24.はじまりの終わり
部屋にいる間、ランカが此処へきた理由を聞き出してあった。ソフトクリームを奢ってくれた遠藤に連れられて、例の講演を聞いた後。
禊名なるものを北海道支部で貰い、ランカは教祖の部屋で催眠術を受けた。
催眠術とは何だ?とダグーが問うと、何度も同じ言葉を聞かされたのだとランカは答えた。
講演から支部に渡るまで、彼女は正気でいたのに何故大人しくついていったのか?
それにもランカは、こう答えた。
神殿では北海道の海の幸食べ放題だと聞いたから、従ったのだと。
典型的な誘拐のパターンじゃないか。それを聞いた時、ダグーは目眩に襲われた。
北海道支部で助けに入ったダグーのことは覚えていなかった。
そればかりか、あの日、自分が講堂にいたことすらランカの記憶からは抜けていた。
催眠術の暗示が働いたんじゃないか、とは話を聞いたクォードの推測だ。
本部にいる警備員にも暗示がかけられているとのことだし、始祖は原則他人を全然信用していないようだ。
自分で募集をかけておいて信用しないとは何様か。
と、憤ったところで始祖には始祖の思惑があろうし、ダグーの思い通りに動く相手でもない。
こちらに来てからもランカの意識は、はっきりしており、例のシェア部屋でまったりやっていたという。
多分ここも似た作りだろうから探索しても面白くないと思ったとランカは言っていたが、この好奇心の塊な少女が部屋で大人しくしていたとなると、部屋に閉じ込める暗示が別途かけられていたんじゃなかろうか。
シェア部屋にいたランカ以外の面々は、自ら此処に来た。
『人間社会で行き場を失った魔族の救済所』というのが彼らの間で出回っている、ここの噂だ。
行き場を失ったんなら故郷に帰ればいいのにとダグーは思うのだが、クォードには自力で帰る手段を持たないか、人間社会でやり残したことがあるんじゃないかと言われた。
人ならざる者といえど、人間社会での不都合は普通の人間と変わらないのか。
ダグーと一緒で、ちょっと変わった特技が一つ二つあるだけ……なのかもしれない。
ランカは素直に帰ると頷いてくれたし、あとはシヅとヴォルフとアイリーンを見つけ次第、とっとと退散だ。
そうしたいのに、クォードは「ついでだから始祖にも会っていこうぜ」等と、とんでもないことを言い出した。
「会うのは拙くないか?」とは現地の警備員ロゥイの意見で、ダグーも全面同意だ。
だが二対一の劣勢でも、クォードは持論を曲げない。
「ABHWの中核まで入り込めたのは、これっきりになるかもしれねぇんだ。ダグー、お前は気にならないのか?奴らが何で人狼に固執しているのかを。俺たちを集めて儀式を行うなら、未来で人狼に手をつける必要はねぇ。何故、改造対象は人狼だったんだ。魔族ではなく」
言われてみれば、魔王某を召喚するのと人狼改造は結びつきもしない。
もしや召喚もフェイクで、さらに別の思惑があるのか?
人狼のほうが誘拐しやすいというのは、人ならざる者が集められている時点で理由にならない。
人体改造するなら、狼に変身できるだけの人間よりも奇異な能力を持つ魔族のほうが遥かに役立ちそうである。
何故、人狼なのか――ダグーは、それまで全然考えてもこなかった自分に自分で驚く。
「始祖は……知っているのかな」
ぽつんと呟くダグーに、クォードが深々頷いた。
「当然だろ。組織のリーダーだぞ」
「いや、そうとは限らん」と異を唱えたのはロゥイで、「未来の連中が魔族を改造するにあたり、何か不都合が起きて人狼に変更したのかもしれないじゃないか」との意見だ。
「そういうふうには見えねぇんだがな……」
じろじろダグーを上から下まで眺め回しながら、クォードが思案する。
「こいつを鑑みるに、魔族が駄目だから人狼にってんじゃないんだ。人狼だからこそ、この能力をつけた。そういう意図を感じる」
「え?それは、どういう」
ダグーの困惑にクォードが答えるよりも先に、ロゥイが叫んだ。
「まずい、足音が!ひとまず隠れるぞ」
隠れるといっても周囲に部屋はなし、角を曲がった程度でやり過ごせるわけもなく。
反対側からも黒服軍団がやってきて、「ロゥイ、貴様寝返る気か!?」だの「そこを動くな!お前らに逃げ場はないっ」だのと口々に叫ぶ警備員に包囲された。
「うるさいのだ!ランカは、おうちに帰るのだ」
ランカが地団駄を踏んでも、銃口を向けた人々は通してくれそうにない。
話し合いの通じそうにない相手にダグーが困惑していると、後方からヒソヒソ小声でクォードが囁いてきた。
「おい、ダグー。お前の魅了で状況打破しろ」
「えぇ……こんな大勢、魅了できるかな」
黒服軍団とダグーは今、真っ向から睨み合っている。
「できるだろ。お前が相手の目を見るだけでいいんだ。向こうは目を逸らせねぇ。お前一人なら目を逸らしたって問題ねぇが、今はロゥイや俺も一緒なんだ」
背後は無理としても、正面だけなら何とかできそうだ。
全員こちらに険しい視線を向けている。
ダグーに関する注意事項は、全ての警備員に伝わらなかったようだ。
ダグーは最初に魅了した警備員を思い浮かべた。彼は今、どこで何をしているんだろう。
中央の部屋のそばで別れたっきりだ。正確には、ダグーを中央の部屋に隔離して去っていった。
魅了が効かなかったのかとも考えたが、そこのロゥイの話だと、警備員には部屋を閉じる暗示がかけられているそうだ。
つまり逆にいうと、隔離部屋に関わりさえしなければ、ずっと仲間にしていられる……?
銃口を向けたはいいが、黒服軍団も動けずにいる。完全に膠着状態だ。
だったら、自分にできるのは一つしかない。
ダグーは警備員一人一人の瞳を、じっくり覗き込んだ。
見つめ合うこと数十秒、正面の黒服たちに異変が起きる。
なんと全員が銃をおろして、ダグーに情熱的な視線を送ってきたではないか。
これには後方の包囲網が仰天だ。
「おい、何しているんだ!?銃を下ろすな、危ないぞ!」との忠告も、魅了された面々には届くまい。
今や彼らの思考にあるのは目の前のダグーを、どうやって独り占めにするかだけなのだから。
シェア部屋の住民が、そうだった。
如何に自分がダグーに相応しいかをアピールしてきて、他のやつが同じ真似をしようもんなら、目の前で喧嘩を始めた。
これまで一緒に暮らしていたはずの仲間と、だ。
魅了は言いなりになるだけではなく、相手の性格をも一変させてしまう。
これまでは無意識に相手の目を見て話していたけれど、今後は意識して視線を外さないと駄目だとダグーは反省したものだ。
「すみません、通してもらえますか」
ダグーが一言お願いしただけで効果覿面、まるでモーゼの如く、さぁっと黒服は脇に避けて道が開かれた。
「何をやっている、包囲網を崩すな!」と騒ぐ後方にも目をやり数十秒見つめただけで、廊下は静かになる。
「……すさまじい威力だな」
ぽつり感想をもらすロゥイに、クォードが忠告する。
「お前も迂闊にダグーと目をあわせるんじゃねぇぞ。魅了されたくなかったら」
「何を言っているのだ?こんなにカワかっこいいダグーを見ないなんて、人生損しているのだ」とランカは言い放ち、ダグーの横をスキップでついていく。
「……あいつも魅了されているんだ。ダグーに魅了されちまうと皆ああなっちまうんだ、自分の意志とは関係なく」
さも嫌そうに吐き捨てるクォードへ、ロゥイはグッと親指を立てて断言する。
「俺は、お前の忠実な仲間だ。他に浮気なんてしないから安心してくれ」
誰も浮気だとかは一言も言っていない上、慣れないウィンクのおまけつきで、距離感を図り間違えているにも程がある。
頭の痛くなる仲間ばかりでクォードは些かげんなりしつつ、三人の後を歩いていった。
通路を走り回っていたアイリーンも、ついに袋小路へ追い詰められて捕まった。
全員ぶちのめしてやろうかといった凶悪な考えも一瞬彼女の脳裏に浮かんだのだが、それよりも気がかりが一つ発生して、そちらを優先した。
以前、未来へ飛んでダグーたちを救出した後、相棒のリンネイが言ったのだ。
こいつらの目的は何なのだ、と。
人狼を兵器で売り出すつもりじゃないのかとアイリーンが問うと、彼女は首を振って懸念を吐き出す。
ABHWは現代時点で魔族の存在を知っているはずなのに、何故未来で人狼を改造したのだろう。
改造を施すに辺り、子供のほうが誘拐しやすかったから?
魔族の子供が見つからなかったから、かわりに人狼を誘拐した?
こいつらの規模を考えると、それはない。
世界中をくまなく探せば魔族の子供ぐらい、いくらでも捕まえられよう。
なのに魔族ではなく、人狼に手をつけた。
それからダグーとシヅは、最初から人狼だったのか否か。
現場にあった書類では、シヅは日本から"輸入"した孤児となっていた。
これだけでは、どちらとも言いかねる。
だが、ただの人間を人狼に改造するのはリスクが大きいし、副作用や失敗を踏まえると、やはり最初から人狼だったが正解か。
ダグーは不明だ。彼の身元を証明するものは、どこにも見当たらなかった。
彼が人狼なのは間違いない。トレジャーハンターのヴォルフが狼化を目撃している。
ただ、付加された能力が異質だとリンネイは眉をひそめる。
人を意のままに操るなんてのは、魔族の領域だ。
なら、魔族をそのまま兵器として売り込めばいい。
欲しいものを与えてやれば、人ならざる者は大抵言うことを聞くはずだ。
何故、人体改造に手を出したのか。
それも土台が人狼で能力は魔族?どうにも、ちぐはぐで腑に落ちない。
魔族と人狼のキメラが作りたかったんじゃないのかい?と、その場は冗談で笑い飛ばしたアイリーンであったが……
何度考えても、ぞっとする。
誰かが誰かの人生を勝手に無茶苦茶にして良いわけがない。
孤児とはいえ、シヅにも一般の人間と等しく生きる権利があったはずだ。
ダグーだってそうだ。少なくとも改造兵器で終わる人生では、なかっただろう。
今の始祖に未来の悪行を悔い改めろと迫ったって無駄だ。通じるまい。
だが、未来がああなった原因は現在にあるかもしれない。
あの施設は設備がきちんと整っていて、昨日今日の思いつきで、そうだ人狼を改造しよう!となったのではない。
遠い昔から入念に準備してきたと考えるのが妥当だ。
奇異な能力は治癒と魅了の二つ。この二つを今の始祖が、どう捉えているのかを聞き出してみたい。
もし悪しき思想を抱いているんだとしたら、ぎったんぎったんに叩きのめして改心させてやらねば。
凶悪な意思を胸に秘めて、アイリーンは大人しく黒服軍団の誘導に従った。
どうせ魔族のいる部屋のどれかに幽閉するつもりだろうが、大人しく隔離されるつもりもない。
部屋で暴れまくって、警備が来たら、そいつらもぶちのめして、嫌でも始祖の意識を向けさせてやる。
あまり人狼をナメるな。
これは――警告だ、人狼の人権を冒涜するABHWへの。
アイリーンの胸に秘めたる凶暴な計画は、もろくも廊下の途中で崩れ去る。
ちょうど歩いてきた二人組と正面ばったり遭遇したのをきっかけとし、廊下で乱闘する羽目に陥った。
狼男一人に狼女二人では、いかな銃を所持した警備員だろうと分が悪い。
否、彼らが誤爆を恐れて銃を発砲できないのでは、一方的な戦いになったとしても仕方なかった。
「銃も良し悪しだな。狭い場所じゃ使えないし、遠すぎると当たらないし」と苦笑して、ヴォルフが拳銃を廊下に落とす。
足元に転がるのは死屍累々な警備軍団。どいつも気を失わせただけで、命はある。
「混戦なら...ナイフが一番。確実に、とどめを刺せる」
シヅが何やら物騒な独り言を漏らしていたが、それはあえてスルーして、アイリーンは二人を促す。
「始祖に会ってみたいんだが、ここまでの道のりで、それっぽい場所を見たりしなかったかい?」
「始祖に?だったら、こいつらの息を吹き返させて尋ねてみちゃどうだ」と、ヴォルフ。
シヅは不満そうに首を振り、ぽつりと呟いた。
「会いに行くの...?帰りが遅くなる...ミンディ、心配する」
もっともだ。
彼女が不満を浮かべているのを確認がてら、アイリーンは計画を変更する。
始祖と会うのは、この次にしよう。今は、この子を安心させてやらなきゃ。
「シヅ、これが片付いた後、あんたはミンディのもとで暮らしてみたいかい?」
シヅが頷く。
「都市で暮らすのは気苦労が多いから、もう...イヤ」
これまで彼女を散々一人暮らしで苦労させたのかと思うと、アイリーンの良心はチクチク痛む。
ミンディのもとで暮らせと指示したのは二人が人狼だからだけれど、シヅが了承してくれたなら何よりだ。
アイリーンの視線を辿り、シヅに気を遣ってかヴォルフが言う。
「ダグーは俺が引き取ろうと思っていたんだが……人狼の里にシヅと三人でご厄介になるってのもアリだな」
「あぁ、そうしな。そうすりゃ家賃と水道光熱費は実質タダだ」とアイリーンも笑って返し、三人は揃って廊下を駆け抜ける。
早いとこダグーを探して、あの子も安心させてやらなければ。
22/03/14 Up