Dagoo

ダ・グー

5.異質なもの

保健室は図書室の下、すなわち三階にあった。
階段を降りながら、この学校は優しくない造りだとダグーは考える。
病人や怪我人の気持ちを考えたら、保健室は一階に作るべきだ。
三階まで登るのは億劫だろう。
もしかして、エレベーターを見落としたのでは?
と思って学内地図を広げたが、そんなものは何処にもない。
やはり、保健室へ行くには階段を登るしかないようだ。

三階に到着した。
念のため、手前の教室から見回りを再開する。
扉を開けて、ぐるり室内を見渡してから、廊下へ出た。
不意に視界の隅を何かが横切ったような気がして、ダグーは懐中電灯を正面に向ける。
だが光の輪は、ぼんやりと廊下の先を照らし出しただけであった。
――気のせいか?
神経が高ぶるなんて、自分らしくもない。
自身を落ち着けようとダグーが短く息を吐いた時、懐中電灯の光が、そこにあるはずもない一つの人影を照らし出した。
「何ッ!?」
馬鹿な、さっきまでは何もいなかったはずだ。
だが今は懐中電灯を向けた先に、一人の男が立っている。
男は長い髪を背に垂らし、上から下まで黒一色で固めたファッション。
ポケットに両手を突っ込み、薄笑いを浮かべてダグーを見つめている。
この男は、断じて保健医ではない。
ダグーの勘は、そう告げていた。
「誰だ!」
静まりかえった廊下に、ダグーの声が鋭く響く。
男が答えた。
「誰だ?とは、ご挨拶ですね。ここでは貴方のほうが新入りでしょう?名前をお聞かせ下さい」
低い声が心を撫で、ぞわりとダグーは総毛立つ。
おかしい。
ただの侵入者を相手に、鳥肌が立つなんて。
頭の奥で警鐘が鳴っている。
目の前の男は、けして、ただの侵入者ではない。
今も無造作に立っているように見えて、男には一分の隙もない。
飛びかかっていっても、相手を押さえつけられる自信がダグーにはなかった。
名乗る代わりに、ダグーは尋ねる。
「君は、この学校の関係者じゃないだろう!ここで何をやっていた!?」
どうやって侵入したのかは不明だが、もっと不思議なのは彼の行動だ。
ダグーの後をつけて入ってきたか、或いは元から学内にいたとしても何故、三階に留まっていたのだ。
一体、何のために?
「獲物を、探していたのですよ。あいにくと、今日は不作でしたが」
静かに男が答える。そして、告げた。
「私の名はクローカー。お察しの通り、この学校の関係者ではありません。貴方は新しいガードマンですか?それは、それは……もう、次の補充が入ったのですね」
ふっと鼻で笑い、クローカーはダグーの名札へ視線を移す。
「前のガードマンは、相当怯えてしまったようですからねぇ……気が狂うか、辞めるのではないかと思っておりました。貴方は蔵田さんとおっしゃるのですか。では一つ、忠告しておきましょう」
ダグーの沈黙を答えと受け取って、クローカーが話を続ける。
「私や他の者を夜に見かけたとしても、一切の邪魔をせぬように」
「……他の者?」
「そう。私のように、この学校とは無縁に見える者達です」
男の言葉を信じるなら、他にも部外者が出入りしているという事になる。
この学校のセキュリティーは、一体どうなっているのか。
それに大原や山岸は、そのような事など一言も言っていなかった。
夜になると部外者が出入りするけど黙認しろ――とは。
「一体、何をやっているんだ?夜の学校で!」
懐中電灯を向けたまま、ダグーは精一杯声を張り上げる。
声に気付いた誰かが駆けつけてくれるのを、期待していた。
知佳でもいい。数が増えれば増えただけ、こちらが有利になる。
「夜だけ、ではないのですがね……」
男には余裕がある。
ダグーとの間には距離があった。
飛びかかられても対処できる、そう踏んでいるからこその余裕だろう。
「昼も出入りしているっていうのか?何のために!」
「それは秘密です。言ったところで、貴方は信用しないでしょう。貴方の前に務めていたガードマンのように」
前任の話も、先輩二人からは何も聞かされていない。
前任の存在自体を今初めて知った。
だが考えてみれば、この広い学校を二人だけで見回れるはずもない。
ダグーが副学長から受け取った地図によると東と西とで校舎が二つに分かれており、その上、体育館や部室、室内プールまであるのだ。
自分が来るより前に、もう一人いたとしても何らおかしくなかった。
「信用するかどうかは、俺が決める!言えッ」
光をクローカーの顔にあてると、彼は眩しそうに目を細めて囁いた。
「判りました。我々は、探しているのです。魔力の強い人間をね。この学校に多いと感じたのですよ、私の仲間が」
売春か、或いは薬の売人か。
そう予想していたダグーの、遥か斜め上を通り越す答えが返ってきた。
「魔力だってぇ?」
思わず声の裏返るダグーへ、クローカーが頷く。
「そうです。どうしても今の我々には必要でね。我々だけの魔力で何とかなるのでしたら、人間を襲わずとも済むのですが……そうもいかないのです。ですから、邪魔をしないで頂きたい」
奴の顔は真剣だ。
冗談ではない。
何がって、犯罪しますと言われて黙認しなきゃいけないってのがだ。
「ふざけるな!犯罪行為を、俺が見逃すと思うのか!?」
ダグーが走り出すのとクローカーが窓に手をつけたのは、ほぼ同時で、次の瞬間にはガラスが甲高い音を立てて四散した。
「何ッ!?」
殴ったわけでもないのに、ガラスが割れるなんて。
驚くダグーの目の前で、クローカーがひらりと窓の外に身を投げる。
「や、やめろ!」
慌てて窓に駆け寄ると、ダグーは階下を見下ろした。
自らとはいえ三階から飛び降りたら、ただでは済むまい。
だが見下ろした先には、平然と佇む黒服の姿があった。
奴の口が動いている。

――約束ですよ――

そう言ったように、見えた。
「待て!!」
身を乗り出して叫ぶダグーへ微笑むと、クローカーは踵を返す。
ダグーの見守る中、闇の中へと消えていった。


残った見回り場所はそのままに、ダグーは用務員室へ急いで戻る。
割れたガラスの原因と、謎の男クローカー。
魔力の部分だけを伏せた上で大原に報告してから、ダグーは尋ねた。
「奴は仲間と共に、この校舎に出入りしていると言っていました。何か、心当たりは?」
「心当たりも何も……」と横から口を突っ込んだのは山岸で。
「クローカー?そんな奴、一回も遭遇したことねーっつの」
大原は、というと難しい顔で黙り込んでいる。
ダグーは再度、彼に尋ねた。
「大原さんも、ご存じないんですか?」
重苦しく、大原が口を開く。
「……松尾が言っとった、お前と似たような事をな」
「松尾?」
「オマエの前に、ここでガードマンやってた奴だよ」と、山岸。
「思い出した、なんかワカンネーけど妙なもんを見たって大騒ぎして。ねっ、大原さん。そうでしたよね?」
山岸の相づちに、苦々しい表情で大原が頷く。
「西校舎だったんだけどよ、松尾の分担。なんつったっけ、キエロだかキエラだかって白い髪の毛の男が二階の廊下に突っ立ってて、月を見てたんだっけ?」
「……そうだ」と大原は頷き、ダグーを見た。
「松尾の奴も、言われたそうだ。俺達の邪魔をしたら魂を引っこ抜くぞって、そいつにな」
「もしかしてそいつ、クローカーって奴の仲間だったりして?」
二人も怪しい奴が目撃されているとなれば、とても無関係とは思えない。
山岸の予想は、案外アタリかもしれなかった。
「問題は、彼らが何をしようとしているかです。人を襲うとクローカーは言いました。犯罪予告ですよ、これは」
腕を組み考え込むダグーへ、大原が問う。
「この話、まだ学長にはしていないよな?」
「えっ?はい、まずは先輩方に話しておこうと思いまして」
ダグーの瞳を真っ直ぐ覗き込むと、大原は言った。
「なら、しばらく学長には話すな」
言われたことが理解できず、ついダグーは聞き返す。
「どうしてですか?」
犯罪予告が本物なら、すぐにでも警察や学長へ連絡すべきではないのか。
誰かが襲われてから騒いだところで、遅すぎる。
「どうしてって、考えてもみろよ!」と声を荒げたのは、山岸だ。
「俺達が全然役に立ってませんって報告するよーなモンだろが。俺達の役目はな、見回りだけじゃねぇ。戸締まりも任されてんだ。侵入者を許してたなんて報告したら、俺ら全員クビだぜ?クビッ。まァ、松尾のヤローはビビッて先に辞めちまったけどな。幻でも見たんじゃねーの?夜の校舎にも怖ェってビビッてたし!」
もしかして、この二人は松尾の報告も握りつぶしたのか。
ダグーが大原を見つめ返すと、彼は、ふいっと視線を逸らした。図星か。
「なら、どうするんですか?不法侵入者を、このまま野放しに」
ダグーの言い分を遮って、山岸が罵ってくる。
「オマエも幻を見たんじゃねーの?」
「違います!幻が窓ガラスを割りますか?俺の見ている前で、クローカーが確かに窓を割ったんです!」
「だって俺ら、クローカーなんて奴ァ一度も見てねーし。キエラってのを見たのも松尾だけだし!幻覚だよ、夜の校舎が見せたゲ・ン・カ・ク!!」
「なら窓ガラスは、どうやって割れたんです!?」
「オマエがよろけて割ったんだろ!幻覚のせいにすんなッ」
白熱する喧嘩を遮ったのは、ずっと黙っていた大原であった。
「まぁ、待て、待て。二人とも落ち着け!」
「これが落ち着いていられますか!!」
とハモる両名を交互に見つめ、大原が出した提案とは。
「とにかく、窓ガラスが割れた件だけは報告しておこう。だが蔵田、それ以外は誰にも話すな。学長にも、副学長にもだ」
「どうして、秘密にするんですか」
憤るダグーを見つめ、大原は声を落とす。
「山岸も言っただろう、解雇を免れる為だ」
解雇が怖くて生徒を犠牲にするというのか。
呆れたガードマンだ。
尚も追及しようとダグーは息を吸い込むが、その前に山岸が割って入った。
「大原さん、ここクビになっと次の勤め先が見つからねーんだ……もう四十だし。俺は、まだ何とかなるだろーけどよ」
「いい、山岸。俺のフォローなんぞしなくていい」
顔を強張らせて本人が拒否するのもお構いなしに、山岸は続けた。
「大原さんち、親一人子一人でよ。大原さんの稼ぎだけが頼りなんだ。判るだろ?今クビんなったら、食費すらままならねぇんだ!」
まさか彼の口から泣き言を聞かされるとは、予想外の展開である。
反撃の言葉をなくしたダグーに、山岸が付け足した。
「だから、この件は俺達だけで解決しようぜ」
「えっ?」
「だからよ、クローカーってのもキエラってのも俺達が捕まえるんだ」
話が突拍子もない方向へ飛んだ気がする。
もう一度、えっ?と尋ねたダグーは山岸に襟首を掴まれて揺さぶられた。
「物わかりの悪ィ奴だな!いいか、もう一回だけ言うぞッ。俺達の手で侵入者を全部捕まえちまえば、解雇されなくて済むだろ。第一警察が介入すれば生徒も怯える、余計に騒ぎが大きくなんだろが。そうしない為にも、俺達の手で侵入者騒ぎを終わらせるんだ!」
「わ、わ、判った!判ったから、揺さぶらないで、くれっ」
なんとか解放されてホッと息をつくダグーへ、大原が謝ってくる。
「すまんな。本当は警察や学長へ報告するべきなのは判っている……」
しかし、と続くであろう泣き言を遮って、ダグーは立ち上がった。
「いえ、戸締まりも任されているのがガードマンの役目でしたら侵入者を許したのも、俺達の責任ってことになりますよね。いや……目撃したのは東校舎だから、俺の責任ですか」
「オマエだけに責任をおっつけるつもりで言ったワケじゃねーよ!」
たちまち山岸がヒートアップして、大原にも慰められる。
「正面ゲートは俺の担当だ。東校舎に侵入者があったんなら、そいつは俺の責任でもある。蔵田、お前だけが責任を取る必要はない」
「えぇ、ですから」とダグーは双方を見つめ、微笑んだ。
「俺達全員の責任だというんでしたら、俺達の手で捕まえましょう。しばらく見回りは、ペアか三人一緒にやりませんか?一人では見つけても逃がしてしまいますが、皆が一緒なら」
なるほど、と頷く大原の横では山岸が反論する。
「けど、広いから三人雇われてんだぜ?三人一緒に見回ったら、他んトコが終わんねーだろ」
「こういうのは、どうだ?ガードマンを増やして貰う」
大原の案を却下したのは、ダグーだ。
「それも無理でしょう」
「増員を頼めば、学長には怪しまれます。ですから、ここは俺達だけで」
「けど――」「でも――」と反論する二人を呼び寄せ、ダグーは囁いた。
「目には目を、歯には歯を、そして部外者には部外者で対抗しましょう」
パチクリと瞬きし、大原と山岸が見つめ合う。
ほんの数秒、間をおいて。二人は同時に叫んだ。
「なんだってぇぇぇ!?」


所変わって新宿にある犬神死狼の事務所では、突然かかってきたダグーからの電話に受け答える犬神の姿があった。
『――というわけで、先輩諸氏の許可も下りたことだし改めて依頼してもいいかな?君にも、こちらへ来て欲しいんだ』
「それは構いませんが、例の依頼はどうなったんですか?」
『ん、そっちはまずまずかな。それより面倒に巻き込まれちゃってね』
ダグー曰く、学内に不法侵入者が現れて犯罪予告をしてきたらしい。
本来なら即警察へ通報するべきだが、通報できない理由がある。
何でも彼曰く、ガードマンの仕事の内には戸締まりも入っていて、不法侵入者を許したとあっては、ガードマンの面目丸つぶれである。
最悪の場合、解雇も免れない。
だが、それだけは避けたいのだという。
涙、涙な大原の身の上話まで聞かされて、多少閉口したものの、ダグーの頼みとあっては断りきれず、犬神は承諾した。
「判りました、伺います。明日の夜からで宜しいでしょうか?」
『ごめん、恩に着るよ。あぁ、それと、この件は』
「ランカさんには、ご内密に……ですか?」
例の騒がしい小娘が脳裏をよぎり、犬神は苦笑する。
あれまで連れていったら、見回りどころではなくなるだろう。
『うん。あぁ、それと君の予定は大丈夫?』
「えぇ。しばらくは仕事を入れていませんから、ご安心を」
電話を切り、しばし犬神は考える。
ダグーからの依頼とは、学校に現れた不審人物の捕獲であった。
彼が今引き受けているイジメっ子問題とは、全くの別件だ。
何者であろう。
クローカーとキエラ、その名前は犬神にも聞き覚えがない。
クローカーの目的は生徒から魔力を抜き取ることだとダグーは言う。
中世の魔女、或いはファンタジーかぶれの変人だろうか。
何にせよ、放っておくわけにはいかない。
ガードマンがお役後免になってしまえば、ダグーの依頼も最初から、やりなおしになってしまう。
それだけは避けねばならない。
明日は急いで、常勝学園へ向かわなくては。
面倒事は、さっさと片付けるに限る。
自分のためにも、ダグーのためにも……


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