25.手に手を取って
「――そういや」と、早足で廊下を歩きながらクォードがロゥイに問う。「お前、言っていたよな。ABHWには人狼のプロセスを解明して各国の軍へ売りつける目論見があると」
「あ、あぁ」
実際に始祖から聞き出したのではない。
人間の警備員同士が雑談しているのを、小耳に挟んだ程度の聞きかじりだ。
「なら、やはり今の始祖には人狼を改造する意思があるんじゃねぇか」
「いや、そうじゃない」とロゥイが否定してきて、クォードの間違いを正しにかかる。
「今の始祖が考えているのは、人狼をそのまま傭兵として売り出す算段だ」
人狼は何故、人とは異なる能力を持つのか。
人狼研究所が何百年も抱える研究テーマで、今は遺伝子異変だと推測されている。
生み出される絡繰りが解明すれば、人工で生み出すことも可能ではあるまいか。
所謂デザイナーベビーの要領で、人狼を意図的に出産させるのが現時点でのABHWの目標だ。
既に生まれている人狼だと、傭兵として売り込んでも途中で気が変わってやめてしまうかもしれない。
雇いといえど所詮は他人、意のままに操れる存在ではない。
だが赤ん坊から育てて自分たちの命令に背かないよう徹底教育すれば、生涯傭兵を作れるはずだ。
「子供を何だと思っているんだ!」
ダグーは頬を膨らませてのご立腹、横でランカも「なんだと思っているのだ?」と真似をした。
「使い勝手のいい手駒ぐらいにしか考えてないんだろ」とクォードは吐き捨てて、足を更に速める。
これまでに誰か捕まっていないかとロゥイの鍵で小部屋を何箇所か開けてみたが、全部ハズレだった。
あいつらは、まだ廊下を逃げ回っているのか。
こちらも走り回るのは行き違いになりそうだが、立ち止まったら警備員軍団に囲まれてしまう。
回遊魚の如く廊下を走り回って、偶然で出会えるのを待つしかないのが、もどかしい。
「幼少からの英才教育なら魔族の母体だって問題ねぇはずだ。何故、そうしない?」
「俺に聞かれても……」とロゥイはぼやき、クォードの真横へ回り込む。
「人間の母体のほうが説得しやすい、とかじゃないか?同じ種である以上」
彼らは人狼が欲しくて人工出産させたいんだから、魔族を産ませたって意味がない。
それに多分、人間同士のほうが生活面で調教しやすいのも関係あるんだろう。
ダグーは幼少時、白い建物にいる人々が出してくる命令に対して、全く疑いを持たずに従ってきた。
そうするのが当たり前だと、何度となく刷り込まれてきたせいだ。
周りに情報源が何もないと、側にいる人の情報を信じるしかなくなる。
それが世界の常識だと思いこむ。
幼い頃のダグーが覚えているのは一面真っ白な壁と日課の訓練、そしてドロドロした飯の三つだけ。
娯楽や生きる楽しみを何も知らない、空虚な人生だ。
アイリーンの手で半ば強制的に連れ出されて、ヴォルフと共同生活することにより、ダグーの知識は一気に広がった。
これまで真っ白だった己の脳内世界が鮮やかに色づいた。アイリーンには何度感謝しても、したりない。
自分と同じ不幸な人間を生み出そうとしているんだったら、なんとしてでも止めたい気持ちはある。
しかしダグー如き一介の民間人が、どれだけ憤ったって何の対抗力にもならない。
かくたる証拠がないんじゃ警察だって動きようがないし、与太話として片付けられるのがオチだ。
ABHWとは人狼研究所が張りあっていると聞いたが、彼らの抗議も似たりよったりだろう。
それでも何とかしたかったら、ダグーも人狼研究所に協力するぐらいしか手の打ちようがない。
ABHWの始祖を魅了する。
それも考えたが、恐らくは今の始祖がいなくなったところで次の始祖が思想を継ぐだけであろう。
走りながら悶々と自身の考えに没頭していたダグーは、前を塞ぐロゥイの背中にぶつかって「あいたっ!?」と驚く。
なんで立ち止まっているのかと背中越しに覗き込んでみれば、漆黒の狼女と目があった。
「だ、誰!?」
「あたしだよ、アイリーンだ。この格好を見せるのは初めてだったね」
うろたえるダグーに漆黒の狼女は口を開けて笑い、クォードが彼女の傍らに立つ白い狼男へ目をやった。
「ヴォルフには白狼の異名があった。あんたにゃねぇのか?そういうの」
「ないねぇ。あたしは、これまで極秘任務でしか変身してこなかったんでね」
ナンセンスとばかりに首を振り、アイリーンは全員を促した。
「さぁ、おしゃべりは後だ。今は此処を抜け出すよ。おっと見知らぬ顔のお兄さん、あんたとは此処でお別れだ」と後半はロゥイへ向けた別れの挨拶で、ロゥイがすかさず言い返す。
「お……俺も連れて行ってくれ!これで永遠の別れだなんて、寂しいし」
ちろりんと上目遣いでの視線の先にいるのはクォードだ。
「駄目なのだ。定員オーバーだぞ」
即座にランカが却下するも肝心のクォードは、はぁっと大きくため息をついて人狼たちに確認を取った。
「……こいつ、孤独なボッチなんだ。連れてってやれねぇか?」
「けど、彼はABHWの雇われ警備員なんだろう?敵側の人間、いや人ならざる者だったかを連れ帰ったりしたらミンディに文句を言われるんじゃないか」との反論はヴォルフで、一理ある。
「あぁ、ありえるね。里に住む人狼は特に、魔族が嫌いだし。あいつらは人狼研究所に属する魔族にも風当たりが強いんだ」
アイリーンまで同意する中、ロゥイは涙を浮かべて哀願する。
「頼む、俺も連れていってくれぇ。ここの生活に馴染めそうもないんだ、けど他に行くアテがないし」
詳しく話を聞くに、彼は人間社会での行き場をなくして転がり込んだ系魔族であった。
転がり込んだ先でも馴染めないんじゃ、あとは路上生活しか残されていまい。
「お前、誰かを助けに来たって言ってなかったか?」とのクォードのツッコミにも、ペコペコ頭を下げて「全部苦し紛れの嘘でした、ごめんなさい、ごめんなさい」と必死な様子を目の当たりにして、人狼たちは顔を見合わせる。
「どうしましょう、先輩。俺としては鍵を開けてもらった恩がありますし、ここで突き放すのは悪いなぁと思うんですが、でもミンディの家に転がり込むのは難しいんですよね?」と、ダグー。
ヴォルフは顎をさすってロゥイを眺めながら、呟いた。
「ここが無理なら路上で暮らせよ、と言いたいが……路上生活は不安定だからなぁ」
路上での生活が無理だったからこそ、シェア生活を求めて来たのだとも考えられる。
しかし、やりたくない仕事につかされた上、周りは無愛想で友達が一人も出来ないんじゃ、ここも安寧の地ではない。
聞き耳を立てていたシヅが急かしてきた。
「早く決めないと...また、次の追手に囲まれる」
「とにかく一旦、ここを出てミンディの家に戻るぞ。こいつの処遇は後で決めるとしようぜ」
クォードは即断し、全員を手招きで呼び寄せる。
「一気に飛ぶ。俺から離れるんじゃないぞ」
また途中でバラバラにされるんじゃ?と怯えるダグーには、ロゥイが首を振る。
「いや……情報の混乱している今こそが脱出のチャンスだ。その証拠に、他の二人からの連絡がない」
「他の二人?ってこたぁ三人もいたのかい、人外警備員」と驚く狼女の姿が、一瞬にしてかき消える。
空間を飛び越え、次に姿を現したのはミンディの構える人狼の里、その地下にある酒場のど真ん中であった。
ABHWからお越しのお客様が同伴とあって、人狼の里は蜂の巣を突いたような大騒ぎに包まれる。
ここの場所が向こうに知られてしまうのでは?と怯える人狼と比べたら、当のお客様自身は幾分リラックスしていた。
「そんな有能な発信機、映画じゃあるまいし持っているわけないだろ。連絡は全部、無線でやりあっていたよ」
「いやいや、でもその無線機にGPSが組み込まれているという可能性は?」と食い下がる人狼に、ロゥイは肩をすくめてみせる。
「ここは地下だろ?」
「いやいや、でも最近じゃwi-fiで場所特定できるアプリが」と言いかけるのも遮った。
「だからスマホは持たされていないんだって、全員無線でやりあっているって何度言わせる気だよ」
「意外とローテクなんですね……未来じゃ人狼を改造できるくせに」とミンディが素直な感想を漏らして、キヅナに苦笑される。
「未来ではハイテクでも、今は違うんでしょう」
それに暗示の件から考えて、始祖は警備員らを信用していないフシがある。
必要最低限の無線機しか渡していないのは、そういうことなのではないか。
「転がり込む奴がいたとしたら、気が変わって出ていく奴だっていただろうに。去る者は追わず、なのかねぇ」
首をかしげる者は多いが、全ては総責任者、向こうの始祖に聞かねば判らない。
追跡方法がないんじゃロゥイに追手をかけられることはなかろうが、こちらも二度と総本山には入れまい。
ダグーたちの顔は雇いの警備員から居候にまで万遍なく見られまくったし、おまけに無断侵入罪。
「ダグーやアイリーンの顔写真がネットで拡散されたりするんじゃ?」と心配する人狼を杞憂だと笑い飛ばせない。
「……まずいな。指名手配をかけられたら、地上で住めなくなっちまう」
考え込むヴォルフへミンディが誘いをかけてくる。
「でしたら、あなた方も里へ住むと宜しいでしょう。ここには、あなた方を通報しようと考える人はいません」
「無断侵入程度で国際指名手配になるとは思えませんが」と、一応フォローを入れておいてから、キヅナも賛成した。
「皆さんが住む分には歓迎します。何かあるたびに旅費をかけて駆けつける、というのも面倒ですしね」
日本までの遠出は、なにげに財布への痛手だったらしい。
「白狼が心配してんのは、警察じゃなくてABHW信者による集団私刑だろ?だが、まぁ、ここで暮せば安全だ。ただし、ダグーと話す時にゃ気をつけないといけないな。うっかり魅了されようもんなら、こんな狭いコミュニティーで喧嘩が起きちまいかねん」
レオに笑いかけられたダグーも、にっこり笑って言い返す。
「えぇ、俺も極力皆さんの目を見ないで話すようにします。それにもし、皆さんが俺を好きになったとしても、俺の恋人は先輩ただ一人ですので、喧嘩なんて起こりませんよ」
「え〜っ!?ダグーちゃん、俺は恋人じゃないのかよォ」とキエラが素っ頓狂に喚いて、場がドッと笑いに包まれる中。
シヅだけは、憎悪を含んだ暗い瞳でヴォルフを睨み続けた。
22/03/22 Up