25.戦慄の報復
学校を一日休んだ森垣が何をしていたのかというと、彼はスマホを片手に一日中ネットと睨めっこしていた。裏サイトへの悪意ある書き込みを削除させようと、躍起になっていたのである。
しかし削除依頼を出す側から誹謗中傷書き込みが、どかどか書き込まれていって手のつけようがない。
一体誰だ。
ここまで詳しく、自分達の知られざる秘密を知っているのは。
龍騎が長年悩み続けてきた、脇や足の臭さもバラされている。
森垣が必死で隠してきたオタク趣味も、あけすけに書き殴られていた。馬鹿にする発言のおまけつきで。
雪島の裏情報も、ちょこっとある。書き込み主は彼に関してだけは、あまり詳しくないようだ。
もしかしたら書き込み主は雪島なのではないか、という疑惑が森垣の脳裏をかすめる。
いや、しかし。雪島も一緒に裸写真を公開された間柄だ。いわば被害者仲間じゃないか。
その彼が、何故自分達を裏切って中傷を書き込むというのだ。
やはり首謀者は他にいる。
しかし、誰が――?
森垣の思考は堂々巡りになり、ついに彼は「だぁぁーっ!」と、かぶっていた毛布を投げ出して降参した。
多すぎる。三人組の誹謗中傷書き込みは、今や三ページ目に突入していた。
しかも、しかもだ。
Googleでワード検索してみたところ、中傷を書き込まれたのは学園の裏サイトだけではなかった。
同学園の生徒らしきブログ、匿名掲示板、匿名チャットのログ、呟きサービスの複数アカウント……
至る場所で自分達の実名が晒され、さらに隠していた秘密まで暴かれていた。
同一犯の仕業だとしたら、一人の犯行ではない。敵は複数いる。
自分達が、秋吉の悪口を裏サイトで書き込んだ時のように。
秋吉の復讐ではないかとも考えてみたが、あの弱虫がこんな陰湿な電波戦を仕掛けてくるだろうか?
不登校になる前までの彼を脳裏に浮かべ、ないなと森垣は否定した。
虐められることはあっても、虐めるような頭脳がある生徒には見えない。
では、秋吉の友達だろうか。いやいや、そんなサスペンスドラマみたいな展開、あるわけがない。
大体あいつは不登校になる前までに、友達を全員失っていたはずだ。
裏サイトの情報を鵜呑みにするような奴しか友達にいなかったのだから。
あの時、イジメを黙認していた生徒の誰かかもしれない。
疑いだしたら、きりがない。
この決着をつけるには、学校へ出向くしかなさそうだ。
ネット上の敵は、ネット上では、けして森垣の前に姿を現さないだろう。
次々と誹謗中傷を書き込んで、こちらを不登校児にするつもりだろうが、そうはいかない。
堂々と登校してやる。俺の出現に驚いた奴が、犯人だ。
意志を固めると、さっそく翌日、森垣は登校した。
クラスの皆が、驚いた顔で自分を見つめてくる。写真の記憶は鮮明なようだ。
なにくそ、恥ずかしがっていられるものかと森垣は見つめてくる目を全て睨み返し、どっかと自分の席に腰を降ろす。
ひそひそと囁く誰かの小声が耳に届く。
「……短小……」
うるせぇ。成長過程なんだよ、と心の中で言い返しつつ、森垣の頬は悔しさで赤く染まる。
体の大きな森垣は、少し肩を張るだけでも威嚇になる。クラスで威張っていられる存在だ。
だが、アソコが小さいというのは巨大なコンプレックスになる。
小学生の頃から、自分のは他人と比べてちっちゃいんじゃないかと悩んでいた。
面と向かって、お前のちっちぇなーと馬鹿にされたこともある。
だから、中学生になってからは極力誰ともツレションしなかったし、修学旅行は風邪引いたで大浴場をパスした。
そんな森垣のささやかな努力を一瞬でパーにしてくれたのである、あの写真は。
畜生、白鳥め。
ここまで考えて、森垣は、あっとなる。
もしかしたら、白鳥じゃないのか?誹謗中傷書き込みの犯人は。
奴だったら、いくらでも手数を集められそうである。金持ちの息子だし。
だが仮に犯人が奴だったとして、森垣は反撃する手段が思いつかずにいた。
あれだけ一方的に叩きのめされたのだ。暴力では勝ち目がない。
財力パワーは言うまでもなく敗北だし、女子人気で勝てるのは龍騎ぐらいなもんだ。
その龍騎は、今日も学校を休んでいる。彼はネットの書き込みに気づいているのだろうか?
普段はネットを見ないと言っていたから、気づいていないかもしれない。
自分の足の匂いやワキガが酷いことをバラされている、今の状況に。
犯人が白鳥だった場合、何故、森垣の秘密のオタク趣味まで知っていたかという疑問は残る。
だが奴は金持ちだ。マネーパワーで探偵を雇えば、一介の高校生を調べるなど造作もなかろう。
改めて、喧嘩を売ってはいけない相手に喧嘩を売ってしまったのだと考え、森垣は戦慄した。
奴は、まだこの学内にいる。二年生だから、卒業まで一年ある。
虐めをしようとした事実。奴には弱みを握られてしまった。
到底勝ち目のない相手に。
ついこの間まで虐める側にいた自分が、今や虐められる側にいる。
地獄だ。
この世は、地獄だ。
森垣は授業開始のチャイムが鳴るまで、自分の席で頭を抱えた。
秋吉は自分でも知らない間に、白鳥とマブダチという間柄になっていた。
白鳥が周りの生徒に、そう吹聴したらしい。
たった一日で全校生徒公認の仲になった二人は堂々と授業をサボり、屋上で空を眺めているのだった。
ちらりと横目で伺うと、面白くもなさそうなへの字口で空を見上げる白鳥の横顔が目に入る。
学内での噂を聞き及ぶに、白鳥は転校生で大会社の社長の息子で女子には大人気であるそうだ。
龍騎を凌ぐ学園の人気者が、何故自分みたいな、ちっぽけな存在へ関わってくるのか。純粋に不思議だ。
「えっと、その……どうして僕に親切にしてくれるの、かな?」
二年だと聞かされて最初は敬語で話そうとした秋吉だが、白鳥には「気持ち悪い」と一蹴され、今もタメ語で話している。
ぼそぼそ話しかける秋吉をジロリと睨み、白鳥が答えた。
「ダグーに言われたんだよ。てめぇをしばらくガードしとけって」
意外な名前を出されて、秋吉は思わずたじろぐ。
「だ、ダグーさんが?どうして、君に」
「俺も、お前を虐めていた三人組とは縁があるんだよ」
またまた驚きの発言が白鳥の口から飛び出し、秋吉はポカンとなる。
あの三人組と転校生が、どう関わり合いになるというのか。
呆ける秋吉に、白鳥は簡単に説明してやった。
虐められそうになったので、逆に撃退した旨を。
秋吉は、じっと白鳥を見つめると、しみじみ言った。
「白鳥くんは、強いんだねぇ……」
「別に強かねぇさ。連中、襲ってくるのがミエミエだったしな」
もし襲ってくる気配がミエミエだったとしても、秋吉には撃退なんて無理だろう。
自分と同じぐらいの背丈のくせに、白鳥は自分とは比べものにならないぐらい度胸の据わった高校生だ。
不意に思いついて、秋吉は「あっ」と小さく叫ぶ。
「もしかして、あの写真撮ったのって、白鳥くんなの?」
「まぁな」
つまらなそうに頷くと、白鳥は付け足した。
「お前も、やられたんだろ?ダグーから聞いたぜ」
ダグーと白鳥の間柄も曖昧だ。
尋ねても、彼は別件で知りあったとしか教えてくれない。
金持ちの息子が何でも屋と、どうやって知りあったのか。そのうち、ダグーに聞いてみよう。
「素っ裸に剥かれて写真を貼りつけられたって聞いていたからな。お前がやられた事を、あいつらにやり返しておいた」
「それも、ダグーさんの頼みで?」
「あぁ」
正確には、ダグーへ秋吉が頼んだものだ。
三人を見えない場所で殴りまくって、ネットで嘘八百のデッチアゲ話を流しまくって恥ずかしい写真を学校のあちこちに貼りつけて、泣きながら土下座させて欲しい。
そうは言ったが、本当にやるとは思ってもみなかった。
少々やり過ぎではないかという懸念もある。
「僕の時は、顔と、その、あそこはモザイクがかかっていたんだよ……?」
ぼそりと呟く秋吉を横目に、白鳥はうそぶく。
「なぁに、十倍返しだ」
百倍じゃないの?と言い返そうと思って、秋吉は違うことを尋ねていた。
「まだ続けるの?」
「まだ、淀塚と森垣の土下座が残ってんだろ」
やる気がなさそうに見えて、白鳥はやる気満々のようだ。
却って秋吉のほうがドン引きしつつ、ぼそっと聞き返してみる。
「え、と。ネットで嘘八百のデッチアゲ話は、もうやったの?」
「それは別の奴らが動いている」
イジメの案件に関し、ダグーは助っ人を大勢雇った様子。
自分の他愛ない復讐が、いつの間にやら超大事になっている気がして、秋吉は内心青ざめた。
そんな大袈裟にしなくて良かったのに。
ただ、ちょっと謝ってもらえれば、それで充分だったのに。
次第に口数の少なくなっていく秋吉を眺め、白鳥が尋ねてくる。
「それより、お前、大丈夫か?復学するんなら、あいつらと今後、渡りあっていく自信があるんだろうな?」
「え。で、でも、雪島さんは謝ってくれたし……」
しどろもどろな秋吉を上から下まで眺め回し、白鳥はフンと嘆息する。
「チッ、頼りねぇなぁ。まぁ、いい。今日は、あいつが来てんだろ。会いに行こうぜ」
「え、誰に?」
きょとんとする秋吉の腕を取り、白鳥はグイグイ引っ張っていく。
「決まってんだろ、森垣だ。雪島の話だと、あいつがイジメの元凶らしいじゃねぇか」
森垣に会う為、教室へ戻る。
以前までなら酷い吐き気と目眩に襲われて、到底無理であった。
今は違う。
白鳥という新しい友人が側にいてくれるのだ。
あまり優しくない友人だが、一人で戻るよりは遥かに気が楽だ。
授業の途中でガラッと勢いよくドアが開き、誰もがそちらを見やる。
入ってきたのが二年の白鳥だと判り、教師が声をかけた。
「おい、君。ここは一年の教室だぞ」
だが白鳥は、教師を丸ごと無視して教室内へ呼びかける。
「森垣 正一は、いるか?俺が直々に会いに来てやったんだ、出てこいよ」
たちまち教室は、しーんと重く静まりかえり、一人の生徒がガタッと立ち上がる。
「し、白鳥!?なんで、ここにっ」
泡くって叫んでいるのは、言うまでもない。森垣だ。
体の大きな彼が身を縮こませるようにして、心底怯えた瞳で白鳥を見つめている。
あれほど怯えさせるたぁ、一体、どんなふうに撃退したのやら。
秋吉は森垣が少し気の毒になった。
威張り散らしてはいたけれど、森垣は、もしかしたら、それほど手強い相手ではなかったのではないか。
もっと勇気を出して立ち向かっていれば、或いはイジメを止められたかもしれない。
「なんで、ここに、だと?テメェの胸に聞いてみるんだな」
白鳥が体をずらし森垣にも秋吉の姿が見えるようにしてやると、森垣は、あっと短く叫んで狼狽えたように周囲を見渡す。
誰も森垣を助けようと動く者はいない。
関わり合いになりたくないのか、あからさまにノートを覗き込むフリをする生徒もいた。
教師でさえ、固まっている。
重苦しい空気の中、声を発することも忘れている。
「こいつはな、俺の友達なんだよ」
ニヤリと意地悪く笑って、白鳥が付け足す。
「俺の大切な友達を虐めてくれたそうじゃねぇか。そいつの礼を返しに来たぜ」
森垣以外にも引きつった顔が幾つか見えて、秋吉は被害者でありながらクラスの皆までもが気の毒になってくる。
自分の犯した行動で予想外の結果が跳ね返ってきたら、たまったものではなかろう。
誰かを虐めていた事を教師の前でバラされた上、復讐されるのだ。生きた心地がしない。
しかし、これは自業自得だ。
痛い目に遭いたくなければ、悪いことをしない。小学生でも知っている道理だ。
白鳥が一歩踏み出すのと、森垣が椅子を蹴ったおして床にひれ伏したのは、ほぼ同時で。
「ごごご、ごめんなさい!すいません!!ホント、申し訳ありませんでしたぁぁっ!!!」
静まりかえった教室に、森垣の悲鳴じみた謝罪が響き渡った。