Dagoo

ダ・グー

2.イジメ

勧められるがままにソファーへ腰掛けた後も、秋吉は何から話そうかと迷っていた。
あれから一週間。
ずっとダグーの件は、秋吉の脳内を占領していた。
いじめっ子を消す。
簡単に言ってくれるが、本当にそんな真似ができるのだろうか?
気になって、ネットで片っ端から検索をかけてみた。
何って、もちろんダグーの『なんでも屋』についての情報をだ。
だが、検索結果はゼロ――誰も話題にしていない。
大手の匿名掲示板サイトですら、引っかかりもしなかった。
一気に信憑性は薄れてしまい、しばらくは秋吉も忘れていたのだが、それが不意に蘇ったのは、つい二、三日前の事だ。


その日は朝から両親の機嫌が悪くて、父と母の口喧嘩に嫌気がさした秋吉は黙って家を出た。
どこへ行くというアテなどなく、ぶらぶら近所を歩いていたところ、あいつらに見つかってしまったのだ。
ついていない時というのは、とことんツイていないものだ。
「あれ〜?こいつ、どっかで見かけたことねーかァ」
「何処で見たっけー」
わざとらしく言いながら、しつこく後をついてくる。
相手にするまいと歩調を早めたが、すぐに追い抜かれて行く手を塞がれた。
「あっ、思い出したぞぉ。一学期の途中から来なくなったアッくんじゃないか」
「アッくん、俺達心配したんだぜ。プリントごっそり溜まってるよ、君の机ん中にサ」
前に二人、後ろに一人。どの顔にも嫌というほど見覚えがある。
一学期、散々秋吉を虐めてくれた連中だ。
手前に回った背の高いイケメンが、三年生の淀塚 龍騎。
その隣の痘痕面は、同じく三年の雪島 仁志。
秋吉の背後でにやけているのが、同級生の森垣 正一だ。
三人とも剣道部所属で、学内での噂は悪くない。
しかし、彼らは執拗に秋吉を虐めた。
教師や友達の目に見えぬ場所で。
今も虐める気満々なのは、雪島のニヤケ顔を見れば一目瞭然だ。
「二学期は学校へ来いよな、また一緒に遊んでやるから」
ポンと置かれた雪島の手の指が、肩に食い込んでくる。痛い。
振りほどこうとするも、淀塚にも腕を取られて押さえつけられる。
「今日は何処かへいく予定だったの?」
笑顔で尋ねられ、秋吉は仕方なくボソボソと答える。
「べ、別に……」
「そうか、じゃあ今から俺の家へ来いよ」
冗談ではない。
行ったら一学期と同じ目に遭うのは、判りきっているじゃないか。
「ぼ、僕、急ぐから」
青ざめた顔で俯く秋吉に、三人は容赦ない。
「なんで?別に行くアテなかったんだろ」
「暇なんだろ?こんなトコでブラブラしてるぐらいだし」
「俺達も今から龍騎の家に行くんだ。こいよ」
最後のほうは、なかば引きずられる形で連れて行かされた。
あぁ、そこから先は思い出したくもない。
ゲームで対戦すると言っては不利なハンデをつけられて、勝っても負けても体を嫌というほど殴られた。
それも、服に隠れるような部分ばかりをだ。
しまいには罰ゲームと称してパンツを脱がされ、写真を撮られた。
泣いて土下座して謝って、なんとかネットへの流出だけは免れたのだが、学校へ行けば、きっとこの写真で虐められるかと思うと鳩尾が痛んだ。
二学期も学校へ行きたくない。
こいつらが、同じ学校にいる間は。

こいつらが本当に消えていなくなるなら、万々歳だ。
一か八かで、頼んでみよう。
そう思い、再び秋葉原へ足を運んだ。


「最初は、何でもない事から始まったんです……」
ぽつりぽつりと、秋吉少年が話し出す。
秋吉は大人しくなければ、無表情でも無気力でもなかった。
ごく普通の、夢多き元気な少年だった。
それがイジメのターゲットに選ばれたのは、入学したばかりの頃。
昼食時、一緒に食べようと誘ってきた森垣を断り、別の友達を選んだ。
ただ、それだけの理由で、秋吉は森垣から目をつけられたのだ。
目をつけられたからといって、いきなり虐められたわけではない。
この頃はまだ輪の中へ入れてもらえていたし、一緒に遊んだりもした。
ただ、森垣の攻撃は、この頃から既に周到であった。
休憩時間のプロレスごっこでは、故意としか思えない攻撃を何度か受けた。
だけど秋吉が文句を言うと、森垣は必ず笑って、こう言いのけた。
「遊びでマジになってんじゃねーよ」と。
見れば周りの皆も笑っているし、文句を言った自分の方が痛い奴みたいだ。
だから秋吉も遊びだと割り切ることにした――のだが。
死角から繰り出される森垣の攻撃は日増しに激しくなっていき、やがて秋吉は自ら辞退するようになった。

――こうしてクラスの輪から秋吉が外れたと判るや否や、森垣のイジメ第二Rが始まった。

知らないうちに、嫌な噂が出回っている。
そうと秋吉本人が気づいたのは、五月の半ば頃だっただろうか。
検索を駆使した結果、学校の裏サイトにて、自分に関する中傷を見つけた。
学校の裏サイトなんて、都市伝説だと思っていた。
目を皿のようにして読むうちに、だんだんと気分が悪くなってくる。
ウザイ、キモイ、クライなんてのは、まだいいほうで。
酷いのになると秋吉が麻薬中毒であったり、不良の仲間だとも書かれていた。
とある教師と盟約を結んでいて、密告係を任命しているとも書かれていた。
女生徒をレイプした、なんて書き込みもあった。
酷いデマだ。デッチアゲにも程がある。
こんなものを信じる奴も、頭がどうかしているんじゃなかろうか。
だが秋吉を取り囲む環境は、風評を信じる人の数を物語っていた。
プロレスごっこに参加しなくても、秋吉には一人二人、友達が出来ていた。
大人しく、本や漫画ばかり読んでいるような連中だ。
その友達が一人減り、二人減り、気づけば周りには誰もいなくなって、いつの間にかクラスでは思いっきり孤立していた。

書き込みの件は、もちろん担任に相談した。
しかし先生の答えは、常に決まっていて「無視しろ」の一点張りだった。
無視するだけで何とかなるんだったら、クラスで孤立したりしない。
書き込みは次第にエスカレートしていき、秋吉は裏サイトを見なくなった。
見ても不快になるだけだし、改善される兆しもなかったから。

六月半ば、秋吉は強引に腕を引かれて剣道部の部室へと連れ込まれる。
連れてきたのは森垣だが、部室では、もう二人ほど待ちかまえていた。
一人は見覚えがある。
三年生で女子に人気の高い、先輩だ。確か名を淀塚 龍騎といった。
もう一人は知らない顔で、雪島 仁志と自己紹介される。
三人とも、剣道部に所属していた。
「裏サイト、見たぜ。君、なんで反論しないんだ」
さわやかな先輩の笑顔に誘われて、ついつい秋吉も話をしてしまう。
「反論したって、数の暴力に負けて僕の意見なんて聞いてもらえません」
「やる前から諦めてどうするんだ。そんなんだから、いいように悪口を書かれてしまうんじゃないのか?」
ぽんと軽く肩に手を置かれた時には、不覚にも涙が滲んだ。
「君の悪いところは、気が弱い点だな」
と、これは雪島の意見で。そいつに森垣がノッてくる。
「先輩、どうです、こいつを鍛えてやったら」
「そうだね」と龍騎も頷いて、秋吉をしっかりと見据えた。
「緑くん、剣道の心構えとは心身共に切磋琢磨して、礼節を尊び、信義を重んじ曲がらず折れず、強い心の持ち主となる事だ」
男前な龍騎先輩に言われると、妙に説得力がある。
「君も俺達と一緒に剣道を学び切磋琢磨していかないか?」
誘われた時には、迷わず秋吉は頷いていた。
先に優しくされていた事もあり、すっかり龍騎を信じていたのだ。
これがイジメへと繋がっていくなんて、予想すらしなかった。

森垣達三人による剣道指導は、剣道という名の暴力と恐喝であった。
道具を買うのだと言われては金を毟り取られ、一対一の稽古と称しては完膚無きまで叩きのめされ。
もちろん、部屋の掃除は秋吉のみが当番だ。
毎日毎日青痣と筋肉痛に悩まされながらも、秋吉はずっと信じていた。
どんな中傷にも負けない、強い心の自分が出来上がる未来を。
それが裏切られたのは、とある朝に見た学校の掲示板で、中央の目立つ場所に貼り出されていた一枚の写真であった。


そこまで言って、秋吉は一旦言葉を切る。
ランカの喉が、ゴビリと嫌な音を立てて唾を飲み込んだ。
「どんな写真が貼り出されていたのだ?」
秋吉の唇は震え、何かを答えようとしては閉ざされる。
「ここまでしゃべったんだから全部答えるのだ!」
どんなに急かされても彼は話したくないのだ。
というのは微かに震える肩先や握りしめられた拳を見れば、よく判る。
「いいよ。言いたくなければ無理しなくていい」
無言で震える少年へ、そっとダグーは囁きかけた。
無理強いは、すまい。それに大体予測もつく。
ひどく屈辱で生きるのが嫌になるような写真だったに違いない。
「え〜?勿体つけるのは卑怯なのだ」
不満げにクチを尖らす助手へは、そっと小声で答えた。
「たぶんね、服を脱がされて裸にされた写真だと思うよ」
せっかく小声で言ったのに、ランカは大声で興奮し出す。
「ハダカ!ヌードなのか!?下もスッポンポンか!」
直後の秋吉の反応ときたら哀れなもので、予想は大当たりと言わんばかりに彼の両目からは涙が溢れ出した。
ランカを横目で睨み、すぐさまダグーは依頼主を慰めにかかる。
「稽古の後、意識を失うことが何度かあったんだろ?君は無抵抗だった。なのに彼らは追い打ちをかけた」
「うっ、う、うぅっ……」
「脱がした犯人が彼らだと判ったのは、床の模様かい?」
声には出さず、秋吉が頷く。
「君は勿論、問いただしたんだろうね。でも彼らは認めなかった」
その後の、秋吉の悲惨な学校生活まで聞き出す必要はない。
こちらも大体、予想がつく。
思春期の少年少女は傷つきやすい癖に、他人を傷つけるのも得意だ。
「つらかったね。だが、もう我慢しなくていい」
むせび泣く背中をさすってやりながら、ダグーは静かに話しかけた。
「君の無念は俺達が晴らしてやる。だから、聞かせて欲しい。君が望む、彼らへの罰を。君は彼らを、どうしてやりたい?」
「僕、僕……」
ぎゅぅっと自分のジーンズを握りしめ、秋吉が呻く。
「あいつらに、仕返ししたい……僕と同じ目に遭わせてやりたい」

「つまり、あいつらを見えない場所で殴りまくってネットで嘘八百のデッチアゲ話を流しまくって恥ずかしい写真を学校のあちこちに貼りつけて泣きながら土下座させてやればいいのか?」

輝く笑顔で尋ねてくるランカに一瞬はポカーンとなった秋吉だが、次の瞬間には勢いよく頷いて、ついでにボソッと付け足した。
「あと二度と、誰にも暴力をふるえなくしてほしい」
なかなか難しい上、やたら注文が多くもある。
だが一人の少年の、心に秘める悩みを打ち明けさせたのだ。
ここで引き受けてやらねば、何が何でも屋か。
ダグーも笑顔で「よし、判った」と頷くと、彼の前に紙を差し出す。
「では、ここにサインを。それから、この依頼で君が支払える金額も宜しく頼むよ」
「え――?あ、あの、金額って」
驚いた秋吉の顔をダグーも見返して、微笑んだ。
「この依頼に見合う報酬額だ。いくらなら、君の気は晴れるのかな?」
「え、でも、僕が勝手に決めちゃっていいんですか?こういうのって、普通はそっちで決めるもんじゃ」
「俺に依頼したのは君だ。経費は気にしなくていい、そこまで貧乏じゃないからね」
プレハブ建ての中で言われると、如何にも違和感のある言葉だ。
しかし本人が、こう言うのだ。
お言葉に甘えて、秋吉は自分の名前と、思いついた金額を書き込んだ。
「一万円、か」
「だ、駄目ですか?」
おどおどと聞き返す秋吉へ首を真横に振ってやると、ダグーは契約書を折りたたむ。
「いや、意外と羽振りがいいなぁって。もっと渋るかと思っていたんだが、君は根っからのお人好しなんだね」
再び秋吉の目の前が、涙で曇る。
誰かに褒められるのなんて、いつ以来だっただろう?


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