった。
が、すぐに駆け下りてきて、母親が息を切らせた調子でドアホンに話しかける。
『ダメです、すみません。あの、龍騎は誰にも会いたくないと』
「だろうな」と、ダグーの背後で白鳥が呟く。
どうする?と目線で尋ねられたので、インターホンから身を離し、ダグーも頷く。
「こうなったら、強行突破しかないね」
「えっ!?」と驚く秋吉には片目をつぶって見せ、ダグーは白鳥の耳元で囁いた。
「結界を、お願いしてもいいかな?」
「仕方ねぇな」
もっとゴネるかと思っていたが、あっさり白鳥は頷く。
だが何か褒め言葉を言いかけたダグーをジロリと睨むと、余計な一言を付け加えた。
「言っとくが、お前らへの親切心でやってるんじゃねぇぞ。とっとと雑用を終わらせたいだけだ」
「ざ、雑用……」
絶句するダグーと秋吉を無視して、白鳥が片手を淀塚家へ突き出す。
数えて五秒程度で、すぐにダグーを振り返った。
「出来たぜ。行くぞ」
「えっ、もう?」と、これにはダグーも驚いたが、さっさと白鳥が歩き出すので慌てて後を追う。
「え、なにが出来たの?」
秋吉も慌てて追いかけるが、白鳥がずんずん他人の家に入っていくのを見て足を止めた。
「え?あ、あの?」
てっきり龍騎の母親が飛び出してきて白鳥を止めるかと思いきや、家からは何も飛び出してこず、かわりに白鳥に「さっさと来いよ、置いてくぞ?」と声をかけられる。
「え?あの、お母さんは?淀塚先輩の、おかあさん」
動揺する秋吉の腕を、ダグーが優しく掴んだ。
「お母さんは一時的にいない存在になったんだ。さ、行こう」
謎の説明をされ、全く納得いかないまま、秋吉も淀塚家へおじゃまする。
ホントだ。先ほどまで話していたはずの、龍騎の母親が廊下の何処にもいない。
ドアホンは玄関を入ってすぐの壁際にあるから、ここに彼女がいなきゃおかしいはずなのに。
階段を登っていったにしても、足音一つ聞こえなかった。
首をふりふり白鳥、ダグーの後に続いて秋吉も階段を登り、龍騎の部屋の前に来た。
「さて、と。引きこもり野郎に面会といくか」
ニヤリと口の端を歪めて、白鳥が部屋の扉に手をかける。
何をするのかと見守っていると、いきなり何の前触れもなく扉が派手に吹き飛んだ!
「ひえっ!?」
悲鳴をあげるダグーと秋吉をほったらかしに、吹き飛んだ扉をまたいで白鳥が部屋に入ってみると、ベッドの上で怯えて身をすくめる淀塚龍騎と目があった。
「おっ、お前!? それに、今のは!?」
これ以上ないというぐらい驚いている。
それもそうだろう。
突然ドアが吹っ飛んで、許可した覚えのない相手が勝手に家へ上がり込んできたのだから。
しかも、その相手が今一番会いたくない奴ときては。
龍騎の気持ちを考えて、秋吉はまたも同情した。
なんだか、これじゃ僕達が先輩を虐めに来たみたいだ……
「おい龍騎。俺達が此処へ来た理由、判っているだろうな?」と、白鳥が意地悪く尋ねるのと、龍騎が泡を食って窓に走り寄り、鍵を開けようとしたのは、ほぼ同時で。
「この期に及んで逃げようってのか?とことん汚ェ野郎だな、テメェは!」
「あ、ちょっと待って!暴力は」
ダグーが止めるのにも全く耳を貸さず、白鳥の行動は実に迅速であった。
龍騎の背後へ駆け寄ると、無防備な背中へ強力なローキックをお見舞いしたのだ。
こんな奇襲、たかだか一介の高校生が避けきれるものではない。
可哀想に龍騎は「ぐへっ」と一言呻いたかと思うと、ずるずると窓にへばりつく形でノビてしまった……


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