Dagoo

ダ・グー

3.いざ、学園へ

二週間後。
ダグーは新宿駅で犬神と落ち合った。
「新しい、お仕事の始まりですね。頑張って下さい」
涼しげに笑うと、犬神は書類一式をダグーへ手渡した。
「あなたの名前です。きちんと覚えて下さいね」
「あぁ、判った」
封筒から取り出し、ダグーは履歴書と運転免許証に目を通す。
犬神に頼んで作らせた、偽造の身分証明書だ。
名前欄には『蔵田 剛志』と書かれている。
ダグーの目線を追って、犬神が付け加えた。
「今のご時世、海外労働者は怪しまれますから」
「この名前は、どこから?」
ダグーは尋ねたが、それは華麗にスルーして犬神が先を話す。
「先方への話は既に通っています。今日から来て欲しい、との事です」
「ずいぶんと手回しがいいね」
面倒な面接から始めなくて済むのは、有り難い。
しかし、犬神にそこまでのコネがあったとは驚いた。
彼の手を借りるのは、身分証の偽造だけで充分と考えていたのだが。
「以前仕事をした際に、恩を売った相手がいるんです。警備会社を経営していて、学校関係者にも顔の利く人です」
「学校関係者?学校が警備員を雇うのかい」
「今は警備会社と契約する学校なんて、さして珍しくありませんよ。ストーカーに誘拐、学級内暴力と、これだけ犯罪が多ければ、とても用務員や教員だけでは、児童を守りきれません」
犬神のあげた会社名は、TVのCMでも聞き覚えのある中堅会社だった。
「ダグーさんは、そこの会社の臨時社員という扱いにして貰いました」
「なるほど、ありがとう」
「封筒の中には名札も入っています。学校へ潜入したら、忘れずつけて下さい」
至れり尽くせりだ。
再度礼を言った後、ダグーはジッと犬神を見つめる。
視線に気づいた犬神が「どうかしましたか?」と尋ねるのへ、真顔で聞き返した。
「君には何から何まで世話になってばかりだね。どうして、そこまで親切にしてくれるのかな?」
「どうしてって……ご依頼でしたから」
涼しい顔で受け流す彼へ、なおも突っ込む。
「俺が君に依頼したのは、身分証の偽造だけだ。学校と話をつけてくるのは、何でも屋である俺の仕事だよ。君が、そこまで手を回してくれる必要はない」
すると犬神は目を逸らし、寂しげにポツリと呟くものだから。
「……ご迷惑、でしたか?」
ダグーは慌てて言い直した。
「とんでもない、迷惑どころか感謝しているよ。ただね」
「ただ?」
「どうして、そこまで俺に親切にしてくれるのかが気になっただけなんだ」
「だって……」
顔をあげ、犬神の瞳が真っ向からダグーを捉える。
しばし見つめ合った後、彼は小さく微笑んだ。
「あなたは僕の素性を知った後も、つきあいを変えなかったでしょう?珍しいです、そういう人は。僕の人生において、あなたで二人目です。だから僕も、あなたを信頼しようと思ったんです」
おいぬ様の事を言っているんだな、とすぐに見当がついた。
確かに、あれを見たら普通の奴は腰を抜かして逃げ出すに違いない。
――普通の奴なら、だ。
「仕事柄、何があっても驚かないようにしているんだ」
茶化して笑っても、犬神は真面目に取り合った。
「でも、こうしてご贔屓にして下さっている」
「そりゃあ、だって君の手際は優秀だからね。今日だって頼んだ期日通りに、立派な身分証を作ってくれたじゃないか」
ポンポンと軽く犬神の肩を叩き、ダグーは片目を瞑ってみせた。
「また何かあったら頼むと思うけど、その時も宜しくな」
「お任せ下さい」
即座に頷く犬神へ「じゃあ、また」とダグーは背中を向けたのだが、その背中へ犬神が呼びかけた。
「あっ、待って下さい」
「何だい?何か忘れものでも」
「あ、あの、余計なお世話かもしれませんが……」
急に声を潜めた彼の言うことにゃ。
「新宿には、厄介な人物がいると前に言いましたよね」
「あぁ、それが何か?」
「彼が、あなたの邪魔をしてくるかもしれません」
何故、そのように思うのか?
理由を問えば、犬神は困ったように眉をよせて首を傾げた。
「ある筋の方が、教えてくれたんです。彼が、あなた達のような探偵業を目の仇にしていると」
「俺は探偵じゃないよ、何でも屋だ」
「端から見れば同じです。少なくとも警察は同類と見ています」
ということは、その人物は警察関係者なんだろうか。
だが、そのツッコミには首を振り、犬神は即座に否定した。
「彼は警察官ではありません。表向きにはデザイナーを名乗っています。ですが、あなたと同じように何処にでも入り込める厄介な人です。くれぐれも遭遇しないよう、もし遭遇しても上手くやり過ごして下さい」
そんな大物が新宿に住んでいるというのか。
用心のために、名前ぐらいは聞いておいても損はない。
ダグーが尋ねると、犬神は殊更、声を潜めて囁いた。
「笹川 修一です」
「笹川、ね」
全く聞き覚えはなかったが、新宿を根城にする犬神が警戒する相手だ。
出会ったら即逃げたほうがいいな、とダグーは肝に銘じておいた。
それじゃあと再び別れを告げて、ダグーは一路、常勝学園を目指す。
今回の依頼人、緑 秋吉の通う私立高校だ。


プリントアウトした地図を片手に、細い路地へ入り込んだ。
普段は使われていない道なのか、朝の九時だというのに誰もいない。
反対側から人が歩いてくる。
気にせず、すれ違おうかという時、アクシデントが襲いかかってきた。
「お主!死相が見えておるッ」
いきなり青年が振り返ると、ダグーを指さして叫んだのだ。
「死相予防にはデントヘルス!」
「それは歯槽膿漏だろ」
すかさず突っ込んでから、ダグーは相手をまじまじと眺める。
年の頃は……十代前半?中学生から高校生ぐらいに見える。
短めの黒髪で、背丈はダグーより低く中肉中背。
これといって目立った特徴のない青年だ。
何で見知らぬ奴に、いきなり絡まれなきゃいけないのか。
「これより先に行けば、お主には災いが降りかかるであろう……悪魔が……悪魔が学園に……アッ、熊だ。ではなく悪魔が、お主の行く手を遮るであろうッ。行くな、行ってはならん、これは忠告じゃあぁぁッ!」
若く見えるのに、何故か青年の口調は年寄り臭い。
しかも、言っていることが滅茶苦茶だ。
ふざけているとしか思えない。
「いや、行くなと言われてもね」
ダグーはポリポリ頭を掻いて、困った相手に言い返す。
「この先に用があるんだ。すまないけど予言ごっこは、また今度にしてもらえるかな」
今度なんて、いつあるのかは知らないが。
振り切って行こうとしたら、ささっと回り込まれて通せんぼされる。
「聞こえなかったかな、その先に用があると言ったはずだけど」
ムッとしてダグーが口調を強めるも、相手は全然聞いちゃいない。
「ディーフェンスッ!ディーフェンスッ!」
バスケの防御よろしく両手を広げ、全力で進路妨害を始めた。
何だか判らないが、青年には気味の悪い必死さがある。
ダグーが腕時計を見ると、約束の時間まで、あと一時間しかない。
いつまでも関わっているのは時間の無駄だ。
だが踵を返して別の道へ行こうとすると、今度は反対側に回り込んでくる。
「邪魔しないでくれ、戻るんだから」
「ディーフェンスッ!ディーフェンスッ!」
「聞いているのか?戻ると言ったんだ。さぁ、道を空けてくれ」
「ディーフェンスッ!ディーフェンスッ!」
「……こいつ、いい加減にしろっ」
ついにはダグーも堪忍袋の緒が切れて、やや強引に青年の胸をどついた。
「アウチッ!」
意外やあっさり青年はよろけ、その隙をついてダグーは走り出す。
向かった先は学園のある進行方向だ。
「行くなァァッ、災厄に襲われても知らんぞぉぉぉッ!!」
青年の叫びが追いかけてきたが、ここで邪魔される以上の災厄はない。
ダグーは心の中で吐き捨てると、後は振り返らずに全力疾走した。


約束の時間まで二十分を切った頃、ダグーは、ようやく常勝学園へ辿り着いた。
あそこで強行突破しなければ、完全に遅刻していたかもしれない。
全く、何だったんだ。あの青年は。
首を振って苛々を脳裏から追い払うと、ふぅっと大きく溜息を吐いて息を整えたダグーは、学長室へ向かう。
学長には既に話が通っていると、犬神は言っていた。
最初の挨拶さえ済んでしまえば、すぐ仕事に入れるそうだ。
といっても、何も真面目にガードマンの仕事をするつもりはない。
目的は、いじめっ子との接触だ。
学内を歩き回ってターゲットを探すついでに、見回りもやっておけばよい。
学長室の前で立ち止まり、ダグーは扉をノックした。
「失礼します。本日配属となりました警備の者ですが」
「どうぞ」の声を待ってから扉を開く。
中で待っていたのは、女性が一人。
彼女は副学長と名乗り、名刺を差し出した。
「話は聞いております。学長はあいにくと急用で出かけておりますが、私が代わりに」
「判りました」
「蔵田さんの担当範囲は、東校舎全般です」
「担当範囲……ですか?」
校舎全部を自由に回れるわけではないようだ。
驚いたダグーが聞き返すと、副学長の沢木 美津江は頷いた。
「えぇ。学内全てを一人で見回るのは大変ですからね。蔵田さん、あなたの他にも二名、ガードマンを雇っております」
計三名も外部の警備員を雇えるとは、さすがは私立、なかなかに裕福だ。
「こちらが東校舎の見取り図ですが」
わら半紙に印刷された地図を渡され、ダグーはざっと一瞥する。
東校舎にあるのは、三年生の教室。
それから図書室と調理室、美術室と保健室か。
見回り範囲に教室まで含まれているのは好都合だ。
いじめっ子三人のうち、二人は三年生である。
そこまで考えた上で犬神が話を通してくれたのだとしたら、彼には感謝してもしたりない。
この仕事が終わったら、何かうまい飯でもおごってやろう。
そんなことを考えながら、地図をポケットにしまい込むとダグーは会釈した。
「では本日の放課後より、学内の見回りをやらせて頂きます」
「えぇ。よろしくお願いします、蔵田さん」
滞りなく、且つ怪しまれることもなく、ダグーは無事に学長室を後にした。

学生が滞在している時間帯、ガードマンはやる事がない。
かといって学内をブラブラしていては、子供達を不用意に怖がらせてしまう。
従って、彼らの待機場所として用意されたのが用務員室であった。
用務員室といっても名ばかりで、この学園に用務員は存在しない。
過去にはいたのだが今はおらず、警備員の休憩所として使われている。
「この学校って、ケチなのかリッチなのか、よく判らんよなァ」
警備員の一人が、そう言ってダグーへ笑いかけてくる。
大原 芳光。警備員の中では一番の古株だそうだ。
柔道か空手でもやっていたんじゃないかと思わせる体格をしている。
野太い声に、いかつい顔。どこから見ても、体育会系にしか見えない。
この学園の事なら何でも知っていると豪語する彼に、ダグーは尋ねた。
「ここの学生達が一番好きな場所って、何処ですか?」
「代々、学生の心が一番安らぐのは保健室と相場が決まっている。二位は図書室だな。静かだし、司書さんは可愛いし」
「可愛いんですか?」
つい好奇心で食いついたら、もう一人の警備員には苦笑された。
「なんだオマエ。警備に来たのかナンパに来たのか、どっちなんだよ」
彼の名は、山岸 達哉。
大原とは対照的に、こちらは細くて、すらっとしている。
髪は茶髪でピアスをしているし、よく警備員として信用されたものだ。
多少男前ではあるものの、山岸からは軽薄な雰囲気しか漂ってこない。
こんな奴にナンパかと疑われるのは心外だが、ダグーは笑って受け答えた。
「やだなぁ、警備するのは当然ですよ。ただ、学内の皆さんとはギスギスするより仲良くなったほうが、仕事にも差し支えが出ないんじゃないかと思いまして」
咄嗟のでまかせなのに「なるほどなぁ」と、大原は感心している。
山岸は、というとチッと舌打ちして大原にブゥ垂れた。
「こいつに余計な情報与えんで下さいよ」
「何が余計な情報だ?」
まるっきり気にしていない調子で笑うと、大原はダグーの肩を強く叩いた。
「俺は聞かれたから答えたまでだ、なぁ!」
ダグーも笑顔で頷くと、大原へ尋ねる。
「えぇ、その通りです。ちなみに司書さんのお名前は?」
「オイ、新入りィ!チョーシに乗んなよ!?」
山岸の怒鳴り声にも負けない大声で、大原は答えた。
「根本 知佳さんだ。一度会ってみろ、絶対見惚れるから。お前さんの担当範囲に図書室があったのは、実にラッキーだったな」
知佳さんか。
見惚れるかどうかはさておき、会っておく必要はある。
子供達の集まる場所なら、虐めに関する詳しい話が聞けるかもしれない。


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