Dagoo2 -Fenrir's Daughter-

ダ・グー2 -フェンリルの娘-

16.狼たちの宴

ABHWの総本山へ送られたランカを奪還すべくフェンリルの娘がいる人狼の集落まで辿り着いたのは良いのだが、集落に住む人狼にも、そして北海道支部へ潜り込んだアイリーンにも、総本山の明確な場所は突き止められずにいた。
「そもそもABHWはフェンリルを祭って何がしたいんだ?」
基本的な疑問をぶつけるキエラに人狼の一人、レオが答える。
英語と日本語しか判りませんとキエラがアピールしたおかげか、今夜の集会は英語で話すと決まり、英語を話せない者は黙って話を聞くかキヅナの通訳に耳を傾けている。
「表向きは人類滅亡を防ぐと言っているが、実際にはフェンリルを降臨させて世界を反転させるのだと信者が言っていた」
「世界を反転?」
首を傾げるダグーに、噛み砕いた説明を施したのは先輩こと白狼のヴォルフだ。
「巨大な怪物が突然街ん中に出現したら、どうなる?まずは全員パニックになる。そして警官や軍隊が対処にあたる。それでも倒せなかったら?人々はすがるモノを求めて彷徨うだろう。そこでABHWがアレは邪悪なものではないと信仰を広めたら、やがて世界は崩壊し、フェンリル信仰で一色に染まる……」
そう上手くいくだろうか?
しかし日本のオウム真理教では、あからさまに胡散臭い教祖を一定数以上の人数が崇拝し、殺人命令に従った信者は己の人生を狂わせたのだ。
宗教に惑わされるのは日本だけじゃない。
こうしたことは、世界各地で起きている。
絶望のどん底にいる人間は、誰かに救いを求める。
その誰かが善であれ悪であれ、助けてくれる者の言葉を簡単に信じて洗脳されてしまう。
「フェンリル降臨に乗じて世界を乗っ取るのが真の目的ですか。しかし現実問題として、いるのですか?フェンリルなどという怪物は」
魔族であるクローカーに"現実問題"などと言われるのは、不思議な感じがする。
魔族自体が現代人からすれば非日常であり、お伽噺の範疇ではないか。
レオは顎に手をやり、考えるような仕草で「奴らはいると信じて疑っていない。俺には信じられないが、しかし実際に人ならざる者は存在しているしな」と、視線をクローカーに向けた。
「そうだ。俺達人狼だって存在するのにフェンリルが存在しないと、どうして言い切れる?」
毛深い男性ブルーノが会話に混ざってきて、ダグーにウィンクする。
「ここには未来人までいることだしね。何でもありだ」
青い瞳を何度も瞬きして中年の女性、オルガが口を挟む。
「でもフェンリルは信仰心の高い信者を生贄にして呼び出すっていうんでしょう?信じても信じなくても救われないなら、信仰する意味ってあるの?」
「生贄は未来への尊い犠牲なんだそうだ」と吐き捨てて、レオは頭を振った。
「たとえ未来が救われても、自分が死んじゃ何にもならんだろうに。宗教に狂う奴の思考は理解できないな」
「つまりABHWは武装組織ではなく宗教団体……という認識で、いいのか?」と尋ねたのはクォードだ。
「概ね間違っていない」とした上で、白狼が若干付け足した。
「ただ、資産の出どころは不明だ。お布施で破産した信者はいないし、教祖に言えば家に帰るのも自由らしい」
「フツーに考えりゃ始祖様か教祖様が自腹切ってんじゃねーの?」とはキエラの推理に、アイリーンが肩をすくめる。
「世界規模で支部を持つ団体が、かい?必ずどこかで収入を得ているはずなのに、尻尾を掴ませないんだ」
「宗教法人として登記してもいないしね」と言ったのは小柄な青年で、名をランドルオ。
「宗教法人は必ず役所に登記しなきゃいけないんだよ、税金の問題があるからね。なのに、どの国を見ても未登録なんだ」
極秘裏とは非公式の団体という意味だったのか。
今、信者として各支部に住み込んでいる人々は一体どうやってABHWの存在を知ったのだろう。
だがランドルオ曰く、そんなのはクチコミで幾らでも見つかるという。
信者が自ら噂をばら撒いて、呼び寄せることもあろう。
「ただね」とアイリーンは眉をひそめて、自分の見てきた景色を報告した。
「北海道支部の信者は、全員がフェンリルの降臨を信じているようでもなかった。禊名をゴッコ遊びと勘違いしている奴も多かったしね」
「ゴッコ遊び……まぁ確かにミソギって言われても何のことか判らんよな」と唸る面々を見渡してから、アイリーンの目がダグーに留まる。
「あんたも会ったんじゃないかい?ダグー。門番の名前をもらった奴にさ。どう頑張って見ても素の性格とは思えなかったからね、他の奴に聞いたんだ。したら、あいつの好きなゲームだか漫画だかに同じ名前のキャラがいるんだと。それの真似をしているキモオタだと笑われていたよ」
確か、ガルムといったか。
アイリーンが幽閉された部屋を警備していた青年の禊名は。
あまりにも言語が不自由なもんだから、よもや学校に通わせてもらっていないのではと危惧してしまったが、ただのゴッコ演技だったようだ。
「ゲームや漫画って、娯楽の持ち込みアリなの?あそこ」
意外な部分に食いついたキエラへ答えたのはヴォルフで、「家にいつでも戻れるような、ゆるい団体生活だ。荷物は何でも持ち込めるさ」と笑った。
信者の中にはシェア生活目当てで潜り込んでいる者もいるそうで、どうにも人類滅亡への危機感が薄い。
「中にはフェンリル降臨を本気で信じている信者もいるだろう。ただ、今は一人二人ちらほら本部に送られる程度だから、フィクションだと馬鹿にしている奴のほうが多いんじゃないか」とはヴォルフの推理で、そうなってくると総本山を知る信者を捕まえるのが難しくなってくる。
いつでも家に戻れるから行方不明者は出ない。
信者の家族には、たまの団体生活で遊んでいるだけだと思われているはずだ。
お布施も強制じゃないから、宗教団体であること自体を知らない信者がいてもおかしくない。
だが――
ダグーがランカを取り戻そうとした時だけは、違った。
教祖が号令をかけた直後、信者全員が「異端者に死を!」と声を揃えてダグーへ襲いかかってきた。
どう考えても、マインドコントロールされている。
もし、何気ない集団生活の中で本人が気づかないうちに洗脳されているとしたら、このまま野放しにしていい団体ではないように思う。
あの時もダグーが只の一般人だったら、シヅの助けがなかったら、信者の誰かが自分の意思とは無関係に手を血で染めてしまったかもしれないのだ。
黙り込んだダグーをチラリ見てから、クォードがボソリと呟いた。
「行方不明者なら出ているじゃねぇか。これまで生贄になった奴らがよ。そいつらの遺族は何て言ってんだ」
「そこは連中も周到でね」と、レオ。
「家族のいない孤独な人間を選んでいる。少なくとも他の信者から得た情報では、そうだった」
絶望や孤独に苛まれていなきゃ、皆の犠牲になろうとも思うまい。
うまく言いくるめられるか、或いは本気でフェンリル降臨を未来に託して本部で散ったのか。
彼らの心情を考えて、ダグーは深い悲しみに包まれると同時にABHWへの憤りが、ふつふつと沸き上がる。
誰だって孤独は嫌だ。他の人に認められたい承認欲求もあろう。
ABHWは彼らの心の闇につけこんで、栄光ある存在、生贄に選んだ。
生贄が殺されたかどうかまでは、末端の信者じゃ情報源になりえない。
真実は総本山を突き止めて実際に調べるしかない。
「フィンランドにも彼らの支部があります」と切り出したのはフェンリルの娘、ミンディだ。
「行ってみますか?」と誘われたが、それには答えずダグーは別の疑問を繰り出した。
「ミンディさんは信じているんですか?フェンリルの存在を」
娘を名乗るぐらいだから、てっきり信じているのかと思いきや、ミンディは、きっぱり「いいえ」と首を真横に否定する。
「私がフェンリルの娘を名乗っているのは、そのほうが体制が良かったからです」
「体制が?」と首をひねるダグーにキヅナが言い添える。
「ただ人狼だと名乗るよりも、それなりに呼称はあったほうが人の集まりにも影響するでしょう?」
ABHWもフェンリル教とは名乗らずアングルボザード・ホーリーウォーなどと長ったらしい名称をつけたのは、何らかの意図があってのことだ。
ミンディの場合は、人狼とフェンリル――北欧神話で謳われる巨大狼をかけた発想だ。
「フェンリルの名前に触発されて、怪しい宗教団体に目をつけられてしまったのは誤算でしたが……」と彼女が項垂れたのも一瞬で、次に顔をあげた時には強い意志が瞳に宿っていた。
「ですが、悪しき思惑を早期に断絶できるのだと捉えれば一石二鳥でしょう!」
「何故、フェンリルなのでしょうね。彼らの信仰は。ABHWの始祖は、人狼と無関係なのでしょう?」とはクローカーの疑問だが、それに答えられる者は此処には不在だ。
「でっかいからじゃねぇか?昔から、人はでっかいのに恐怖を感じるだろ」
「大きいのがいいなら巨人でもいいじゃねぇか。スルトだのユミルだの、神話にゃ巨人が事欠かねぇぞ」
「巨人じゃありきたりだから、巨大狼にしてみたとか?」
集まった面々は雑談でワイワイ盛り上がり、うっかり脇道に逸れかけた話し合いをキヅナが正す。
「それは始祖に尋ねてみませんと判りません。ここで憶測を戦わせるのも無意味です。我々は何としてでも総本山を割り出さなければいけません。しかし、明確な場所は教祖に聞くしかなさそうなのが現状です」
「なら、直接聞きに行けばいい」とクォードが話を締めて、ミンディを睨んだ。
「勝算があるんだろ?ダグーとシヅが仲間になったってんで。だから、行こうって言ったんだろ?フィンランド支部によ」
口の端を歪める相手と真っ向から睨みあい、ミンディも力強く頷く。
「その通りです。特にダグーさんの魅了があれば、本部の場所を聞き出すのも可能だと考えました。問題は、どうやって信者に気づかれないよう教祖の元へ近づくか……ですが」
フィンランド支部は交渉決裂後、容易には近づけない場所になってしまった。
部外者が前の道を通るだけで門の警備は厳重になり、四方八方仕掛けられた監視カメラに姿を収められてしまう。
「ちょっかいをかけてきたのは向こうが先ですよ」とミンディは口を尖らせて文句を言うが、人狼側が無抵抗だったとも思えないし、両者の間で激しい小競り合いがあったのは重々予想できる範囲だ。
「門番は立っていますか?立っていた場合、彼らは武装していましたか?」
クローカーの問いに人狼の男性、もさもさ頭のバーニーが肩をすくめる。
「表向きは手ぶらだったな。けど、どこに銃を隠し持っているか判りゃしねぇ。おっかねぇ顔で睨んでくるからよ、俺なんかはスタコラ早足で逃げるしかなかったぞ」
支部偵察にいった人狼の話だと、厳戒態勢時に門番は二人。
監視カメラで確認できた数は十個。
信者は証明書のようなものを所持していて、中へ入る際、門番に逐一確認されていた。
逆にいうと、証明書を見ないと門番にも信者か否かの判別が出来ないのではないか。
「外に出た信者から証明書を奪い取れば……」
物騒な案を呟くキエラに「それよりも、門番をダグーが魅了すればいい...」とポツリ突っ込んだのはシヅだ。
せっかくの案を「ダグーさんは切り札として取っておきたいので、門を突破するのは別の方法にしましょう」とミンディが却下して、人狼たちは額を突き合わせる。
「一気に教祖様の元へゴールインできる能力ってなぁ、持っていたりしないのか?人ならざる者さんよ」とキエラに振ってきたのは人狼の一人で、キエラは呆れの目つきで肩をすくめる。
「んなご都合主義な能力、あるわきゃねーだろ。魔族っつっても万能種族じゃねーんだぞ」
「なるほど、そのへんのスペックは俺達人狼と一緒か。普通の奴と比べて少々変わった能力を持つってだけの」と苦笑いを浮かべて、ヴォルフがチラリとダグーを見やる。
「それに確か、向こうにもいるのではありませんか?人ならざる者といった存在が。だとすると、みだりに能力を使うのは危険ですね」
クローカーもダグーとシヅに視線を移して思案する。
空間跳躍すれば一気に教祖の元へ出られないこともないが、それをやるには教祖の居場所と気配を把握する必要がある。
しかし信者に見つかりたくないのがミンディの希望じゃ、教祖の居場所を聞きまわるのはアウトだ。
正面突破は無駄な怪我人を増やすだけで賢くない。
「教祖は出かけたりしないのかな……」と呟いたのはダグーで、「それは判らないな、四六時中見張ってないと」とレオが請け合い、酒場に集まった面々を見渡す。
「仕掛けるんだったら出入りを見張る処からスタートってことになりそうだが、どうする?」
「教祖を捕まえるんだったら乗り込んだほうが早いぜ。こいつらは生贄になった仲間を救い出したいんだろ」
手堅い案を人狼の男が鼻息荒く撥ね退けて、周りにも同意を求めた。
「こうなったら雪崩攻撃だ。次から次に狼男が襲ってくるとなりゃあ、門は対応で手一杯になる」
「そんな真似したら向こうも本気を出してくるぞ!下手したら誰か怪我しちゃうんじゃないか!?」と怯えるバーニーを叱咤したのはブルーノだ。
「怪我が怖くて悪の宗教とやりあえるか!しかも誘拐されたのは幼女だって言うじゃないか。別の意味でも心配だ」
「あ〜その意味では心配無用だぜ」とキエラが茶化し、かと思えば真面目に戻って人狼全員を促した。
「まぁ急いだほうがいいってのには同感だけど。あのランカが、いつまでも大人しく生贄ゴッコに興じられるとも思えねーしよ。無用な怪我人を出したくないってんなら、とっとと雪崩攻撃キメちゃいましょーか」
雪崩攻撃とは、すなわち幾つかの隊を組んで時間差で門へ詰めかける戦法だ。
表向きは、ABHWへの活動に対する抗議運動とする。
すぐ暴力に訴えるのではなく、まずは人の姿で押し寄せて、向こうが排除に出たら、こちらも変身で応戦する。
あくまでも向こうが先に手を出した――そういうふうに印象操作したい。
もっとも、ABHWのフィンランド支部が建つのは人通りの寂しい田舎道だから、抗議運動ゴッコは必要に応じての策だ。
ここを全くの留守にするのは不安だといった声が上がり、人狼のうち三十人がミンディと一緒に出かける。
そのように決まり、あとは出発まで必要なものをかき集める作業に入った。
ついた早々、ヴォルフとゆっくり語り合う暇もありゃしない。
「色々終わって一旦落ち着いたら、積もる話をしようや」とヴォルフに慰められて、ダグーは素直に頷いた。
「えぇ。なんで俺が今、魔族と一緒にいるのかも後で話しますから」
キエラやクローカーは、あまり心配していないようだが、やっぱりダグーは誘拐されたランカが気がかりだ。
彼女と出会ったのは日本の秋葉原にプレハブ住居を構えた頃で、ランカは知らないうちに住み着いており、それに気づいた時は大層驚いたものだ。
今なら、朧気に推測できる。
あれは魔族だから、ダグーの感覚を誤魔化す何らかの能力を持っていたのではないかと。
万能ではないとキエラは断った。
だが、彼らが人間と異なる能力を幾つも持つと知っている。
全ての能力を出し惜しみせず全力で使えばランカ奪回は、うまくいくはずだ。
まずはフィンランド支部の教祖に会う。なんとしてでも。

21/11/08 Up


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