Dagoo

ダ・グー

4.図書室

一日の最後を告げる鐘が鳴る。
夕暮れに染まった廊下を歩き、ダグーは一つ一つ、教室を覗き込む。
放課後の教室には、誰の姿もない。
床に落ちた黒板消しを拾い上げ、ざっと室内を見渡した。
これが、学校か。
机と椅子が二列、並んでいる。
けして綺麗とはいえない並びだが、不揃いさが却って調和を生み出している。
机に名前は書いていない。
だが、ターゲットのクラスは判っている。御堂が調べてきてくれた。
さわやかな腹黒、龍騎先輩は三年一組。
その取り巻き、雪島先輩は三年六組。
森垣は秋吉と同じクラスで、一年四組。
力構成を考えるならば、三人の中で一番発言力があるのは龍騎だろう。
一年の教室はダグーの警備範囲外だし、ひとまず森垣は後回しだ。
まずは教員、それも生徒と距離の近い人達に話を聞いてみよう。
教室を出ると、ダグーは四階へ向かう。目指すは図書室だ。


二階から三階へあがる階段を登る途中で、目の前を行く女性に気がついた。
女性は手にたくさんの本を抱えている。
それが何とも頼りない足取りで、ハラハラするダグーの目の前でオットットと後方へよろけてくるもんだから。
「危ないっ」と手を差し出して、間一髪。
片手で本を受け止めて、もう片方で本人の落下も防いでやった。
「あっ……す、すみません」
ぽぉっと赤らむ顔へ「いえ、間に合って良かった」と微笑むと、ダグーはジッと彼女を見つめる。
年の頃は二十歳前後……だろうか?
下手したら十代にも見えかねない童顔だが、校内を私服で歩いているのだ。
ここの生徒ということはあるまい。
童顔の割に、白いブラウスを持ち上げるのは意外や大きな膨らみである。
腰はきゅっと細くて、足も細い。全体的に華奢な印象を受ける。
「あ、あの……」と小さく囁いて、女性が腕を掴んでくる。
ダグーは踊り場まで降りていき、彼女を降ろしてあげた。
「ありがとうございます!」
勢いよく頭をさげた後、女性はダグーを見つめて尋ねてきた。
「その制服、ガードマンさんだったんですね。新しく来た方ですか?」
「あぁ、今日から、この東校舎を見回ることになった」
「蔵田剛志……さん」と、彼女が名札を読み上げる。
「はじめまして。私、根本知佳っていいます」と、また頭をさげた。
この人が、噂の司書さんか。
思っていたよりも、ずっと若く見える。
「この本は図書室へ?」と尋ねたダグーへ、知佳が頷く。
「はい。すみません、あとは自分で――」
持っていきます、というのを引き継いでダグーは微笑んだ。
「いや、ついでだから持っていきますよ。僕も図書室に用があったんです」
「図書室に?あ、見回りですね」
「えぇ。でも正確に言えば、あなたとお話がしたいと思いまして」
「私と?」
首を傾げる彼女を見つめ、ダグーが言う。
「はい。あなたと、です」

知佳に案内されて、図書室へ到着した。
四階の奥まった場所にあり、ドアを開いた瞬間、独特の匂いが鼻を刺激する。
古びた紙と、埃の匂いだ。もちろん、掃除は毎日やっているだろう。
それでも室内にこもる匂いは、なかなか消しきれないものだ。
手近な机に本を降ろすと、改めてダグーは室内を見渡す。
部屋の半分は本棚で埋め尽くされており、半分は机が並べてある。
窓際にも背の低い本棚が置いてあり、ぴしっと本が整列していた。
「本の整頓は、いつも根本さんが?」
「えぇ。時々図書委員の子達も手伝ってくれますけどね」
それにしても、すごい本の量だ。
これを全部、この可憐な女性が毎日整頓しているのかと思うと感嘆の溜息しか出てこない。
「それで……私にお聞きしたい事とは?」
カウンターへ腰掛けた知佳の、ちょうど真正面の席にダグーも腰掛ける。
「えぇ、まぁ、かしこまって話すほどでもないんですが……ここは普段、皆どんな風に利用しているんですか?」
「どんなって……色々ですよ。勉強をしにきたり、本を読みに来たり」
何故そんな事を聞くのか、と知佳の目が尋ねている。
「へぇ……休み時間も?」
「いえ、休み時間に、ですよ。授業中は授業へ出ていますから」
知佳に苦笑され、ダグーはポリポリ頭を掻くと言い訳がましく弁解する。
「あぁ、いや、変なことを聞いてしまって、すみません。僕は図書室には、あまり縁がなかったものだから……」
「あら、そうなんですか。蔵田さん、運動、お得意そうですものね」
くすくすと彼女が笑う。
「もしかして、勉強は一夜漬けタイプでした?」
「えぇ、まぁ。あ、じゃあ運動部の子は普段、ここへは来ないのかな?」
「そうですね……普段は本の好きな子達が集まってきますね」
でも、と知佳は付け足した。
「試験の前になりますと、運動部の子も来たりしますよ」
「へぇ、じゃあ剣道部や柔道部の子も?」
「えぇ。運動部は勉強の苦手な子が多いですから、試験の一週間前は、図書室が満員になることもあるんです」
そこで一旦会話が途切れ、ダグーは少し考える。
もっと警戒されるかと危ぶんでいたが、ここの司書は話し好きな人のようだ。
今のところ雰囲気もいいし、もう少し突っ込んだ話をしてみよう。
「あぁ、そうだ」と切り出すと「はい?」と、知佳には首を傾げられる。
「ここには虐められっ子も、来たりするんですか?」
「えぇ……」
少し、間が開いた。
これまでは、打てば響くような返事をしていた彼女なのに。
言うかどうするか悩んだ後、知佳は口ぶり重たく話し始める。
「来ますね。いえ、来ていました……と言った方が正しいかしら」
「と、言うと?」
暗い表情で彼女は俯いた。
「登校拒否になる前までは来ていた、ってことです」
「そう、ですか……秋吉くんも、こちらへ来ていたんですか?」
「えっ?」と顔をあげる知佳へ、重ねて尋ねる。
「秋吉くんです、緑秋吉くん」
「え、あぁ……はい。あの子ですね、はい、来ていました。あの、蔵田さんは緑くんのお知りあいなんですか?」
「えぇ、まぁ、ちょっとした知りあいです。といっても彼が登校拒否児になってからの、ですが」
まったくの嘘ではない。
ダグーの答えを聞いて、しかし知佳の表情はますます暗くなる。
カウンターを抜け出た知佳が、ダグーにそっと尋ねてきた。
「緑くん……元気ですか?」
「元気、とは言い難いですね。とても落ち込んでいましたよ」
正直に答えると、今度は腕にしがみついてくる。
「ずっと心配していたんです……!あの子、私に相談してくれたんです。イジメにあっているって。でも、私は彼を助けてあげられなかった」
学内での味方はゼロかと思っていたが、こんな処にいたとは。
秋吉は何も言わなかった。
どうして隠していたのだろう?
それにしても、ただ事ではない知佳の取り乱しっぷりにダグーは、ちょっとだけ秋吉が羨ましくなる。
彼女なら、きっと秋吉の相談を邪険にすることなく、きちんと聞いてあげて、さらには優しい言葉もかけたはずだ。
だが結局、相手は不登校になってしまった。
知佳が落ち込むのも無理はない。
「落ち着いて。イジメの話は僕も聞いています、彼から」
軽く手を握って慰めてやると、ダグーは穏やかな声色で続けた。
「それで、この学校のガードマンに志願したんです」
もちろん口から出任せの嘘八百だが、知佳はまともに信じたらしい。
瞳が輝きを取り戻し、しっかりとダグーの両手を握り返してくる。
「蔵田さん!どうか彼の、緑くんの力になってあげて下さい」
「えぇ、もちろん。ですから根本さん、僕に協力してもらえませんか」
彼女の瞳を覗き込み、真摯な表情でダグーは言った。
「この学校の実態を僕に教えて下さい」
「はい!」と元気よく頷き、すぐに知佳が尋ね返してくる。
「……でも、実態と言われましても具体的には?」
「そうですね……まずは、秋吉くんが誰に虐められていたのか。これを把握しておく必要があります」
主犯格の三人は、名前もクラスも知っている。
しかし彼らが学校では、どのような生徒であるかをダグーは知らない。
秋吉の視点による彼らの印象は、大体判った。
だから今度は、大人の視点での彼らの印象を彼女に語ってもらおう。
「ここには三年生も、よく来るんですか?」
ダグーの質問に、ぽぉっと考え込んでいた知佳がハッと我に返る。
「あ、は、はいっ。よく来ます、彼らは今年受験ですから」
「ほぅ……具体的に生徒の名前なんかは判りますか」
「え、と、あの、どうして三年生を……?」
思いっきり不審がられている。
ここは嘘ではなく、真実を話すべきだとダグーは直感する。
大丈夫だ、彼女なら。
秋吉に親身になれる知佳ならば、きっと秘密を守ってくれる。
「秋吉くんから、話を聞いたと言ったでしょう。実はね」
「実は……?」
「ある程度、イジメ犯人の目星はついているんです」
「えぇっ!?」
大声で驚いた知佳は自分の声にも驚いて、口元を両手で塞いだ。
「それが、三年生に……?」
今度は小さい声で尋ねてくる。
頷き返すと、ダグーも小声でお願いした。
「それで、ですね。利用者の判るものってありますか?」
「あっ、はい。ちょっと待ってて下さいね!」
慌ててカウンターへ走り寄り、知佳は棚から図書カードを取り出す。
ドサドサと並べられる箱の多さに、ダグーは目を丸くした。
「それ、全部利用者のカードですか?」
「はい。図書カードです、三年生全員の」
「全員の?」
首を傾げるダグーへ、知佳の説明が飛んだ。
「常勝では、全生徒がカードを作るんです。使うかどうかは置いといて、入学後、全校生徒にカードの作成が義務づけられているんですよ」
彼女が両手に抱えた箱以外にも、カウンターには幾つか箱が置かれている。
三年生だけでも、この量か。ダグーは目眩がした。
「全く利用していない生徒のカードは除外しましょう」
ダグーの気持ちを知ってか知らずか、知佳は逆に生き生きとしてくる。
助けられなかった秋吉を、今度こそ助けられるかもしれない。
その手伝いができると知って、やる気が漲っているのだ。
「あぁ、いや、待って。待って下さい」
クラクラする頭を抑えつつ、ダグーが待ったをかける。
「目星はついている、とも言いましたよね」
「はい」
「六組と一組の箱だけ、渡して下さい」
「えっ、はい。すごいですね、クラスまで判っているんですか……」
その口調が尻すぼみになったので、オヤ?とダグーが彼女を見ると、知佳もダグーの視線に気付き、寂しげに笑った。
「緑くん、私には何も話してくれなかったんですよ。誰に虐められているのかまでは。蔵田さんは、緑くんにとても信頼されているんですね」
そりゃあ、秋吉くんは俺にとってクライアントだからね。
……なんて答えるわけにもいかず、ダグーは箱に目を落とす。
「あいうえお順ですか」と尋ねた。
「はい、そうです。あのぉ……ちなみに、誰なんですか?」
ひそひそと尋ねられ、ひそひそと返す。
「誰にも言わないって約束できるなら」
「しますよ!もちろんっ。だって、協力するって言ったじゃないですか!」
ついつい声が高くなる彼女へ指でしぃっと促すと、ダグーは、さらに小さな声でボソボソと耳打ちした。
「淀塚龍騎くんと、雪島仁志くんです。ご存じですか?」
反応がない。
知佳を見ると、ポカーンとしている。
もう一度尋ねようとしたダグーの耳に、知佳の甲高い声が突き刺さった。
「えぇ〜、ウッソォ!雪島くんはともかく、淀塚くんが、そんな事をするなんて信じられません!」
「……二人を、ご存じなんですね?」
これ幸いとばかりに図書カードの詰まった箱を脇へ押しやると、カウンター越しにダグーはぐぐっと身を乗り出した。
「どういう子なんです、龍騎くんという学生は」
「淀塚くんは、剣道部の主将です。ここにも、よく来てくれますよ。読書が趣味なんだそうです。顔はいい、スポーツ万能、歌もうまくて女の子には大人気なんですよ!その彼がイジメだなんて……本当に、本当なんですか?」
いわゆる学園のアイドルというやつか。
しかも剣道部の主将ときた。
主将が影で部外者の一年生を虐めるとは、世も末である。
「本当に本当ですよ」
知佳の驚きはサラリと流し、ダグーも追及の手を休めない。
「それより、雪島くんはともかく……と、おっしゃいましたね。彼は、どういう子ですか。そういうことをしそうな子なんですか?」
上げ足取りに、知佳は気まずい表情を浮かべる。
だが、すぐに頷いた。
「はい、あの……雪島くんは、ちょっと不良がかった子でして。試験の前の日だけ、ここへ来ます。大抵は一人で、ですね。あと、私のことをバカにしているような所もあって」
それで、ともかくと失言してしまったらしい。
「バカにしている、とは?」
「はい、タメグチっていうんですか?友達みたいに馴れ馴れしく話しかけてくるんです」
「フレンドリーだと思われているんですよ、良いことじゃないですか」
褒めるつもりで言ってやると、「だったら」と知佳は口を尖らせた。
「もっと本を大事にして貰いたいもんだわ。あの子、本のカバーを外して勝手に捨てちゃうんですよ?」
なるほど、大体二人のイメージは把握した。
龍騎は人気のある優等生で、雪島は困った不良か。
龍騎は図書室を、よく利用している。
彼と接触するなら、教室や部室よりも図書室が良かろう。
「あぁ、つい長居をしてしまったな」
少しわざとらしく言ったダグーに、知佳が慌てて謝ってくる。
「あっ、ごめんなさい。見回りの途中だったのに」
その彼女へ顔を近づけて、ダグーはヒソヒソ囁いた。
「また協力を頼むことがあるかもしれません。その時は、宜しく」
「は……はいっ!」
顔の近さにドギマギする知佳を、そのままにダグーは図書室を後にした。
次は保健室でも覗いてみようか。
まだ先生が残っていれば、いいのだが。


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