4.この世の終わり
「電話、誰からだったんだ?」と尋ねるキエラの腕をひっつかみ、ダグーは慌てて席を立つ。「た、た、大変だ!ランカが怪しげな宗教に引っかかった!」
しかし、キエラは「ハァ?ランカが?」と呆れた目線を向けるばかりで一向に急ごうとしてくれない。
クローカーに「本当にランカの声だったのですか?それで彼女は何と」と尋ねられ、たった今、電話で交わした内容を伝えると、「神殿に行って禊名、ですか……」と呟き、クローカーは手元の名刺に視線を落とす。
「神殿というのは、どこにあるのでしょうね。他には何も言っていなかったんですか」
「それだけなんだ。たった、その一言だけで電話が切れちゃって」
「その時のランカの口調は、どうでしたか。言わされているようだったのか、それとも自分の意思で言っていたのか」
クローカーの質問に、ダグーは脳内でランカの声を再生する。
誰かに言わされているような、棒読み状態ではなかった事だけは確かだ。
いつも通りの元気な声で間違いない。どこか浮かれているようでもあった。
そう伝えると、フム、と考え込んだクローカーが慎重に言葉を紡ぎだす。
「まだ正気なのに神殿で禊名、ですか……何をしに行くのか、具体的には教えられていないのでしょうね」
ついでとばかりにダグーは尋ねた。
「そのミソギ名って、なんなんだ?」
「え?」
ポカンとなるキエラの横で、クローカーも目を点にして尋ね返す。
「まさか、理解していなかったのですか?あなたも」
「う、うん。神殿って聞いた瞬間、宗教かと合点したんだけど……ミソギ名ってのも、宗教と関連するのか?」
クローカーは推測ですがと断った上で、頷いた。
「禊は邪悪を祓い清めることを指します。禊名とは、キリスト教で言うところの洗礼のようなものだと推測できます」
「しかしよ」とキエラは眉間に皺を寄せ、同胞を案じる。
「俺達が禊なんぞされちまったら、消滅しちまうんじゃねーか?」
「え、え!?ど、どういうこと?」
泡食うダグーへ事も無げに、クローカーは断言した。
「信仰は時として、魔法よりも強い力を持ちますからね。ランカを連れ去った何者かが魔族を邪悪と見なした場合、邪悪である我々は禊によって祓い清められる、つまりは魂ごと消滅させられる危険もあるということです」
もし、それが本当だとすれば一大事ではないか。
こんなところで、呑気に茶をすすっている場合ではないほどの。
しかし「大変だ!探さなきゃ」とダグーが慌てたって、肝心の場所が判らないのでは探しようもない。
仙台にランカの知人は一人もいないはずだから、行きずりの誘拐なのであろうか?
「けど、あいつがホイホイ信用してついていく相手、ねぇ?」
キエラは首を傾げている。
ランカは人懐っこそうに見えて、意外と警戒心が高い。
前の地では、最後まで犬神や佐熊ら協力者と打ち解けなかった少女だ。
「思い出してください、ダグーさん。この地で、あなた方と関わった人間は、どれほどおりましたか?」
クローカーに問われ、ダグーは腕を組んで考え込む。
仙台で直接話した人は伊達政宗像前で写真を撮ってきた女性の二人組と、あとは例の三人組、それからチラシに興味を持って話しかけてきた人々ぐらいだ。
「ソフトクリーム……そうか、あの人と会っていたとすれば!?」
「ソフトクリーム?」と怪訝な表情のキエラには、順を追って話した。
全てを聞き終え、クローカーがポツリと呟く。
「……なるほど。食べ物で釣られましたか。充分考えられる範囲です」
そうなのだ。
対話だけだとメチャクチャ警戒心が高いくせに、何かを貰えるとなると途端に猫の子以下の警戒心に成り下がるのがランカの困った特徴だ。
「やはり、一度行ってみないと駄目ですね。急ぎましょう、大学へ」
「あ、でも」
壁にかかった時計を見ると、すでに六時を回っている。
チラシに書かれた講演会の終了時刻は、とっくに過ぎており、今頃行っても誰もいまい。
「もしかしたら、あいつの残留思念があっかもしんねーし、一応行ってみようぜ?」
それしか手掛かりがないとあってはダグーも、それにすがるしかない。
キエラに急かされ、勘定を済ませた三人はタクシーを拾って大学へ急ぐ。
大学へ到着する頃には、とっくに門も閉まっていたが、馬鹿正直に手順を踏んでお邪魔する必要はない。
門の正面で片手をかざしていたキエラが、ややあって二人に振り返った。
「……よし、張れた。入ろうぜ」
何がと聞き返す暇はダグーに与えられず、三人で門を開けて中に入る。
警備員がすっ飛んできそうな位置での堂々侵入にも関わらず、誰も走ってきたりしない。
以前、クォードが余所様のお宅に侵入する際、張ったのと同じものであろう。
いわゆる結界、邪魔な人間を全て排除できる優れものだ。
「それで……残留思念ってのは、どうやって探すんだ?」
辺りをきょろきょろ見渡すダグーに、キエラが答える。
「ここで誰が何をしたかってのは気配として、しばらく場に留まるんだ。時間が経つと、そのうち消えちまうんだけどな。んで、だ。ランカがココに来たんなら、あいつの気配も残っているはずだ。だから俺達は、そいつを嗅ぎ当てる。ダグーちゃんには無理だから、その辺に座って待っててくれよ」
クローカーは一言も話さず瞼を閉じて立っている。
ああやって神経を集中させないと、気配というのは探せないのだろう。
言われた通り、ダグーは椅子に腰かけて待つことにした。
ランカにソフトクリームを買ってきてくれた人を脳裏に映し出す。
確か……エンドウって名前じゃなかったっけ?
抹茶みたいな色のコートを羽織り、髪の毛は短めで、目の細い青年だった。
名刺を渡してきたのは、西荻という名のショートボブな青年だ。
あの三人組の中ではリーダー格なのだろう。ほとんどの説明を彼が行っていた。
残る一人は、キヒラと名乗った。
茶色と黄色のチェック模様のコートで、髪の毛がツンツン逆立っていた。
三人とも肩から鞄を下げていた。
あの中にはチラシが入っていたのかもしれない。
講演会の主催は、彼ら三人だけではあるまい。
あの三人だけだったら、会場を仕切る人がいなくなってしまう。
チラシ配りをやらされていた件から考えても、青年三人組は組織の下っ端だ。
一応肩書は広報となっていたけれど、往来での勧誘が主な仕事ではあるまいか。
もしランカの名残がなかったとしても、この三人の残留思念とやらが残っている可能性は高い。
それを言おうとダグーが立ち上がるのと、クローカーが「……ありましたね」と呟いたのは、ほぼ同時だった。
「なるほどなぁ。市内かと思ったら、県外かよ。とんでもねぇ長距離旅行だ」
キエラのぼやきに「何が判ったんだ!?」と急くダグーへ答えたのは、クローカーだ。
「ランカの残留思念によれば、ここには大勢の信者予備軍がいたようです。彼らと一緒に禊名……入会用の名前を貰う流れになり、あの子は飛行機で北海道へ向かうことになったようです」
「ほっ……北海道!?」
キエラ同様、ダグーも市内での移動だと思っていたクチだ。
ランカの一言伝言に、どこか近場へ行くような気安さを感じたせいだ。
「北海道ってのしか読み取れねぇな。ったく、ちゃんと人の話を聴いとけっての、あのバカ」
ぶつぶつぼやくキエラに、クローカーが進言する。
「ABHWが関わっているのは間違いないのですから、そこを手掛かりに探すしかありませんね」
「けどよ、その組織は極秘裏で動いてんだろ?どうやって探すんだ」
まったくだ。
ダグー達に判るのは、神殿と禊名とABHWの名刺だけである。
たったこれだけでランカを探すのは、河原で砂金を探すよりも難しい。
「名刺に連絡先が書いてありますでしょう?まずは西荻の居場所を突き止めるのです」
「あー、けど知らないって言われたら終わりじゃん」と、キエラ。
ダグーも悄然とするのを見やり、クローカーは己の頭を指で突いた。
「相変わらず短絡的ですね、あなた方は。直接会話したところで、とぼけられるのは当然です。彼とコンタクトを取るのではなく、彼の居場所を突き止めて、彼の動きをトレースするのです」
下っ端といえど、西荻には名刺でABHWの略称を名乗れるだけの地位が一応あるのだ。
他の支部や本部と連絡を取れる立場にも、あるかもしれない。
「電話番号、携帯だね……」
名刺を見てポツリ呟くダグーに、すかさずキエラが突っ込む。
「そりゃそーだ。あちこち移動しまくってんだろうしな」
あちこちで講演会を開き、集まった人々を言いくるめるかして、神殿とやらに送り込むのが彼らの本性だったのか。
いい人そうに見えたから信用したのに、誘拐犯だったとは酷い裏切りだ。
だが、まぁ、簡単に信用したお前が悪いと言われれば、そうなので、ダグーは内面の憤りを黙っておいた。
黙っていたら、キエラには肩をポンと優しく叩かれた。
「ダグーちゃん、ショックだろうが緊急を要するぜ。心を鬼にして、あいつらを追いかけるぞ」
「……うん、判っているよ。ランカを消滅させられたら、たまったものじゃないからね」
ちょっとの間の付き合いだが、ランカは悪い子じゃない。
ただ、落ち着きがなくて空気も読めなくて、何をしでかすか想像がつかず、思ったことをバッサリ言ってしまうだけだ。
長所をあげろと言われたら、小一時間は迷ってしまうかもしれない。
が、それでも居なくなってしまうのは悲しい。そういう子だ。
「電話をかけるのは、向こうについてからでもいいでしょう。我々も北海道へ行きましょう」
「あ、その前に」とクローカーの号令にストップをかけて、キエラが携帯を取り出した。
「俺らだけじゃ手こずりそうだし、クォードを呼び戻すってのは、どう?」
「彼は東京でやり残したことがあるんじゃなかったっけ?」と質問に質問で返したのはダグーだが、クローカーは空を見つめ、すぐに決断を下す。
「……そうですね。北海道は広大だ。一応連絡を取るだけは取ってみましょう」
電話をかけて、二、三、問答を繰り返したキエラが、こちらを見て指で丸を作る。
通話を終わらせ、ニッカと笑った。
「こっち来てくれるってよ。ただ、今日は無理だから明日行くってさ。やり残した件を他の奴に任せるようなことも言っていたし、準備が必要なのかもな」
やり残した件が結局何なのかは、教えてくれなかったらしい。
だが、クォードが来てくれると答えたのは正直に言って意外であった。
彼は何というか堅真面目で、一度こうと決めたら最後までやり通すイメージがあるようにダグーには感じたのだが。
「や、最初は渋ってたんだけどさ。禊名ってのを出したら、かなり焦った様子でソッチ行くって前言撤回してきたんで、もしかしたら何か心当たりがあんのかもな」
キエラの呟きに「ほぅ……」とクローカーも腕を組んで考え込むが、すぐに思考を打ち切り、撤退の合図を出してきた。
「では、今日の処は宿へ戻りましょう。合流場所も、あの宿で構いませんね?」
「あーうん。合流場所、そこにしといたからダイジョーブ」
ダグーはキエラに抱きかかえられて、帰りは空を飛ぶ。
誰かに見られるんじゃないかと内心ヒヤヒヤしたのだが、クローカー曰く、こうして飛んでいる間も自分たちの周りだけ結界を張っているのだと教えられた。
「そういや銭湯に行く約束、チャラになっちゃったな。ゴメン」
宿についた直後、キエラに頭を下げられて、ダグーは逆に彼を気遣う。
「いいよ、いいよ。その約束は、全部終わって落ち着いた後にでも」
「ん〜。ダグーちゃんの肉体美、楽しみにしてるわ。んじゃあ、今日は三人川の字で寝ましょっか」
馴れ馴れしくもダグーの肩を抱き寄せて歩いていくキエラの後ろを、クローカーも黙ってついていった。
――翌日、早朝。
クォードは、鞄一つと身軽な格好でやってきた。
「アングルボザード・ホーリーウォーと接触したんだってな」
挨拶も抜きで用件を切り出す彼に、クローカーが逆質問する。
「ご存じなのですか?」
「あぁ」と頷き、クォードは険しい視線を遠方へ向ける。
「輪廻転生を実現させようとしている厄介な軍団だ」
「輪廻転生?」とキエラが首を傾げるのへは「説法の一つですね。死んだ魂が次の生を得て誕生するといった」と説明するクローカーを、クォードの鋭い声が遮る。
「宗教上の説法じゃない、奴らは本気でやろうとしている。だからこそ厄介だと言ったんだ」
「その話、どこで?」と尋ねるダグーには、短く答えた。
「俺の背後が知っていたんだよ。北へ行くなら、そいつらと魔力の奪い合いになるかもってな」
「そういう情報は事前に教えていただきたいものですが……」と呟き、クローカーも詳しい内容を促す。
「具体的に、どう厄介なのです?禊名と関係しているのでしょうか」
「人の心を絶望に叩き込んで、殺すんだ。魔力が高ければ高いほどいい。禊名は殺人のフェイクだ。邪を祓うといっておけば、大概の奴は幸せが訪れると勘違いしちまうからな」
「あぁ、つまり――」
未曽有の大地震が起きたのは人類が滅亡するフラグであり、この世の終わりだ、世紀末だと恐怖で煽り、助かるには禊名を授かって精神的に生まれ変わるしかないと思い込ませる。
うまく騙せた人々を北海道にある神殿へ送り、そこで何らかの手で大量殺人するのが彼らの目的――なのか?
だとしても。
「魔力を集めるのでしたら、殺しては駄目でしょう」とはクローカーの弁だ。
「連中にだって集める気はねぇよ」と、クォードは首を振る。
どういうことなのかと首を傾げる三人へ、付け足した。
「魔力の高い奴は贄だ。人間を媒体にして、何か強大なモノを今の人間界で蘇らせようとしている……それが何なのかは、俺の背後にも見破れなかったようだが」
「そのーお前の背後っつかパトロン?だけどさぁ、そいつの情報って、どこまで信用できるワケ?」と水を差してきたのはキエラで、しかしクォードは「信じる信じないは、テメェらの勝手だ」と素っ気なく返し、ダグーを見た。
「ダグー、お前はランカを助けたいんだろ?だったら迷っている暇なんざねぇぜ」
彼の話を全部まとめると、ABHWとは、とんでもなくサイコパスな殺戮軍団に聞こえてくる。
そんな連中の本拠地に飛び込んで、無事、ランカを救出して戻ってこられるのだろうか。
というか大勢の人々を拉致監禁しているんだったら、素直に警察を頼ったほうが良いのでは?
なんて考えがダグーの脳裏を一瞬よぎるも、駄目だ、日本の警察は証拠がないと動けないんだったと思いなおす。
警察に頼るとしても、ランカに迫る危機は、どう説明すればいいのやら。
そこへ輪廻転生だの召喚だのが加わったら、警察はまともに相手をしてくれまい。
やはり、このメンバーで、どうにかするしかない。
ダグーは西荻の顔を思い浮かべる。
笑顔が柔らかく、とても手を血で染める軍団の仲間とは思えない印象の青年だった。
だがキエラ曰く、宗教信者は宗教だと判らない手口で人を騙すというではないか。
誰も彼も信用できない世の中じゃ、世紀末だと煽られて信じてしまう人が出てくるのも無理なき話だ。
ダグーは心の中で、そっと溜息をついた。
21/04/09 Up