3.アングルボザード・ホーリーウォー
夕方になってもランカは見つからず、ひとまずダグーはキエラとクローカーを喫茶店まで呼び出した。泡食う説明を受けて、キエラは目を丸くする。
「あいつ、宿にも戻ってねーのか。困ったやっちゃなぁ」
驚くキエラとは対照的に、クローカーは落ち着いている。
「猫と一緒ですからね、あれは。そのうち、ひょっこり戻ってくるでしょう」
心配じゃないのかとダグーが問えば、クローカーは悠然と微笑んだ。
「いいえ、全く。あれは、ああ見えて人間よりも長生きですからね。心配いりません」
「そうだな」とキエラも落ち着きを取り戻し、背もたれに寄りかかった。
「またどっか、ダグーちゃんちみたいに、どっかの家に潜り込んでんのかも」
ウェイトレスが水を持ってきたので会話は一時中断し、クローカーが珈琲とケーキを人数分頼む。
ダグーは落ち着かなさげな視線を窓の外へ向けた。
大丈夫とクローカー達は言うが、あれを野放しにしてしまって本当に大丈夫なのか。
ランカが誰かに危害を加えられるよりも、彼女が誰かに危害を加える心配のほうが強い。
ダグーが黙り込んだので、もうこの話題は終了とばかりにキエラとクローカーが今日の成果を話し合う。
「この辺は、そうでもねぇけど被災地は、まだ酷いのな」
「えぇ、そうですね。魔力の回収は、ここでやりましょう」
「だなぁ。つっても、ざっと見渡した限りじゃ、高い魔力の持ち主もいなさそうなんだけど」
話途中に割り込んで「酷いって何が?」と尋ねたダグーには、クローカーが答える。
「震災の影響ですよ。都心部はだいぶ修復されましたが、被害の酷い場所は人口も減っています」
去年、大きな地震があった。
まだ東京へ着いたばかりの頃で、せっかく建てたプレハブ小屋が全壊するのではと恐怖を覚えた記憶だ。
地震直後は停電や断水に見舞われたが、それでもダグーの住む周辺は、さほどの被害が出なかった。
少なくとも、震源地である東北地方と比べたら。
「というか、そんな遠方まで行ってきてたんだ?」と驚くダグーには、二人とも肩をすくめる。
「まぁね。空飛びゃ一瞬で往復できるし」
「一瞬というのは大袈裟ですが、日帰りできる距離ですよ」
キエラの発言をクローカーが補足し、ちょうどキリのいいタイミングで頼んだ珈琲とケーキが運ばれてくる。
「ともあれ、明日も我々は魔力を探しますので、あなたもランカのことは、お気にせず探し人の情報を集めてください」
「本当に探さなくていいのか?ランカを。ほっといたら、何かやらかしそうで怖いんだけど」
念を押してくるダグーをチラリ一瞥し、クローカーは頷いた。
「言ったでしょう、あれは猫と一緒だと。人の見ている前では大騒ぎしますが、誰も見ていないと判れば静かなものです」
仲間に全く心配されていないランカが、どこで何をやっていたのかというと。
ダグーとはぐれて途方に暮れている処を例の三人組の一人に見つかり、手を引かれて講演会に参加していた。
ランカを保護したのは、ソフトクリームを奢ってくれたやつだ。
名前は遠藤といった。地味な苗字と顔とで、明日には忘れている存在だ。
「去年は未曽有の大災害が、この東北を襲いました。人類は滅亡せず復興の道を歩んでいます。しかし復興の進みは芳しくなく、いずれは政策が打ち切られることも懸念されます」
講演は災害の話題から始まり現状の全域復興率をデータで示した後、人と人とが手を取り合って生きていくには団結力や優しさだけではなく強いリーダーが必要だと、延々ご高説を垂れている。
チラシを見た感じ、てっきり映画や芝居かと思っていたランカには非常に退屈なおしゃべりだが、終わるまでは席を立つなと遠藤に言われていたので、おとなしく貰った飴をコロコロ舐めつつ話を聴いた。
今は震災を離れてカリスマ性のあるリーダーについて、とくとくと語っている。
カリスマリーダーを中心に据え置くのは構わないが、復興で一番必要なのは資金じゃなかろうかとランカは考えた。
何をするにも、この世は金だとダグーが以前こぼしていた。
人間社会は、常に金なるものを要求される理不尽な世界なのである。
リーダー論が終わった後は続けて、他生物との共存について話し始めた。
会場はシーンとしており、物音一つ立つ気配がない。
こういった広い会場では、咳をしたりクシャミをしたり、鼻を噛んだりする人が一人ぐらい居てもいいはずなのに。
もしかして皆、寝ているんじゃなかろうか。
そういえば、自分も眠くなってきた気がする。
なにしろ話は長いし興味は沸かないしで、あぁ、駄目だ。
眠いと考えた途端に、猛烈な眠気が襲ってきた。
瞬きの合間にランカも眠りに襲われ、スヤスヤと寝入ってしまった。
今日はもう遅いからと情報収集を終わりにして、ダグーはクローカーとキエラ両名と喫茶店で一息入れる。
今日の出来事を話すとキエラには茶化されて、おでこをツンと突かれた。
「途中でチラシ配りに引っかかって情報集めは全然だったって?ったく、お人好しは相変わらずだなぁ、ダグーちゃん」
「ランカが公道で大道芸を……警察に拘留されなくて、なによりでしたね」
皮肉めいたクローカーの一言を聞き流し、キエラが身を乗り出してくる。
「それで、何?大学でやってる講演会って何がテーマなんだ」
「それが、よく……」と頭を振って、ダグーもポケットからチラシを取り出す。
ほとんど逃走中にばら撒いてしまったのだが、一枚だけ残してあった。
どれどれと覗き込んで、キエラが「人類の滅亡?ハッ、好きだねぇ人間は、こういうのが」と頭から馬鹿にする横では、クローカーが「なるほど……滅亡を救えるのは自分達だと申し上げたいのですか」と小さく呟く。
「え、どこにそんな記述が?」
ダグーの質問には、小さな文字の羅列を指さした。
「彼らは国による復興工事が途中で打ち切られるのではと懸念しています。そして出した結論が、国は信用できない、カリスマ性の高いリーダーを中心として自力で復興すべきだと」
「でも、どれだけ頼れるリーダーを立てても、最後は資金力が物を言うんじゃ」
ランカと同じ結論に辿り着くダグーを見て、キエラも笑う。
「だよな〜。自力で復興できるぐらいなら、最初から国に頼ったりしねぇっての」
災害の復興に関して、後ろ盾のない人間の出来る範囲など限られている。
特に道路や線路の工事に至っては、一般人が何とか出来るものではない。
「これだけ豪語するからには、あるのでしょう資金や横繋がりのコネが。あるいは、講演会を見た人を誘い込んで金を毟り取る算段かもしれませんね。どことなく、宗教の香りを感じます」
「それも、新興宗教な。相当胡散臭い」
キエラが相槌を打ち、クローカーも眉をひそめ、ところでとダグーに尋ねる。
「このチラシ配りを頼んできた人は、名刺か何かをお持ちではありませんでしたか」
「あぁ、それなら」とダグーは名刺もポケットから取り出して、二人に見せた。
「ABHW日本支部……?」
「世界のどっかに本部があるのかねぇ」
「ABHWとは何の略称でしょう。少々お待ちください」
手持ちの携帯電話で、さっそく検索をかけるクローカーを横目に、キエラはダグーをからかう。
「ダグーちゃんって、如何にも宗教信者にボッタくられそうだから気をつけるんだぞ☆」
「はは……いくら俺でも、宗教に騙されたりしないよ」
「どうかなァ〜。ダグーちゃん、お人好しすぎっから、すぐ騙されそう」
「それに、その名刺を渡してくれた人も宗教だとは名乗っていなかったし。違うんじゃないかな」
「バッカ、最近の宗教勧誘は宗教だって明かしてこないんだぞ?あーホント、心配」
ぬるくなった珈琲を一気に煽って、なおもキエラの冷やかしは続く。
「何の講演なのか協力者には明かさない。胡散臭さしかないのに、よく協力しようと思ったよな?」
「チラシを渡したから、それを見ろって事だと俺は解釈したよ」
「で?チラシ見て、何が判ったの?」
「……何も判らない」
完全に言い込められて、ぐぅの音も出ない。
しょんぼりするダグーの耳に「あぁ、判りましたよ」とクローカーの声が響く。
「ABHWとは、アングルボザード・ホーリーウォーの略称なのですね。なるほど、だからアングルボザード・ホーリーウォーでは検索に引っかからなかったのですか」
「えっ!?」と驚くダグーを余所に、「アングルボザード・ホーリーウォー?って確かダグーちゃんの探し人が所属してる団体じゃなかったっけ」とキエラも首を傾げる。
検索結果には、はっきりとアングルボザード・ホーリーウォーの名前は出てこない。
しかしクローカー曰く、人間社会には隠語で交わされる会話の中に正解のヒントがあるという。
「アンクルボザードはアンクルボザ、北欧神話の巨人から取った名前だそうですよ。あなたの探しているフェンリルの娘も北欧神話絡み、神話によればフェンリルはアンクルボザの子供ですね。何かの関連性があるのかもしれませんよ」
「ホーリーウォーは?」と、キエラ。
「そのまま直訳して聖戦でしょう」と素っ気なく返し、クローカーがダグーを見た。
「明日は彼らと接触してみては如何です。講演会を聴いてみるのも一興ですね」
「そう、それなんだけど」とキエラもダグーへ尋ねる。
「ダグーちゃん、チラシ配りはオーケーしたのに講演会には興味わかなかったのか?」
「うん」と素直に頷いたダグーの言い分は。
自分は人集めをしてくれと頼まれただけであり、講演を見てくれと頼まれたわけではない。
あくまでも講演に客が来ないから困っているのだと判断した。
困っている人を助けるのは、後々自分の為にもなるとダグーに教えてくれたのは先輩だ。
講演会に興味が全くないわけじゃなかったが、聴いてもいいかと尋ねられる状況でもなかった。
彼らがダグーに提示したのは、人集めとバイト代だけだったのだから。
「カ〜ッ、変なトコで遠慮深いんだな、ダグーちゃん!」
キエラには呆れられ、クローカーも苦笑する。
「向こうが講演会にまで誘ってこなかったのは余計な疑いを持たれたくなかったとも考えられますね。ただでさえ初見でのチラシ配り依頼など、怪しいにも程がありますから」
「そこまで言うほどには怪しげでもなかったよ。ただ、ABHWがアングルボザード・ホーリーウォーと関連すると事前に判っていれば、もっと対応のしようがあったなぁって。てっきり大学のサークルかとばかり思っていたんだ」
残念がるダグーには、クローカーが名刺を突いて指摘した。
「名刺には日本支部と書かれています。他の国にも支部があると考えるべきです。我々が考えるよりも大きな組織のようですね。ひとまず、あなたは今日、一つの手がかりを得た。明日は講演会を聴きに行くべきです」
話している途中でダグーの携帯電話が、ブルブルと震える。
手でストップをかけて、ダグーは電話に出た。
この番号にかけてくる者は、現在一人しかいない。
「はい、もしもし、ランカか?今どこに」と言いかけるダグーの耳を、ランカの声が劈く。
彼女は、確かにこう言った。
『ダグー?ランカは当分、宿に戻らないぞ。これから神殿に行って禊名を貰ってくるのだ!』
「え?」となっているうちに電話はブツッと一方的に切れて、茫然とするダグーを残した。
21/03/22 Up